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旧約聖書のうち最初に成立した文書と、その時代のユダヤ民族の自治権について知りたいです。特に不都合がなければ
1)http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/nenpyou.html 
2)http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/ol … を教材として、お訊ねします。不都合があれば別の資料に従います。

1 1)によって、預言書の一つに「アモス書」があり、これが旧約聖書の最古の文書と考えました。いけませんか。
2 2)の11枚の画像のうち、聖書に記述が有ろうと無かろうと大筋として7割以上の確率で史実といえそうなのは何番ですか。全ての番号が該当しますか。
3 「アモス書」は2)の(7)の図に於いてアッシリアによるサマリア陥落以前、即ち南北王国に分裂していた時代に成立したと考えました。いけませんか。
 この分裂していた時代のユダヤ民族の自治権は、どの程度と考えるのが妥当ですか。分裂していただけで独立した国家だったのですか。それとも他民族の干渉、支配を受けていましたか。この質問で全て知ろうというのは無理でしょう。大まかな話として、現在の日本並み、連合軍駐留時の日本並み、自治権は皆無(第二次大戦以前のゲットー内自治程度)のうち、どれに近いですか。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

1) おそらく最古の「文書」と考えて差し支えないと思われます。


ところで、何を以って文献の成立時期を確定するかはかなり難しい問題です。原本が出土すれば良いのですが、羊皮紙などは腐食しやすくとても期待できません。そこで、記述の内容や他の文献に引用された形跡があるか、などから推測するしかありません。(当たり前ですが、王などの人名が記されていれば、その王がいた後の時代の編纂と分かりますよね。ダビデの業績を書いた文書は、ダビデの死後でなければ成立できませんから)
預言書の第一章は、通常「誰が=預言者名」「どの時代に=誰が王であったか」神から言葉を預かったか、が書かれています。それらによれば、おそらく最古の預言書の一つであろう、と考える合理的な理由があります。(王の名前や他国の名前などから推測、例えばダニエル書はネブカドネツァル王=紀元前605年即位、以前に書けるはずがありません)
勿論異論もあり、モーセ五書と呼ばれる創世記~申命記までが最も早く成立したと主張する人もいます。
ただ、他の回答者さんが指摘していない事を書いておくと、ヘブライ語のアルファベットはおそらく紀元前13世紀ころにはあったらしい、のでそれ以前に起源を求めるのはトンデモ説だと言えます。伝承はあっても聖「書」ではありませんから。(ちなみに現存する最古のヘブル文字による文書はゲゼル農事暦だと言われています。紀元前10世紀ころの物です)・・・逆に言えばそれ以降であればいつ成立していても不思議ではないとも言えます。正直言って、「多分」最古の文書の「一つ」でしょう、としか言えないのが現状です。

2)スライドの(4)と(5)は聖書以外に証拠が無さそうですが、他の図はほぼ間違いない=歴史的事実でしょう。とは言え、(4)が無ければ(5)も成立しないでしょうし、(5)が無ければ(6)が突発的に成立するかどうかは疑問です。国を建てるには、それなりの力=人口が必要ですから。

3)たぶん良いと思われます。
分裂していて、別々に王がいましたから独立国家とお考えになって良いでしょう。具体的には、同盟国であった国が戦争をする時に援軍として参戦する事はありましたが、後のローマの支配下と違い軍事権や裁判権が束縛されていた証拠はありません。現在の日本並で良いでしょう(隣の大国の機嫌を損なえば軍事的に滅ぼされる可能性があるのも一緒です)

ところで、エジプトのアテン信仰がユダヤの一神教の起源であると主張する意見及び、エジプト人の信仰がユダヤ教に影響を与えている、という主張がありますが、おそらく違うと思います。理由として、イスラエル人の名前に「アテン」や「アメン」などが全く含まれていないからです。古代の人々は、自分の名前に信仰する(加護を期待する)神々の名をよく用いています。イクナ「アトン」とかツタンク「アメン」とか「アメン」ホテプとかです。ところが、ユダヤ人の人名ではxx「エル」とか「ヤー」○○とか△△「ヤー」などの名前が非常に多いです。エルは神を意味しますし、「ヤー」や「ヤ」又は「イェ」などはユダヤ教の唯一の神に対する呼びかけです。この名前の一部に神の名を用いるのは、古代オリエント各国共通の傾向である事は知っておいた方が良いと思います。

余談ですが、これらの事を考えるには総合的な知識が絶対に必要です。例えば、古くには六韜(虎の巻で有名ですね)という中国の兵法書は太公望呂尚が書いたと信じられていましたが、呂尚が活躍した時代には無かった戦車の戦い方の説明や「将軍」という成語を用いている事から、後世の偽作である事が判明しています。最近では、徳富蘇峰が紹介した「天正使節団の報告書」(日本人の奴隷が50万人も海外に売られているとした内容)も明治時代の造語である「文明」という単語を用いている事から信憑性は非常に低い物だと知られています。
こういった多面的な考察こそ、学問の楽しみですし、こじつけやトンデモ説からご自分を守るのに必要な事だと思います。

長文失礼しました。参考になれば幸いです。

この回答への補足

これは補足ではありません。お礼文としては長すぎだそうで、こちらに記します。
1 に関して
>>おそらく最古の「文書」と考えて差し支えないと思われます。
分かりました。今日の書籍で言えば版が重ねられていて、その都度加筆訂正があったとしても核が変わらなければ初版の価値が大きな意味をもつのに似ているでしょうか。
この手の質問は回答者泣かせで、どこで線引きをするのかが難しく見かけ上の表現が違っていても実は同じことを述べているということは珍しくないのだと思います。どういう回答を得たかは回答者の責任でなく解釈する側の責任なのだと思います。古い時代の歴史は、比較の上でいえばアモス書に、よく反映している理屈になる筈だと、これは私の責任でそういうことになりそうです。

2に関して
(4)と(5)に慎重を要するということは、かなり重要なところに慎重さを求められる訳で困りました。といっても伝承を丸ごと信じて少しも困らないよりは、困った方が何百倍も良いですね。

3に関して
分かりました。アモス書、ホセヤ書、イザヤ書などを読む際のたすけになるでしょう。

アテン信仰のユダヤの一神教への影響はないであろうこと、これには言語学の立場から傍証の一つを挙げられること。このご主張はわかりました。
今日只今の私のもっている印象を述べます。
・一神教の起源を知るには最原始宗教、アテン神、ゾロアスター教、ユダヤ教が視野から外せなそうなこと。
・アテン信仰がユダヤの一神教の起源である可能性が生じるためには、何はさておき必要条件の一つとして、出エジプトが何らかの意味で史実であること。
今の私には、出エジプトが史実であるか否かが白紙なので、アテン神のユダヤ教への影響も自動的に白紙です。

当面、これまでのご回答で十分な気がしていますが寄稿の準備をされている方があってはいけないので、早くても16日(日)までは締め切らないでおきます。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

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・以上のお礼を14日21時53分以前に送信したものとばかり思っていました。お礼を書く前に次の質問を投稿することはない習慣にしているからです。送信されていないことに16日6時44分に気付きました。お礼をする前に次の質問をしてしまったことになり、これは主義に反するのでお詫びより何より自分に対して大変嫌な思いをしています。深くお詫びを申し上げます。

補足日時:2008/03/16 06:52
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部分的に。



>1 1)によって、預言書の一つに「アモス書」があり、これが旧約聖書の最古の文書と考えました。いけませんか。

正しいかどうかですか?
どういえばいいのでしょう。
何度も書き換えられており、最終的に完成したのが、紀元1世紀なんです。


情報として知っておく程度でいいのですが、いろいろ権力争奪戦がありまして、エロヒム派かヤハウエイ派かだけでも、歴史をどの視点から捉えたかが異なるんです。

祭司という職業が、尊ばれた時代もあれば、蔑まれた時代もあり、どっちが権力を持ったかで、物語の描き方が違ってしまう。


そして、この民族の思想家たちは、自分の思想を表すとき、自分の名前を主人公にせず、有名人だった人の名前を主人公にして、作品を描き、それをもって、自分の思想の正しさを訴えていたんです。

だから、ダビデとかソロモンのエピソードがいくつも存在する。
で、聖書を成立させるとき、どれが本当のダビデやソロモンの実際に行ったことなのか、わーけわからんかったわけです。
ですが、他の資料など吟味して、「どうやらこれが真実のエピソードに近いんじゃないか」というのを、選んで聖典に入れたんです。

その編纂の時活躍したのがラビとか律法学者たちだと思います。

選ばれなかったものはアポクリファとして残した。


2.ですが、11が7割以上の確立で史実じゃないかと思います。


3.は内容を読むと、イスラエル王国のことをユダ王国が批判しているので、何度も書き直されたかもしれませんが、最終的にサマリアが陥落し、アッシリアに捕囚された後のユダ王国側が書いたものじゃないかと思います。

時代は特定できません。
もしかしたら、南ユダがバビロンに捕囚された後、またはバビロンから開放された後 かもしれません。


>この分裂していた時代のユダヤ民族の自治権は、どの程度と考えるのが妥当ですか。

情報として、イスラエル人というのは、イスラエルの子孫のことなんですね。
もともと人名です。
ヤコブという人が、天の使いと戦って、明け方になったので天の使いが帰ろうとしたら、ヤコブは自分に祝福(子孫繁栄)を約束するまで帰しませんってしがみついて放さなかった と書いてある。
それで、天の使いがヤコブと契約を交わし、彼は聖別されたとして、イスラエルという名前をもらった。

そのヤコブ(イスラエル)の子孫が、イスラエルの12支族+1族なんです。

で、12支族でそれぞれ領土を持ち、1族だけは領土を持たず、それぞれの12支族の地域の宗教専門職として住んでいたわけです。
これは神からの指示となっており、現在のアフリカの辺境のシナゴーク(ユダヤ教の神殿の代わりになるもの)のラビのリーダのY染色体を調べても、同じ男を祖としていることがわかっているんです。
つまり 何千年も神の指示を守り続けているってわけです。

というわけで、イスラエル人は誰のことかはわかったと思います。

次に、ユダヤ人。
これは統一国家だったイスラエル王国から、ユダ族とベニアミン族が反旗をひるがえし、分離してユダ王国を作ったため、その人たちがユダヤ人と呼ばれるようになったのではないかと。
恐らく、イスラエル王国がアッシリアによって捕囚されて、バラバラに解体されたあと、消えてしまって、残ったのがユダ王国だったため、彼らがユダヤ人と外から呼ばれるようになったのではないかと。
日本という国名に住む人が日本人と呼ばれるように。
(ただし、私は10支族が消えてしまったとは思わないです。)


というわけで、東西に分裂したあと、どういう自治だったかですが。
これなんかどうでしょう?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80% …
『。もともとダビデの一族の支配から北のイスラエル王国が独立した形となったため、当初ユダ王国では北イスラエル王国を再び制圧して全土を統一しようという意気込みが強かった。

そのため、分裂後の60年間は南北王国の間でたびたび戦いが繰り返された。その後は和解した両国の関係が安定し、ダマスカスなどの共通の敵に対して共同戦線を張ることが多かった。紀元前8世紀の中ごろには両国とも力が充実し、ソロモンの最盛期にも匹敵するほどの国土を獲得した。』

この回答への補足

1に関して
>>何度も書き換えられており、最終的に完成したのが、紀元1世紀なんです。
分かりました。この質問は私にとってhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa3842203.html とセットです。つまり一神教が何処まで遡れるかを知りたいがための質問です。この趣旨からいえば、ここではアモス書は紀元1世紀に書かれたとするのが妥当です(私個人の、この質問限定の表現です)。書き換えられたということは彼らの考えに、より近いものになったと受け取れます。

2 に関して
新しい時代を除いては不確かな要素があることに、警戒することにします。

3 に関して
1のご返事を知った今なら、この質問は出なかったです。3は無視して下さいませ。早手回しのつもりでしたが、3は1のご返事を待つべきでした。

以上は用件済みです。以下は新たな用件です。

頂いた情報に関して
>>現在のアフリカの辺境のシナゴーク(ユダヤ教の神殿の代わりになるもの)のラビのリーダのY染色体を調べても、同じ男を祖としている
4 すると、どんなに慎重に考えても、ヨセフとその兄弟がエジプトへ渡った話と、モーセの出エジプトの少なくともどちらか一方は何らかの史実があったと考えるのが自然ですが、そう考えてよいですか。
事情が許せばご返事下さいませ。急ぎません。

何度も懇切なご回答を、ありがとうございます。

補足日時:2008/03/12 20:57
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