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8人連続殺傷事件などでいわれてますがなぜ世間ではゲームすると犯罪を犯すということになってるんでしょうか。人を殺すってのはゲームに関係なくもともとそういう人だったからなのではないでしょうか?またゲームのせいと思われてる方は根拠はなんなのかを教えてください。

A 回答 (15件中1~10件)

>世間ではゲームすると犯罪を犯すということになってるんでしょうか?



ゲームをすると犯罪を犯すという常識は世間にはないと思います。
それは、うがった見方ではないでしょうか?

可能性として
○精神的に成熟していない者が、過度にゲームに夢中になった場合、あたかもそれが現実のように錯覚するのではないか。
人間も適正な教育を受けなければ猿や他の動物とと同じように本能的な行動になる。

そうなってはいけないから幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・大学院などへと教育の制度がつくられています。しかし、自由社会で権利を主張しても良い世の中になり、自由を履き違える考えを持つ人も多くなりました。
「なにをしようと俺の勝手だろ!」とか「私は私のやりたいようにするから!」という言葉が飛び出してくることがあります。

そういう人に、道徳的教育を受けていただくと「ご先祖さまのおかげで」とか「父や母のおかげでこうして平和に生活できているということがわかりました」「人間っていいですね。私も世の中の誰かのお役に立ちたい」という言葉が出るようになります。

「自分ひとりで生きているわけではない。自分が生まれてくるためには約30万人もの多くの先祖の営みがなければ、父と母がいなければ、私はここにいない。」「地球と言うすばらしい星に生まれることができて感謝しています。」という「おかげさまで」というような言葉が出てきます。

そして、そこには感動の涙もあります。
今、日本は自由主義経済で「お金至上主義」みたいな環境になっています。特に都会は・・。田舎では近所とのつながりが大きく、自分の生活と密接につながって、支え合っています。話し合いがあるので大きな「困った問題」は発生しにくいです。

特に都会では、他人との接触が少なく孤立しやすいと思います。一人暮らしの危険性を持っています。

人は人と触れ合って、感動の涙を流すということがあります。
犯罪に走りやすい人は、そういう「温かい体験」をあまりしていないのではないかと思うのです。
心が寂しいと、心が悲しいと、人間は弱いもので自暴自棄になりやすいデリケートな生命体なのですね。

犯罪者になるまでの原因に「社会からの孤立」「一人暮らし」「経済生活の破綻」「家族愛の欠如」「パソコンなどで話す(メール)のは好きだけど人と直接話すのは苦手」etcといった複雑な乱れやすい(ヤケクソ的な)精神状態になったとき、その人が、毎日、殺人ゲームをした場合、その世界へ引きずりこまれるといった傾向があるのではないでしょうか?

大人として、構成する社会の一員であるという道徳教育を受けた者がゲームにはまり込んで犯罪を犯すという事例は、私は聞いたことがありません。

現実に私の息子2人も毎日ゲームをします。でも私は息子に刃物で脅されたり、殺すぞなどといった乱暴な言葉も受けていません。
一日会社へ行って働き、疲れた顔をして帰って来るので、きっとストレスもあるでしょう。そのストレス発散にゲームをすることは、脳から快楽ホルモンが分泌されて、落ち着くのではないでしょうか?
私とも母親とも、ニコニコとして楽しく話をします。

私の家庭の自慢ではありませんが、私は息子たちにいつも言う言葉。「お前が良いと信じたことをやりなさい」「親は子供が可愛いんだよ。おせっかいだと思うかもしれんけど許せよな」

私も妻も、彼らのすることを否定しないで認める形で話をしているからかもしれません。「このゲームおもしろい?」とか「敵、やっつけた?」「あちゃ~、殺されちゃった ア~ア」とか楽しくゲームをしています。

>人を殺すってのはゲームに関係なくもともとそういう人だったからなのではないでしょうか?

そうです、もともとというか、人間関係や社会的責任など一般的な道徳教育を受けてこなかったから、親も道徳的な教育をしなかったからと言ったほうが良いのかもしれませんね。
前述の「孤立」「生活破綻」「疎外感」というものが精神的に未熟な人にとっては耐え難いものかもしれません。

マスコミのニュースやパソコン内のさまざまな情報に振り回されているということも言えるでしょうし、家族の絆がないとも言えるでしょう。

こういう悲しい犯罪を犯す人間が増えないように、もう出さないように社会的に結束し「助け合う社会」「支えあう社会」を目指す必要があると思います。

ボランティア活動で「私でも誰かのお役に立てるんだ」という感動体験をした経験があります。

あなたの質問は現代社会のひずみの一端を表しています。
これからの日本にとっても重要な課題を提示していただいたのではないかと思っています。

地域で、こういった問題を話し合う、仲間内で話し合う、友人と話し合う(人数は多いほうがいい。二人だとケンカになる場合がある)必要があると思います。

私も、ここに書き込みをしながら、今、私にできることはなんだろう?と考えながら書いています。

こちらがお礼を言いたいところです。ありがとうございました。
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こういう新しい仮想的な媒体を槍玉に挙げている人は順序を問題にしているのだと思います。

現実をみてからゲームの世界に入るのとゲームの世界をみてから現実に出て行くのでは違うといいたいのだと。

ただ、私もほかの方がいわれているように、通常、私生活や学校などでバランスがとれるのが常だと感じるので、DHMO を精査できないスタッフによる印象操作として映るか、あるいは、単なるほかの組織の利益のためにその敵を叩くことをしているか、どちらかだと思います。

参考URL:http://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/Nis/etc/DHMO. …
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そもそもなぜゲームのせいにするのかがわかりません。


そんなこと言ってたらゲームができなくなるのでは?
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パチ屋で数日で給料を失った人間が強盗とか現金輸送車襲撃とかやってなかったっけ。


パチ屋に夢中で炎天下の車に放置して子供をぶち殺したしもしましたね。

あれ?結構殺人事件は怒っているんだけど何故パチ屋を認めているのかな?

業界の政治力の上での報道ですね。
向精神薬とかの常習者が犯罪を犯してるんですが製薬業界の政治力が強いので責められる事はない。
処方した医者も責めない。
親も責めない。
では、一体誰を責めれば良いのか?となるとゲームというわけですね。

アメリカでは軍需産業がゲームに関わっているので政治力はあるでしょう。
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>なぜ世間ではゲームすると犯罪を犯すということになってるんでしょうか?



という疑問ですね。

私は、「ゲームをするから殺人」・・という表現には抵抗があります。

自分自身を制御・管理できない人、精神力の弱い人、だらしない人、道徳心を持たない人などが、ゲーム、例えば殺人ゲームをすると、ゲームに洗脳されるというか、架空の世界に入り込んでしまうのではないでしょうか?

私の息子たちも毎日のようにパソコンでゲームをしています。
誰かを襲ったり、撃ち殺したりするようなゲームをやっていますが、親の私は殺されていません。

でも、息子への対処が、もし「変なゲームばかりやるんじゃない!」とか「そんなゲームばかりやるんならゲーム機を取り上げるぞ!」とかいうようなことを言ったとしたらわかりません。きっとキレルでしょう。

「おもしろいか?」とか「そんなにバンバン殺すなよ可哀そうジャン」とか冗談は言いますから、息子は「なに言ってんのゲームじゃん」とか笑って言います。

一時、息子は引きこもりのような状態になったことがありますが、そういうときには何を言っても突っかかってきましたよ。

ですから、ゲームが悪いということではなくて、引きこもったりして、妄想の世界へ入っている人が殺人ゲームをすると、自分で自分をゲームの主人公とかに置き換えて、現実なのかそうでないのかが解らなくなって、脳の状態が「誰かを殺さなければいけない」ような妄想にとりつかれた場合に実際に誰かを殺すのではないかと考えています。

参考にはなりませんかね??
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人を殺すってのはゲームに関係なくもともとそういう人だったからなのではないでしょうか?


>その通りです。
心理学者がゲーム・・・・といっている事ですがほぼ嘘です。
嘘ではないにしろ、経験則以外のことは推測であって理解の範囲を超えているわけです。それに長年にわたる症例・事例を積み重ねて、まあ~~こんなとこでしょうと結論づけるわけです。
ゲーム脳・・・はデータが少なさ過ぎます。
そしてマスコミは世間受け・スポンサー受けが一番ですので、誰か悪者が欲しい各社横並びの報道、根底にある真実は無視なのです。
今回の加害者が、ゲーム脳・・・といってますが、三つ子の魂百までの時代、仮面●●、ポケ●●全て他人を殺し物を破壊する番組だったのはどう判断するのか、この部分は親にも責任があるのです全員無視です。
ゲームは幅が広くよく解からないから悪者に最適なのです。
今から百年以上前の犯罪者は全部活字です。活字脳とは言わないですね。
これは全員が活字に接していたから活字媒体を悪者に出来ないからです。
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「もともとそうだった」という点については賛成しかねるんだけど, 「ゲームのせいではない」という点は賛成. 基本的には, 既に出ている通り「なんとか理由をつけて納得したい」だけだと思います. テレビゲームのせいにしておけば文句を言う人も少ないしね.


あと, 「テレビゲームなどなく, 子供が暗くなるまで外で元気に遊んでいた『古き良き時代』」と「テレビゲームのせいで子供が家の中に閉じ込もってしまっている『現在』」を対比させて「昔はよかった」と言いたがる人がいる, ってのも挙げていいかな.
実際には「昔」だって残虐な事件はいっぱいあったんだけどね. 戦前に「暴力的なシーンが多数含まれるテレビゲーム」があったとは思えないんだけど, それでも残虐な事件は起きてます. 単に「報道されないので記憶にない」ということも多いんじゃないかなぁ. 統計を見ても, 「少年の起こす凶悪な事件」については, 平均的にみて昭和 30年代以降は減り続けてるらしいです.
逆説的にいえば「この手の事件が起きるごとに一々『分析』する時間がある」くらい平和な時代なのかもしれません.
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ゲームのせいではありません。



結論から申しますと、テレビ、新聞、マスコミに多数浸潤しているいわゆる左翼”人権主義者”の凶悪事件に対するスタンスが、被害者ありきではなく、まず ”加害者ありき”だからです。
極端な言い方をすれば、加害者が犯罪を犯したのは加害者自身の落ち度ではなく周りの環境や生い立ち、社会の荒廃、精神障害等のせいである、加害者にもそれなりの理由がある、と彼らは言いたいわけです。

そうすることによっていわゆる人権派の人々は、自分たちは加害者の心をも慮(おもんばか)れる、確実にいいことをやってる正義の人であり善人である、という確証を心の中に構築し自己肯定し安堵に浸っているのです。
それが詭弁であり偽善であることさえ気づかずに。

ですから、どこからともなく精神科医なるものを引っ張り出してきて
強引に”気狂い”の心理を解析させて”心の闇”などともっともらしい事を言って犯罪責任を本人から逸らそうと画策するとともに、それをいかにも大多数の意見かのように流布し世論を捏造するのです。
今回はゲームが標的にされたのです。

彼らの常套手段です。
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マスコミのは単なるミスリードというやつでしょうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080329-00000 …

こんな事件もありますね。
ゲーム・漫画・パソコンがない状態で9年間引きこもり、一家惨殺。

ゲーム・(以下略)はなんの関係もありませんよね。
これ一つ取り上げただけでは不公平かもしれませんが。

ニンジャガイデンとかやって、人を殺したくなるかな…。
感化される人なんてよっぽど精神があれなんでしょうね。
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 ごく普通のなんでもない人間が事件を起こしたなんて言うのは信じたくないから、何か理由をつけないと安心できないんですよ。

「自分はそんなことしてないから大丈夫だ」と思えるし。

 あと数年たって生まれたときからゲームがあった世代がほとんどになったら、そんなことが言われることはなくなるでしょうね。
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