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ワーキングプア・ホームレスの人達など、生活苦にあえいでいる人が少なくありません。刑務所にいる囚人のほうが衣食住・教育医療面など恵まれている状況にあります。

真っ当に生きる、自由でいる、ということは、こんなにも厳しい面があるのかと驚きと怒りを覚えます。

生活保護に代表されるセーフティネットは何故に脆弱なのでしょうか?

A 回答 (8件)

囚人はお役人が管理しています。


お役人「今のご時勢、人権、人権ってうるせーからな。
やっぱ死なれたら困るから、しっかり飯食わさなかんだろ。
あっ医療関係もな。
あと、出所したら仕事に就かせなあかん。
人道的には職業訓練は必要やな。
十分な休みも必要やし。
そうそう、おせちも日本人としての最低限の習慣だから、食べさせないと…」

お役人「生活保護?働けるはずや。
予算も減るしもったいない、もったいない。
第一、こんな豊かな国日本で生活に窮するなんてありへん。」

って感じでしょうね。
役人が生活に窮している国民を想像することができないのではないでしょうか
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この回答へのお礼

刑務所&囚人は管轄官庁にとって利権なのですね。市民の生活レベルどうこうとは関係が無い、ただ利権のために運営されている。と考えると納得です。

お礼日時:2008/04/17 20:44

囚人なら最低限の衣・食・住は保障されます。


しかしとても制限された中で生活しなければならず、とても快適ではありません。
セーフティネットは脆弱とは思いますが、年金の受給額と比べて生活保護は高いと聞きます。
大切なのは、働く意欲です。
どん底でも頑張っている方は大勢います。

まっとうに行き、自由でいる圧倒的に多く方は一生懸命働き、生活保護を受けることなく生涯を終える事をお忘れなく。
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この回答へのお礼

ごく普通に働いても囚人以上のレベルの生活が出来ない層が現れて来ました。老人となり働くことが困難になっても、国民年金の受給額では生活できません。正直に生きて、どん底で頑張っても囚人以下のレベルなんて、どんな世の中なんだ。と思います。

正直、囚人には過酷な労働や世のために犠牲にならせることを不本意ながら望みたい気分なのですが。

お礼日時:2008/04/17 20:57

日本のセーフティネットはそんなに悪いでしょうか?他国と比較してもかなり高い水準だと思います。




問題はセーフティネットではなく、国民の意識の問題だと思います。

例えば、東南アジアを見れば日本で言うワーキングプアみたいな人がたくさんいます。もちろん国からの援助などほとんどありません。しかし、彼らの場合はそこから這い上がるために努力をします。生活が苦しければ我慢して働きます。出費を抑えるために同じ境遇の人とルームシェアもします。日本のワーキングプアの人だとまず嫌がるような環境です。

そういう努力があってこそ這い上がれるのですが、日本人は豊かさになれたせいかそういう努力を怠るようになっています。
日本人は自己実現など尊大な夢を思い描くようになってしまっています。これは当然良いことなのですが、これは衣食住足りて目指せる遥かに上位の階層です。しかし、日本人はワーキングプアであっても自己実現を求めます。ここに現実とのギャップが生まれワーキングプアが固定化される大きな原因になります。

「ナンバーワンにならなくてもいい、オンリーワンを目指せばいい」なんて世迷い言が受け入れられてしまう、国家ということが問題でしょう。
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この回答へのお礼

先ず、ワーキングプアとは「働いても働いても豊かになれない人々」ですから、甘ったれの怠け者や健康なのに引きこもりの人々とは分離して考えるとします。

真っ当に働いても頑張っても、囚人並みの衣食住・医療にありつけない人々が増えているのは如何なものか?ということです。

お礼日時:2008/04/17 22:12

 純粋に制度的な面だけから考える。



 まず、法律の枠内にある人間はすべからく「人間の尊厳」が守られる。
 但し、法律は「ある要件(条件)に合致した場合、法律効果(国家・公務員に対してこうしろ・こうするなと行動を規制する)を与える」という構造を有する。従って、法律の要件の内・外という区別が当然生じ、法律の要件の外の領域は全く考慮されない世界(無法地帯)となることに注意しなければならない。

 囚人は刑事訴訟手続により法律の枠内に入っている。従って、最低限度「人間の尊厳」を保障された取り扱いを受ける。
 ところが、生活保護は「申請」により初めて法律の枠内に入るし、ワーキングプアもそのままでは私人間の問題なので、何らかの国家に対する請求(訴訟の提起など)により法律の枠内に入らなければ、国家の行為の対象とならず、従って「人間の尊厳」も問題にならない。つまり、犬猫と違わなくなる。
 生活保護やワーキングプアの問題を従来の法律の構造内で考えることにまず無理がある。

 また、国家作用は予算により行われるが、生活保護対象がその年にどれだけ出るかなど予算作成時に分かろうはずもなく、当然予算になじまないものであるのに、他の国家作用と同様に取り扱われている。これも無茶な話。
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この回答へのお礼

制度・法律面ではなく社会経済面でどうかが問題です。

何だか囚人は保護されているような印象を抱きました。

お礼日時:2008/04/17 22:30

言葉だけ聞けば恵まれているように見えますが実際はどうでしょうか。


一般企業でさえ不祥事があるのです。
刑務所にも不祥事が無いとは思えませんが。
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 #4。

他の回答者と喧嘩する気はないのであっさりと答えた。しかし理解されていないようなので、これを読む他の人向けにもう少し解説する。

 「制度に問題がある」と言うことは、公務員個人の資質の問題ではなく、「例え全ての公務員が聖人君子であろうと問題が生じる」ということ。
 生活保護を例えてみよう。ある年の最低生活保障が200万円/年であるとされている場合に、その対象を50人と年初に予想すると、生活保護予算は1億円である。さらに、当該年度の予備費を200万円と置こう。この時当初の予算で生活保護費を支給できるのは50人。では51人目は?これは場合によっては予備費から支出される。では52人目は?この場合はもはや支出出来ないので、対象から外さざるを得ない。その場合の扱いは?生活保護の対象でないとするか、申請がそもそも無かったとするしかない。前者は裁判で争われれば払わなければならない。無い袖は振れない以上、申請が無かったことにするしかない。この場合、他の生活保護給付水準を下げる訳にはいかない。なぜなら、「健康で文化的な最低限度の生活」は200万円を下回っては実現できないと置いているから。

 民間はこの点フレキシブルで、払える給料が最低限を下回っても「みんなで堪え忍ぼう!」でみんなが最低給料水準を下回って我慢することでしのぐ。ところがこれにはカラクリがあり、払う側が払える額を判断すると言うこと。つまり経営側がワルで、自分にたくさん利益が残るようにしても分からない。この結果、最低賃金はどんどん下がりワーキングプアになる(つまり最低限度を崩して全員を保護しようとすることにも実は無理が生じる)。

 ここでこのような結果になる訳は、法律が要件という道具で自分の枠内に入ってこないものについて何も対応できないという問題があることに起因する。
 つまり、法律の枠から洩れたら国家のサービスから漏れ出るということを指摘している。
 囚人は刑事訴訟法以下の法律の枠内に入る。だから、人間として扱われる。我々が勘違いしているのは「日本国民」だから国が生活を守ってくれると思っていること。法律は要件を充足してその枠内に入った人間のみを保護するのであって、原則として我々は「日本国民」であっても法律の対象から外れているので、法律の保護の枠内に入る別のアクションが必要だということを忘れてはならない。

 従って、質問者の疑問は正しいが、それは個々の公務員の資質のみに依拠するものではなく、法制度の根幹を変えねば解決できない問題なのだと補足しておく。
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日本は高いGDPを維持する先進国なので、そのなかでの最低生活保障はお粗末な国といえます 最低保障ラインを調査検討討議する機関さえあ

りません なんたらかんたら特殊法人・研究所・協会はやたら多いですけどね
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 ワーキングプアについては、由々しき問題であり、この国の社会構造から何とか変えていかなければならないと小生も思いますが・・・


 
 ただ、「ホームレス」については、一概に我々が口出しできることではないのかもしれません。
 彼等のうちの相当数については、自分の意思でそういう境遇になることを望み、選択している人たちがいます。彼らは国や社会のお世話になることなどハナから望まず、むしろそれらを単なる「おせっかい」と見なしている風さえあります。何の救済も保障も求めない代わり、何らの束縛も義務も負わない、究極の「自由」を手にしている、とさえ言えるかも知れません。
 衣食住には困らない代わり、規則にはがんじがらめ、刑務官や他の受刑者との息詰まるような人間関係にも縛られる「塀の中の生活」とはまさに好対照、とも言えるでしょう。

 福祉などのセーフティネットは、それを望んでいる人々に行き渡っていないのは問題ですが、それを望まない人々にまで無理に押し付けるのは行き過ぎ、というか、持てる者の傲慢、という側面があることも、忘れてはならないと思います。「福祉」は「慈善事業」ではない、ということです。
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