
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
ケインズ主義は自由主義でうまくいかなかったことででてきたものです。
マクロ経済という考え方。公共事業で需要を回復ということです。その後大きい政府でスタグフレーションに直面し、規制緩和という流れで再び登場しました。ですので、背景などがちがいます。その後また何か登場しているかしてくるか次は左的なものです。低賃金の労働の国際でも問題です。No.2
- 回答日時:
アダム・スミス時代の自由放任は、啓蒙主義・市民社会の勃興期に当ります。
スミスは産業革命で工業化が進みつつあった英国で、富の究極の源泉が労働力にあることを初めて明確に打ち出した人です。そのため、労働力を広範に利用して産業の発展を目指すには、労働の担い手である資本家と労働者(彼らが市民社会の構成員です)の活動を自由にさせなければいけない、と主張しました。18世紀末といえば議会制民主主義の先進国の英国といえどもまだまだ王や土地貴族などの権威や旧い規制の影響力が大きく、根本的な経済活動の自由がなかったからです。その後、自由放任主義は拡張され、19世紀後半に英国ではほぼ浸透しました。しかしその後の大不況(1870年頃~)や植民地獲得競争、マルクス主義に対抗しての社会民主主義的政策の導入の過程で自由放任は見直され、国家による介入・規制が制度化されていきました。ケインズが『自由放任の終焉』で述べたように、第一大戦時には古典的な自由放任はほぼなくなっていたと考えられます。そうした背景から、自由主義経済を活性化させるには、むしろ総需要管理の方向付けを政府が主導するという意味において、自由主義は維持されるというのがケインズの主張です。
しかし、ハイエクは『自由の条件』、『隷従への道』などでこうした「管理された自由」は本来の自由主義ではなく欺瞞にすぎないと徹底して批判しました。ハイエクは後のフリードマンの師でありシカゴ学派にも強い影響を与えた新自由主義の祖です。米国に経済覇権は移ってからは自由主義の主張は市場競争と結びついてより古典的な考え方に純化されたといえます。レーガンやサッチャーの政策の考え方の背景もこうしたものが共通しています。
結局、古典的な自由主義とケインズ的な自由主義の相違は、社会に自生的な秩序は存在するかどうか、という点の見立ての違いにあります。古典的な考え方では放任しても社会が秩序を維持すると考えます。一方ケインズの自由主義は、ハーベイ=ロードの前提にみられるような、良識によって自由が維持される(自由の行き過ぎが是正される)という前提にあると思われます。
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