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近頃頻発している無差別殺傷事件ですが、犯人は判で押したように、「むしゃくしゃして人を殺したかった。」とか「誰でもよかった。」などとほざいています。殺された方はたまったものではありませんし、このような犯人を鬼畜扱いして非難することは簡単ですが、果たして我々の心の中に、もし仮に人生何もかもうまく行かず、周囲からも孤立してしまった場合、世の中全体を敵に回してでも報復を図るために、反社会的な行動も敢えてしてしまいたい、といった心がこれまでなかったでしょうか?

勿論そんなことは絶対にないと言い切れる人はいくらでもおられるでしょうし、例え人生不運でも、いかなる理由があっても、社会を的に回し、人に危害を加えるような行動は、絶対に許されるはずがないことは当然ですが、殺人までには至らなくても、周囲に対する暴力レベルなら、自分の不運の憂さ晴らしに反社会的行動を起こしてしまった方もおられるのではないかと思います。

そこで、冒頭の質問ですが、これらの事件を見て、自分もひとつ間違えていれば・・・とお考えかどうか、そしてそのような最悪の事態を避けることができたのはどうしてか、お答え頂ければ、幸いです。

A 回答 (12件中1~10件)

こういう事件が起るたびに、何が彼をあるいは彼女をそこまで追い詰めたのかと考えます。


今の日本では加害者や犯罪者に同情を寄せる事は非人道的、変わり者、の烙印を押される事でもあり、このサイトでもご質問のような趣旨のものはごく少ないないと感じています。
しかし、私自身に限って言えば、自分の置かれた環境によっては絶対にあり得無いとは確信出来ません。
また、自分とは別人格である息子、娘がいたら彼らだって分かりません。
育て方や環境に問題が無いだろうと信じているのは親だけであって、当の本人にしてみれば、不満と抑圧だらけの中で生きていると感じているかもしれません。
犯罪を世の中のせいにしようとは思いませんが、母親の胎内から生まれ出た時は皆、無垢で犯罪者の要素の欠片も無く生まれて来るわけですから、どうして?何が?という疑問は湧いて当然です。
そしてだからこそ、犯罪を犯してしまった者にも更生と魂の救済の余地は残されるべきなのです。
最後に少し質問の趣旨からズレました事をお詫びいたします。
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この回答へのお礼

>今の日本では加害者や犯罪者に同情を寄せる事は非人道的、変わり者、の烙印を押される事でもあり・・・

もうほんとにそう思います。皆、犯人と似たような病理性をもっていても、自分はこんなにひどくはない、こんな奴は人でなしで、自分とは関係ない、と差別化し、自分に免罪符を与えてしまうのだともいます。
程度の差はあれ、このような犯人の持つ病理性が自分にもあるのではないか、自分に引きつけて考えてはじめて、危機意識を持つことができ、犯人を反面教師として、自分への教訓にすることができるのに、その機会を失っていると感じられてなりません。

又、「うちの子に限って・・・」と身内を見たところで、やはり、子供も別人格であり、いくら親が期待しても、どんな悪魔が彼らの心に潜んでいるか、誰も保証はできないと思います。

一番悪いのは犯人であることは疑うべくもありませんが、社会がこのような犯人を単に極悪視し、差別化するだけではなく、社会全体の病理性と認識し、このような犯人を輩出させない、社会的インフラ(相談組織や警護体制の強化)を図るべきと考えます。

お礼日時:2008/06/13 22:22

はい、考えたことあります。


具体的な計画まで立ててました。

ただ、実行するつもりはあまりなかった・・・家族もいるし・・

まさか本当に実行するやつがいるとは・・唖然としました。

ごめんなさい、ちょっとだけ言わせてください。当時、私は自殺することばかり考えていました。

人間は絶望すると間違ったことをすると思います。

この手の犯罪を聞くと、犯人が完全に絶望していて一種の自殺だな、と感じます。(快楽殺人とは別のカテゴリーだと思います。)
・・もちろん人によって耐久力・・我慢強い人も切れやすい人もいるけど、いづれにせよ限界を超えると、自殺したり不道徳になったりする。

こうした人に対しては、希望が特効薬だと思います。
逆に言えば、人を壊すには希望を奪えばいい。

アウシュビッツでは希望を失ったものから順に死んでいった・・なので希望があれば、自殺したり犯罪をやったりしなくなる。
殺人計画を打ち明けられたら、自殺防止カウンセラーみたいな対応がいいのかも知れません。
あと「とりあえず一日考え直してくれ」とか先延ばしにするのが、意外と効果的。先延ばしというとアレですが、一日たつと気分が変わったり、先延ばしにしているうちに問題そのものが消滅したりするので、「先延ばし」は有効な戦術だと思います。

私の場合、精神的マゾヒストになれたので、全計画を放棄しました。
怒られるような話でごめんなさい。
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この回答へのお礼

いいえ、「怒られるような話」だとは思いません。

>人間は絶望すると間違ったことをする・・・
>限界を超えると、自殺したり不道徳になったりする。
>こうした人に対しては、希望が特効薬だと思います。
>逆に言えば、人を壊すには希望を奪えばいい。
>自殺防止カウンセラーみたいな対応がいいのかも
>先延ばしにするのが、意外と効果的。
いちいちうなづけます。
特に、カウンセラーにかかるコストは、犯罪によって引き起こされる社会の混乱にかかる経費に比べれば安いと思います。何とか希望を失う人が自暴自棄に走ることを事前に食い止められないものでしょうか?

尚、「精神的マゾヒスト」とはこの場合、社会的な虚飾としてのプライドを捨てられたということでしょうか?

お礼日時:2008/06/13 23:41

自分も一歩間違えば、昔の地下鉄でオウムサリン事件の犠牲になったかも知れません。


たまたま当日は仕事で乗る必要が無かっただけですから。
今の社会は、何時被害者になるか全く予測出来ません。
何事も無い事は、ただ単に運が良かったという事だけかと思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。
今回の質問は自分が加害者になる危険性についてでしたが、もちろん被害者になる危険性も多いですね。

お礼日時:2008/06/13 00:21

35才会社員です。


>自分もひとつ間違えていれば・・・とお考えかどうか
共通点があり、やばい時期がありました。 
地方中学トップクラス~8割以上大学進学の県内有名高校で
親友なし、おとなしい、大学不合格~浪人
 このころの自分はどうせ社会のクズだと思っていました。
ロールプレイングゲームも好きでしたし、
 ただ携帯は普及してませんでした。
>そのような最悪の事態を避けることができたのはどうしてか
進学やめて(予備校、親に言わず勝手にやめました)
 就職し夜学の専門校に通いました。
そこで疲れや眠気と奮闘する自分を自分自身で褒めてやることが
できました。社会人になっても人と同じでは自分は無能なので
 無遅刻無欠勤は当然、彼女もできませんでしたので
休日出勤や夜勤など進んでやりました。今は小さな会社ですが
役職についてます。結婚もしてます。
 底辺であることがすごい武器になると思います。
 人生どうなるか全然わかりません。
最後に 勝ち組・・これから枯れていく人
    負け組み・これから咲かせる人 
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この回答へのお礼

どんなに挫折経験があっても、自暴自棄にならず、真剣にその困難と向き合い、何らかの自分の強みを発揮して、困難に立ち向かう気力があれば、いつかは起き上がれるのでしょうね。

お礼日時:2008/06/13 00:19

つまらない回答で申し訳ないですが、私は「一つ間違っても…しないだろうな」です。



いや、生活など、苦しくて苦しくて…一時期は毎日「ああ、あの大型トレーラーで轢かれちゃったら、保険料も下りてくるだろうから残された家族もまあ、金銭的には何とかなるだろうから…あああ。」って思わない日がなかったんですけどね。

でも、飛び込まなかったのは…
まず、「飛び込まれたトレーラーの運転手さんが迷惑するだろうなぁ…保険はおりても、寝覚めは悪いよね、どう考えても。」
そして、「やっぱり貧乏でも、子どもたちにとって父親って必要だろうなぁ…。」
って思ったからです。

もともと、小学生時代から暴力ってあまり好きではなかったんですよ。兄弟げんかで殴り合いになったくらいで。それも、ごくたまにでした。
物に八つ当たりをしたことは、何度かあります…で、後で後悔したりしましたね…無駄な事したなぁ…って。

子どもが出来る前も、結構…ああ、今日大地震おきて会社なくなっちゃわないかなぁ…とか、朝突然「すみません、体調が悪いので…」って時折めいわくをかけたりはしていました。

最近怖いなぁ…っておもうのは、やはり、ネットですね。
特に、今回の掲示板などは、かかわりを持たないほうが自分の精神衛生上絶対に良いなぁ…と、確信しました。
2チャンネルや…この教えて!Gooも含まれるんですけど、やはり、人のことを攻撃してくる人っていますよね。ブログをやっていても、ひどい攻撃(しかも、どう考えても私自身は相手を攻撃した覚えが無い)を受けた事があります。ネットでしかないのに、結構傷つきますよね…。

ネットでしか人間関係が保てていなかったら、おかしくなっていたかも知れない…とおもいます。私は、ネットが普及したのが結婚前後でしたので…すでに十分に大人になっていたし、ネットの進化とともに付き合い方を考えていけた古い人間なので、ある程度の距離をもってせっしていけますけど、ネットの無い生活はチョッと考えられないほどの中毒にはなっています。

子どもたちも、それなりにネットを遊び道具としては活用しています。
で、携帯ゲーム端末ももっていますから、放課後は友達と外で遊ぶ時間よりチョッとゲームの方が多いと思います。
彼らの将来が、チョッとだけ心配になっています。自分はともかく、子どもたちが将来ああなったら…という恐れは正直言って無くはないです。

リアルの人間関係(オフラインというのか?)がとっても大切だなぁ…と思いました。
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この回答へのお礼

色々邪心は生まれても、結局は人の迷惑を考えると、破壊的なことには踏み込めない、というのが世の中の大半の人だと思います。

ネットは怖いですね。どうしても、人を攻撃する人が出てきますよね。特に今の子供世代は生まれた時からネット時代ですから、中毒になる危険はありますね。リアルの人間関係が何よりも大事だと思います。

お礼日時:2008/06/13 00:15

>もし仮に人生何もかもうまく行かず、周囲からも孤立してしまった場合、世の中全体を敵に回してでも報復を図るために、反社会的な行動も敢えてしてしまいたい、といった心がこれまでなかったでしょうか?



私自身は無経験な事なので、幸いありません。
しかし「同じような心境」でいる、今の「日本人」は、決して少なくは無いのだと思っています。

今回の事件で恐ろしいのは「非常に計画的な犯行」に見える事です。
送信メールを見ても、躊躇したり、反省してみたりするときもあります。
しかし「犯行の実行」に対する執念は恐ろしいほどで、それを実際に「止めよう」と画策している節が見られ無いように感じました。
私は今回の事件には
「自己の絶対」を感じます。

「周囲に敵が居る」と、刃物を振り回して襲いかかる狂暴犯とは一線を画しているように見えるのです。
「周囲に…」のような理由からの犯行を起こす場合、犯人を支配している感情は「恐怖」です。
そこには「自己の絶対」は前面に出ては来ません。

対して今回の事件には「自己の絶対」が最前面に見られるような気がします。
「不運の憂さ晴らし」も大きな理由の一つですが、私はどこかに「ヒロイック」を感じるのです。
「自分が絶対」で居るためには、自分が「ヒーロー」でいる必要があります。
まわりの人達から「英雄」とされることが必要です。

しかし彼の半生から「英雄」の部分は見えません。
地元での「秀才だった」という「逸話」が残るのみです。

「人々から謗られた英雄」は、どうなるのでしょう?。
プライドを傷つけられ、孤独に陥り、捨てられた、と思いこむ。
そして…最終的に辿りつく行動が「一切の破壊」です。
オウム真理教での、一連の犯行動機とそっくりです。
「まわりを滅してしまえば、我のみが残る」
「勝利」ですね。

勝ち組負け組、おちこぼれ、ニート…この日本にはいくらでも差別的な言葉が氾濫し、日常的に使われています。
「自分はそう呼ばれる筋は無い…だって」…この「だって」つまり「理由」がある人は良いのですが、無い人はどうやってこの「状況」を処理するのでしょう?。
どう戦っていけば良いのでしょう?。

プライド、過去の栄光…それを「基本」に据えて戦う人だっているはずです。
それはきっと、いっぱいいるはずなんです。

「最悪の事態」は、今この時だって回避されないままでいるはずです。
いくらでも「引きがね」に手をかけている人はいるはずなんです。
もしも「回避」の手段があるとしたらそれは
「未来を真剣に考えて行ける」国を作る事くらいです。

「導火線」に、もう火はつけられたのだ、と私は今回の事件で強く感じています。
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この回答へのお礼

「恐怖感」から犯罪を犯すまでに追い詰められた犯人ではなく、自己を絶対視し、英雄視することによって、「一切の破壊」による「勝利」を目指していた、とは注目すべき見方ですね。

今、この瞬間、「引きがね」に手をかけている予備軍が相当いることに誰しも強い懸念を感じていると思います。
政府や警察や民間レベルでも、しっかりした対策を練ってほしいと思います。

お礼日時:2008/06/13 00:09

50代、普通の主婦です。



思いますよ。
「ひとつ間違えば・・・」
ではなくて、
私はいつも犯人たちの中に自分を見てしまいます。
「やったら気持ちいいだろうなあ。」
とまで思ってしまうこともあります。

私は自分がなぜ犯罪者にならなかったのか、
不思議に思うことがあります。

普通の主婦なんですよ。
非行歴も犯罪歴もありません。
地方都市で育って、
何種類かの仕事をして、
結婚・出産して、
至ってマトモな人生です。

でも、自分の中の
反社会的・破壊的・暴力的
な部分を常に感じてきました。

アメリカで、
10代の少年が小さい子どもを
秘密の場所に閉じ込めて性的に陵辱し
それに飽きたら殴り殺す、しかも何人も、
というおぞましい事件が起きたことがあります。

その犯人の少年の父親が本を出版したのですが、
そこで父親は、
自分も昔から息子が犯した犯罪のような内容の妄想にふけることがよくあった。
でも自分はそれを実行には移さなかった。
息子はなぜ実行に移してしまったのだろう。
・・・といったようなことを書いていました。


一線を越えてしまう人と
越えないで生きていける人の違いは、
どこにあるのでしょうか。

一線を越えてしまう人は先のことを予測する能力が欠けているとか、
脳に何らかの障碍があるだとか、
色々言われていますが、
まだはっきりしたことはわかっていないのだそうです。

でも、私は多分一線を越えないほうなんだろうと思います。
50年間も無事に暮らしてきたのですから、ほぼ確実ですね。
以前は、自分はそのうちとんでもないことをしてしまうのではないかと心配だったのですが、
最近やっと安心しています。
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この回答へのお礼

どんなに穏やかに見える人にも、心の底には悪魔が棲んでいることがあると思います。
私にも人をいじめたり暴言を吐いたりすることによって快感を得る所がありました。
又、物事がうまく進まない時、自分の内にとじこもったり、一人で解決しようとして鬱になる人がいますが、私にはそんな所が全くなく、むしろ身近な者にあたり散らすことによって、鬱憤をはらし、周囲の迷惑を顧みない所がありました。

50余年間、前科がつくような犯罪は犯したことがありませんが、身近な者には随分迷惑をかけたと反省しています。
「一歩間違えば・・・」という危機意識は常に持って、心して生きていこうと思います。

お礼日時:2008/06/13 00:00

社会に対して報復をはかる、という考え自体があまりに推さなすぎる考えです。

人は人であって自分は自分です。

私は周囲から見たら途轍もなく恵まれた環境にいます。お金もあるしそれなりの容姿も備えているし、世間が驚嘆するような学歴も持っている。働かなくても好きなことをして生活できているし、友人もたくさんいるし、軽く遊べる男友達もいる。たぶん犯人が私を見たら間違いなく刺してます笑。
でも内実そんな幸せな環境というわけでもないですよ。障害が判るまでに何年も精神科に通院して一時期は薬漬けにされて副作用で全身ぼろぼろになったし。何度自殺を考えたか…。研究はいっこうにすすまず、常に教員から人間失格の烙印を押され、それこそ、社会に必要とされていないことに対する不安でいっぱいでした。
でも、そんな人、たくさんいます。見せてないだけで、みんな、様々な苦しみを背負いながら人生生きているんです。苦しみながら笑って生きているんです。質問者様だって、一生懸命生きているんじゃないですか?

私は「自分も一つ間違えていれば…」なんて考えません。障害が判ったときは親への申し訳なさと絶望感でこの世から生まれなければ良かった、死にたい、と毎日泣いて暮らしていましたが、決して、それが社会のせいだとは思いませんでした。あらゆる問題は自分に帰着します。
私は人をうらやみません。うらやましがるのは簡単です。努力も何も必要ありませんから。そんな人間にはなりたくない。ただ、私は私にできるせいいっぱいを、頑張ってやり遂げたい。殺人なんて考えたことはありません。人殺しは、この世でもっとも忌むべきものです。

何もしないで、ただ人を妬んで、自分の境遇を「この世で一番かわいそうな自分」と悲観して(もう悲劇のヒーローですよね)、こんな自分に育てた親が悪いとまで言う。
25歳の台詞とは思えません。

彼に足りなかったのは客観的な思考力です。そして、自分自身を受け入れ、愛してあげる力です。

ただこれは私がニュースなどを聞きかじって手に入れた断片的な情報に過ぎません。真相は、犯人の胸にしかありません。これから弁護士の入れ知恵がはいってきますから、どんどん真相は闇の中に葬られるでしょうね。
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この回答へのお礼

「人は人であって自分は自分です。」:これは私のモットーに近いです。しかし、悲しいかな、必ずしもそうとは割り切れない。やはり人と比較して、なんで自分には出来ないんだろう、と悩むのが人生だと思います。

又、「・・・見せてないだけで、みんな、様々な苦しみを背負いながら人生生きているんです。苦しみながら笑って生きているんです。」、「彼に足りなかったのは客観的な思考力です。そして、自分自身を受け入れ、愛してあげる力です。」という言葉に共感しました。
又、「自分自身を受け入れ、愛してあげる力」つまり良い意味での自尊心を得るためには、子供の時からの親の愛情も大切だと感じました。

お礼日時:2008/06/12 23:50

彼の経歴を見ると、自分と近いものがあって嫌になる反面、同情というか、彼の気持ちもわかる気がします。



仕事が上手くいかない、それも転職を繰り返すような時って、本当に世の中が嫌になります。
自分の周りが敵に思えてきます。
そうして、希望する職種には就けない、自分の無能が嫌になります。
私は人殺しはしませんでしたが、酒浸りの時期がありました。
暴力も少々。

彼を見て思うのは、「自分」が無いんですよね。
やりたいことがあるなら、それに向かって進めば良い。
その仕事は、好きか嫌いか。ただそれだけの価値観で良い。
嫌なことをやれば、上手くいかないのは当たり前です。
嫌な仕事をやりつつも、蔑んでいる自分の仕事からも解雇されそうになることで、ますます自分を無価値だと思う悪循環、なのでしょうか。

今、私がまとも(?)に働いているのは、自分の好きなことしかやらないという、自らに課したルールを守ってきたから。
そうして、やるからには誰にも負けない仕事をしようという気持ちがあるから。
ちなみに技術職、職人的仕事しています。

あと、旅を通じて世の中にはいろんな人がいて、いろんな人生を生きている。
そのどれもが正しい生き方だということを知ったからかな。
人はどんな生き方をしてもいいんです。
学校を出て、就職をして、という人生しか知らないと、道を踏み外すことを恐怖に感じるのかもしれません。
一回、道を外れて外から見れば、そこにも世界は広がっているのですけどね。
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この回答へのお礼

共感する部分が極めて多いご回答です。
私も長い間、仕事で何をやってもうまくいかず、自暴自棄になり、周囲にあたり散らしていた時期がありました。

そこで至った結論は、
1.後半生は自分の興味の向かうことに集中してやろうということ、
2.人生はこうでなければならない、と決め付けるのではなく、「人生いたるところに青山あり。」と割り切り、いろんな人の人生を肯定し、時には道を外れて色々な世界をみること、
まさにおっしゃっている点にほぼ重ねられます。

お礼日時:2008/06/12 23:45

一点、補足します。



サリン事件から数年後、自分が長年抱えていた悩みの根本を知る機会がありまして、それを切っ掛けに、それまでとは異なり、多少冷静に物事を考えられるようになった面があると感じてます。
(だからといって、悩み自体が完全に解決したわけではありませんが・・・。)

それ以降は、自分が短絡的に周囲を敵に回すような考え方を持ってないと感じてますので、一連の事件が起こる度に、容疑者が自分と同じ事に気付けば犯行に及ばなかったかも知れないと思う事があります。

それ以前に、自分が何故行動を起こさなかったかについては、はっきりとした結論が出ません。
やはり、自己に対する危機意識が何らかの作用を及ぼしていたのかもと思いますが・・・。
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この回答へのお礼

再度有難うございます。
自分の悩みや病理性に真剣に向き合うことによって、物事は完全ではなくても何らかの解決の糸口を見出していくのではないかと思います。
大方の人は、短絡的に犯罪に走る前に、何らかの歯止めがどこかできくはずだと思うのですが、今回の犯人にも、そのような危機意識や相談機関のサポートがきかなかったのが残念ですね。

お礼日時:2008/06/12 23:32

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