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作っている人は「きれい」「かわいい」と思って作るのでしょうし、昔の子どもにとってはかわいいお友達だったはず。お菊人形のようなホラーなイメージをどこかで刷り込まれるからか、とも考えましたが、キティちゃんの着ぐるみを怖がって泣く子もいることを思うとわからなくなります。大人になっても日本人形を怖がる人は多いですが、着ぐるみは怖がらないですよね。かわいいはずの人形が怖がられるのは何故か、教えてください。また関連の本やサイトをご存知でしたら教えてください。

A 回答 (3件)

>過去に同じ質問があったら申し訳ありません



いえ、そういう意味では全くありませんでしたので、お気になさらないでくださいね。

>お菊人形ブーム以前(日本人形にホラーなイメージが定着する以前)にも、日本人形に対する恐怖感はあったのでしょうか・・・・???

厄除けという観念のことも先回投稿で挙げてみましたが、藁人形の例もありますね。大昔、人形は人柱や人身御供としての役割だったという説があります。昔から霊的な話が多くまつわることに窺えるように、そもそも人形自体、呪術的・信仰的な要素を持たされているもののようです。
また日本人形の場合、昔は本物の人毛を使っていたそうですが「髪には怨念がこもる」だの「髪は女の命」だとか言いならわしますし、亡くなった人の形見にしたりもしますね。
いわゆる「お菊人形」にも人毛が使われているそうです。
『超常現象の謎解き』
http://www.nazotoki.com/okiku.html

>小さな子どもはそこまで感じない(ウルトラマンの中に人が入っていると知る以前)でしょう

う~ん、、、結局は、その子どもに理由を尋ねるしかないのでしょう。本人にしか分からない、と言うか子ども自身、コトバで説明する能力が、まだ未熟でしょうけれど。私も、そのへんは正直よく分からなかったので、ちょっと検索かけてみましたら、ある個人ブログの主のお子さんがディズニーランドで着ぐるみパレードを見た途端、コワイと言って泣き出したそうです。このお子さんは2歳未満とのことでしたから着ぐるみのカラクリなどについて、まだ知らないだろうとは思います。
『ほぼ日刊イトイ新聞‐吉田戦車エハイクの世界』にも同様なことが。
http://www.1101.com/sensha/2002-06-18.html

ただヒトの子と言えども、ごく幼いうちは知能程度も動物と大差ないでしょうから、以下のサイトの、着ぐるみに対するオランウータンの反応の話も参考になるかもしれません。(オランウータンは類人猿のなかでもチンパンジーに並ぶ高知能だそうです。)
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/shisetsu/dobut …

それと、大概の大人の場合、内心で他者の不自然さを感じたとしても、特にハッキリした不都合がない限り社交辞令上からもアカラサマに指摘することを避けて見逃すものでしょうが(例外的な人もおられますけど)子どもは案外と大人以上に「不自然さ」というものに注目し、それを指摘する傾向が強いように思います。ふだん見かけないもの珍しいものに対しても、そうではないでしょうか。そこが或る面で大人以上の残酷さにつながるところでもありますね。

>恐怖感はとても動物的・野性的な感覚だと思います。大きな脳を持ったヒトにとってはその原因と反応が多様

そうですねANo.1様が「嫌子」「好子」のことをおっしゃってますがヒトは他生物に比べ、ずば抜けて知能が高いですから、それだけ判断のパターンや、それに伴う反応が多岐多様になるのでしょう。その多岐多様さが即ち個人の歴史でもありますし、同じヒトのなかでも判断の下しかたが一様であったり反応が常にワンパターンだと「融通が利かない」とか「視野が狭い」「柔軟性がない」などと言われてしまいますね。

非合理な恐怖心が一般レベル以上に強い性向の人の場合、全般的に或いは特定の分野に関して、自己の重大な不利や弱点を潜在的にであれ顕在的にであれ感じ取らざるを得ないのかもしれません。つまり、それだけ自己保存・存続の危機感に脅かされているとも言えるでしょう。そして暴力とは実は弱さから生まれるものなのでしょう。

知性や判断力が未熟な、弱い立場である子どもが不合理な恐怖の対象を多く持つのは、身を守るためでもあるのでしょうね。

最後に、お人形の弁護?(笑)
「人柱」や「人身御供」の話をご紹介しましたように、人形には「守護」の役割も与えられているようです。とくに、幼い子どもには、災いから遠ざけ、代わりに人形が引き受けるように…との養育者の願いも込められていたことでしょう。呪詛的な災いの反面の、こういう守護的役割は、人形だけでなく動物たちにも持たされているようですね。

『青い目のお人形』という古い童謡を御存じでしょうか。
涙をいっぱい浮かべて青い目。。。こういう感性も、また尊いものに思います。

作詞:野口雨情 作曲:本居長世

青い目をしたお人形は
アメリカ生まれのセルロイド
日本の港へついたとき
いっぱい涙を浮かべてた
「私は言葉がわからない
迷子になったらなんとしよう」
やさしい日本の嬢ちやんよ
仲良く遊んでやつとくれ
            
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この回答へのお礼

noname002さん、再度の情報をありがとうございます!
昔の人たちは人形に対して畏怖こそ感じていたかもしれませんが「恐怖感」というものではなかったようですね。近年作り上げられた「お菊人形」伝説と、マスコミなどで多用されるホラーなイメージが日本人形を怖いものにしてしまったのかもしれませんね。
着ぐるみを怖がるオランウータンの反応、そういえば以前TV「動物奇想天外」で似たような実験をしていたような気がします。人間にはネコそっくり(のぬいぐるみ)に見えるけど、ネコにとっては得体のしれない音の出るモノでしかない、と。モドキなものに対する違和感は、得体のしれないもの、未知なもの、安心できないもの、不安を煽るものなのですね。

>つまり、それだけ自己保存・存続の危機感に脅かされているとも言えるでしょう。

>知性や判断力が未熟な、弱い立場である子どもが不合理な恐怖の対象を多く持つのは、身を守るためでもあるのでしょうね

大人は経験から少しずつ「怖がる必要はない」ことを学んでいくのですね。

ずっと抱えていたモヤモヤが晴れたような気がします、本当にありがとうございました!

お礼日時:2008/06/23 19:58

よく聞かれる話題ではありますが、微妙な問題ですね。


幼少時の出来事や或る状況下において出会ったものにまつわる第一印象が、その後の判断に多かれ少なかれ影響を及ぼしているであろうことも容易に考えられますが
おそらく「判断」という機能全般に関わることであり、その「判断」の機能を撹乱させるものごとについての恐怖感に結び付いているということかもしれないと思います。

「防衛機制」という人の心理に「投射」・「投影」「同一視」といったものがありますが、人形などは、まさに、あらかじめ人の形に似せて作られているものですから、まして、それが市松人形に代表されるような写実的な日本人形ともなりますと、そこに、生きている人間と同様の感情を持つ或いは、そうしたものを受容させられ得るべき存在であるかのような印象を抱きがちとなるのも無理はないように思います。実際、厄除けという観念を受け持たせた人形を川に流すといった行事もあります。
私の、かつて幼なじみであり同級生でもあった女性が結婚するときに、お祝いの品なら、フランス人形でも日本人形であっても、お人形がほしいとの希望だったのですが、その条件というのが、ぜったいに手のひらが上を向いているもの、ということでした。なぜかというと、手のひらが下を向いていると、ヒラヒラと差し招かれているかのようで非常に恐怖を感じるからということでした。
このへんは怪談ですとかホラー話オカルト話の類に強く影響されるタイプの人と、比較的クールなタイプの人とでは処し方の違いになって現れるのでしょう。(その彼女は、ふだん、けっこうクールな物腰の人だったんですけどねぇ)

ところで「似た者憎悪」というコトバがあります。個人レベルでは、自分との共通点や接点が多いと信じられる場合ほど愛憎の感情も弥増しに激しくなるもののようで、これは国家レベルにおいてさえも、隣国どうしほど民族蔑視感情が起き易く、戦争などの争い事に発展し易いように見受けます。つまり、全く共通点がないものよりは中途半端に似ているところがあると思われる対象ほど激しい感情移入が行われ易いということになりましょうか。
リアルに作られた人形などは、まさに打って付けではないでしょうか。

着ぐるみの場合は、それ自体の形としては、それほどリアルというわけでもないことが多いようですが、その外観にかかわらず、実は、なかに人が入り込んでいるということへの違和感かなとも思います。もしくは外観は何かの動物のようでありながら、その動きや、しぐさが人間臭いというギャップ感が警戒心を刺激するのでしょうか。逆に、人間くさいゆえに親近感をもたらしてもよさそうなものですが、着ぐるみというのが往々にして外観のリアルさからは遠いことが災いしているのでしょうか。それに大人が入っている場合、子どもから見て、そうとう大きいですしね。

私個人の記憶から一つ例を挙げますと、小学校の低学年だった頃、母がテレビで宝塚歌劇団のステージを鑑賞していたことがあったのですが、宝塚歌劇団も男役なる存在のことも知らなかった私は、「この、男の人みたいなかっこうをした人は、女の人ではないように見えるけれど、でも男の人ではないだろう。いったい、この人は何者なんだろう」と大変訝しく、ある種の気持ちの悪さすら感じたことを覚えています。(長じてからは、そんなことないのですが)
それから、これは母から聞いたことで、自分では記憶になかったのですが
ある日のこと、遊びに出たはずの私(3、4歳頃)が大声で泣きながら帰宅したので母が、どうしたのかと訳を聞くと「近所の畑に宇宙人がいる」と言って怯えるのだそうです。そのとき確かめたのか後日になってのことかは忘れましたが、いずれにせよ、当の「宇宙人」ならぬ、その畑の主が言うには「あんたとこのお嬢ちゃんかい、わしが畑に薬剤散布しておったら、わしの姿見るなり急に大泣きして逃げて行きよったのは」と苦笑なさったそうです。そのときの畑の主の姿とは、背中に背負った銀色の金属製タンクから伸びたホースの先端にジョウロのような形状のものがついていて、そこから薬剤を散布していたわけですが、その動作というのが、ゆっくりゆっくりとした、それでいて規則的な動きですので、その独特な動きに相俟って背中に背負った銀色のタンクが、これまた如何にも怪しげで、幼心には、宇宙人のイメージにぴったり合致したもののようです(笑)

また、当時の近所の幼い女の子ですけど、うちの家族にメガネをかけている者がいたのですが、会うたびにメガネに怯えて火がついたように泣くので、困ったことがありました。人工の目が二つ余分についているとでも思ったのでしょうか(笑)幼い子どもほど判断力が未熟なので、その連想も、とっぴですね。しかも理由をコトバで説明できないのですし。

ANo.1様の「つくし怖い」とおっしゃるのは、つくしが胞子茎であることから、ある種の細菌のイメージより来ているかもしれませんね。

御参考
『不気味の谷現象』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%B0%97% …
                
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この回答へのお礼

過去に同じ質問があったら申し訳ありません;;

>おそらく「判断」という機能全般に関わることであり、その「判断」の機能を撹乱させるものごとについての恐怖感に結び付いているということかもしれないと思います。

なるほど、「○○のようなのに○○でない」違和感に対する恐怖というのは確かにありますね。最近のホラー映画などで「仲間だと思っていたのに実はゾンビだった(外観は同じ)」というシチュエーションが多いのも、そうした怖さを呼ぶためでしょうか。

>写実的な日本人形ともなりますと、そこに、生きている人間と同様の感情を持つ

動きそう、喋り出しそう、髪が伸びるかも、という感じがするのでしょうね。こうした感覚は昔からあったでしょうから、お菊人形ブーム以前(日本人形にホラーなイメージが定着する以前)にも、日本人形に対する恐怖感はあったのでしょうか・・・・???

>着ぐるみ・・・実は、なかに人が入り込んでいるということへの違和感かなとも思います。もしくは外観は何かの動物のようでありながら、その動きや、しぐさが人間臭いというギャップ感が警戒心を刺激するのでしょうか。

小さな子どもはそこまで感じない(ウルトラマンの中に人が入っていると知る以前)でしょうが、大人の方で「着ぐるみの傍に寄ったときに聞こえた呼吸音がとても怖かった」という話を目にしたことがあります。

参考として教えていただいた『不気味の谷現象』、大変興味深く読ませていただきました。とても似てるのに「ちょっと違う」ことへの違和感、不安、嫌悪というのは、今問題になっているイジメにも関わるのかなと思いました。同じ年、同じ制服、同じクラス、同性なのに、ちょっと違う(背が高い、勉強ができる・できない、スポーツができる・できない、趣味が違う、先生に可愛がられているなどなど)ことが、強烈な嫌悪や憎悪を生む。相手が年の離れた異性ならそこまでの嫌悪は生じないかもしれないと考えると、根は同じなのかもしれませんね。

恐怖感はとても動物的・野性的な感覚だと思います。大きな脳を持ったヒトにとってはその原因と反応が多様ですが、根源的で普遍的な部分もある(Jホラーが欧米で人気が出るとか)ようで、奥が深いですね。

大変興味深い情報をありがとうございました!

お礼日時:2008/06/20 21:49

> イメージをどこかで刷り込まれるからか、とも考えましたが、キティちゃんの着ぐるみを怖がって泣く子もいることを思うとわからなくなります。



お菊人形であるとか、キティちゃんの着ぐるみであるとかは関係ないと考えられますね。問題なのは、そういった人形と一緒にどのような刺激が提示されたかということでしょう。

日本人形(典型的な例としてお菊人形)に対して恐怖をもつのは、かつて(子供の頃とかに)日本人形と一緒に何らかの嫌子(負の強化子、嫌悪刺激)が提示されたからで、それはおそらく「夜になると髪が伸びる」とか「目が動き出す」というホラー話なのではないかと考えられます。

着ぐるみを怖がるというのは、私が考える1例として「親から離される」という嫌子が対提示されたためだといえるかもしれません。例えば、遊園地などで着ぐるみを着た人(ディズニーランドのプーさんとか)に手を引かれて遊ぶことがありますよね。ある子供にとっては、それが「親のそばから離れる恐怖」という嫌子として働いているのでしょう。もしかしたら、ある年齢までは「親から離れる」というのが生得的な嫌子として働くのかもしれませんね。だから、ある子供はそれを喜んだりもする(つまり好子として働いている)。

お菊人形の方はともかくとして、かわいい(と多くの人は感じている)人形に対して恐怖を抱くのは、いろいろと可能性が考えられるので、なかなか難しいかもしれませんね。

ちなみに私は植物のつくしが子供の頃から怖くて仕方がないのですが(^_^;)
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この回答へのお礼

backsさん、早々の回答をありがとうございます!!

>問題なのは、そういった人形と一緒にどのような刺激が提示されたかということでしょう。

なるほど。お菊人形の話として知らなくても、よくTVやお化け屋敷の看板などで日本人形とおどろおどろしい文字や音が一緒に用いられていますもんね。知らず知らず日本人形と怖いイメージがワンセットになって、心に染み付いてしまうのかもしれませんね。

>着ぐるみを怖がるというのは、私が考える1例として「親から離される」という嫌子が対提示されたためだといえるかもしれません。

そうか、着ぐるみがいると親は子どもを「いっておいで」と押しやりますもんね!もし初めて着ぐるみに出会ったとき、親が手を繋いで一緒に触りに行ったら子どもは安心してその後も着ぐるみ好きになるのでしょうね。幼少期の最初の印象というのは大きいのですね!!

>お菊人形の方はともかくとして、かわいい(と多くの人は感じている)人形に対して恐怖を抱くのは、いろいろと可能性が考えられるので、なかなか難しいかもしれませんね。

多くの人が怖いと感じない「もの」に恐怖感を感じる人がいます(backsさんにとってのつくし)。本人が自覚してるかしてないかは別にして、何らかの嫌な記憶がワンセットになって心の底にあるのでしょうね。毛糸用洗剤の羊の絵が怖い、大きな葉っぱが怖い、PS2の起動時の音が怖い、「やったくん」が怖いなどなど、十人十色なのも経験と記憶が違うのだからさもありなんですね。
逆に多くの人が怖いと感じるものを作る(ホラー映画、小説など)のがどれほど難しいか、ということでもありますね。

わかりやすく教えていただけて本当に助かりました、ありがとうございました!!

お礼日時:2008/06/20 15:43

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