いちばん失敗した人決定戦

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の起源はひとつであるときいております。それなのに(だからこそ?)、上記3つの宗教がお互いに和解できないのはなぜなのでしょうか?
 まあ、和解できない理由をなんとなくわからないでもないですが、中東における深い問題を解決し得る”すばらしい和解への方策”、そのシナリオを誰か教えて(作成して)いただけないでしょうか?

A 回答 (12件中11~12件)

宗教を研究したわけでも学習したわけでもないので、推測で書かせて頂きます。



3つの宗教の根が一つである事が、逆に理解し合うことの難しさを示しているのだと思います。
元々一つであったものから異なった道を歩むことになったからには、互いに相容れない(許容できない)部分を持っていたからに他なりません。
ゆえに純粋にそれぞれの宗教を追求する原理主義者にとっては、他の二つの宗教を許容することは自らを否定することと同義なのではないでしょうか。
全く別の宗教の方がまだ許容できる可能性が高いのかもしれません。

別の側面から見てみます。
民族、宗教の違いによる紛争は冷戦後に顕著に増加しています。
多くの国家や民族にとって冷戦下では東西の緊張が最大の懸案であったということです。
これは人間はある程度許容できない部分を持ったもの同士でも、協力して当面の敵(人や国家に限らず制度なども含めて)と戦うことができるということです。

その「当面の敵」が無くなれば今まで表面に出てこなかった小さな問題が雨後のタケノコのように出てくるという図式があるわけですよね。

個人的にはともかく民族、国家単位で見れば人の欲望は限りが無く、どこまで行けば満足するということはありません。
つまり紛争は永久に無くならないということなのだと思います。
そして人の心の奥深くに染み込んだ宗教が原因の紛争は、最も解決し難いものの一つなのでしょう。

和解の方策が私などに作成できるのでしたらはるか昔に問題は解決していると思います(笑)
私自身が考える唯一の和解への方策は、時間が掛かっても子供達の教育だと思います。

宗教は生まれ持ってくるものではありません。
幼いうちからの宗教(宗教関係者)による洗脳によって他の宗教が「敵」であると刷り込まれてしまう場合も多いでしょう。
宗教が何か理解できない子供のうちに一つの宗教に染めてしまうのは、拉致で問題になっている国の洗脳教育とほとんど同じではないでしょうか。
国連が強制力を持って子供達がたくさんの宗教に触れる機会を教育に取り入れるように指導すべきだと思います。
そのことで相手を理解して思いやる気持ちを育て、個々の人間が許容し始め、そしていつか民族、国家全体の融和が実現するのだと思います。

でも無理でしょうね(笑)
やはり巨大隕石の衝突などの地球全体にとっての非常に大きな「当面の敵」が現れない限り、だらだらと続いていくのでしょう。

済みません。回答になりませんでした(苦笑)
私には難し過ぎる問題でした。
私自身は直接彼らの和解に貢献できなくとも、死ぬまで目をそらさずにいようと思っています。
    • good
    • 0

神様は同じなのに、その神様の言っていることが違うが故の難しさはあるでしょうね。

ただ、昔と違って、他の宗教の存在を認め尊重した上での発言も増えていたり、カトリックとユダヤ教との和解が出来たことを考えれば、前進はしているとおもいます。あとは、全く畑の違う宗教が間に入るのはどうでしょうか。現在では比叡山延暦寺での宗教サミットに様々な宗教の指導者が集まり、平和に関する声明を発表したりしています。これも昔では考えられなかったでしょう。そのうちに一神教が故の排他的な考え方も消えていくかもしれません。(と書いていながら現実的には無理かなと思う自分もいたりして)
答えになっていなくてすみません。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!