おすすめのモーニング・朝食メニューを教えて!

50代男性です。趣味は、クルマ、写真、音楽鑑賞、旅行です。
持ち物にはこだわりがあります。
最近の若者(二人の息子も含め)は、
(1)クルマ・・・ほとんど興味なし。免許年齢でないがレンタカーで充分       といいます。私は絶対にミニバンはいやです。
       (いつかはクラウン世代なのしょうか?クラウンは好み        に合わないのでスバル アウトバック3.0Rの革内        装に乗っています。)
(2)カメラ・・・写るんですや、携帯カメラで充分と言います。
       (私にはいずれの画質も耐えられない。)
       私は中学生から一眼レフ主体。最近は目的に応じコンパ       クトデジカメ(1000万画素級)を併用です。
(3)音楽鑑賞・・さすがにデジタルオーディオを否定するつもりはありません。しかしながらMDや、MP3などは、明らかに音がおかしいと私は気づきます。(繊細な音は出ていない。昔のカセットの方がましに聞こえることがあります。(ナカミチ社製品を大切に使っています。…いつまで持つか?)安物のコンポで充分と言います。(私にはドンシャリ音で不快極まりない音です。)
(4)服装・靴…安いものを買う傾向が。私は若い時からこだわりが捨てられません。高級とまでは言えなくてもこのブランド!っていうこだわりがあります。靴は絶対リーガルです。脱いだ時に見られますから。
コートはバーバリーです。これも脱いだ時に見られるからです。
(5)結婚式・新婚旅行など
最近、二人部下が結婚しましたが、突如入籍、一人は親族だけで簡単なパーティをやっただけです。もう一人は何もやっていません。
新婚旅行も行かないようです。(行っても疲れるだけと言います。)
私たちは、高級レベルのホテルで披露宴を行ない(親の体面もあります。)オーストラリア9日間を自由旅行してきました。ハプニングもありましたが良い思い出です。以降もたびたび日頃の生活をなるべく節約して、マイレージをためて国内外の旅行を楽しみます。

価値観は多様でしょうが、なぜこんなに「夢」がないのでしょうか?

 

A 回答 (12件中11~12件)

30代です。

青春のころには深刻な不景気の真っ最中でした。
そのころ、つまりバブル崩壊後、世間は贅沢を戒める言葉であふれておりました。「清貧のすすめ」なんていうものも流行り、高級車やグルメブームは激しく猛省されていました。テレビでは、「戦前」もしくは「戦中」生まれの評論家や色々な人が、「我々は極貧の生活を生きてきたから今の贅沢に慣らされた世代はけしからん」と繰り返されていました。
 正直、そういうのは刷り込まれています。株や投資信託も、バブル後のように、いちやにして紙くずになってしまったらどうなるか?車も物も。右肩上がりで給料が上がる時代ではありません。高価なものを買って維持できなくなってしまったら?
 自分ら世代からすれば、あれだけ贅沢を戒めておきながら、今になって、今の若者は貧相すぎる、と上の世代の方が言うのは違和感があります。違う回答者の方で、上の世代は強すぎた、とおっしゃっていましたが、なんだか持ち上げすぎな感があってなんとも釈然としません。

 50代の方、とのこと。察するに人生最高に楽しい時期をバブルとともにすごされたことでしょう。しかし今の若者は、50代の方が感じることができた社会全体の高揚感を知らずに思春期を過ぎてきました。物心ついたいたころから「不景気」という言葉が刷り込まれてきた世代です。心の奥に、バブル崩壊の恐怖があるのだと思います。
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私より若干上の世代におられる方ですのでご意見がましいことは余り延べるべきではないのでしょうが…


一つには戦前生まれの方々が強すぎたと私は考えているのです。
同時に私を含めた戦後第三期世代の人間…現在の年齢ですと昭和30年代後半~40年代の人間が余りにも何もしなさすぎたと言う事なのではないでしょうか。
戦前に生まれ戦争を経験された方々は命を懸けて国を守ろうとし、その後の国も命懸けで復興させました。
戦後生まれの昭和初期から20年前後生まれの方々はそれらを継承しより高い位置へと導き驚くべき速さで戦後と言う時代を収束させました。
そして30年代の方々は世界に目を向け新たな戦いを挑み、現日本の基礎を作った方々です。
しかるに40年代前後生まれの私達はそれら先人達である強者の子孫であるにも拘らず結局何も出来ていないのではと感じているのです。
余りにも先人たちが強者であった為、先人たちの行いをコピーするだけで何事も成さず悪戯に先人たちの恩恵を謳歌するにとどまった。
その結果、その世代の子供たちが世の中を見る目がミクロ化し、ピンボケの世界観を不思議に思わなくなったのではと考えています。
もっと正しい物事の見極めを教えるべきだったでしょうし、起承転結に対する正しい価値観を伝えるべきだったと思うのです。
苦労があり成果があると言う事を知っていながら先人たちがもたらした成果をなすがまま受け入れ当然の様に過ごしてきた私たちの世代が後に続く世代に唯一できる事がそれら先人達の努力と世界観そして成果に対する正しい判断を伝え継承させる事だったのではないかと思うのです。
しかし、私たちの世代はそれを怠ってしまった。
始まりと終わりの中にある様々なエピソードを省き今有る物を当たり前の様に与え何故?何が?誰が?善悪と罪悪?…様々な経緯と物の見方を伝える事を怠ってしまいました。
始まりも終わりも必要なくそこにある結果だけを有効に使う事ができる人達が主流となり、そこに至るまでの経緯や応用等に結びつける為に必要なセンスを伝えられなかった結果なのかもしれないと思うのです。
夢が無いのではなく私たちの世代が夢の存在を語ることを怠った責任なのではと考える事があるのです。
そして私たちがそれらを改めない限りかれらにかかったフィルターをクリアにする事は難しいのかも知れません。
私たちの世代が彼らにとって曇ったフィルターそのものだと考えるからです。
希望を見出せずただ日々時間を経過させ現実に即した形でしか未来を見れない原因は弱すぎた世代の残した影がそうさせていると思う次第です。
背中で語る父、物言わず抱きしめる母、私たちの世代には出来なくなりました。
真実を伝える事に100の言葉が必要になったのは私たちの世代の頃からでしたから…子供の頃にはおまわりさんがいて今は警官がいます。
回答では無くこれもピンボケの意見かもしれませんが…
それでも彼らの世代は夢を見ていると信じていますし実現力もあると確信しています。(表現は下手かもしれませんが…)
そうあって欲しいと思います。

乱文ご容赦下さいませ。
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