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日本の仏教に、色々疑問があります。

創価学会が日蓮正宗から、破門されたのは周知のことですが・・・
そもそも学会は日蓮の教えに素直過ぎる活動をしているのだと思います。
大体、日蓮の教えがまかり通ることが不思議でたまりません。
他の宗派のことを邪宗だと言い、法華経を唱えない者は不幸だという教えがどうして理解できるんでしょうか?

日蓮の御書を読んでみて
日本語も、意味も理解できますが、どこが良いかがわかりません。

ご意見お願いします。
この宗派の方のお叱りも、ありがたいです。

A 回答 (9件)

 質問者は賢者かと思っていたら、普通の方で、ANo.8のお礼に敷衍されるような状況に立ちいたってしまうこともあるのですか。

この凡俗の私とほとんど変わらないではないですか。

 インドの古典哲学を抱いてポテトチップスの好きな大統領の国にいかれた、行者のバガヴァッド・ギータを加えていただくと、ドイツ(原書は、カントとラートブルッフだけですが)、古事記、鍋島、三舟の私も少しは自分の話をさせていただけるかと、今後も期待しております。
http://www.yogananda-srf.org/
 

参考URL:http://www.yogananda-srf.org/

この回答への補足

この場をお借りいたしまして。
申し訳ありませんが、回答の順序をつけたくないので、今回は良回答のポイントはつけないでおきます。ありがとうございました。

補足日時:2008/07/06 17:52
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この回答へのお礼

まずは、ポテトチップス・・・の弁解をしなくてはなりません。
信仰のある方に対して、とても失礼だと気になっておりました。
すぐに書物におぼれてしまいますので、悟るために生きてはいけないと日々言い聞かせております。そのためです。失礼いたしました。

賢者・・・あまりお笑いにならないでください。
単に、怒り疲れたのかもしれません。
否定の対抗馬に、寛容さを持ちたいと思っているだけです。

私は、仏陀の悟りの年齢にも到達しない、若輩者です。
まだまだ知識が浅く、そのわりには熱すぎるのかも知れません。
年月を重ねて、自分の道を穏やかに知るまで勉強いたします。

お礼日時:2008/07/06 14:58

NO3です。


みたび・・・登場いたします。

ぜんぜん、おせっかいじゃありません。
「幸せそうにしていないと、何も伝わらない」他、あなたの考え方にほぼ賛成できますし、それを見失っている会員が増えているように思えます。

「人間の心は、丸いほうが強い」・・・そうなるための「途中肯定」として、日蓮さんの考え方を始め、さまざまな宗教をもっと深く学んでみたいです。

私も、批判をするばかりでは、強くなれませんので・・・

「池田氏に手紙を書いて、納得のいかない項目に抗議したこともありました」が、残念ながら・・・納得のいく答えは受け取っていません。
そして、いまだ「人界」で、平らな日々を送っています。

質問者さまからの「冷静な意見」、とても役に立ちました。
ありがとうございました。
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この回答へのお礼

私事になりますが・・・

先日、酔った勢いで知人に「無神論者なんだから、手を合わせられるだろう」と曼荼羅の前に無理やり連れて行かれたことがありました。
プライドを捨てれば、出来たのかも知れません。
でも、人の思想を無視して軽々しく扱い、信仰も無いのに手を合わせることが何の得になるのか。穏やかな人のその変貌振りに、正直言って、これが学会だ・・・と怖い思いをしました。その人自身だけの非ではないはず。

随分謝罪を受けました。信頼関係もずたずたになったんですけどね。
ここで突き放しては、私も相手にも成長が無いので、許してみようと思いました。
知識は、武器にもなりますし、許しあえる第一歩でもあると思います。
相手がひとつのことを深く信じるのなら、私は浅くても広い知識を得たいと思います。勉強を進めます。
ドイツ哲学と、経典と聖書、古事記を読みながら、ポテトチップスを食べようと思っているくらいです(笑)

組織のためにも、回答者様の行動力を陰ながら応援しております。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/07/05 21:55

 日本人の宗祖の名前を取っている宗派名は珍しい方に入るでしょう。


 そして江戸期は明治初期にはまだ宗派という確立はなかったはずです。
 只、劇場とかの娯楽では、ちょいと閑散となってくると、日蓮とか忠臣蔵をやりました。つまりそういう人気と固定性はあったのですね。
 昔から、いずれにしろ行動的な宗派ですね。
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この回答へのお礼

いつも勉強をさせていただきまして、ありがとうございます。

そうなんですよね・・他には、経典をそのまま宗派名に加えた例もありますね。
そんなことからも、人信仰、経典信仰が覗えます。

確かに、日蓮が正義であるなら、その物語は面白いかもしれません。

お礼日時:2008/07/05 22:04

 ANo.4です。


 ご誠実なご補足に感謝します。私は信仰することはいいことだとぞんじております。いろんな行き過ぎは組織や団体、その活動には付きまといます。これが人間の社会、おかれた状況です。ただ、日蓮正宗とかを含め、多くの宗教者はここには創価学会の名前もあり、当然かかわることになるから、避けるのが賢明とされる判断するのではないですか。
 私自身も何度も躊躇して、でも同じ地上の人間同士ですので、木枯らしの紋次郎ではすまなかったのです。
 それにANo.2さんのご回答は確かにやさしく勉強になりました。
 でも、出す典拠は異なっても、どんな信仰も他の信仰より、自分の信仰を大事と思っております。でも質問者さんもおっしゃっているように、だからといって、離れていく信仰者や他の信仰者に対しての態度は創価学会のやり方とは異なると存じます。
 いろんな行き過ぎは組織や団体、その活動には付きまといますが、信仰者であれは、創価学会のようには反応することはないようです。
 そのことの説明が質問者さんも私たちもほしいのですが、そこまでのご説明が、ANo.2さんのご説明にはなかったのです。そのあたりの舵取りが質問者さんにほしいのです。
 だかろこそ、重ねて申し上げますが、そういう事情では他の信仰のかたは、ここにあまりご登場はされないないのではないかと恐れます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね・・・今回の質問は、学会を批判するためのものではなかったつもりでしたが、他の方が読まれたときに誤解を受けられるのかもしれません。
結局、それそれが自分の信仰を守りつつも、偏見ではない冷静な目を持たなくてはいけないと思いました。
その上で「違う」と言いたい。

No2さんのお答えで、No2さんの法華経、日蓮の解釈はわかりました。そういう解釈の仕方もあるのだと。ただ、やはり私には日蓮のよさがさっぱりわかりません。
どの宗派へのひいき目がなかったとしても、読んでいて気分が悪くなったのです。だから、自分で読んで自分なりの判断をしようと思います。

ご説明に関してですが・・・残念ながら、納得のいく説明は得られないと思います。それが難しいのかもしれません。

私は、少し組織の名指しをし過ぎているような気がしてきました。
勝手で申し訳ありませんが、少しクールダウンをして、この質問を終えたいと思います。

お礼日時:2008/07/05 21:12

NO3です。


お礼、ありがとうございました。

私は、「人前で、何も話せない」小心者で、「自分のことしか考えない」ワガママな人間でした。

それを、少しでも改善できたのは、創価学会のおかげだと思っています。

しかしながら、「日蓮さんの教えを学び」「創価学会のやり方を見て」いると、さまざまな「矛盾点」につきあたったのです。

・「他者の悪口を言うこと」
・「表彰状があること」
・「常軌を逸した勧誘行為があること」
・「あちこちに会館が立つこと」
・「強制感のある寄付金」

など、「宗教家にとって、あってはならないもの」ではないかと。

そこで、「今、人界にいて、平らな日々を送る」私が、「学会のやり方に文句をつけた場合」に、はたして教えの通り「地獄界に落ちる」(もちろん、生きている今、苦しみの境涯になるか、ということです。)かどうか、実験しているところです。

日蓮さんの御書は、「心が大切」とか、「人として当たり前の振る舞い」について書かれているだけです。
が・・・、
「いじめ・自殺・誰でもよかった殺人・うつ」などの、「心の戦争」がおきている現代には「人間らしい心」が失われている気がしてなりません。

かく言う私たちの組織にも、「人間」が少なくなってきているように思います。

「宗教家」のあり方を、もっと勉強したいがために「ここにとどまり」、「中途半端学会員の悲劇を無くしたい」と考えています。
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この回答へのお礼

実は、hyakkinmanさんのご回答は、他の場所の質問でも拝見しておりました。

内部のことを批判されているのに、学会員でいらっしゃるし
日蓮帰依でないとするなら、どうしてとどまっているのかと疑問になりました。

どうですか?地獄に落ちましたか?
落ちるとすれば人為的なものでないかと思いますが(苦笑)

表立って嫌われる学会の活動だけが活動ではないのでしょう。
宗教のみにとらわれず、色々な課題について話し合われているのではないですか?
内部のあたたかな人間関係に、救われる人も少なくないのでしょう。同志ですものね。
教えを否定さえしなければ、学会の方は人当たりのよい方が多いようにお見受けします。
社会のために貢献される方も少なくないでしょう。

しかしながら
日蓮で布教は大事な教えではあります。そのために、偏見を負い。
良いことに使うのだからと言って、財務をし。
周りを卑下されていれば、それは徳になるのかどうか・・・。

学会員さん自体が、世間一般的に幸せそうにしていないと、何も良いことを伝わりませんよ。と、ただの隣人として思うのです。これもまたおせっかいですね。

2度にわたるご回答に感謝いたします。

お礼日時:2008/07/03 19:41

 補足のお願い:


 予想したとおり、当然ながら、学会の関係者からの貴重なお話が寄せられております。
 では他の宗派や宗教の方からは予想できるでしょうか?
 特に日蓮正宗とかの方からのものはいかがでしょうか?

 ANo.2様の内容の学会という言葉を、他の宗派や私たちの教え、或いは哲学や、儒教などなどに置き換えても、そのままいえることで、どこのそういう主張や教え、哲学、思想も同じ観念でいるのではないでしょうか。
 要するに他をどう見るかが問題ですよね。質問のお話は、ANo.2様のお話で、解消するのなら、それはどこでも同じ思いですよということになるのです。然るに質問にあるとおり、学会様だけは他とはことなる外部的言行が目立つという報道や風聞を得ております。
 その不安と疑問をを質問者は代表しているのでしょう?
 ANo.2様はそこのところに踏み込んで頂きたかったし、質問者さんにはそういうことを含めて今後の舵取りをお願いしたいと存じております。
 確かにおとなしく飼いならされた、教えだけがいいのではなく、昔は多くの教えもずいぶん誤解されていたものが多いですね。
 そのことに関連して、どうして顰蹙の言動が多いかのようになっているのか、心配なのですよね。私たち部外のものは。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。
お書き込みくださる皆様よりも、私は随分知識が乏しく、ずれたことを話しておりましたら申し訳ありません。

まずは、私がこの質問をいたしましたことについて。
内容は上記の通りですが、あちらを立てればこちらは立たずの世界が一神教です。教えが色々あると不都合なのでしょう。
同じ仏法の中でも、否定しあっているんですから(他の宗教でも同じですね)
これはどこまで行っても解決するようなことはない。

だとすると、意見を譲るのではなく。一歩引いて、その教えがどういうものが知るのは悪くないと思った訳です。しかし、日蓮に関してはどうも納得がいかず。信じるには何か理由があるはずだと・・・単純な質問でした。

考えには色々ありますが、否定しあっていて本質が見えなくなったのです。
邪宗だ、法華経を読まないのは馬鹿だとの言う前に
もっと根本に大事なものがあるはずなんです。
そこが見えませんでした。なぜでしょうね。

信教の自由は許されていますが、宗教にはプロがいます。
その道を学び会得されたということでしょう。
それが別に僧侶であろうとなかろうと、私にはどちらでも良いことですが。
勉強不十分な信者、学会員が折伏をしようとすることで、大きな誤解があるように思います。
それは集団の責任でしょう。そこが、非難されるべきところでは?
お金が動きすぎる、政教分離など言い出してはキリがありませんが・・・

ごめんなさい。宗教を持たない人間からして、学会員の方々がそんなに幸せには見えないのです。
私も自分の道を通したいと思いますが、他を否定をすることでの正当はしたくありません。人間の心は、鋭くなく丸いほうが強いのだと信じています。

失礼な言動がありましたことをお許しください。

お礼日時:2008/07/03 19:03

学会員です。


が・・・、
私も、理解できません。

「邪宗の悪口や、脱会者・反逆者への汚い罵りを平気で言って、笑っている。」ことが、「世界平和と人類の幸福」につながるという「恐ろしい考え方」が・・・。

「排他的洗脳型宗教団体」の悲劇ですね。

洗脳されないと、理解できないし、幸せにもなれません。

所詮は「神様じゃなくて、人間が勝手に始めたこと」です。
恐ろしや、恐ろしや・・・・

「馬鹿げてる」と感じます。
関わらないのが、一番ですね。
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この回答へのお礼

学会員さんなんですね。
ご回答ありがとうございます。

日蓮の教えなんて、洗脳されないとわからない。
そうなんですよ・・・そう思っています。

排他的なところばかりが目立っているので、他宗派には理解しにくいですし。無神論者の私からすると、何が正しくて何が悪いのかなんて、結局のところ分からないのだから。それぞれでいいじゃないか・・と思うわけです。

だから、信者、学会員さんを目の前にして否定なんてしたことはありません。
ただ、否定をされたことはありますけどね(苦笑)

以前は、内容を知ることで宗教を否定しようと思っていました。
しかし、宗教の必要性もわかります。今も変わらず、無神論者ではありますが、他の考えも理解したいと思い「キリスト教」も「仏法」に興味を持つことがあります。
ふいに「なるほど」と思うことも出てくるので、これは命綱を太くしなければいけませんね。

もし、まだご覧になっていれば教えていただきたいです。
学会の活動に不信があり、日蓮の教えに理解がしがたい。
hyakkinmanさんはどうして、学会員なのですか?

お礼日時:2008/07/03 02:20

 元々、仏教とは読んで字のごとく、仏の教えであり、では一体何を教えているかと言えば、ある法則であり、それで仏法とも言うのですが、その法則とは、皆さんがよく知るアルキメデスやケプラーやニュートン等の法則と同じで、我々の存在以前からこの宇宙に連綿とあったもので、いわゆる宇宙普遍の法則なのです。


 ただ、仏教の説く法則は、科学者や物理学者の説く法則とは違って、それが我々の人生に直結しているのです。上記の学者たちがその分野の諸現象から秩序、統一たらしめている法則を見出したように、釈迦も人々の人生に大いに関わる法則を見出したのです。
 それが『妙法』というもので、そのことを悟った釈迦は人々にその妙法を説き教えようとしたのですが、当時の人々には法則という概念がないため、なかなか理解しがたいことが分かり、それで苦肉の策として、妙法の持つ作用、力用、特性等を細分して、それを様々なたとえ話や方便等にしていろいろと駆使し、説いていったのです。いわば難しい話を子供たちに分かり易いようにおとぎ話にするようなものです。
 それを40年近くかけて説いてから、やっと妙法を説き、そして、この法則の中に今まで説いてきた作用、力用、特性等がすべて含まれているから、この法則に則れば、それらをその人生にうまく活用していくことができる。すなわち妙法に則れば、誰でも幸せになれる、ということを説いたのです。
 この最後に説いたものが、法華経(妙法蓮華経の略)であり、それまでに方便として説いたものが、華厳や阿含経、阿弥陀経や大日経、般若心経等なのです。そして、これらを苦肉の策として説いたと言ったのは、後世の論師や仏教者が必ず我見、邪義で法華経を見下して方便の経をかわいがり、祭り上げることを予見していたからなのです。それで、法華経において、いままで説いてきた方便を拠り所にしたり、法華経をないがしろにしたりする者は、必ず無間(休みなくさいなまれる)地獄へ堕ちると説いたのです。
 そして、この法華経の教えをきっちりと踏襲しているのが、日蓮であり、それに違えたのが、空海であり、親鸞、法然であるということです。ちょっと考えてみれば分かりますが、仏教はその祖師である釈迦の言葉を信じ用いるのが当然であり、根幹の釈迦の言葉に従わず、それぞれ自分勝手な仏教解釈で己義を構える念仏や真言や禅宗が邪宗と呼ばれても至極当然かと思われます。大体、仏教の祖師の言葉に違背していて、果たして仏教といるのでしょうか。
 ともかく、信じようが信じまいが、一つの法則として妙法は厳然とこの世の中に存在していて、これに則れば誰でも幸せになるのですから、則らないのであれば、不幸というよりは損だ、ということでしょう。
 ところで、学会と日蓮正宗の確執は、僧侶たちの目に余る差別(僧が上で信者は下)や贅沢三昧(俗よりも俗)等の僧としてあるまじき堕落の姿に学会側からいろいろ注意喚起していたのですが、それがうるさく目障りであり、また学会の発展にも嫉妬して切ったようです。ともかく、僧侶にとっては従順でない信者はいらないそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。法華経についてとてもよく分かりました。

方便先行で広まりつつある中、確かにきちんと法を説く経が必要であったのでしょう。
それを、まず天台宗が順位を明確にしたということでしょうか。
となると、「南無妙法蓮華経」というのを、ストレートに解釈すれば理解ができます。もともとは、排他的な意味はありませんね。なるほど・・・。
日蓮宗の熱心な方の唱える題目には、その他の思いが含まれるような気がしてなりません。

勢いあまった学会員の活動が目に余る中で・・・これは、とても素直すぎる行動なんだと思ったのです。日蓮の書は明らかに排他的要素が多く、納得がいきません。

余計なおせっかいではあるものの「正しい」と思っているんだから・・・分からなくないですね。
自分の解釈で法華経を読んでみます。

しかしながら、結局、宗教や哲学に「これが正解」なるものはないと思っています。
あれが正しい、これが正しいという前に、共存する許しあう心が必要だと思います。

お礼日時:2008/07/03 01:54

[他の宗派のことを邪宗だと言い、法華経を唱えない者は不幸だという教えがどうして理解できるんでしょうか?]


日蓮さん自体の行動形態には疑問はありますが旧約聖書の預言者や西洋ではマルチンルータしかり似たような行動をした宗教家はおおいですね。仏教では少ないということで際立ってはいますね。でも宗教家が一派を起こす際は多かれ少なかれ誰しもあることでしょう。日蓮さんの情熱は認めるべきですね。しかし、悪いところをまねてはいけないこともたしかですね。日蓮さんは人気の浄土門に対抗して「何妙法蓮華教」をを持ち込んだようですが仏教では三宝帰依が本道ですからまずは仏陀に帰依がすじですね。法帰依のみが残り本尊が曼荼羅になったり何とかになったのでは仏教から外れることはたしかですね。
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この回答へのお礼

そうなんですよ・・・。
根本的な仏陀信仰が薄く感じられます。日蓮を熱心にされている方が、どれだけ仏陀のことを知っているのでしょうか?日蓮や法華経のみを拝みすぎているのではないかと不思議でたまりません。

確かに、歴史的に浄土門の人気のために、排他的にならないといけない背景があったと思うんですね。他の宗教も同じ背景や権力抗争が原因だとも思ういます。ただ、排他的な部分そのものが堂々と教えになっているのがおかしいと思います。

日蓮の書と、仏陀の教えを並べて読むことができれば、おのずとその違いに気づくと思うのですが・・。

お礼日時:2008/07/03 01:19

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