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人は宇宙的歴史の中ではほんの一瞬前に発生したのにもかかわらず、
その人間同士で殺戮を繰り返し、
動植物を食い荒らし、
核による汚染までし、
まるで癌のような悪そのものではないでしょうか?

万物はバランスによって保たれているのが宇宙の摂理のように思いますが、
人間はそれを崩しているだけではありませんか?

善悪というよりは人間が宇宙の摂理においてあまりにも異質な存在に感じます。
このような強い違和感を感じるのは私だけでしょうか?

地球のためには人間は滅びるべきではありませんか?
放っておいても勝手にすぐに絶滅するのかもしれませんけどw

A 回答 (36件中1~10件)

放っておきましょう。


驕れる者なんとかです。

日本などはまず真っ先に滅びてほしいですね。
国民の税金でやりたい放題、年金はネコババ、
集計は他人事のいい加減極まりないありさま。

こんなに国民のある種の人間たちが国民を食い
物にしている国が文化のある国であるでしょうか。

役人も教師もみんな腐りきっています。
早く日本は滅亡したほうがいいです。

こんな国になにが愛国主義教育でしょうか。
笑えます。
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聖書的にはまもなく人類は滅亡します。

滅亡前の予言で”親の言うことを聞かない子供達の出現”などは今の時代にピッタリです。その方法は水、火、以外とあり、地球が滅亡しない為には、隕石の衝突、地球規模の核兵器使用は無いかも知れません。細菌兵器、部分的な核兵器使用、信じられない早さで蔓延する新ウイルス、などがあるかも知れませんが、想像もつかない方法もあるのでしょう。恐ろしいです。
ただその前に一瞬、地球規模の平和があるようなので、ガンなど不治の病が完治され、戦争が一時的に無くなるかも知れません。こう考えるとまだ数十年は有りそうですね。
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質問者様とは少し見解が異なるかもしれないですが、概ね同意です。



異質だと思います。
人類の到達点は、自らの意志で滅びを選ぶことだと、最近考えます。
どうやっても最終的にそこにたどり着くのではないかと。
進化の末(物体としての生命体は維持できないだろうと)、といっても良いかもしれません。

血を残すことにも、使命感や義務感を感じません。

自死も選択肢の一つであると思います。
どうせ、なくなるから・・・と言うわけではなく、生きていくことが本当に正しいかなんてわからないからです。
自分たちが生きたい!子孫を残したい!という欲求があるからといって
それが正しいかは誰も知りません。(別に正しい・間違いと分ける必要もありませんねw)

生存への欲求=生の正当性 ではないですよね。
種の繁栄を望むのは自然で正しいこと。と当たり前に思われていることが不思議です。
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> 万物はバランスによって保たれているのが宇宙の摂理


> のように思いますが、

 そんなことは無いですねえ。
 地球規模の歴史で言えば、生態系なんて、何度も激変してますよ。
 宇宙規模で見たら、それはもうビッグバンの辺りなんて高エネルギーの渦で何がなんだか分からない状態でしたし。

> まるで癌のような悪そのものではないでしょうか?

 なんで癌が悪なんですか?
 単に、宿主にとって不都合なことが多いというだけでしょうに。

 地球にとってヒトは、別に不都合でもなんでもないですよ。全球凍結してみたり、隕石衝突で岩石津波が起きて火の玉になってみたりという歴史を持っていても、地球は地球として自転・公転を続けています。


 自然だの地球だのに対し、勝手に人格を投影してそれを代弁した気になるのは、実は日本文化の特徴のひとつなんですが、それはあまり理性的な行為ではありませんよ。
 理性的でないということは、具体的な問題解決に繋がらないという意味です。個人的な満足感を瞬間的に得るにはなかなかの手段ではありますが。
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滅びるべきかそうでないかは、人間が決めることではない。


しかし、できることなら滅びたくないのはどんな生命体でも一緒でしょう。

宇宙の摂理において人間が異質に思われるのは、まさしく人間の驕慢というか、自分が宇宙の摂理を俯瞰している感じになってるからじゃないですかね。
人間は宇宙の摂理の外側にいるかのような視座に立てば、それは違和感も生じると思います。
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>地球のためには人間は滅びるべきではありませんか?


>放っておいても勝手にすぐに絶滅するのかもしれませんけどw

 何か大きな存在があって「人間は滅ぶべきだ」と考えたのなら、まさにその通りになるでしょうね。そうならないなら、「滅ぶべき」ではないのでしょう。
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地球に意思があってそういっているのならそうなのかも知れませんが、地球という天体がそのような人間的な価値判断を示しているのでしょうか。



そのような判断をしているのは人間ではないですか。

人間は物事を人間の勝手な価値基準で判断しがちですからそのような人間にとって不都合な未来予測が立ったときあたかも地球にとって悪いことが起こるかのような言い回しをしてしまいますが、地球にとってではなく人間にとっての価値判断でしかありません。

そこで問題を読み替えますと、人間存在は人間自身の存続のために脅威になりつつある、または、人間存在は生物の生態系を劇的に変える契機になりつつあるという事はいっていいのかなあなんて考えます。

あくまでも人間の価値判断内において世界が人間そのものにとって脅威になりつつありその原因のひとつに人間活動が不可分に存在している。
それに対する反応として人間は滅びるべきというのは極論で物事はそのようにマルかバツかで割り切れるものではなく予想される未来に対してどのように対策すべきかという問題として対処するのが現実的です。
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何人の方が言っているとおり、人類を悪と決め付けているのは人間であって、地球にとっては屁でもないんですよ。


本当に地球温暖化とか叫んでいるのは人間だけで、地球にとっては最近多少温度が安定していただけなのですから。
人間は悪い事(まあ文化とかで違いますが)をする人を縛るのに法律だけでは限界があるので、自然に神の様なものを規定して自分を律するんですよね。
それは良い事だと思うんですが、人類そのものが悪と言うのは、極端で考えすぎです。
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>万物はバランスによって保たれているのが宇宙の摂理のように思いますが、


:この点は同感ですね。
存在すること自体がバランスではないか、と思います。
逆に言うと、絶対的な善悪、あるいは絶対的な摂理でもいいですが、そういったものを指し示すことの難しさでもあります。

たとえば、「動植物を食い荒らし」といっても、食わなければ人間は存在できません。
また、自然に一切手を加えないことが果たしてバランスを保つことになるのか、というのも疑問の残るところだと思います。

人間は生まれるべくして生まれたわけですから、どのように生きるべきかを考えれば良いだけではないでしょうか。
人間が不要であるとすれば、摂理によって自然と滅びていくはずです。
滅びようがどうなろうがどちらでもいいとは思いますが、それは、我々が思い悩むべき課題とは言えないでしょう。

とはいえ、滅びるべき、というのは、タナトス(死の本能)の発露として極めて自然な感覚です。
タナトスを持ち出さなくても良いのですが、ともかく、滅びることは安定につながりますし、それは一種の憧憬足り得るでしょう。
ただ、タナトスの裏返しは愛や友情であったりするので、これらに満足いかないときに人は、往々にしてこのようなタナトス的な感覚に逃れようとする傾向があることもまた事実だと思います。

「人間同士で殺戮を繰り返し、
動植物を食い荒らし、
核による汚染までし、」
が現状であるならば、

「人間同士で殺戮を少しでも防ぎ、
動植物を無駄に食い荒らさないようにし、
核による汚染をしなくて済むような知恵を探り、」
を目指せばいいだけの話です。

どうせ変わらないとおっしゃるかもしれませんが、そうなると好き好きの問題になってくるでしょうね。
変えようとすること自体が面白いわけなので。
滅びたいも、生きたいも、所詮は好き好きであるのと同じことなのでしょう。
 

この回答への補足

哲学カテ興味深し…

補足日時:2008/07/22 00:30
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あることを前提とするならば、


質問者様のお考えは正しいといえるでしょう。

それは、「人間は、実は他の惑星から飛来した異星人だった」。
これが真であるならば、確かに地球にとって悪そのもの、
という言い方をしてもあるいは許容されるかもしれません。

しかしながら、人間も地球が生み出してしまったものであり、
その地球の「自然」の一部である人間の建造物、
コンクリートジャングルもまた「自然」とみなされるべきものです。
戦争も、森林伐採も、すべて「自然」なのです。
もちろん、その営みの中で、
「どうしたら地球を粗末にせずにすむか」という思考がなされ、
議論が尽くされ、研究され、実践されることは、
短期限定で考えるならば有意義なことだと思います。
しかし、「自然」とか「地球」とかいう括りで考えた場合、
戦争、資源浪費などと並べてもいささかも優れているわけではなく、
善なるものでもなく、価値の上下もない、
まさに「自然」の成り行きであると思います。

従って、滅びるべき、というスローガンのもとに滅びるのではなく、
原因が積み重なり、条件が整ったら、
「単に」滅びるのです。
それも「自然」であり、良い事でも悪い事でもありません。
もちろん、「異質」でもないのです。
味噌汁の具としてチョコレートを入れたら、
日本料理という括りでは確かに「異質」ですけども、
人間の食物、と考えれば、それが好みに合う、
という人がいるならば、別段「異質」ではありません。
だって、食べたから死ぬわけでもないのですからね。
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