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日本の歴史において日本漢詩はどのような文化遺産とお考えですか。
皆様の考えをお聞かせください。

A 回答 (2件)

>日本の歴史において日本漢詩はどのような文化遺産とお考えですか。



もちろん、視点の取り方によって様々な意義付けが可能でしょうが、「日本漢詩」は《植民地文学》であるという視点があっても良さそうな気がします。
それは、古代における中国と日本との圧倒的な文化的落差がもたらした、一種の文化的侵略の成果とも考えられるからです。

近代に入り、日本が軍事力をもって侵略・占領したアジア諸国(満州、朝鮮、台湾等)で、現地の人々による《植民地文学》の活動が展開されたのと似た事情を見出せるのではないでしょうか。

とにかく、まだ文字も知らずに原始生活をしていた東方の倭人は、洪水のように流入してきたはずの漢文化の力に攻略、占領され、やがて中国模倣文化としての漢詩を自ら生み出すようになっただけでなく、それまで素朴で野卑なレベルを保持してきたはずの原始俗謡を一気に洗練された和歌へと進化させたはずです。

以後、文化人・知識人たちが自分たちの教養として、当然のように漢詩(漢文学)を嗜んだのは、ちょうどフランス古典主義期のラシーヌやボワローといった詩人たちがラテン文学にも通暁し、そこから創作のモチーフを得ていたのと相通じると思います。

あと、こういう日本人の血肉にまでなった漢文学の素養が、幕末・明治維新期にやはり洪水のように流入した西洋文化を短期間で翻訳・消化・吸収する原動力になったことも忘れてはならないと思います。
当時の洋学者の西洋文化の翻訳とは、決して和訳なんかではなく、まぎれもなく漢訳であったからです。
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>日本の歴史において日本漢詩はどのような文化遺産とお考えですか。



(東アジア)世界共通の男子の教養でしょうか。漢語は(東アジアの)世界語ですから、漢語表現を通じて世界に繋がっていました。渤海使や、朝鮮通信使などとは、会話はできなくても、漢詩を作りあったり、筆談したりしています。漢詩・漢文を作ることにより、東アジア共通の文学世界に参入すると共に、良くも悪くも、濃いも薄いもあっても、共通の思想・哲学・教養・ものの見方などを持ちえたことに意味があったように思います。現在の日本(正確には戦前までの日本のかな?)の、世界に通ずるバックボーンを形成したように思います。
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