電子書籍の厳選無料作品が豊富!

こんにちは。
ちょっと質問したいことがあります。
「運」とは何か?



最近ネット上でなぜかよく「人生の9割は(10割と言う方も)運である」というものを見ます
しかしながら、これらの議論はそもそもの「運」の定義をはっきりしないと答えには辿り着けません。
そこで調べても出てこない「運の定義」を教えてもらいたいのです
私が思うところの定義を述べますと次のうちの2つです

・因果関係の解析が困難、又は不可能なものにおいて、その解析を放棄した際に使われる逃げの表現

・自分の予期せぬことより干渉してくる予測不可能なモノ


上のは起こった事、つまり過去に対して使われる表現で、下はこれから起こる未来への使い方。
どちらが正しいのかどちらも違うのか、はたまたどちらもあっているのか…
教えていただけないでしょうか?


参考までに「運」の使い方参考例(使っている側の認識違いも大いに考えられますが、あくまで参考程度に)

・宝くじで1等あたったよー。いやー運が良かった!!

・私は敵本陣に突っ込む!!どうなるかは天に運をゆだねよう!!!

・まさか君とあいつが知り合いだったとは。いやぁ運が良かった


等々。。。。。

A 回答 (19件中11~19件)

No.3どす



>あなたの言う
>>運でないもので、因果関係がはっきりしているもの、予測可能なもの
>の例をあげました。無論Aさんにとっての救援のことです。

どこがですか?
ぜんぜん因果関係がないでしょ。予測可能でもない。
ひどいもんだ。

>これでいいんですか専門家さん

だめです。
そんな論理じゃ運を論じる資格もない。
も一度私の質問をよーく読んでくださいよ。

この回答への補足

Aさん
因:救援よぶ
果:救援来る

自分で呼んだのだから救援が来るとは…予想外ですなんて言わないです


どうですか先生

補足日時:2008/08/05 01:30
    • good
    • 0

#5です。



>運とは、「予測が不可能な、又は予測していなかったことによって干渉される、主観的な善」
でよいでしょうか?
:よくないです。^^

いくら簡潔といっても「善」という語は、この場合なじまないでしょう。
「兄貴、見てください。さっき掏ったこのサイフ。100万円も入ってますぜ。」
「おお やったな!今日はなんて運が良い日だろう。」
なんてこともありますから。
まあ、盗人にも3分の理と言いますから、彼らにとっての善と捉えることも全く不可能とは言えないでしょうが、敢えてこの語を使用する必要性は乏しいのではないでしょうか。

私の考えとしては、今のところはやはり#2で述べましたように、
「何らかの利(害)が関与している偶然」ということでお願いします。^^

この回答への補足

ああじゃあもう「良いこと」で良いよ。

大体あなただって
>「何らかの利(害)が関与している偶然」ということでお願いします。^^

(害)ってなんですかこれ

補足日時:2008/08/05 01:26
    • good
    • 0

自分あるいは自分が属しているものに対して都合のよいことが起こる場合には確率の低いことに限るようにも思います。

逆に都合の悪いことについては確率が高いことが起きないということではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

しかし私が聞いているのは定義だったんです…

お礼日時:2008/08/05 01:41

補足:


「運」とは、幸福を築き上げるため必要な要素。占星術的星回りと同義。運が原因で起こった現象は、個人・団体の意図とは、無関係に起きる。運が現象を引き起こすとき、運の存在を感じる人間は、必ずといって良いほど、占い的運命(低俗な決定論)を頭に思い浮かべており、そうでない人は、確立・統計上の奇遇を実感する。自己の意思で勝ち取った運を述べるとき、謙遜の表現として用いられるときもある。

辞書的定義ですが、
以上のことをより一般的に叙述した文面がNo1の回答 のつもりでした。

この回答への補足

いやいや!いいんです辞書的で。
むしろ私が求めているのはしっかりと定まった「運」の定義です

決まっているものだと思っていましたが、そうではないのでしょうかね。

ではあなたが思うところの運の定義は
「体感的であれ統計的であれ低確率で起こる事象が、ある者への利を発生させた際の主観的実感」

でOKですか?

補足日時:2008/08/05 01:33
    • good
    • 0

>・自分の予期せぬことより干渉してくる予測不可能なモノ



と同じような考えでしょうか?
:必要条件としては、そのとおりと思います。
ただ、あくまで「何らかの利」が伴わないと「運」が良いとか悪いとかいう表現はしないと思うので、
「何らかの利(害)が関与している偶然」と考えてみたのですが・・・。

この回答への補足

ああああすみません忘れてました。

つまりあなたの思うところをまとめると、


運とは、「予測が不可能な、又は予測していなかったことによって干渉される、主観的な善」

でよいでしょうか?
善のところは別に「良いこと」とかでいいですが、定義なのでなるべく簡潔にと思いまして

補足日時:2008/08/04 00:58
    • good
    • 0

#2です。



>ええとでも偶然も問い詰めれば因果関係が出てきますよね?
:こうなると、何を持って因果関係とするのか、という問題になってしまんじゃないでしょうか。
私の理解の範囲では、因果関係があれば偶然とは言わないような気がします。
閑話休題。

「宝くじで1等あたったよー。いやー運が良かった!!」
にしても、因果関係はないと思いますが、偶然と言えるのではないでしょうか。
偶然の上に自分を利するので「運が良かった」という表現になる。
どちら(「偶然」または「利するという作用」)が欠けても運が良かったという表現はしないのではないか、と思います。

次も同じく偶然なわけですが、
「今日買った宝くじの番号が、ちょうど1000000番だったよ。いや~運が良かった」
と言わないのは、そのことによって何も利益が生じないからだと思います。

また、
「700円で買ったものを1000円で売ったら300円儲かっちゃったよ。いや^運が良かった」
とも言わないのは、利益は伴うが偶然ではないからでしょう。
 

この回答への補足

なるほど

ではhakobuluさんは私の言った

>・自分の予期せぬことより干渉してくる予測不可能なモノ

と同じような考えでしょうか?

補足日時:2008/08/03 21:09
    • good
    • 0

>・因果関係の解析が困難、又は不可能なものにおいて、その解析を放棄した際に使われる逃げの表現


>・自分の予期せぬことより干渉してくる予測不可能なモノ

どちらも的外れ。
運でないもので、因果関係がはっきりしているもの、予測可能なもの
ってなんですか?そんなものがあれば列挙してみてください。

この回答への補足

え?はぁ…

2つ並べて比較しますが、

無人島に漂流してる人が2人いて、それぞれ名前がAさんとBさんだとします。
ただし2人は同じ島にではなく互いに500mほど離れたところにある島にそれぞれいて、漂流した理由も違うとします。

Aさんのいる島にはなんと通信機みたいなのがありました。
Bさんの方は本当に何もなくBさんは何もせずに諦めていました。


Aさんは通信機を使って救援を呼びます。
まもなくヘリコプターが到着しAさんは助かりました。

これが運でもなく、因果関係がはっきりしていて予測可能なものです

Aさんは救援を呼んだのですから助けに来ることはもちろん予測可能


このヘリがついでにBさんも発見しBさんも救出しました。
Bさんはヘリが来るなんて知りませんでした。つまり予測不可能
もとよりAさんが近くに漂流してないと助かっていません。

ヘリの中でBさんはこうつぶやきました
「運が良かった…」と


あなたの言う
>運でないもので、因果関係がはっきりしているもの、予測可能なもの

の例をあげました。無論Aさんにとっての救援のことです。


これでいいんですか専門家さん

補足日時:2008/08/03 19:30
    • good
    • 0

「運」というのは「偶然」のひとつの形態ではないでしょうか。


単なる「偶然」ではなく「運」と呼ぶのは、そこに何らかの『利という要素』が介在した場合ではないかと思います。

「まさか君とあいつが知り合いだったとは。いやぁ運が良かった」
という場合、
両人が知り合いだったことによって(誰かにとって)何らかの利があればこそ「運(が良かった)」という言葉が用いられるのでしょう。
そうでない(利がない)場合には、
「まさか君とあいつが知り合いだったとは。いやぁ偶然だね。」
となると思います。

「運」とは「何らかの利(害)が関与している偶然」という気がします。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

ええとでも偶然も問い詰めれば因果関係が出てきますよね?

あ、それかギャンブルなどにある確立のほうででしょうか?

お礼日時:2008/08/03 19:44

歴史的/時系列的事実の中で、決定論もしくは、(その対案として)確率論的に起ち現れる・・・生起の可能性が低いにもかかわらず、人間関係もしくは、自己の身に現象として起こる・・・事象の表層的本質(その原因)。

そしてその現象への「主観的」実感。

自由・意思・自力・決意のプリオリティーとは、相容れない仮説的概念。事後処理的に史実・現象を説明しようとする場合のもっとも原始的で平易な手法。人を傷つけない為または、謙遜の為の社交的「修辞」である場合もある。「遊びで勝って、現実で負ける」+「運を使い果たした」+「物欲センサ」等々、ギャンブル/ゲームにおける「運の計算論理」を例にとるまでもなく、断片的思考に固有の主観的傾向性。

(良/幸/悪)運は、普通、幸福に含まれる (それに対し、運が悪いと表現した場合は、不幸へ対応) 。内容的解釈の際、実感的「運」の前提は、語源的にアナクロニズムの占星術的決定論(運命)である場合が多い(用例=運気/運勢等)。そうでないケースでは、数学的確率論が「形式」的に持ち出され、「基礎付けを伴わない未分化な決定論の言い換え」=俗称としての「擬似的偶然性」が必ず表裏一体で付随する(少なくとも意味論を抜きにした「偶然性存在」への漠然とした信仰である)。

自覚/意識という範疇を考察するとき、哲学的には、必然性と対比される。

参照:「運」の有効性
「たなぼた」の勝利 VS 勝つべくして勝った
アイテムの「ポロだし」 VS このアイテムが出るまでやる

注)質問文中・・・因果関係解析の可能不可能について

「運」は、「常人の予期せぬことを予知できるなにものか が 存在する」こと=ある種の懐古的権威主義を 前提とする概念。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます!

ええとすみません
あなたの意見としての「運の定義」はどこにあるのでしょうか・・・?

お礼日時:2008/08/03 19:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す