

ありますか?
世は 理性信仰 つまり 理性なる神 理性という神が はびこっているところへ その観念なる神は観念なる神であるに過ぎないと指摘しつつ 観念の神は死んだと言ったのではないでしょうか。
つまり そんな神は もともと 死んでいるというふうに指摘しなければいけなかったのではないか。
そこを そうではなく わざわざ その観念の神を克服しなければならないと思いこみ そのためには 《自然 大河 あるいは 超人であれ》と わざわざ 説くにいたった。・・・
これでは すべてが コップの中の茶番劇であるのではないでしょうか?
ほかに ニーチェにいいところは ありますか。
No.3
- 回答日時:
学生のころ、荒んだ私の心に優しく寄り添ってくれたことです。
神は死んだ。お前は自分としてしっかり生きよと励ましてくれました。
随分助かりました。
ありがとう。ニーチェ・・・・
dulatourさん ご回答をありがとうございます。
そうですか。そうなんですね。つまり おっしゃるようなニーチェ体験は かなり多そうに受けとめています。
水を差すかも知れませんが 真実は こちらにあるという自負において あえて お尋ねしてみます。ご回答は ご自由です。
★ 神は死んだ。お前は自分としてしっかり生きよと励ましてくれました。
☆ という体験のあと つまり 励まされたあとのご自分において 神は生きているというふうに捉えることは なかったですか? まやかしの神が死んだのだと気づくという後知恵のようなことですが。
そうでないニーチェ理解は わたしには 解せないのです。つまり 百八十度 反応や対応が わたしは 多くのニーチェ読者と異なるのです。
参考にします。ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
>ニーチェの良いところをおしえてください
う~ん、こういう問題を話題にするときには、まず、質問者さんにとっての「良い」の尺度をお示しになった方が良いかもしれませんね。
どんなに立派な言説でも、後世から眺めれば、所詮コロンブスの卵のようなところがありますからね。
それよりは、質問者さんにしても、私にしても、当時ニーチェに痛罵された人々と同じように、各自の身丈に応じた神の亡霊に取り憑かれながら、こうしてささやかな人生を営んでいることの方がはるかに面白いとは思いませんか。
思うに、ニーチェは、間違いなく一種の大魔神に取り憑かれたがために、つまらないキリスト教の神に取り憑かれている人々の奴隷根性に我慢できなかったのではないでしょうか。
ということで、質問者さんも「ニーチェのいいところは?」などと、つまらないことを考えるよりは、ご自分の全存在を委ねるにふさわしい魔神(偶像)をお探しになった方が賢明かと思いますよ。
kadowakiさん ご回答をありがとうございます。
なるほどと思うところと いや わたしは 方向が そこでは違うと思うところと。・・・
少し角度がちがうかも知れませんが こうも考えます。つまり 《超人》を言うことは 単なるキャッチコピーでないなら つまり 或る程度は 現実だと言うことでしたら それは 余計な思想ではないかと思っています。ふつうの生活態度でいれば 《神の亡霊》は たとえそれに取り憑かれていたとしても 神の亡霊だとわかるはづです。それを 克服するために 超人だなどという思想を掲げるというのは 間違っています。ありえないと考えます。いやしくも思想というならです。
★ 思うに、ニーチェは、間違いなく一種の大魔神に取り憑かれたがために うんぬん
☆ ということだと わたしも思いますが たとえば この《ルサンチマン》にしても そのことを指摘することと 思想として提出することとは 雲泥の差があるはづです。そういうふうに捉えて論じる文章に出会っていないので そのことには 立腹します。
と言っても それだけのことですが 時に応じて・きっかけに応じて この立腹は 頭をもたげて来て 結構――休火山でもないでしょうに―― 活動しているようです。
すなわち わたしの場合は
★ 自分の全存在を委ねるにふさわしい魔神(偶像)
☆ から いっさい 自由でいるという魔神に取りつかれているようです。この方向が 少し ちがうようですね。
おっしゃるように 偶像から全く自由であったとした場合 そういう反偶像に取りつかれているのかも知れませんね。ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
>ほかに ニーチェにいいところは ありますか。
哲学的な回答ではないですが、良いですか?
1.ワーグナーなどに心酔しながら袂を別れ、孤高的人生を歩む
(浪花節の日本人に受ける)
2.晩年、発狂してしまう。
(破滅的人生を歩んだ人は、やはり日本人の心をくすぐる)
3.生前評価されなかったが、死後そして現在に至るまで彼の残した言 葉が有効であること。
(特に、『反時代的考察』など。)
4.世界を客観的真理の探求の場と考えず、ルサンチマンと言う概念で 「人間の心理」から世界を解釈しようとしたこと。
5.彼の予言が当たっていること。
「私が予言するのはこの先2世紀のことである。ニヒリズム。」
momonga14さん ご回答をありがとうございます。
そうですね。そうですか。
まったくストレートに反応していいですか?
1と2は 問題が 別ですね。趣味の領域と言いますか。
5は 思想にかかわっていますが これだけでは 《有効》だとは言えませんね。ニヒリスムは 現実的な思想への迂回過程であると考えています。
4は
★ 客観的真理の探求
☆ が 《理性信仰》の問題だと理解します。ので それに対して 批判的な立ち場に立つことは わかります。分かるのですが それだから 《客観的真理の探求》ではなくて 理性信仰の淵源が 《ルサンチマン》にあるというのは 一面的であるように考えます。
それは ルサンチマンを感じなかった人はいないと思われますし そこから 虚構の世界における解決を 物語のように編んだとしても そこまでは ふつうのことであると考えます。外から中に入って来たものとしての《心理》 情況の中にいる登場人物そのものとして味わう《心理》 これが さまざまに湧き起こり 持たれたからと言って どうだというのも 思想として 有効なのか わたしは 疑問を持っています。
3ですが これは 残念ながら よく中身がつかめません。つまり 全部を読んだとか分かったとかには至っていませんと告白せざるを得ません。『反時代的考察』などですね。留意します。
率直にお応えしました。何かのきっかけで 思い出して その展開があるかも知れません。ないかも知れませんが ありがとうございました。
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