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が無ければ事実上実施、練習できないスポーツは五輪から外すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。
そうでないと経済格差がほぼそのまま競技の国別の順位になってしまいますし、それ以前に、国によっては競技者が皆無で、出場すらできない競技もたくさんあると思います。
このような状態で国別による参加で競技大会を行うことは明らかに不公平だと思うのですがどうでしょうか?
五輪の基本理念は「肉体」を使っての能力、技術を競い合うことだと思うのです、もちろんどんな競技も用具、施設を使いますがそれがあまりに高価で大規模なものになると、それを用意すること自体が経済的に困難な国がまだまだ多くあることは事実です。
紛争、内政問題等で国民が、単に「生きる」ことだけでやっとの国に
その様な用具、施設を用いる競技ができるでしょうか?その前にそんなことをやろうとする動機付けすら存在しない環境なのではないでしょうか?
私はすべての価値観をそれらの国に「合わせろ」と言っているのではありません、しかし世界中の人々が一同に会して行う競技大会において
競技を行う以前の社会的、経済的な「公平さ」のラインをどこに持ってくるのかをもう一度考え直しても良いのではないでしょうか?
皆さんのご意見をお聞かせください。

A 回答 (7件)

高価な道具、施設というのが何を指すのかわかりませんが、


私は逆だと思います。
オリンピックには単に優劣をつけること以上に、スポーツの普及という目的があります。
シドニーに出場したアフリカの水泳選手が、オリンピックの会場で初めて50mプールを見た話は有名ですし、
雪の無いジャマイカから冬季オリンピックにボブスレーチームが出場したこともあります。
これって凄いことだと思いませんか?
オリンピックは「参加することに意義がある」大会ですから。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
>>高価な道具、施設というのが何を指すのかわかりませんが、
顕著なものではヨットや馬術、次回から外されますが野球です。
>>オリンピックは「参加することに意義がある」大会ですから。
  本来の意義ですよね
しかし競技ですから「それだけ」ではいけないと思うのです。
やるからには勝ちたいと思うのが選手の偽らざる心境ではないでしょうか?
その為のできる限り公平なバックグラウンドを作る必要があると思うのです。

お礼日時:2008/08/16 16:43

>紛争、内政問題等で国民が、単に「生きる」ことだけでやっとの国にその様な用具、施設を用いる競技ができるでしょうか?



いつかは平和で富んだ国になって、五輪の舞台に立ち、自分たちの国旗をセンターポールにあげたい、というのは立派な動機づけになるのでは?
「稼いでああいう用具を買いたい」「立派な競技場を建てたい」「いつかは自分たちも」という夢は必要だと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました
夢さえあれば豊かな国とどんな競技でも対等、いいえそれ以上に競い合えますよね

お礼日時:2008/08/16 18:29

>夢さえあれば豊かな国とどんな競技でも対等、いいえそれ以上に競い合えますよね



五輪も前半が終ろうとしていますが、すでに60ヶ国ぐらいがメダルを獲得しています。

http://beijing.yahoo.co.jp/medal/world

その中にはキルギスやアルメニア、タジキスタン、トーゴといった、決して裕福とは言えない国が含まれています。やはりハングリー精神は必要ですね。
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 野球までが、高価なスポーツに数えられるとは思いもしませんでした。


ちょっとハードルを下げすぎではないでしょうか? 整備された社会
インフラが必要なほどハードルが高い競技ってほとんどありません。

 ものすごくお金が掛かるスポーツでは、F1を筆頭とするモーター
スポーツが挙げられます。もっともモータースポーツでは国別対抗と
いう概念はありまえせんよね。基本的に企業スポーツだからでしょう。

 ともあれ、「 一部の最貧国が参加できないので五輪から外します 」
なんて言われたら、その国の国民は悲しい思いをすることでしょう。
質問の意図はわからないでもありませんが、結局は富める国の国民が
無意識に持っている、上から目線による考え方だと思いますね。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました
野球用具一式をそろえるのには相当なお金がかかります
バット、グローブ、ユニフォーム、ボール、シューズどれも高価なものです
練習はどうでしょう?その辺の野っぱらでもできると言われますか?
では日本代表も立派なグラウンドや球場など一切使わず、石がごろごろ、草ぼうぼうの野っぱらをみんなで力を合わせて人の力のみでハングリー精神で整備するところから始めてみてはどうでしょうか?もちろん野球ばかりするのではなく、昼間は生活費を稼ぐために働いてです、できますか?
その日の糧を得ることさえ困難な国の人々にとっては野球のボール一個のお金さえ出すことは困難だと思います
富める国の国民の上から目線
違います
世界中の人々が一様に参加でき、競い合うことができ、そこに世界最高の権威と崇高さを持つ大会であるというのなら、
まず何よりも「すべてにおいてフェアであれ」と言いたいだけです
現状はそれとはかけ離れていると私は思うのです

お礼日時:2008/08/16 21:07

> 昼間は生活費を稼ぐために働いてです、できますか?



 何のために? 意味がわかりません。では陸上競技の選手は
一周400mのトラックを自分たちで舗装するんでしょうか?
バレーやバスケなら、板敷きの体育館を自分たちで建てないと
ならないのでしょうか? 50mプールを自分たちで作るなんて
不可能ですから、水泳も五輪から除外ですか?

 なぜか野球をやたらと目の敵にしているみたいですが、決して
裕福とはいえないドミニカやキューバ、ベネズエラにもちゃんと
リーグがあって、球場も整備されています。バットやグローブを
高価とあげつらうなら、サッカーもピッチの整備は簡単ではない
ですし、野球よりはるかに消耗が早いシューズが何足も必要です。

 もしや、発展途上国のサッカー選手が、野っ原で練習している
と思ってはいないでしょうね? 五輪代表レベルならまともな
ピッチでガッツリ練習していますよ。だから野球の話で野っ原が
出てくるのが、そもそもおかしいのです。

> 何よりも「すべてにおいてフェアであれ」と言いたいだけです

 だから、あなたの言う「 フェア 」が、上から目線そのものです。
五輪という、参加するだけで誇りになる大会を、低い経済レベルに
あわせてしまい、その他の競技は「 金持ちクラブ 」としてやれば
いいということですよね。金のない国の人は、それらの競技に参加
しなくていいよ、ってことですよね。まさに上から目線です。

 そもそもスポーツの国際的普及には、先進国の努力が必要です。
日本はアジアに野球を広め、予選にはタイやインドネシアなどの
東南アジア諸国が参加しています。柔道では昭和40年代からアラ
ブ諸国や中央アジアに指導者を派遣し、畳( 海外では高価 )も提
供しています。こうやって世界に広めるのが先進国の責任です。

 翻って最貧国が集まるアフリカは、責任を持つべき旧宗主国=
ヨーロッパ諸国が、スポーツ振興をほとんど手がけていません。
せいぜいサッカーと、あとは英連邦だけで普及しているクリケッ
トくらいでしょうか。ですから五輪の種目に文句をつける前に、
旧植民地をないがしろにするヨーロッパ諸国に文句を付けるのが
はるかに先ですね。
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NO4さんへの回答のお礼で言っている



では日本代表も立派なグラウンドや球場など一切使わず、石がごろごろ、草ぼうぼうの野っぱらをみんなで力を合わせて人の力のみでハングリー精神で整備するところから始めてみてはどうでしょうか?もちろん野球ばかりするのではなく、昼間は生活費を稼ぐために働いてです、できますか?

不公平ってことを主張したかったのでしょうけど
競技を行う以前まで公平を求めようとするってのはそういう環境まで同じにするってことです

はっきり言って全ての競技が競技前の環境は不公平です
例えばマラソンなんか一見平等に見えますが一年中雪で覆われているような国は不利で、標高の高い温暖な気候の国は有利です

経済力の差のほかにも気候の差、普及度の差、情勢の差など不公平なことは色々あります

要は競技を行う以前にまで公平を求めていたらキリが無いのです
不公平だから五輪種目から外すって言い出したら何の競技も出来なくなります
経済的な差にだけ公平を求めると言うならそれこそ不公平です
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  オリンピックの理念はよくわかりませんが、私はむしろ五輪を見て、国力の祭典という色合いを感じました。

五輪の出場選手の環境を公平にする云々ではなく、五輪という場は、まさに模擬的な世界戦争なのでは?(というとアホだと思われそうですが)
  ところで、質問者が、困窮した国ではでは練習が困難なスポーツは外せというのと同じ論拠から、五輪のためのインフラ整備に資金を貧しい国に配分しろという主張も導出しうると思いますが、なぜそうした結論にはならないのでしょうか。
  また、質問者は競技を行う以前の「公平さ」を言っていますが、オリンピックの「公平さ」とは、まさにその場で、同じ条件で競技をするということにつきると思います。つまり、どんな手段を使うにせよ、条件内で勝てば勝ち。インフラや高価な用具がなければ、と言われますが、果たしてそうでしょうか?競技によると思いますが、例えば先進国のようにプロスポーツ選手として養われ、科学的なトレーニングをした結果と、後進国で日常的な労働や生活で鍛えられた肉体が出す結果というのは、必ずしも前者が勝るということはないのではないでしょうか。あと、日本国内でも競技によって、練習の環境(経済的な環境)が違うということも言われます。
  問題があるとしたら、練習手段の公平ではなく、世界経済の不公平にあると思います。。オリンピックは質問者が恐らく思っているほど世界のナンバーワンを決めるキレイな場ではないと思います。(もっともそういう理念をもって見たいですけどね。。。)
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