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人は何のために生きているのでしょうか?
誰もが1度は考えたことのある悩みを抱いている大学生です。このことを考えていると、他のことなどどうでもよくなり、こんなことをして何の意味があるのか?とすぐ考えてしまいます。何か打ち込める趣味でもあればいいのですが、こんなものにハマっても仕方がない、と考えてしまい、自分でも何がしたいのかよく分からなくなります。この悩みの答えを見つけ、この状態から早く抜け出して昔の様に楽しく1日1日を過ごしたいです。
このことを考え始めてから自分では相当勉強(特に物理学)し、考えたつもりです。
まず、現在の僕の考えを箇条書きで書かせていただきます。
・やはり答えというものは普遍的で誰もが納得するものであるべきで、自分が納得できる答えもそういうものだと信じています。
・科学的根拠のない神や死後の世界、魂が出てくるような仮想的な話は馬鹿らしいです。
・宗教的な話も全く納得できません。
・答えなどない。人は悩むために生きている。といった回答は答えになっていません。
他の同じような質問も見たのですが、上のような回答が多いと感じます。

ここでこの悩みの答えが見つかることは思っていませんが、答えに近づけると考えています。
みなさんの考え、この悩みのヒントになると思われる本や思想を教えてください。

A 回答 (107件中41~50件)

あなたの遺伝情報の器にある意識は、「あなたでなくてもよかったのに」。


なぜあなたなのでしょう。
わたしがわたしでなくてはならなかった理由がわかる日が来るといいですね。

物理学専攻の大学生でしょうか。ぜひ、量子重力の解明に迫ってもらいたいものです。
それによっていつか、現実と非現実の定義、存在と非存在の定義、
現象の定義、生と死の定義を書き換える日が来るかもしれません。

>・やはり答えというものは普遍的で~
>・科学的根拠のない~
>・宗教的な話も~
とおっしゃるけれども、普遍的で万人を納得させるものというのは、仕組みの部分、機序の部分にのみ可能なのです。
つまり、科学が問いえるのは「人はどうやって生きているのでしょうか」ということです。
物理学でもおわかりと思うのですが、「なぜ」に対する答えは「いかに」で得られます。
ご承知のように、いまなお、人の生というものは、生理や生態しかわかっていないわけです。生理や生態についてはほぼ、万人の認識の共有に達しています。

さて、わたしたちの脳は、現実、存在、現象、生といった事項の何一つ、他者と共有していません。
他者と共有できるものは、物語でしかない。認識の叙述でしかありません。
わたしたちの科学は、ある条件下の暫定的な事実について、約束ごとや了解ごとを共通の認識とし、叙述します。
共通の認識には、文化、記憶の背景に近い間柄があります。
仮想的な話や宗教的な話は、やみくもに存在するわけではありません。
「真理」や「意図」や「目的」に関して、人々が先験的に持つイメージが、世界中のさまざまな文化にあります。
そこに多種多様な一致があり、長い時間と広い地理にわたって体系づけられているのです。

あなたは物語を一方で望み、別の物語を一方で排除しているにすぎませんね。
でもそうやってわたしたちは物語を選択して認識という自分の劇場を作り上げているのです。
だから、「何のために生きているか」はあなたにおいて、あなただけが決めることであり、ちっとも普遍的な問題ではないのです。
あなたの生を、ヒトの種という問題に帰してしまっては「あなたでなくてもよい」のですから。
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重要なのは答えではなく問題のほうです。



>人は何のために生きているのか?

なぜそのような問いをするのでしょうか。

>昔の様に楽しく1日1日を過ごしたい

昔はそんなことは考えもしなかった。
であるなら何かの理由で『生きるとは』という問いをしたのですから
回答とはその問いをした理由に対する回答でなければいけません。
そうでなければ『理由』は納得しません。
つまり、『生きるとは』という問いは2次的な問いです。

心理的な問いに対して哲学的な回答では問いと回答がかみ合いません。
これは哲学の落とし穴です。
質問者にその自覚が無いため、全ての回答に納得できないのです。

なぜそのような問いをするのか。
結局それが『なぜ生きるのか』の回答となります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>心理的な問いに対して哲学的な回答では問いと回答がかみ合いません。
これは自明なことがらですか?
そうであるなら、このことに関してはよく考えなければなりませんね。

お礼日時:2008/09/15 22:26

 No.8&32です。



 生きる目的を どうしても特定せよということでしたら

   意志疎通の成立を図り これを維持すること

これを 提案します。いわゆるコミュニケーションのことですが 

   見解の相違を 互いに 受け容れて 共生を持続すること 

これです。ものごとの知解・解明と同じように 意志の発現とその表示およびそれらの互いの受容が 重要だと考えます。科学することと同等に 大事だと考えます。
 見解がちがっても 人びとは 同じ社会に生きています。存在のことを 意志によっても 対話をとおして 異者をも含めて 相互に受容すること これが 生きる目的です。
 家族・友だちを超え 同じ同胞をも超えて 共生できるといいでしょう。そのあと――という意味は 同時並行して でしょうが―― 大いに自由に 世界の探究に臨めばよいでしょう。
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かなり拒否ってる事項が多い質問ですね。



だったら、こんなのどうでしょう?
あなたはどんな時に喜びを感じるでしょうか?

人は苦痛から快楽へと活動する性質を持っていますね。それが生命を維持させているとも言えます。それが生命の原理ではないでしょうか。

あなたにとっての苦痛、又は快楽をあげつらって、体系化して見られたら如何ですか?そこから究極のものを見出し、それを目指して生きれば良いではありませんか。

これはいくら勉強してもそれだけじゃ到達できないですよね。内省、自己洞察の世界ですよね。その作業が必要なわけです。
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生きるって死に向かって行ってるって、よく言いますよねぇ?


抽象的ですが確かに、現実にそうなんだと思います!
でも、ただ生きるんじゃなく「活きる」・・
今、学生なら就職して(これは生きてく為には必須ですよね?)
結婚、出産(男性なら家族を守るとか)、子供の結婚、定年退職・・って年になって自分のすべき事がなくなった時に、いかに
退屈な時間を持余さず過ごせるか?が今、活きてる意味だと私は思っています。
私は介護事業を営んでいますが大半の高齢者がTVが友達という寂しい余生を過ごされています。
趣味・・特になくてもいいと思います。でも自分本位でなくても広く浅くでも何にでも挑戦、参加して行く内に趣味になる物が見つかるかも知れないし、その事自体は好きになれなくても知り合う人、知りえた情報が貴方を変えるかも知れない・・可能性はゴロゴロしています。追い求めている間は気付かないと思うし人間の生き方に納得できる答えなんて有り得ないと思います。
生き方・・幸せか否かって自分の価値観が決めるものでしょ?
今の自分を好きになれてますか?自分のできる事を精一杯してれば少なくとも納得のいく年の重ね方はできますよっ!
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NO.37です


 どうも質問文のニアンスとやり取りを見ていると意味を無い事にしてやりたいという願望が強いのかもしれませんねー、つまり質問者さんの意味が無い事にしてやりたい願望に敵うぐらいの理由があるなら認めてやるがそれ以外は認めてやらない、さあこれに敵うぐらいの本や思想はあるか?というのが本音なのかもしれませんね、なのであなたにとって認められるものでなければやはり折れないというのがあなたの精神的な状態なのかな?という気がします、やはりそうするとあなたにとってのなにかなので、それに見合うものがでてくれば別ですがあなたの意味を無い事にしてやるというモチベーションを越えるものは難しいかもしれませんね、しかしやはりそれを越えるものといえば自分の定義の次元を解明すること、これが越える可能性のある方へ導く可能性がでてくると思います、なにかしらそのような精神性を感じるというのはある種高次への移行だという感じもしますのであなた自身そう思うのが良いと感じるならばそうしたほうが良いように思いますがとりあえず哲学カテなので哲学的にいえばあなたの内面性の次元に見合うものはあなたがそう感じたものそのもだと考えます。意味が無いと感じる方が維持されるか気持ちが変わって意味を感じる方が派出するかは分かりませんがその答え自体あなたが定義的に納得出来る次元でなければいけないわけですから哲学的答えを出せばあなたの内面的次元に見合う回答が生きる意味だという事になると思います。
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科学ではまだ生の前、死の後の事は解明されていませんが、あなたは本当は存在していなかった筈がたまたま偶然生まれ、生き、死ぬまでの間いろんな事が出来るようになったのです。

その間に世の中の為に何かやってもいいし、自分の為に何かやるのもいいわけだし。
大きな流れとしては、人は(動物も)進化する為に生きているらしいのですが、個人レベルではそんな事は気にしなくても構わないでしょう。
(意識して進化しようとするならば物を見るのでは無く物を「感じる」ように心掛けて生活するのだそうです)
今、いろんな事が出来る世界に存在しているのですから、それだけでワクワクするようなすばらしい事ではないでしょうか。
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人は何のために生きているのか。



・生まれようと思って生まれたのではなく、気づいたら生まれていた。
・そこにまつわるありとあらゆる意味は無い。

あなたの仰る、何のために生きているのかということですが
生きる糧や価値を得ているもの、または得ようとしている者が生きています。
それがなく、全てに絶望した者は自殺しているか、生物的な行動をただ
とっているだけです。

生きる理由は自分で見つけるのです。
自分が死ぬと周りが迷惑する、悲しむというのも生きる理由です。
あなたはもう、生きる理由あるでしょう。
じゃなかったら今頃死んでますよ。
死にたくないんでしょう?それがあなたの理由じゃないですか?
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自分もなぜ生きてるか?と聞かれたら答えに詰まりますが・・・



強いて言うなら、「死ぬのが怖いから生きているのです」

こんな感じです。
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他の人にも同じ質問をされたことがあります。


そのときの答えと重複しますが、周囲に評判がよかったので、お伝えしますね。

人はなんのために生きるかって・・・
「そんなの、死んでみなきゃわから~ん!」。

私たちは、一生をかけて、それぞれで、生きる意味を模索しています。
こうじゃないか?と思って実行し、そうかも知れないと確信したり、いやいや違うかもと別の道を探ったりしています。
つまり、人生そのものが、生きる意味を探すための、およそ80年間の歳月をかけた、壮大な人体実験なわけです。

そして、その実験の集大成、ようやく結論に至るのが、臨終だと思います。

ですから、生きる意味をお教えしたくても、それはむつかしいことです。
かく言う私も目下、人体実験中(もうすぐ34年目に突入)ですので、それほど多くの証拠を集めているわけではなく、よって、推測だけで結論をお伝えすることはできません。
かと言って、真実をご存知の方は、皆さん、鬼籍に入られています。

生きる意味は、ご自身で、寿命を精一杯活用し、人体実験して結論を導き出すより他に、得られないようです。

では、お互いにシッカリ実験し続けましょうね!(^^
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