いちばん失敗した人決定戦

人は何のために生きているのでしょうか?
誰もが1度は考えたことのある悩みを抱いている大学生です。このことを考えていると、他のことなどどうでもよくなり、こんなことをして何の意味があるのか?とすぐ考えてしまいます。何か打ち込める趣味でもあればいいのですが、こんなものにハマっても仕方がない、と考えてしまい、自分でも何がしたいのかよく分からなくなります。この悩みの答えを見つけ、この状態から早く抜け出して昔の様に楽しく1日1日を過ごしたいです。
このことを考え始めてから自分では相当勉強(特に物理学)し、考えたつもりです。
まず、現在の僕の考えを箇条書きで書かせていただきます。
・やはり答えというものは普遍的で誰もが納得するものであるべきで、自分が納得できる答えもそういうものだと信じています。
・科学的根拠のない神や死後の世界、魂が出てくるような仮想的な話は馬鹿らしいです。
・宗教的な話も全く納得できません。
・答えなどない。人は悩むために生きている。といった回答は答えになっていません。
他の同じような質問も見たのですが、上のような回答が多いと感じます。

ここでこの悩みの答えが見つかることは思っていませんが、答えに近づけると考えています。
みなさんの考え、この悩みのヒントになると思われる本や思想を教えてください。

A 回答 (107件中41~50件)

万人に当てはまる答としては三つあります。



一つ目の答は他の方が書いているとおり子孫繁栄です。人間をひとつの生物として考えればこれはわざわざ説明するまでもないことですね。

二つ目の答は「解なし」です。「『答えなどない』という回答は答になっていない」と書いていらっしゃいますが、数学では「解なし」というのが答になりえるのはご存じですよね。「全ての集合に共通な集合は、空集合である」というのと同じです。

三つ目の答は「死ぬため」です。「すべての人間はXに生きている」という回答があったとして、Xに「愛のため」や「お金のため」などを入れても、そうでない例を示してそれを否定することは可能ですが、「死ぬため」であれば万人に当てはまるので否定できません。


ただし、これは個別の人間について、それ以外の解がないことを意味するわけではありません。「全ての正の整数の公約数は1しかない」というのは正しいですが、だからといって、「任意の正の整数の約数は1しかない」かというとそうではないのと同じことです。
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突き詰めて言えば子孫繁栄のため、これは動物としての本能です。


人間なりの何かしらの科学や文明があったとしても所詮は動物ですので
蟻や犬、猫とたいして変わりません。
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>・やはり答えというものは普遍的で誰もが納得するものであるべきで、自分が納得できる答えもそういうものだと信じています。


「普遍的で誰もが納得」というのが「すべての人に当てはまる」という意味であれば、この問題については、それはないと思います。
お若い方はそういう事を考えるのかも知れませんが、こと人の考え方、生き方について正解といえるものは何もないと思って良いと思います。
私は2人子供を産んでいますが、産まれたというのは産まれた以外の何でもなく、単なる事実です。植物が種から出て来るようなもので、本人の意思も無関係、場合によっては親の意思ですらありません。
すべての人に共通しているのはここまでと、いつか死ぬことだけです。あとは一般的にすべての人に当てはまる事など何もありません。
もしそんなものがあれば今までどこかで真理化されて格言として残っているはずで、「目的を探すのが目的」みたいな本末転倒した発想が出る訳もありません。
本能により生きるのだ、と言ったところで、じゃ自殺する人はどうなるの?という事になります。動物なら本能だけでエサを食べて生きますが、人間は複雑な心と社会を持っていますので、何もしない状態に退屈や不安を覚えます。それで何かをやり始めてまたそれが喜びや負担の元になる。それだけだと思います。
生きている事が先にあり、じゃあこれをどうしようかな、というのが順序でしょう。それ以外の意味などないと思います。

物理学を勉強されたとの事ですが、質問者様はどういう切り口の答えを聞きたいのでしょうか。今ここに地球人が生きている事に何か宇宙規模での意味があるのかという事なのでしょうか?

この回答への補足

>今ここに地球人が生きている事に何か宇宙規模での意味があるのかという事なのでしょうか?
そうですね。もし答えがそういうものであれば、嬉しいですね。
人間も宇宙の1部なのですから。

補足日時:2008/09/11 00:51
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人は何のために生きているのか?



という問いに対して、私は自分なりの仮説を立てて、納得しています。
結論から言うと
「人間引いては宇宙全体が永遠の存在になる」ために存在していると考えています。

その根拠となったのが、
人間や生き物は、「種の存続」を義務付けられているということです。
例えば、
人間は子供が生めるような構造で生まれてくるし、
ダーウィンの進化論である「進化」や、「突然変異」は
新たな環境へ適応することで種の存続を図ろうとする機能です。

つまり、どうやら、生き物というのは、何らかの形で存続していくことを期待されていると言えるのです。

では、「種の存続」というのはどういうことを意味するのか?
それは「その種の永久性を保つ」という作業に言い換えることができます。人間も種という観点から見ると、人間が初めて誕生してから、一度も死ぬ(絶滅する)ことなく続いています。
潜在的に種は永続性を求めているのです。

同じことが宇宙全体にも言えると思います。
確かに宇宙や地球などは生き物ではありません。
しかし、実は生物と非生物の違いは何か、というのは定義が難しく、
自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性維持能力という3つの能力をもっているのが特徴などと言われていますが、

よく考えるとこれって、人間という種に当てはまる要件を挙げているに過ぎませんよね。
これだけ広大な宇宙の中で人間が便宜的に考えた指標だけで、生き物か生き物じゃないかを考えるのはいささかナンセンスです。

実際に、地球全体が1つの生き物なんだとする、ラブロックが唱えた
「ガイア仮説」なる理論もあるくらいです。
ご存知のように、惑星にも誕生のときがあるし、死ぬ時がある。
(科学者の方も惑星の「寿命」などと表現している)
どこかの惑星が燃え尽きても、どこかの空間で分子雲が集まり、
超新星爆発で新たな惑星が誕生する。

まるで、惑星が、惑星という種を残すように活動しているように
見えませんか?

そしてそれだけでなく「宇宙にも寿命があり」ます。
ビッグバンで誕生した宇宙は、どのような終端を迎えるのか議論はあるものの、一応「終わり」がある。

終わったあとも、「無」という存在になるが、物理学によると絶対的な無というのはなく、そこから新しい宇宙が生まれる可能性があるそうです。

結局のところ、人間と同じように、宇宙も惑星もそれ自体を種として見るならば、それを存続させようと活動している。
そして、
私はそれは、宇宙全体が永遠の存在になることを目指しているのではないかと考えるのです。
宇宙の生まれたり・死んだりという行為は、手間がかかり、それが少ないほうが良い、むしろ無くなって、その存在そのものが永遠に続くと
効率的だと思いませんか?

要は、永遠の存在だとそれ自体で完成しているのです、一切の無駄がない。そういったものになるために宇宙や私たちはあの手この手で
挑戦しているのだと思います。

だから私たちが生きるのは永遠の存在になる可能性を模索している
というわけなのです。意味があるのです。
上手く表現できたかは分かりませんが、私はこれで納得がいっています。

できれば一言でいいのでレスポンスをもらえたら幸せです、ありがとうございました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
生きている意味に種の存続を挙げる人が多いようですね。種を存続させることが目的だとは思いませんが、これは何かのヒントになりそうですね。
ちなみに超新星爆発は名前とは逆で星の最後の活動です。超新星爆発を観測した人がいきなり明るい星が見え、新しく星ができたと思ったことからこのように名づけたのです。
分かっていたのであればスルーしてください^^;

お礼日時:2008/09/14 08:22

こんばんは



symmetry5さんの熱意とそれに対する謙虚な対応を拝見し、初めてOKWEBに参加したいと思いました。

さて、「人は何のために生きているか」のご質問ですが、頭の悪い私には到底理解も説明も出来ないなので、質問文をだいぶ誤魔化して考えてみました。

まずは言葉を分解してみました。

・ 人は~
人は    : 全員(あなた+他人)
あなたは : あなただけ(ひとり)

・ ~生きているか
生きているか? 望んで生きているのではなく「偶々」この世界(時・環境)に生まれてきただけではないかと思えました。

範囲を狭め、表現を変えてみると
「あなたは何のために生まれてきたのか?」

この問いに答えることから出発するべきだと思いました。
(既に質問の本質からかけ離れ過ぎていれば、この時点で終了ですね。)

となれば、特に意味はない。
これが答えだとしたら虚しいですよね。

偶々生まれてきた世界で、自分が存在していたことを誰かに知って欲しい。こういう表現にすれば、少しは生きる価値を見出せるはずです。
更にそれに対して何故という問いかけを続ければ・・・ん、分からないです。(やっぱり虚しいという気持ちになるからでしょうか?)

ここまでが私の表現出来るレベルです。
あとは先人の偉い人の言葉やこの掲示板の書き込みを参考に考えてみてはいかがでしょうか?
何年もの年月を掛けてきた賜物ですから、きっといいヒントが見つかると思いますよ。

ちなみに私はミスチルの桜井さんの歌詞を参考に、それが何かを模索しているところです。
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この悩みのヒントというか


現在の私のとりあえずの「答え」への過程をコンパクトにまとめてみました。

私なりの解釈の歴史です。かなり独断と偏見に満ちた解釈もあるでしょうが、
参考にして下さい。

1 『不完全性定理―数学的体系のあゆみ 』(ちくま学芸文庫)
この本から数学というものはあくまで、認識としての道具なんだということを認識する。

2 『ソシュールの思想』丸山圭三郎
そして世界を記述する「ことば」というものもあくまで道具だと認識する。
が、人は「ことば」の呪縛から離れることはできない。
たんなる道具である「ことば」がどうして「客観的」な世界を説明できるか?
言葉の「恣意性」がそのポイントです。
これは物理を本業にしている人にも、考え方として十分役立つ本だと思います。

3 『野生の思考』クロード レヴィ=ストロース
いわゆる「構造主義」の本です。感情的ですが、私はこの本を読んでいる間は
「死の恐怖=人生の意味」を忘れることができます。
1、2関係の思考を合わせて、
「物事」には本質はない、ただ「関係」のみが存在する。と思うようになりました。
ずいぶんあっさりした記述ですが、このあたりのポイントは一生ものです。

4 『自明性の喪失―分裂病の現象学』w.ブランケンブルク
精神医学の本です。本質はない。自分という本質はない、自明性の喪失。
この本にいたるまで、ハイデガーやサルトルの存在論などいろいろ学んでみました。
symmetry5さんの頭がくるいそうになったら、それは自明性の喪失です。
心配しないで下さい。

5 カオス関係の本
やっと科学関係、ある意味健全な本です。w
4のような思考にあたって、では一体「自分」のような主体を生み出すには
どうしたらいいのか?私を希望へと導いてくれた考え方の本です。
カオスとは「決定論だけれども、予想できない」こと。
一見相反する思考だけれども、それは数学的にあるんです。
物理屋目指すなら必読。

6 『混沌からの秩序』I. プリゴジン、I. スタンジェール
プリゴジンはノーベル賞を受賞した科学者でもあります。
彼の思考の土台は「時間」です。熱力学や統計力学におけるエントロピー、
量子力学における時間の概念など、彼なりの解釈思考の深さは今も十分通用すると思います。
人生の意味など書かれていませんが、この本の行間にsymmetry5さんのモヤモヤを解消する
ヒントが隠されているかもしれません。

7 『ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
いきなりですが、今の私なりの答えが形作られた本です。
いわゆる5、6関係の本からは「自分」の主体を積極的に見出す可能性を感覚的には得ることができました。
でもそんなものは気持ちの問題でしかありません。
あくまで科学は科学なのです。では意味とは何か?

この本は「世界」はすべて情報である、という姿勢から書かかれています。

情報=意味と捉える。

この本であげられている例でいうなら、原子でできている岩も情報なのです。
ただこの原子は全く無秩序(6の本がメタファーとして役立ちます)であるから「意味」をなしていません。
量子コンピュータとのからみがここらへんで出現します。
そしてまた、セマンティックwebのような思考にも通じていく。
この本は次から次へと例があげられていきます。
意味を探求する姿勢は、形をかえども確実に日常生活に浸透しているのです。

とにかく私が思ったこと。それはこの世は「物質的には意味がない」のです。

だから次のような思考に近いかもしれません。

答えなどない。人は悩むために生きている。

でも少し変えてみます。
世界は物質的に意味はない。人は物質的である。
人は生きるために(物理的に存続するために)、生きている。

残酷ですが、私はこの世は無意味にできている、と考えています。
ではどのように「意味」を探求すればよいのだろう。

最後にあげる本は
『脳のなかの倫理―脳倫理学序説』マイケル・S. ガザニガ です。

これからの科学は脳の探求だと言われています。

この世は物質的には、意味がない。
脳は物質的だ。でもそこからどうして「責任」などの倫理が生まれるのか?
ぜひ読んでみて下さい。

回答者No.38さんもおっしゃる通り、新たな科学理論、パラダイムが生まれるかもしれませんね。
今もこの時間、一生懸命考え続けている人が世界中にいるのです。
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三田誠広「いちご同盟」という小説に、


どんなに頑張っても死んだら意味がないのではないか、
などといったことに思い悩む少年が描かれており、
中学生のころからこの質問と同じことを悩んできました。
いろんなアプローチで考えてみるのですが、
最初にトライしたのは、やっぱり、因果関係で説明できるもの、「人が生きていることによって(将来でも現在でも)○○○○になる」というものが分かればいいなと思ったのですが、どんなに他の人に影響を与える偉業をしたとしても、地球にも寿命があったり、宇宙にももしかしたら寿命があるかもしれない以上、地球や宇宙が滅んだら無意味なんじゃないかなぁと、思ってしまいます。
次にトライしたのが、同じ因果関係での説明を試みるにしても、人間だけ特別と考えるのをやめにして、他の植物や動物と同レベルで生きる意義を見出せないかとも思ったのですが、明確なものといえば遺伝情報を核としてその周辺情報と共に後生に引き継ごうとする自然の摂理くらいで、地球や宇宙の滅亡可能性を前にすると大して意味があるとは思えませんでした。
こうしていくと、因果関係的なアプローチというのは、人間の期限と宇宙の滅亡可能性がはっきりしない以上、どうしても証明しづらいのではないかと思ってしまいました。
そこで、少し手抜きをして、人間の行動パターンと万民への妥当性といった現象面から推測するに、どうしても、他の誰かが仰ってたように、人は「幸せ」を追求して生きているとしか思えないような気がしてきました。性欲や食欲といった欲求から、他者の幸せや学問的追求によって得られる喜びに至るまで、誰もが「幸せ」を求めているような、そんな気がします。自殺する人についても、より幸せになるために死ぬんだという説明ができるのと同様に、生きていてもより幸せになる道がないから死んでしまう、という説明ができるので、矛盾しません。更に、他者や周囲の世界に何の影響も及ぼさずに死にゆく人でさえも、生きている間は幸せに向かって生きようとしていると理解できるので、その人の生も無駄ではないと説明できると思うのです。
そこで、僕はとりあえず「幸せになるため」という答えを持って生きているのですが、その先の、何故「幸せ」が目的たり得るのか、という答えについては、依然未解決なままです。人それぞれが幸せになったりそれを目指したところで、何になるのか?これは、やっぱり人を創った万物の真理なのか神的存在なのかは分からないけれど、物質の本当の起源や終末についての研究を進めなければ解明できないのかもしれないな、と、そんなことも思うくらいです。下らないことだけど、生を授かる前に、誰かから「自分なりの幸せを見付けてきなさい」と課題を与えられて送り出されているんじゃないか、などと非科学的なことを考えてしまう始末で、情けなくなります。そして、因果関係の糸をたどったその先は、僕の生きている間は見えないのかもしれないな、とも思い始めているのです。
でも、一応上記の中間的な回答を得られたことで、今はとりあえず自分が幸せになれると思う目標を見付けて頑張っているところです。
引き続き心のどこかで考えつつ、こういうページを眺めて参考にさせてもらっています。
この質問を出してくれてありがとうございます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
前半までは僕と全く同じ考えです。しかし、いまだその幸せになるために生きているなどの別の考えに移ることができません。これからも考え続けます。

この質問が他の人のためにもなっているなんて考えていませんでした。役に立ったと評価してくれている人もいますし、嬉しいです。

お礼日時:2008/09/11 21:02

理系の人は思慮深くてストイックでかっこいいとは思うよ。



でも、

君は本当は、人生の答えが欲しいのではなく、

愛すべき誰かが欲しいのではないか?

理系の人にはよくあることだ。

思考に没頭しすぎて禁欲主義に走りすぎて、

誰かを愛することも忘れたロボットになってしまう。

君にも本能があることを忘れるな。

本能と理性のバランスがとれた“人間”であって欲しい。

あのアインシュタインだって、人間性を否定しなかった。
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あなたが、楽しく一日を過ごしたいと思っているように。


世界中の誰もが楽しく一日を過ごしたいとおもっていると思います。
だから、何の為に生きているか?
私は、楽しく一日を過ごす為だと思います。
今より少しでも楽しくなりたい。
そのために、考え、話し、生きているのではないでしょうか?
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>>やはり答えというものは普遍的で誰もが納得するものであるべきで、自分が納得できる答えもそういうものだと信じています。



いつでも・どこでも・誰にでも当てはまる理由などないと思います。
人それぞれ理由は違うとお思います。

ただ。捜し物は探しているときには意外と見つからないものですね。

答えにはなっていませんが、答えが見つかると良いですね。

いつかふと、全く考えなくなりますよ。
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