今の日本に期待することはなんですか?

1.人間は何故、あらゆることに理由を求めるのか?

2.人間の存在に理由があるのか?あるとすれば、それは何か?

3.人間の存在に理由がないとすれば、それはどういうことなのか?

質問者からの補足コメント

  • 1.について補足します。

    小さい子供が親に「なんで、なんで」と本質的なことを問います。大人になっても
    同じように本質的なことを問い続けることの理由は、子供と全く同じであると思い
    ます。

    その理由を知りたいと思っています。

      補足日時:2018/03/29 22:30
  • どう思う?

    2.について補足します。

    様々な観点から理由付けができると思いますが、哲学的・本質的理由ということで
    「因果」つまり、「人間を存在ならしめている因」とは何だろうということを考え
    ました。

    勿論、簡単に答えの出る類の疑問ではありませんが、あれこれ考えて一つでも進展が
    できればと思います。

    また、「目的」ということは、「様々な観点からの理由付け」の一つであると私は考
    えています。

      補足日時:2018/03/30 06:51
  • どう思う?

    3.について補足します。

    本質的なことについて「偶然」であるとする哲学が世に存在しますが、
    「因果律」の枠から外れるということが、「時空の枠」から外れること
    と同じくらい私には理解ができません。

    もし、「偶然」というものが本質であるならば、それはどういうことな
    のかということを知りたいと思いました。

      補足日時:2018/03/30 06:58
  • うーん・・・

    人間の存在についての「因果」は、人間がそれをどう意識しようが、
    それには無関係に存在するものであろうと思われます。
    また、因果は通常は因が先だつもので、あるいは因と果が同時に起き
    る場合も多いと思います。

      補足日時:2018/03/31 10:17
  • 人間が「何故と問うことの理由」と、

    「人間を存在ならしめている因」は何かという問いであり、

    キリスト教であれば「神の意思」ということになり、
    「存在性理論」であれば「存在性」という性質、とい
    うことになろうかと思います。

    「人間は何故生きるか」という問いではありません。

      補足日時:2018/04/01 02:05
  • うーん・・・

    本質と存在のどちらが先立つかと言われれば、存在と私は答えます。
    だって、私はヒューマニストですから。

    今は、本質のことを考えているということです。

      補足日時:2018/04/01 03:06
  • BAは、その内容には議論の余地があるにしても、一番
    掘り下げていると思いました。

      補足日時:2018/04/11 14:17

A 回答 (34件中1~10件)

1の回答 人間は世界が合理的に動いて変化することを知っているからです、経験上。



2の回答 人間の存在の理由は 存在し存続し未来に色んな存在を実現して行く事です。

     人間がやらなければ世界はエントロピーが増大し熱死します。

     それは人間が秩序を作りエネルギーをコントロールする事が出来るからです。

     それがAIであっても構いません。

3の回答 存在に理由がなければ理由を創造するか、野となり川となるわけです。
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この回答へのお礼

1.それを確認したいがために、理由を求めるということでしょうか?
子供がそれをするということは、人間は「無意識」のレベルつまり「集団心」で
それを理解しているということになるのでしょうか?

2.なるほど、haruさんの結論の一部がやっとわかりました。納得はできていませんが。

3.2.の理由があるのみということでしょうか。

お礼日時:2018/03/30 07:33

ラプラスさんが思うには、ひとつひとつの粒子をきちんと追いかける装置があって、すべての粒子の行く末をみることができるなら、すべて必然であると証明できる、というものでしょうか。



わたしたちが言葉で理解できているものはずいぶん捨象されているので、注目している部分の前後関係しかわからないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ラプラスの決定論って、よく知らないんだけど、正しいの?
正しくないんでしょ?

どっちにしても、人間を存在ならしめている根本的因のことを
考えているので、ちょっと違うかな。
でも、情報ありがとう。

>注目している部分の前後関係しかわからないのではないでしょうか

自然科学だとそうですね。でも、物事を深く広く考えようとするのが哲学で
しょ?
ですから、哲学カテの「回答者」の言としてはいかがなものかな。

お礼日時:2018/04/07 23:57

2は、やってて悪いから上回る、ロボットが出来てきて、人間をうわまって、ロボットが止めると思いますよ!!


3は、偶然だから、三次元(時間)に地球は、入っているから、そこの偶然ですね!!四次元空間ですど、偶然は時間を上回っているから、偶然はありません!!三次元に入っているから、偶然がありえるのです。
だから、先ほどの答えですよ!!過去に戻れない、未来に好きにいけない、今しか見れないから偶然がある。
だから、時間に地球は、三次元になってるよ!!
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この回答へのお礼

ロボットに止めてもらいますか。

三次元と四次元の話、滅茶苦茶な気もするけど、すごい鋭い気もする。
マジでね。ちょっと考えてみますね。

お礼日時:2018/04/07 23:44

1 は、結果を求めたいから理由を求めるのじゃないですか!!


2 人間に存在に理由があるかないか?どちらでもありません!!それよりも、自分自身の存在があるかないかですね!!自分自身が存在するから周りがわかるし、わかることによって自分がわかるからです。人間の存在に理由があるとしたら、次の進化に行くための通過点です。
3 2の答えから、人間の存在の意味がないとすれば、進化をしても永遠に進化をするから意味がありません!!後々、解りませんが、人間に上回る物が、できるからです。ですから、恐竜と同じです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.間違いではないと思います。

2.どちらでもない、ということは一つの回答足り得ると思いますが、人間存在の
根本的「因」というものがあるはずだと考えていますし、人間というものは何か
ということの答えになると思います。
要は、「こんなに勝手気ままにやってていいの?」という疑問に対する答えがほ
しいということです。

3.偶然ということの意味を知りたかったのです。

お礼日時:2018/04/07 06:27

人間は理由を知らないと不安、把握しておきたいと言う思いがあるからです。


でも、実際は知らなくていい事はたくさんあるので、
何でも答えを求めるのは良くないです。
人間の存在には理由はないです。自由に生きてください。
自由を奪われるって本当につらいです。
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この回答へのお礼

私にも興味のないことはたくさんあります。

有名人のプライバシー的なこととか。

本質的なことを知ることによって奪われる自由があるとすれば、
それは、道理を無視して人に迷惑をかける生き方をする自由、
ということになりませんでしょうか?

お礼日時:2018/04/07 05:17

補足読みました。

1.に答えたいと思います。これはですね、知的欲求と言うものだと思います。高等動物になると遊ぶ事を覚えると聞きます。猫やイルカなんかは生存に必要な事を遊びで学びます。一見役に立たないようなそれですが、そこからいろんな動作や、対象の持つ様々な性質を学び取るのですね。鯨の類が、鼻から出す気泡で魚を追い込んで漁をするのですが、この漁の方法は遊びから生まれたのでは無いかと推測します。そして人間の段になると、遊びからさらに進んで知的欲求と言うものを持つ。一見役に立たない、そんなものを詳しく見て何になるのか?と言えるような事が、知識を生み出し思いもよらぬところで役に立つ。この石を熱すると何故、冷えると硬くなる物質に変成するのか?地の果てはどうなっているのか?犬は何故この草を食べるのか?そう言った知的探求は人類の生活の質を高め、その範囲をぐっと広げて来たように思います。技術と科学が生まれた原因に、何故何故?と言う知的欲求があったわけですが、それが人類の生き方の一つのコンセプトになっていると言えるでしょう。この知的欲求が自分自身のことや世界や宇宙の事に向けられた時に、それらをどう捉えるかと言う思考モデルが形成されます。これらのモデルは、事実の発見の積み重ねによって、後代にその正しさ如何が証明されるのですが、思考モデルの構築自体は非常にクリエイティブな作業です。発想の正しさが証明されるかどうかは別にして、その事(クリエイション)自体が人間の生を拡大して行くことは容易に想像されます。
遊び、知的欲求、創造、これら全ては生存本能の様々な形の現われと見れるのでは無いでしょうか。で、この生存本能とは一体何なのか?と言う問い自体もまた、人間の飽くなきフロンティアを求める営みであると言えるでしょう。
ここに来て初めて自由と言う一つの哲学的題材が発見されるのであると私は思います。ここでは、哲学とは、問いのレベル(次元)が拡張して行く事によって生まれる問いの解決法であります。平面を空間によって再定義する事でその全容を見る事ができる様に、問いの次元を引き上げる事によって、もとの問いを解決すると言う事ですね。

1.の答え
それが人類のフロンティア精神だから。
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この回答へのお礼

私がこの1.の問題を、自分の子供のときの記憶をもとに考えたところ、「道理」
という哲学を知りたかったからではないかという一応の結論に至りました。

ほとんど記憶は残っていませんが、おそらく私の性格からして一緒にいた母親に
変わった質問を連発したのだろうと思います。

私の両親は学歴がなく(戦争の影響もあり)、博識ではありませんでしたから、答
えることが出来なかったんだと思います。
その満たされない欲求が、大人になっても何故を問い続けさせる原因になったの
ではないかと思っています。

現代においては、子供たちに懇切丁寧にものを教えるということが普通になって
いますが、私はそれはいかがなものかなと思っています。

さて、キサラギさんのお答えは、道理というものを知り、さらにそこから価値創
造のために思考モデルを創りたいという欲求まで拡大させたものを因とする、と
いうものであると理解しました。

仰ることは分かるつもりなのですが、ここで一つ疑問が生じます。

子供のころは、道理を知ることで手一杯でも、大人になるにつれてそれを創造と
いうところまで昇華させてゆくことのできるクリエイティブな人は、かなり限ら
れるのではないかと思います、現実に。

ということは、おっしゃることが人類に普遍的なことなのかどうかということ。
そして、それが普遍的なことならば、それをできないということはどういうこと
なのかということです。

お礼日時:2018/04/07 05:06

デビットさん硬いですよ。


しかし、情けないことを言っていることも、多少に理解した方が良いと思いませんか?

学びは対話にて起こる。
貴方が ここで学ぶつもりをないと言う言葉は、
少しでも知識を得てよりよく生きようとする人々に失望を生みますよ。

要は、質問しているが暇つぶしだと断言しているのに近いのですから。

ここも度合い節度でしょうが…

端的に言うと貴方に学ぶつもりはなくても、、相手の尊厳を立て、そこしは話を聞く姿勢はあるじょうたい。それが貴方の今の、一般的な表し方と思えます。

何も学ばないで人に聞くと言うセリフね。
それは、相手を馬鹿にする行為と似ています。
要は貴方から学べるものはないけれど、面白い話をしてくれないか、聞いてやるから、と傲慢な姿勢とも取れるのです。これも程度に。なので、やや強めに言って申し訳ない。

さて、
真剣度の法則を押さえておいてあげましょう。
まだ、謙虚姿勢の意味を知らない 貴方には。ぜひ探して欲しいところです。

ゲーム(遊び) → 試合 (+現実的) → 真剣((試合))!!

上の図?は、
要は心の持ちようで、現実の必要な意識は変更されていると言うことを表します。

詳しく説明すると、

将棋やオセロ、碁^_^のプロがいるとします。

しかし、彼らは、社会が人間を生かすと言う点において、何ら必要性のないもの、か
と問えます。

生かすのであれ、活かすのであれば 必要と先に答えておきます。

しかし、戦争のような有事には、不要。または扶養 (性 申請 神聖)

食べ物を作る一次産業や 基盤を作るインフラ 土木産業よりは、重要度は、場合により軽いと みなせます。

ではなぜ人は真剣になるのでしょうか?

真剣試合とは、
しなくてもいいのに、
生死を分かつ試合
それを行う 状態 にある
2人の状況 と呼べます。

しかし、プロ野球選手は試合に真剣だ!
何故なら、食っていけないから。負け続ければ。〜。となりますね

同じく囲碁やオセロや碁などのテープゲームのプロとて、人生の死生観に近い真剣さを持って
社会に必要とされる (要は儲かる)
仕事 (つかえること)をしていると呼べます。

不真面目な姿勢では、勤まりません。

何故社会は、彼らを必要とするのか?

それは、1.歴史ある競技を廃れさせたくないから。
2.そのテーブールゲームを学ぶ人が増えることが、人生。豊かにすると本気で考え(れる) 人々がいるから。
3.知的 思考の末に人類発展は続くと、思考を伸ばす側面のあるこれらゲームを応援するから。

1〜3が複合の割合で、それを推す人々が成立すると言えるでしょう。

つまり、そう言うこと。
真剣にやらないものを、
人は見下し、また、真剣に学ぶものを応援するのは、

社会の秩序 (学問)上言えば、
この社会をよりよくしていくことを、信じれる。
その真剣さが、将棋や碁にプロへの、投資を作り出している。信頼の人類社会のお話です。
オセロにプロがあるかは渡し知りませんか"

さて、プロ野球とて、夢や希望に必要と社会が思う。

アリとキリギリスの真実は、昔だから、程度間違いがある (封建社会の 王政側の 賛同が得られやすい 論だったとも)

働きアリは、音楽が必要なんです。

今の世界には、
音楽なしで生きていて、は、何ら楽しみのモテない人生と、断ぜれる論者が一般にも大量にいる。

ゆたかさをひていすることはたやすくはゆるされない。

けれども、野球は有事
戦時中には止まっていたでしょう?

これは命よりも大切に、真剣に取り組むべものは本来あるべきではないと言う思想、真理に由来があります。

この 【程度】の 節度、
全体を見た上での、真剣みを持たなければならない場所を、感が見えないうちは、まだ、見るべき うつつを抜かさずべき、現実が、見えていないと元得るのです。問

私から見れば貴方と、他の人の会話は、チグハグな点があり、どちらが正しいか、まだまだ見えない状態
(他に真剣さを取り入れるべし課題が私にあるため、単に全ての分は読めていない、と呼べます か" 申し訳ない。程度全体像を予想した上でこの回答を出しています。恐れ入りまし。有難う 因果 そして我らの無知の智よ 大地)

貴方は、一般より博識で、物の本質に向き合う姿勢において、誠実に近いと思えました。
学識がない点に、自己嫌悪からか?自虐が目立つように見えます。この最近の回答。
して、少し学ぶ姿勢があるのですから、ブロックでの相手の言論弾圧や、
学ぶ気ないと言う、ニヒルに決めすぎる 悲観主義は?
抑えた方が良いのではなくて!かなぁと思った故に出しています。
今回の回答発表もかねますがね。世を良くするための。

では、どうか、適温で、仲良く喧嘩してください。
論議はそもそも相手に否定される恐れもある諸刃の刃なのですから。
それでも人は触れたい。人とかかはりたきとねがう。愛の魂があると信じています。

長文 若輩なわたしで失礼しました。世界への渡で素。


なお、


真剣試合。
≠ (ノットイコール ギャランブル ) ギャンブル
と呼べるのは、社会のためではなく個人の儲けのため、オンリーにそれは成立するからです。
それは、やり方によって悪式もある
この見方は、だれも、どうか忘れないでください。嘘喰いは、やり過ぎ。カモ。鴨



それと存在との関連。確かに愛持って、物質をも動かす作用的 動作は、ストレスを生み
時に生きている事に、行きてきたことにすら、マイナスと
負の領域を生み出す場合はあります。 (生きていたくないともなる、本能セイリ性 = 疲れる)
例えば、貴方のもう学ぶのは疲れたから、学ぶ気での話どしたくない。しかし好奇心はある。なら

では、質問などせずにただ見ているだけでも良いはずです。
学ばずに、自身をゲームを外から傍観する傍観者に、と、なることを求めるならでしょう。?

観測者 上川目線は物語における 本を読む方。真剣味がなければ感情移入はできません 理解という、なりきり、と言うか。この世界に)

けれど触れて見たい。
故に存在は成立する、
この肉持ちて、身 心とともに、複雑なる重さを持つ体を操(くる)る世界に生まれしこと、と言うものこそが、

世界に何らかにカカワリたいと、願う魂たちの、到達した楽園惑星、地球。とも呼べる、かも、知れぬ、から然り。

しかし、どうか、触れることで痛みを追うことに、疲れたからと言って も、
いつか、その疲れが取れる日が来ると信じ、
学ぶ方向性に向かう(光) だけは、失わ何でくださいね。

それは愛ある砲口。
それは愛故、見失いつつもある光の石、秩序。

コスモスは、もうすぐこの世紀、この世界に降り立つ!

それでは、ゆっくりでも歩き正してください。歩き出して、それがゼロじゃない限りは必ず辿り着くべき場所へと、帰りつけるのだから。


では、何故人はあらゆるものに、理由を求めるのか、
もっと良い喜び、真理に(世 界 甲斐 貝)に、出会いたいから。イデアの思想に似ますね。

ね。
少しは重み現実味が帯びたでしょう?
このありきたりな言の葉

僅かでも、触れて経験したもので、愛は深まる。

人は、そのために生まれてきたとて、そう信じるものたちには、過言ではないのでしょう


エル ミル システィーア
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この回答へのお礼

不思議な雰囲気を持ったMercurious0_7810さんですが、感性の鋭いあなたなら
分かると思いますが、今の世に満ちた精神性ですよ。
これを吸収してしまって、私の免疫能力を超えアレルギーが噴出しているんです。

生来の私はクソの付く真面目、純情人間ですから。

ここにいるのは、良い回答があったりするからです。刺激にもなりますし。

まあ、今後はアレルギーブロックをしながら、私なりの勉強をしようと思います。
実は多くのことを学んでいるんですよ。
もういいと思ったら、いなくなりますけどね。

あなたの回答にろくに返答できずに申し訳なく思っていますが、この人は一体何を
持っているのだろうと思いますわね。

お礼日時:2018/04/05 14:49

>それから、私は学問をやるつもりはないということを何度も書いていると思うんです。


>こういうことをすると、ハラスメント的に受け取られますし、

哲学カテに来ているのに学問をしているわけではない。
ハラスメントになるかもしれないと自分でわかっている。

それを言ったらおしまいよ、という感じですねえ。ちゃぶ台をひっくり返し、ひっくり返さないでいいおかずも2皿、さらにひっくり返したという感じがします。
年寄りだという自負があるなら、もっとクールでないと。
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この回答へのお礼

>哲学カテに来ているのに学問をしているわけではない

ということは何度も言っています。それを、今更否定するのは不自然ですね。

哲学という学問に興味のある人は少ないけれど、物事の本質を考えることの好
きな人は多い、とはかねてからの私の主張です。
哲学カテだから学問をしなければならない、と言っているようなもんですよね。
もしそうならば、参加者はドンと減るだろうと思いますよ。

>ハラスメントになるかもしれないと自分でわかっている

そんなことは言っていません。

ハラスメント的に「受け取られる」、と言っているんです。

なんだろう?本当に頭が悪いのでしょうか?

私を攻撃することで頭がいっぱいなんでしょう?
頭冷やしたほうがいいと思います。

お礼日時:2018/04/05 02:07

>もう一つは、「分からないことに対する見当付けが鈍い」つまり直観力の問題。



直感というよりは、話を合わせる力、調整力、太鼓持ちの技術などが当てはまるように感じました。
そしてDRさんの主張は簡単いうと、自分が勤め人時代にやっていたことを私にも求めているということですね。もっと言えば、「若者よ、お前の太鼓持ちが足りないぞ。俺が若い頃はもっとうまかったぞ」と叱咤なさっているということでもあるようです。
私は、学問とはそういう態度ではいけないところもある、とお伝えしておきます。DRさんは学問については時間が浅いようだから、私の話を聞いても良いだろうと思って、噛み砕いてお伝えしてみます。

学問っていうのは、わかったふりをしないんです。私は小学校の頃に、わかったふりのうまい友達がいたことを思い出します。私もわかったふりがうまかったものです。ところが、わかったふりをし続けていると、算数の問題がいくらやっても解けないことがわかってきた。仲のいいわかったふりの、友達は10点くらいしか取れていない。私は40点くらいだったが、これもまずい。なんとなく要領よく雰囲気に流されていると、70点が限界です。私は90点の人の行動を観察して見ました。するとこの人、「わからない」ってはっきりいうんですね。

その時は「こいつばかじゃねえの」とも言われますし、大恥もかくし、教室の雰囲気も悪くなります。先生が一生懸命説明したのに、「わからない=不十分だ」っていうわけですから。しかし私は教室の雰囲気を作っても、自分のテストの点数が悪かったら何にもならないだろうと思ったわけです。で、私はこの「わからないさん」を見習って、一度、自分もそれをやってみることにしました。すると、新しい見地が広がってきました。「聞くは一時の恥,聞かぬは一生の恥」とも言いますが、自分でそれを体験したわけです。

私も人間ですから話を合わせることはしばしばやりますが、精密な話がしたいところでは「わからない」と発言するように気をつけています。問題は70点でいいと思うか、90点を取りたいと思うか。ここの差だと思います。

余談ながら、セールスマンは、全然違うロジックで動いているのではないですか。わかった感じがして、わーっと盛り上がる。雰囲気がとにかく大切。契約にまで行けば、それでひとまずOK。自分たちはムードメーカーを担当して、細かいところは、専門家の部署に言って、いろいろやってもらう。(私はセールスマンではないから違っていたらごめんなさい。こういう単純なことではないかもしれません。)
しかし学問はセールスマンよりは、専門家の部署に近いんです。だから職人気質というかね、「そんな分析力じゃやって行けねえよ、力がないことに言い訳してんじゃねえよ、てやんでえ」みたいなことを言うわけです。

セールスマンの奥義であると直感力を馬鹿にするわけではありませんが、TPOが違うことはわかってもらいたいところですね。

バルト海さんと、No26さんには感謝したします。
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この回答へのお礼

>「若者よ、お前の太鼓持ちが足りないぞ。俺が若い頃はもっとうまかったぞ」

どこでどう読み取ったのか分からないのですが、私はサラリーマン時代は上司の
太鼓持ちとは正反対で、上司に正論をぶつけて睨まれるタイプでしたね。
どこかで書いたと思うんですがね。

それから、私は学問をやるつもりはないということを何度も書いていると思うん
です。
自分の目的のために勉強をしたいということであって、学問をしようとは思って
いないということです。

だから、やっぱり、鈍いと思います。

cyototuさんもA氏もあなたには苦言を呈しています。知っていますか?
彼らの苦言が身に染みているのなら私は何も言わなくてもよかったのですが、そ
うではないと思ったので、最後の贈る言葉でした。

議論でもないし、あなたを攻撃するための悪口でもないことは自分でよくわかって
います。
こういうことをする人はすっかりいなくなりましたが、つまり、大きなお世話のお
節介なんです。

今は、こういうことをすると、ハラスメント的に受け取られますし、ここぞとばか
りに私を気に入らない人たちなんでしょうね、2~3人寄ってきて責めているようで
す。こういう時代です。

あなた、A氏をさんざん悪く言って、彼女が対話を求めてきたときに拒絶しましたね。
私もあなたを拒絶します。もう二度と来ないでください。

お礼日時:2018/04/04 21:00

あなたよりずっと優れている人とは、どんな人か、自身を馬鹿だと謙遜白状するよりもまず、



自身の認知バイアスを認識できる人ですね。

あなたのおっしゃる通りあなたはバカだけど、あなたが自身についてどういう評価をしているか自体興味はない。(関係ないこといいました)
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この回答へのお礼

そろそろ、気が済んだかな?

お礼日時:2018/04/04 20:21
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