最速怪談選手権

人は何のために生きているのでしょうか?
誰もが1度は考えたことのある悩みを抱いている大学生です。このことを考えていると、他のことなどどうでもよくなり、こんなことをして何の意味があるのか?とすぐ考えてしまいます。何か打ち込める趣味でもあればいいのですが、こんなものにハマっても仕方がない、と考えてしまい、自分でも何がしたいのかよく分からなくなります。この悩みの答えを見つけ、この状態から早く抜け出して昔の様に楽しく1日1日を過ごしたいです。
このことを考え始めてから自分では相当勉強(特に物理学)し、考えたつもりです。
まず、現在の僕の考えを箇条書きで書かせていただきます。
・やはり答えというものは普遍的で誰もが納得するものであるべきで、自分が納得できる答えもそういうものだと信じています。
・科学的根拠のない神や死後の世界、魂が出てくるような仮想的な話は馬鹿らしいです。
・宗教的な話も全く納得できません。
・答えなどない。人は悩むために生きている。といった回答は答えになっていません。
他の同じような質問も見たのですが、上のような回答が多いと感じます。

ここでこの悩みの答えが見つかることは思っていませんが、答えに近づけると考えています。
みなさんの考え、この悩みのヒントになると思われる本や思想を教えてください。

A 回答 (107件中11~20件)

貴方は今まで貴方の身近な人の死に対した事がありますか?


もっと言うなら自分が身代わりに死ねば良かったとさえ思った事がありましたか?
貴方にとってまだそれ程大切な人がいるかどうか分かりませんが、まだお若い様ですからこれから出来るかもしれません。
貴方が尊敬し、愛し、とても大事に思い、自分の命をあげてもと思う人が出来、
そしてもしその人が、死に直面した時、又、亡くなった時
貴方は何故自分が生きていないといけないか、知ると思います。
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こんにちは、誰もが一度は考える事ですよね。


しかし、何も手につかなくなるほど、と言うのは問題ですし疲れそうですねw

私は、人を愛する為に生きるのだと思います。
男女の愛だけではなくて、見知らぬオーディエンスにも思いやり(これも愛ですね)
尊敬し、自分の出来る事で、幸せにしてあげようという愛です。
あなたは大学生ですが誰に愛を与えたいですか?
そういう仕事で考えやすいのは介護とか医療系ですが、あなたが
社会人になって、たとえば技術職についたとしたら、自分の仕事を通して
見知らぬ誰かに便利な何かを発明して喜ばせてあげることが出来ますよね。
それも、深い愛だと思います。
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あなたのいっていることは、何が言いたいのかよくわかりません。


>このことを考えていると、他のことなどどうでもよくなり、こんなことをして何の意味があるのか?とすぐ考えてしまいます。
このこと自体、あなたの考えは矛盾しています。
>このことを考え始めてから自分では相当勉強(特に物理学)し、考えたつもりです。
これも上記のことと完全に矛盾してますよね・・・?
>やはり答えというものは普遍的で誰もが納得するものであるべきで、自分が納得できる答えもそういうものだと信じています。
・科学的根拠のない神や死後の世界、魂が出てくるような仮想的な話は馬鹿らしいです。
・宗教的な話も全く納得できません。
・答えなどない。人は悩むために生きている。といった回答は答えになっていません。
他の同じような質問も見たのですが、上のような回答が多いと感じます
あなたが答えを考えてください。納得いくまで。
何千年考えても、誰もわからなかった答えを、あなたの手で。
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A.NO93のoguraionです。

当時の事を書いたものがあったので、ここに載せさせて頂きます。参考になる事を祈ります。

ジョーが教えてくれたこと

それはおぼろげな記憶。
僕がまだよちよちと歩いていた頃、ジョーは我が家へやって来た。
とても小さくて、ふさふさした金色の毛。ぴんと立った耳。くるんと巻いた尾っぽ。僕ははじめて自分より小さな、いとおしくて愛らしい生き物を知った。
その頃の我が家は千葉の新しい一戸建に引っ越したばかりで、とうさん、かあさん、ねえさん、にいさん、おねえちゃん、それと、ぼくと犬のジョー。
本当に幸せだったと思う。

ある大雨の日、ジョーはどうしても散歩に連れて行けと、きゃんきゃん、くんくん泣いていた。僕はやっとランドセルを背負える年になっていた。そこでひとりと一匹、大雨の中散歩に出たのだ。しかし雨はさらに激しく、風もびゅんびゅん吹いてきた。嵐だった。僕は怖くなりジョーに帰ろうと言った。けどジョーはもっと行きたいと踏ん張った。僕はジョーの綱を生垣にひっかけた。そして家に走った。にいさんとおねえちゃんがすぐにきてくれたのに、ジョーはいなくなっていた。僕のせいで、ジョーはいなくなっていた。
僕のせいで。
みんなでジョーを探したのに、ジョーはいなくなった。
ジョーごめん。ジョーごめん。
帰ってきてジョー。

10日目の夕方、かあさんと一緒に、ジョーが帰ってきた!
ジョー、ジョー、ジョー、ジョー。
許してくれたの?ごめんねジョー。
ジョーは許すと言うかわりに、ぺろと顔をなめてくれた。
やさしいジョー。帰ってきたジョー。

おとうさんに怒られて、家出するときも、ジョーと一緒だった。ジョーは三度目の散歩だと勘違いして、よろこんで進んだ。結局、少し長い散歩の後、僕はジョーの小屋を占領して眠った。
僕が大好きな物は、ジョーも大好きだった。
唐揚、ハム、チョコレート、ケーキ。僕はいつも、ジョーと半分ずっこにした。
食い意地の張ったジョーと僕は、ものすごいスピードで食べた。だって遅かったら、さらに半分になってしまうから。

ある日、ふらっとやってきためすの野良犬と、ジョーは恋におちた。ごはんはみんなあげちゃう。雨の日は自分は外で、野良がジョーの小屋の中。僕はジョーに、ジョーもごはん食べろと言った。かあさんはとうさんに内緒で、ニ匹分ごはんをあげていた。とうさんは良い顔をしなかった。けど、僕は知っている。とうさんがチラシの犬小屋をじっと見てたこと、僕は知っている。
とうさんが「いってきます」と出て行って、
すぐに戻ってきて、吐き出すみたいに言った。
「野良が、車にひかれてる」
僕は怖くて、じーとしていた。ジョーの恋人が死んでしまった。
かわいそうな野良。そしてジョー。
夕方の散歩で、ジョーはさびしいのかなと
ジョーを観察したけど、あんまりよくわからなかった。けど野良が轢かれた場所に来たら、ジョーはじーとその場に立ち止まった。
ジョー、ジョー。もう死んじゃったんだよ。もう戻ってこないよジョー。
けど、ジョーはそこから動かない。僕もジョーがかわいそうで、ずっと一緒にそこにいようと決めた。ぼーとジョーと一緒に座っていたら、ずいぶん時間が過ぎたようだ。
星きれいだな、ジョー。おなかすいたな、ジョー。さむいな、ジョー。
向こうから、おとうさんがむかえにきて、
僕とジョーを、じーと見ていた。それから急にジョーの首をぎゅーとだいて、僕とジョーに帰ろうと言った。
みんな泣いて、野良にさよならをした。

僕は中学生になって、生きる意味を考えるようになった。
なぜ人は生きるのだろう。
人は猿から進化した。猿はもっとずっと
小さな微生物から進化した。
つまりどんな生き物も、同じ理由で生きているはずだ。そこでジョーにきいてみたけど、
ぺろと顔をなめるだけだ。
そんなある日、太宰治の本を読んで考えた。人の生きる意味など無いのだと。
草や木が生えるように、人も生まれ、育ち、死ぬ。それだけだと思った。
空しかった。
生きるのには意味なんて、なんもないんだ。

高校生の時、ジョーが病気になった。
食べないし、散歩にもいけない。
朝ジョーに、「元気になるんだぞ」と約束して学校に行った。急いで帰ってくると、かあさんが「ジョーが死んじゃった」と泣いた。
ぐらぐらと世界がくずれた。僕は涙が枯れても泣いた

三日間泣いて、僕は復讐を誓った。僕から最愛のジョーを奪った相手。
それは神さまだ。
多分神さまは強い。だからバットと包丁をもって、僕は死のうと思った。勝てなくても、一撃はジョーの仇を討とうと決めていた。

泣きつかれて、僕は夢を見た。
僕は空港の屋上で、行きかう飛行機を見ていた。僕はここに見送りに来ていた。
するとむこうから、白髪のおじいさんが、ゆっくりと飛行機を引っ張って歩いてきた。僕の前に来るとおじいさんは「かなしいか」と心配そうに僕に聞いた。僕は泣いて、はいと答えた。
するとおじいさんは僕に言った。
「命あるものは必ず死ぬ。だから命は・・・・・・」
僕は泣きながら、はい、はいと答えた。
おじいさんは、また飛行機を引っ張って向こうに歩いていった。
その時、僕は気づいた。あの飛行機にジョーが乗っていて、僕はジョーを見送りにきたのだったと。

目が覚めた。涙はとまった。僕はおじいさんの言葉で元気づけられた。急いで机に向かい、おじいさんの言葉を書き記そうとした。
命あるものは必ず死ぬ。だから命は・・・・・
なんだったろう?
そこがどうしても思い出せない。
それはもしかしたら、「悟り」の言葉。とても大事な言葉。僕はその言葉をあきらめた。たぶん生きている人には、難しい言葉。
それから思考は、またジョーのことへ。
なぜこんなに悲しいのだろう。
それはジョーを失ったから。
なぜジョーを失うと悲しいのだろう。
それはジョーをとても愛していたから。
つまりジョーの愛がなくなったから悲しいんだ。
ということは、
ジョーにはとても大きな生きる意味があったんだ!
犬も人も、生きる意味はあったんだ!

社会に出てから、インドに旅立って、お釈迦様が悟りを開いた菩提樹の下で、僕は静かに瞑想した。
たくさんの過去があたまをよぎる。
たくさんの言葉があたまをよぎる。
たくさんの愛があたまをよぎる。
たくさんの悲しみ、怒り、嘆き、恐れ、たくさんの全てがあたまをよぎる。
いつしか想いは、あの言葉に向かった。
一体なんだったんだろう。
命あるものは必ず死ぬ。だから命は・・・・・

ふと気づくと夕日の木漏れ日が僕の顔に射していた。五体倒地で祈りを捧げる人々や、
瞑想する僧侶にも、夕日が差してキラキラと
美しく輝いていた。
何千年も前からこの地に菩提樹があり、何代も経て今もなおここにある菩提樹。
その下で人は、生きることについて想いつづけた。
生まれ、死ぬ、永遠とも思える繰り返しの中で、生きるものの一生は、あまりに儚く、一瞬で過ぎ去る。
その一瞬の生を、生きることの意味を見つめて、祈る姿。
それは永遠の時の流れの中にあってさえ、とても美しく輝いていた。

命あるものはかならず死ぬ。 
だから命は
「美しく輝ける」

そうだったかもしれない。
ちがうかもしれない。
ただこれが、

ジョーが教えてくれたこと。
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生きる理由は、たくさんあっていいはずですよ。

あなたに生きる事よりも大切なものが見つかればそれが生きる理由ですから。

私も小学生の時なぜ人は生きるか悩みました。
その時、うちの犬ジョーと相談して出た結論は、
「人が生きる理由と犬が生きる理由にはなんら差が無い。なぜならば、人は猿から進化し、生命の源はみな同じである。よって人が生きる理由は草が生えるのとなんら変わりが無い。」というものでした。

中学生になってそれではあまりに空しいと考えるようになりました。
その頃太宰治の「人間失格」などを読み人生に失望を感じました。

高校2年の10月22日、最愛の犬が死に、狂うほどの悲しみが私を襲いました。苦しみの中で、なぜ生あるものは死ぬのか神を呪いました。
その苦しみの原因を深く考えた時、犬のジョーが私に与えてくれていた愛の大きさを知りました。そしてジョーの生きていた価値の大きさに驚いたのです。
「犬にも人にも生きる理由はあったんだ。」
これがジョーが教えてくれたことです。
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NO,82です。



言い忘れていたことがあったので…。

悩んでいる時は、BUMP OF CHICKENというバンドがお勧めです。

私は彼らにいろいろ教えて貰いました。

生きる意味とかそういうものじゃないけど、生きていいんだよって言ってくれる様な気がするんです。

不快なコメントだったらすみません。

でも、同じ悩みを抱えていた私なので…。

これで駄目なら私には貴方をどうする事も出来ません。

それじゃ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
最近はあまり聞いていませんがバンプは僕も好きですよ。久しぶりに聞いてみます。

お礼日時:2008/09/15 15:55

人はやっぱりいつか死にますよね。

人だけじゃなく生き物すべてですが・・・

何のためにっていう答えはやっぱりそれぞれがその時思い浮かぶものに尽きるんじゃないでしょうか?

明後日の友達との約束だとか、
読みたい本の発売日だとか、
将来、いつになるか分からないけど夢を叶える日だとか・・・

そんなちょっと先の目標のためにとりあえず今日生きてるだけだと思ってます。逆に、自ら死を迎えるほどのことが今は無いから生きてるのかもしれません。

目標をかなえる前に突然、死が訪れることもあるでしょうけど。
精一杯やったからまぁいっかって思えたら生きてる意味あったかなって思うかも知れない。どんな生き方をしたって、どんな思いで死を迎えたって誰にでも平等に死は訪れますよね。だから、ちょっとでも自分の理想像を叶えたり、"幸せだ"って思う瞬間が多いに越したことは無いと思う。

考え方や価値観はそれぞれだし、その人の性格や環境に大きく左右されると思います。
誰かに答えを教えてもらって納得できるものではないのだと思いますよ。
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感じたい。


愛したい。
愛されたい。
この欲求がなくなったら生きていく意味はないと思うけど‥。単純に。
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必要な事をやる為です、それ以上でも、それ以下でもないと思います。



彼方は学生さんですから考える時間が沢山ありますので考えられているのでしょうが、彼方がも社会人で子供が3人いたら取りあえず食べる為に、朝早く起き、会社に行き子供の世話に追われ、晩酌をし就寝し、また朝になり必要ですから会社に行き・・・それが人生の妙味かも知れません。いつをはなしに人は何のために生きているのか?の囚われから離れているかもしれませんね。人は考えで(理屈で)生きているのではないと思います。

なむあみだぶつ  是々非々は非なり  合掌。
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哲学と言うものが出来る以前から、きっと人はこのことについて考えたんでしょうね、そして、いまだに、万人を納得させられるような答えは登場していないのが現状です。


だからといって考えることは無駄なんじゃなくて、
自分が納得するまで、とことんいろんな人の意見聞いたり、自分で考えたりして、自分の納得粋そうな答えに出会うことが大切だと思います。

私も似たようなことを学生時代考えました。
社会を斜に見て、世の中の政治とかに不平不満を均してみたい学生時代のことです。
人生への不安と、プライドと、未来への期待がごちゃ混ぜになっていた不安定な頃です。

今は、何のために生きるとかより、
「せっかく生まれたんだから、結局は生きることそれ自体が目的なんじゃないかなあ」と思うようになりました。

就職してみて、社会(お金を稼いで日々食っていくこと)や仕事は厳しくて、自分は甘くて、
平凡な毎日を送るには、実は多大な努力と忍耐がいる(きちんと毎日働き、家計を支え、将来に備える事の大切さ)ことを知り、親に感謝もし、
そういうこと(何のために生きるのか)自体が、
結局、暇だったから答えのない問いを悩んでいたんだなあ、と考えるようになりました。

年齢とともに、
友人がなくなったり、大切な人に裏切られたり、色んなトラブルもあり、家族の抱える問題もでてきたりして、
生きてるって、理不尽で、残酷なことが圧倒的に多いけれど、
それでも、時々ほんのちょっとしたうれしいことが訪れる。
それは、たとえば、おいしいものを食べたり、いい本にめぐり合ったり、旧友と飲み語ったり。そんな、ささやかな一瞬。

ああ、こういう瞬間があるから、生きているって悪くないんだよなあ、としみじみ今でも感じます。

月並みで、書くのも恥ずかしいですが、子供が生まれたときには、
「ああ、私の本当の人生は、今、この瞬間に、始まったんだ」って思いました。
そういう、あなたの価値観を変えてしまうような出来事や出会い、
まだまだこれからありますよ。今からあまり案じても仕方ない。
いつ交通事故にあうだろうかと予想してみるようなものです。

あらゆる生物の目的は、子孫を残すこと、
ただ、人間は、価値観も多様化して、色んな価値判断をもっているから、必ずしもそれに当てはめなくてもいいと思える。
芸術に才能がある人は、後世に素晴らしい作品を残せばいい。
頭がいい人なら、科学技術や学問などの発展に貢献すればいい。
特に才能がない人なら、たくさんの友人を作って、その人の人生に少しでも関わりを残していけばいい。
一人でいるのがいい人ならば、思いっきり一人の時間を楽しめばいい。

生きる「意味」といっても、誰にとっての「意味」なのか?
自分の納得するものが、世の中の価値判断が納得するものと言うわけでもない。
だから意味を求めても、それ自体の根拠があいまいな以上、
結局自分が納得できる人生を送ればいいんだと思う。
(あまりにも反社会的なものは、家族や社会が迷惑するから困るけれど)

少しでも、なにか好きなものや好きな人にめぐり合ったら、それだけで十分生まれてきた価値はあると思う。
ぐるぐる迷っているときは、とりあえず、行動を起こしてみることです。
学生さんなら勉強に励んだり、就職して働き始めたりすると、
又、価値観も変わってくるよ。
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