一回も披露したことのない豆知識

人は何のために生きているのでしょうか?
誰もが1度は考えたことのある悩みを抱いている大学生です。このことを考えていると、他のことなどどうでもよくなり、こんなことをして何の意味があるのか?とすぐ考えてしまいます。何か打ち込める趣味でもあればいいのですが、こんなものにハマっても仕方がない、と考えてしまい、自分でも何がしたいのかよく分からなくなります。この悩みの答えを見つけ、この状態から早く抜け出して昔の様に楽しく1日1日を過ごしたいです。
このことを考え始めてから自分では相当勉強(特に物理学)し、考えたつもりです。
まず、現在の僕の考えを箇条書きで書かせていただきます。
・やはり答えというものは普遍的で誰もが納得するものであるべきで、自分が納得できる答えもそういうものだと信じています。
・科学的根拠のない神や死後の世界、魂が出てくるような仮想的な話は馬鹿らしいです。
・宗教的な話も全く納得できません。
・答えなどない。人は悩むために生きている。といった回答は答えになっていません。
他の同じような質問も見たのですが、上のような回答が多いと感じます。

ここでこの悩みの答えが見つかることは思っていませんが、答えに近づけると考えています。
みなさんの考え、この悩みのヒントになると思われる本や思想を教えてください。

A 回答 (107件中91~100件)

#15 追加します。



問題を解くのに焦らないことです。青年にとって困難なことかも知れませんが、焦らないすべを身に着けるのも人生において大事なことと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>人生の意味や目的など あったとしてもあらかじめ解ってしまえば それはそれで興ざめするかもしれませんねえ。
本当にそうかもしれません。
確かに焦っている感は自分でもありましたが、最近では考えが少しづつ変わってきているのを感じています。時間をかけてこの問題と向き合おうと思えるようになると思います。

お礼日時:2008/08/31 13:42

No10です。



<答えを見つけるためです。>
問題があって、解を考えるのだと思いますが、生きていること自体に問題があるとは思えません。
何のために生きていると考えるのは悩みではなく、考えるために考えているのだと、私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
あなたとは考え方が違うようですね。生きること自体に問題がないというのも1つの答えだと思いますが、やはりそれでは納得できません。

お礼日時:2008/09/05 09:43

ある哲学者が書いています。


人は何のために生きているのか。
→遊ぶためです と。

私はそれでいいと思います。

このところ、人生の目的とか運命とかという質問が相次いでいます。
この種の質問は、青年それも自立して社会に出る前の(モラトリアムのさなかにいる)青年が発する疑問として特徴的なものと思います。

人生の意味や目的など あったとしてもあらかじめ解ってしまえば それはそれで興ざめするかもしれませんねえ。

人間というものは 意味を求めて止まない動物なので 何かつけ意味を求めてしまうものですが、たいした意味などないこともかなりあるのではないのかなあ。

思うに 多くの大人たちは目前の問題に対処することを日々重ねていくうちにいつの間にか中年になり老人になり、人生は「光陰矢ごとし」の例えどおり過ぎ去ってしまうのではないでしょうか。人生の意味などというやっかいな問題は棚上げしていますよ。

少年老いやすく学なりがたし これは親父たちの実感です。

とりあえず 人生の意味 を問う難問の答えは置いといて 勉学に励むべきではないのかなあ。または アルバイトなどして実社会を生身で体験してみてはどうかとも思います。


あと 問いには正解のある問いと 正解のない問いがあると思いませんか。人生の意味という問いは 明らかに後者に属する問いでしょう。その答えは 一人ひとりが自分の人生をかけて見つけていかなければならない種類のものですよ やはり。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
他の回答者のリンクにもありましたが、NHKのこんなサイトがあるなんて知りませんでした。是非聞いてみたいと思います。

お礼日時:2008/09/02 01:06

 ANo.7です。

補足を拝読しました。
 ANo.7における、私の回答投稿もあわせて読んでほしいのですが、エゴや欲望、そして執着などの目的や動機をどう克服するか、克服した自然の生き方がどうできるかが、基本です。
 何人の方が、目的などはないとか、摂理だとか、ご回答がありますが、そういうご回答は、如上の意味で理解してほしいと存じます。
 これはつまり、ANo.7でいっている人間としても向上のことです。
 とても爽やかで健康的になれます。悩みも心配もいりません。
 というわけです。
 そういうことが、生まれさせられてきた(生まれ出てきた)、趣旨です。と自分は納得しております。
 

この回答への補足

回答ありがとうございました。
文章が僕には難しいようです。
唯一の実在、創造意識とは何でしょう?自分の考えのコトでしょうか?
創造者(自分のコトですか?)においては究極ですから、それ以上の、それから先もない。そこにおいて無目的である。
究極とはどういうことでしょうか?なぜ究極になるのですか?また、そこにおいて無目的とは?
私たちは創造意識にいくためにある、とは?
全く理解できていなくてすみません。

補足日時:2008/09/02 00:50
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<<やはり答えというものは普遍的で誰もが納得するものであるべきで、自分が納得できる答えもそういうものだと信じています。

>>

最初から有る、「生きる意味」は無いでしょう。皆後から、「生き甲斐としての生きる意味」を置いているだけでしょう。

何のために生きるのか。
その前に「生きるとは」何なのか考えて見ますね。

知ること・動くこと

この二つにあたるのではないかと思います。

生命は多く動いていますね。何で動いているのでしょうか。止まるとどうなるのでしょう。止まるとは同じような刺激を受け続けることといっても良いかもしれません。

同じ刺激をうけ続けると苦しみが多く生まれることを発見できます。立っていれば徐々にたっていることに苦痛を感じる。そこで座ると楽を感じますが、また徐々に苦痛を感じる。またそこでたって歩くと楽を感じ、徐々に苦痛が生まれる。…同じような刺激を続けると苦痛が生まれ、新たな刺激(苦しみ)に移ったときの苦痛の減り具合で楽を感じると言って良いと思います。

大きな苦痛から逃れるため・避けるために、苦から苦へ動いている。

これが生きることと私は思ってます。

<<科学的根拠のない神や死後の世界、魂が出てくるような仮想的な話は馬鹿らしいです。宗教的な話も全く納得できません。>>

科学を多く学ばれているようなので簡単なことも、複数の同時要素をはらんだ問題を科学では表せないという、科学の不完全さも熟知していることと思います。そこを見ない科学信仰者も多いですよね科学者でもいるぐらいですから根は深そうです。最先端で研究をしている人にとっては「科学はただの道具で一つの方法論と言うだけだ」というのは常識なのでしょうが…。

しかし科学的な理性的で論理的で実証的な根拠を大切にする見解に執着しない柔軟な態度自体はかなり重要で大事にしなければならないことでしょうね。

苦痛を避けることが生きること。

多く悩み苦しみを生むことは「巧みでない生き方」といえるでしょう。その逆の悩み苦しみを減らし充実感を感じることは「巧みな生き方」といえるでしょう。

我々人間は「思考・視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚」によって知ることをしますねそして「言葉・身体・心」で行為をします。その行為のポテンシャルを原因として常に次ぎの瞬間の自己なるシステムに受け継いでいると考えてます。

「巧みでない生き方」になるのは五感に執着し、思考によって妄想し、間違った見解を抱き、執着し、感情的な煩悩による心に支配され、言葉や行為によりさらに大きなものとしてしまうことによって、より理性的な思考を押しつぶし、物事を見えなくすることで陥ると考えてます。

その逆の「巧みな生き方」の道が仏教(パーリ語経典)が語る「八正道」です。至って論理的道徳的理性的実証的な八つの項目です。これはいうなれば非宗教的な教えですw

「死後の世界・輪廻」ですが、「無い」といえば、原因に結果が出ないことになって道徳などの理性的な思考が成り立たなくなる。という考え方もあります。が、しかし「死後の世界」は八正道の実践にかんして問題にならないのだと言うのが仏教の立場だとおもいます。

もし死後の世界が無くても、今の苦しみを解決するのですから現世でも楽を享受し、もし死後の世界が有るなら良いとこに行くでしょう。と

<<この悩みのヒントになると思われる本や思想を教えてください。>>

スマナサーラ長老の書籍やサンが出版の「仏法」がオススメです。

スマナサーラ長老の書籍では個人的に
ダンマパダの解説書・「一日一話」「一日一悟」
「なぜ悟りを目指すべきなのか」
「智慧と慈悲の開発レッスン」
「人生は美しく清らかに」
「現代人の瞑想法」
はかなりはまっていてオススメの書籍です。

「仏法」はまとめた教科書のような書籍です。宝物ですw

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
薦めていただいた書籍ですが、興味を持ったものから読んでみます。
特に「仏法」はmaggaさんのお気に入りなようなので、1度見てみます。

お礼日時:2008/09/02 00:48

人間とはいえ、動物の一種ですから、この質問は、なぜ生物は存在するのかというところにたどり着きます。

犬はなぜ生きているのか、すずめはなぜ生きているのか、カブトムシはなぜ生きているのか、プランクトンはなぜ生きているのか、細菌はなぜ生きているのか、バクテリアはなぜ生きているのかその他もろもろと同値です。
そういう趣旨でお答えしますと、そもそもなぜ宇宙という物体と空間の中に「生きる」ことをする存在が誕生したのか?
私は別に誕生しなくてもいいと思うんです。しかし結局は「何かの加減で誕生してしまった、そしてそれは進化してしまった、絶滅から這い上がってほとんど永続的な命をつなぐようになってしまった」という「しまった」んです。

結局、人間が生きている理由は、ありません。まったくのナンセンスから生じた話です。生きてしまったから生きている、生きるために生きている、仕方なく。それが宇宙に起こってしまった歴史です。

この回答への補足

回答の前半のようなことも考えました。最後は、宇宙はなんのためにできたのか?でした。
物理学に従った考えでは、この世界はエントロピーが増大する方向へ向かったり、より安定な方向へ向かったりします。大きく見れば無駄のないように寄り道せず、宇宙は変化していくのではないでしょうか?
たまたま有機物がくっついて細胞などの生命の始まりといえるようなものができるコトは140億年もあれば起こるかもしれない。しかし、宇宙にとって意味のない存在が繁殖、進化する能力をもつこと考えにくい。だから生命の存在は宇宙にとって意味があり、その意味を僕は見つけようとしている。
と、考えることもあります。
また、僕はあなたの回答の「生命が何かの加減で誕生してしまった」というその何かを求めているのかもしれません。

補足日時:2008/08/31 13:31
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何のために、そのようなことを考えるのですか?

この回答への補足

答えを見つけるためです。僕が答えを見つけようとする理由は、もう答えを探し始めているからです。できるならば、考えるのを止めたいのですが、止められないのです。
答えを見つけることができたならば、自分が本当にしなければならないことが何なのか知ることができると考えています。

補足日時:2008/08/31 11:31
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物理学の勉強からは、答えが出てこないでしょう。

でも、物理学を学び、研究した人の生き方、を追跡してみてください。湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一、小柴昌俊、少し変わった経歴では、東京大学理学部物理学科を卒業して、日本共産党のトップを勤めた、不破哲三さん。現在の日本共産党の代表の志位和夫さんも、東京大学の工学部出身なので物理を勉強したはずです。
人間の一生を80年とするなら、宇宙の140億年の歴史に比べれば、一瞬のできごとです。そして、人が生きるとは、ご両親の間に生まれて、成長して、次の世代を産み育てて、社会的な活動(経済的、社会的、文化的)に参加して、いつかは死ぬということです。生命の生産と再生産の連続です。
では、どう生きるか?という問いに直面します。青年期の選択には、職業の選択、配偶者の選択、思想、生き方の選択があります。職業の選択、配偶者の選択は、しばらく置いておきます。そのときがくれば、symmetry5さんにわかることです。「思想、生き方」の選択とは、すべての問題に二つの立場しかないとします。社会進歩の陣営と現実維持の陣営です。そのどちらの側に立つかの選択です。ニュースで、いろんな事件をみるときに、たとえば、「核兵器」の廃絶か、存続か?などと、問題を立てて考えてみてください。
「人は何のためにいきているのか?」という問題の立て方もあるとおもいますが、閉じた世界のなかの運動になります。symmetry5さんと社会の「関係」かかわり方、どちらの側に立つのか、という問題をたてると、相手がダイナミックに運動します。相互作用が起きます。自然科学的な素朴唯物論が社会にかかわって、弁証法(相互浸透)的に動き出します。
志位和夫さんの「正義と道理に立つものは、未来に生きる」という講演を聴いてみてください。http://www.jcp.or.jp/
地球は、太陽系の一員であり、銀河の一翼にあります。人間も、一人で孤立して生きているわけではありません。いろんなつながりの中で生きているのです。symmetry5さんの「役割」、本来の居るべき場所をさがしてください。
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 何をしたいかで 悩んだことはありましたが。



 生きたいからでは だめなの?

この回答への補足

生きたいとは別に思っていません。
だからといって死にたいわけでもないです。

補足日時:2008/08/31 13:11
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