個人事業主の方必見!確定申告のお悩み解決

奴隷貿易はその後にイギリスで始まる産業革命にどう影響をあたえることになったのか教えてください。

私がさす奴隷貿易は欧州、アフリカ、アメリカ間で行われていたものです。

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A 回答 (5件)

人を雇っていては、採算の合わないものは生産できませんし、人件費がかかっては、利益が少なくなるので、次の設備投資や開発にもお金が使えません。


この時代は産業用ロボットなんてものはないので、人を使うしかありませんが、奴隷がいればこれらが解決します。
それに奴隷商人もお金を作って、それを使いますので、ヨーロッパは金回りがよくなります。
金回りが良くなると、高級品や、嗜好品を求める人が増えます。
すると、面白いものを色々考え付いて、売る人が現れます。
ということで、蒸気機関なんかが生まれるわけです。
これが産業を発達させるきっかけになっていきます。

文化産業を育て、科学を発達させるのは、戦争と無駄金です。
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この回答へのお礼

なるほど!!!
奴隷貿易から得た利益が産業革命を起こしたのですね!!

元手がないと、ものを開発できませんよね。

参考になりました。

お礼日時:2008/09/02 22:35

発想が逆ですね。

産業革命が、アメリカの奴隷制度に影響を与えたのです。

南北戦争を勉強すればすぐにわかりますが、工業が発達して、奴隷を使うよりも、賃金労働者を雇った方が生産効率がよくなった北米と、農業中心の経済で奴隷労働に頼っていた南部が戦争したのが、アメリカの南北戦争です。

ここで、イギリスの産業革命なくして、アメリカ北部の工業の発達はありえません。
よって、産業革命の結果、アメリカが奴隷制廃止の方向に向かったと見るべきでしょう。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。

奴隷貿易で得た利益で産業革命のための設備を開発・購入できたということで正しいようです。おそらく、あなたには私がした質問が言葉足らずで伝わっていなかったんだと思います。すみませんでした。

お礼日時:2008/09/19 17:35

産業革命の規格化のキーはネジです


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%BA%E5%AD%90
で、そのネジの主要なニーズは 時計 銃 甲冑。
規格化によって、分業ができるようになり、生産性が上がるようになりました。
諸国民の冨で、スミスがしつこいほど分業を語っているのは、これが背景にあります。
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大西洋三角貿易の基本は



イギリス→アフリカ
武器
アフリカ→アメリカ
奴隷
アメリカ→イギリス
農産物

産業革命で重要なポイントは、製品の規格化です。
いろんな製品がありますが、武器ほど規格化が必要なモノはありません。同じ大きさの玉を同じ火薬の量で同じように飛ばないと武器になりません。暴発したら、自爆です。繊維工業での規格化は、せいぜい SML、ちょっとくらいサイズが違っても、着れますが、武器はそうはいかない。
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奴隷を使うのにお金は必要ありませんよね。

使う側としては、できれば一生使っていきたい。それが使えなくなると、別の手段を考えないといけませんよね。なぜ奴隷が使えなくなったか、奴隷に代わる手段とは何か、考えていくといいのではないでしょうか。ちなみに、ご質問の目的は?
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この回答へのお礼

夏休みの課題です。
自分で文献よんでみました。
ご返答ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/19 17:37

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Qイギリスの三角貿易によるアフリカの奴隷売買について

NHK・Eテレの「高校生講座世界史」でイギリスの産業革命を勉強しました。

その中で、イギリスの産業革命の頃、三角貿易が行われていて、イギリスは銃や火薬をアフリカに輸出して、アフリカから黒人奴隷を輸入してカリブ海の植民地に輸出した。そして、カリブ海の植民地からは砂糖を輸入したと説明していました。

イギリスがアフリカに輸出した銃や火薬は、アフリカでは何に使用されたのでしょうか?

奴隷を集めるため、それとも当時アフリカで戦争があったのでしょうか?

すみませんが、お教えくださいますよう、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

よく白人が黒人を狩猟のように集めたと誤解されますが、
アフリカにおける大部分の黒人奴隷と言われる方々は、
戦争捕虜や、すでに現地で奴隷となっていた方々でした。
(狩猟によって奴隷となった方々も、少なからず存在します)
このあたりはWikiに書かれている通りなので、
一部を参照にあげておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.A6.82.E8.A6.81
 「現実には奴隷狩りを行い、ヨーロッパ人に売却したのは
  現地アフリカの勢力である。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
 「大航海時代のアフリカの黒人諸王国は相互に部族闘争を
  繰り返しており、奴隷狩りで得た他部族の黒人を売却する形で
  ポルトガルとの通商に対応した。」
 「売られた人々は、もともと奴隷、戦争捕虜、属国からの
  貢物となった人々、債務奴隷、犯罪者などだったが、
  コンゴなどでは、ヨーロッパ人に売却する奴隷狩りを
  目的とする遠征も頻繁に行われた。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.AC.A7.E5.B7.9E.E3.80.81.E8.A5.BF.E3.82.A2.E3.83.95.E3.83.AA.E3.82.AB.E3.80.81.E8.A5.BF.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.89.E3.83.BB.E5.8C.97.E7.B1.B3.E3.81.AE.E4.B8.89.E8.A7.92.E8.B2.BF.E6.98.93.EF.BC.88.E5.A5.B4.E9.9A.B7.E8.B2.BF.E6.98.93.EF.BC.89
 「輸出された武器は対立するグループ間へ供与され、
  捕虜(奴隷)の確保を促すこととなった。」

このように、武器を供与して部族間抗争を扇動することによって、
経済的利益とともに、さらに捕虜を生み出すことになるので
黒人奴隷と言われた方々を集めることに利用されていったのです。

よく白人が黒人を狩猟のように集めたと誤解されますが、
アフリカにおける大部分の黒人奴隷と言われる方々は、
戦争捕虜や、すでに現地で奴隷となっていた方々でした。
(狩猟によって奴隷となった方々も、少なからず存在します)
このあたりはWikiに書かれている通りなので、
一部を参照にあげておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.A6.82.E8.A6.81
 「現実には奴隷狩りを行い、ヨーロッパ人に売却したのは
  現地アフリカの勢力である。」

http:...続きを読む

Q産業革命と資本主義の関係について教えてください

産業革命により、資本主義が発展した(起こった?)といわれますが、その関係性に
ついて教えてください。
一種のエネルギー革命により大量生産が可能になったのが、産業革命ではないかと
思うのですが、大量生産革命がなぜ資本主義に結びついたのでしょうか?

それとも私の認識は全く間違っているのでしょうか?

愚問かもしれませんが、お教えいただきますとありがたく存じます。

Aベストアンサー

近代資本主義以前にも、古くから資本主義的な経済活動はありましたし、
産業革命以前にすでにマニュファクチュアという資本主義的な生産様式は
発生していましたから、産業革命によって資本主義が起こったということは
ないでしょう。

産業革命によって資本主義が発展したというのは、その通りだろうと思いますが、
 ・大量生産が可能になったことで、資本主義的生産の有効性が顕著に示された。
 ・資本家に富をもたらすことで、封建領主に代わって社会をリードできる力の
  源泉となった。これにより、諸制度の資本主義的改革が行われた。
といったところではないかと思います。

Qアメリカの南北戦争って結局は黒人奴隷の取り合いだったの?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、...続きを読む

Aベストアンサー

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですか...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q大学3年次編入で実力以外に成績はどの程度考慮されますか

オール優が理想かと思いますが
可などがあっても大丈夫でしょうか?
やっぱり基本的には編入テストの結果ですよね?

Aベストアンサー

基本的には現在の大学での成績はあまり重視されないと思います。ただし、取得単位数が少ないとか、あまりにも可が多いとかいうことがあれば、悪影響はあると思います。
そもそも、試験は公正に行われるわけですから、公平な立場での点数化が困難なものは評価基準とはしにくいと思います。大学の格差もあるでしょうし、高専、短大卒業生が入り交じった状態で大学等の成績の評価というのは難しいと思います。
したがって、編入学試験の結果が最も重要でしょう。ただし、それは筆記試験だけではなく、口頭試問(あるいは面接)の成績を含めてという意味です。

最近では、いわゆる学歴ロンダリング、すなわち、一流大学卒業の学歴のためだけに入学を目指す人が増えています。しかし、大学が求めているのは、そういう人たちではなく、やる気のある優秀な人物ですので、それを判断する手段としての口頭試問は重視されます。
口頭試問や面接では差がつかないと高を括るっていると失敗します。

Qキリスト教と植民地支配

過去の歴史をみるとアジアやアフリカにヨーロッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後に植民地支配がはじまるとありますがわからないのはどうしてキリスト教の布教をしてから植民地支配がはじまるのでしょうか?別にキリスト教を布教をしなくてもいきなり侵略できるのにしなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行います。
その一巻が、海外への布教活動でした。

ポルトガルの場合、まず交易船が現地に行き、現地の確認をすると、イエズス会の宣教師が向かいます。
その場所が、ポルトガルにとって有益な地と判断された場合、そこに拠点を造ります。
この場合、武力によるか、平和的に行うかは、相手しだいです。
ポルトガルの場合は、人口も100万人程度と少ないため、むやみに植民地を拡大せず、あくまで拠点支配にとどまります。
イントではゴア、中国ではマカオ、アフリカのモザンビークなど。

スペインの場合、コンキスタドールなどが、自分たちで勝手に金銀を奪い取るため軍隊を送り、その地を征服してしまいます。
スペイン王室は、その内の一定割合を王室に収める事を条件に、侵略を容認します。
そのため、スペインの植民地は、鉱産資源の豊かな場所がほとんどで、鉱産資源の無い場所や、交易に利点となる場所で無い限り、積極的に殖民を行っていません。
フィリピンの場合、フィリピンは、当時スペインの植民地だったメキシコの植民地で、中国とメキシコの航路確保のために占領しました。
スペイン軍にしても、軍勢は、コンキスタドールの私兵ですから、数百人が限度で、相手がチョットした勢力であれば、占領は不可能でした。

スペインが滅ぼした大きな勢力として、アスティカとインカがありますが、アスティカの場合、スペイン軍というよりも、反アスティカ部族(トルティカ族など)をスペイン軍が結集させ、アスティカを包囲し攻略しています。

インカにしても、当時インカ帝国では、アタワルパとルスカルが、皇位をめぐって戦争中で、ピサロとアタワルパが結び、ルスカルを倒して、インカ帝国に取り入ります。
その後アタワルパを捉え、インカを乗っ取ります。
インカでは、皇帝に権力が集中していたため、皇帝の名代として命令するピサロに反抗できず、のっとられてしまいます。

スペインにしろポルトガルにしろ、まともな国家を占領するだけの力は、当時ありませんでした。
それらを行うのは、イギリス・フランス、オランダといった諸国で、これら諸国は、キリスト教の布教には熱心ではなかったため、質問者のご質問のような事き有りませんでした。
(フランスの場合、カトリックが優位にたっているため、イエズス会などの布教が有りますが、これは占領されてからの話しです。

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。

これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行いま...続きを読む

Q白人はどうして黒人を差別するのでしょうか?

アメリカで黒人が白人に差別されたと
デモや暴動が起きているそうです。

どうして白人は黒人を差別するのでしょうか?

日本では、ボビーオロゴンやビリー隊長とか
大人気だし。野球でも黒人が大人気なのに
どうして差別されちゃうのでしょうか?

私にはどうしても分からないのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人系アメリカ人とはその立ち位置は大きく違います。
 アメリカでの黒人差別は様々な要素が複合的に絡まりあって成立しています。差別の原因となっている要素を幾つか列挙してみます。

・歴史的経緯
かつて白人は黒人をアフリカ大陸から連れ出し(多くの場合、奴隷化したのは現地のアフリカ人達なのですがややこしくなるので割愛します)奴隷として過酷な労働条件で使役してきました。これを根源的な原因として加害者だった自分達白人を黒人は憎悪しているのではないかと考え、それ故に黒人との共存や黒人の社会進出を苦々しく思う白人は常に一定数存在します。

・社会階層的経緯
多くの黒人系アメリカ人は依然として貧困層であり充分な社会進出を行えていません。白人全体における犯罪経験者の割合と黒人のそれを比べるのであれば前者が明らかに高い数値を示すでしょう。その黒人は非文化的で危険であるというイメージが一部のメディアによって増幅され、それに強く感化されてしまう白人が人種差別に走り、さらにそれがイメージに輪をかけるといった悪循環がアメリカ社会には存在します。

・文化的経緯
同じかつての黒人奴隷を導入した国でも南米などでは人種の混合が進み、人種差別などそもそもどれを差別すれば良いのか解らない程複雑になっている国もあり、これらの国では当然人種差別は殆どありません。
 これとは違いアメリカでは人種・文化の混合が行われませんでした。原因については不勉強なのでなんともいえませんが(カルバン主義やアングロサクソンの島国根性が関わっているのかもしれません)、一部の白人にとって黒人が“同じアメリカ人”では無く“国内に居住するよそもの”的な存在になってしまった事は否めません。

 まずアメリカは国土が広大で地方分権も進んでいるので地方によって人々の考え方が大きく異なり、アメリカと一口に言っても州や地方によって差別の現状は大きく異なる事と、アメリカにおける人種差別をもって白人全ての人種差別を語る事はできない事を申しあげておきます(北部ヨーロッパやイベリア半島では人種差別差別はまた違う様相を呈しています)。
 それとビリー・ブロンクスは大学教育を経て社会的に成功している黒人で、ボビー・オロゴンはナイジェリアの富裕層の出身です。一般的に差別を受ける黒人...続きを読む

Q大西洋三角貿易と技術革新の関係性

大西洋三角貿易とイギリスの技術革新の関係性について知りたいです。
調べたのですが、どうにも良く分からなくて。

それと、西インド諸島とアフリカはその当時、イギリスの植民地ということでいいんですよね?

Aベストアンサー

西インド諸島・アフリカ・欧州の三角貿易のことでしょうか?

三角貿易のメカニズムは以下のようなものです。
(1)欧州からアフリカへの武器・雑貨の輸出
(2)アフリカから西インド諸島・新大陸への労働力(奴隷)の輸出
(3)西インド諸島・新大陸から欧州への換金作物・鉱物資源の輸出

産業革命によりイギリスでは紡績機が発明され、綿花から綿糸を大量生産できるようになりました。加えて、力織機の発明により綿織物の大量生産も可能になりこのような三角貿易の発展・継続を支えました。

>西インド諸島とアフリカはその当時、イギリスの植民地ということでいいんですよね?
全部ではありませんが、イギリスの植民地もありました。

参考URL:http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-92.htm

Qアメリカの奴隷制度の実態について

アメリカの奴隷制度の実態はどのようなものだったのか教えて下さい。

僕は歴史に全然詳しくないので、これは素人の質問であることをご了承ください。


アメリカで奴隷制度が廃止される前の黒人の生活実態はどのようなものだったのですか?

例えば奴隷制度といっても、実際には働いた分賃金をやり取りする雇用形態の形をとっていたのですか? それから黒人の労働市場は誰がどんな形で取り仕切っていたのですか?

それからもう1つ疑問なのが、現代日本の感覚で「奴隷」と言うと、完全に人権のない家畜のような扱いを受ける存在という意味で使われたりしますけど、本当にそんな扱いを受けていたのですか?

「風と共に去りぬ」とかを読むと、確かに当時は白人と黒人の身分が違う社会だということは明確に分かりますけど、案外、白人と対等に生活している黒人もいたりして、少なくとも今の日本人がイメージする「奴隷」というのとは大分違うのかなあと疑問を感じました。

Aベストアンサー

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。

紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。
また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたのですが、身代金を払えない人々は奴隷商人が買い取って、地中海から離れた中近東などに売っていたようです。

これらは1世紀ぐらいには、かなり高度に組織化されており、ローマ帝国の奴隷にはアフリカ出身の肉体労働者から、ギリシャ出身の教師の奴隷や医者の奴隷なども居たようです。また、奴隷には賃金がある程度払われており、それを元手に儲けあるいは宝くじを当てるなどして、主人にお金を払い奴隷身分から開放されたようです。
 
 またプランテーション的な農業が多かった地中海世界では、奴隷は労働力として必要だったものの、積極性は皆無だったため、馬牛などを使った場合の生産性と奴隷を使った場合の生産性について議論した同業経営書などもあったようです。

いずれにしても「奴隷」の地位は、主人の所有物であり、馬や牛などの家畜と変わらない存在でした。3世紀ぐらいの奴隷の価格は30万円前後であり、家畜を飼うほうがいいか奴隷を飼うほうがいいか、というものだったと思います。


時代が下がって中世のヨーロッパにも奴隷性が残っていました。この奴隷性の特徴はほぼ古代と変わらないのですが、供給先がアフリカとスラブ民族に変化していきます。また、当時のヨーロッパは相対的に貧しい地域でしたので、中近東などから宝飾類やスパイスなどの輸入に対して、奴隷を代金代わりに払っていたようです。
アラブ諸国では、白い肌が珍重されるために特に女性は高値で買われていたようですが、これは現代のニュースにも同じ側面が出ています。

わずかな金額で買われる少女予たち:http://japanese.ruvr.ru/2012_11_29/96332677/

アメリカ合衆国が独立すると、ほぼすぐに黒人奴隷が供給されるようなります。このときに供給したのはヨーロッパに存在する奴隷商人だったことでしょう。
アメリカは広大な土地があったため、労働力がいくらでも必要だったからです。

奴隷制度そのものもヨーロッパの制度とほぼ変わらなかったと思います。重要なのは
・奴隷は主人の所有物であること
・奴隷の子供も奴隷であること
・奴隷の生殺与奪権は主人にあること
です。

先ほど書いたように、奴隷の労働力を向上するためには多少の娯楽必要になりますので、小遣い程度の賃金を与え、日常的な楽しみは享受できた、という場合も多いようです。
しかし、アメリカ南部のなにもないプランテーションで働く奴隷には、娯楽もなにもなく掘っ立て小屋で寝起きをする暮らしの人々もいました。
 これらの処遇は、主人の資質によるところが大きく、それは古代から同じでした。

アメリカの奴隷制度を特長つけているのは、黒人法という法律でしょう。アメリカには独立当初からわずかですが自由人としての黒人がおり、また奴隷から解放された黒人もわずかながら増えていきました。
 ヨーロッパでは(実際に差別がなかったとはいえませんが)、肌の色で差別する法律は無かったのですが、アメリカには黒人法(black code)が制定されていました。

この法律が制定されたのは、皮肉なことに奴隷解放を是非とした南北戦争の後のことであり、憲法で奴隷制を廃止したのにも関わらず、黒人法で差別することになっていったのです。

つまり、私たちの知っている奴隷制というは、南北戦争までの「主人が所有する」という奴隷性と、戦後の黒人法による実質的な差別の二つに分かれます。

以後は黒人法による「実質的な奴隷制」の継続の根幹です。
黒人法は多岐にわたる法律の総称なのですが、その内容は
・選挙権の実質的な剥奪 投票税などで黒人の投票権を縛った
・異人種間の通婚の禁止 白人と黒人が結婚することを禁止した
・教育の分離      白人と黒人は教育する場所を厳密に分離された。
・公共施設の隔離    鉄道・バス・レストランなどの場所を分離した。
・武器の所持や夜間外出の禁止
・徒弟法        黒人が労働する際に、お礼奉公を義務つけるなど、実質的な職業の自由を奪った。

これにより、黒人は白人とは違った「2級市民」の扱いをうけ、特に南部の奴隷出身者は、実質的にそのまま主人の元で働くことを余儀なくされました。
また、黒人が自立して働き、個人の権利を確立することはかなり難しかったと思います。特に教育で差別され、賃金や選挙権で差別されているのですから、実質的に奴隷と同じだったといえます。
ただし、元々自由民だった黒人も少数ながらいましたし、北部では(黒人が元々少ないが)かなり自由に生活が出来ていたといえます。

これらの黒人法は1866年(南北戦争終戦の翌年)から数年で公布され、南部11州で常態化していきます。
これが解消されるのは1964年の公民権法が施行されてから、ということになり、この法律が施行されてからまだ50年たっていないことになります。

今でも黒人差別は南部が激しく、北部は比較的穏やかです。しかし、それ以外にも黄色人種差別やヒスパニック差別などもあり、白人優位主義が消えたわけではありません。
 

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。

紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。
また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたの...続きを読む


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