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アメリカ南北戦争の本質は、イギリス型グローバリズム経済に組み込まれた南部諸州と保護貿易で国内産業の確立を目指した北部諸州との対立という認識で良いですか?

A 回答 (4件)

そうですね。



綿花が多い南部では自由貿易を
望んでいたわけです。
その方が儲るからです。

工業が多い北部では、進んだヨーロッパ
製品に敵わないので、
制限貿易です。

そして、米国全体としては制限貿易を
しました。

これじゃ、儲けが無い、ということで
南部が独立運動を始め、
それが南北戦争になった訳です。

戦争は、生産力が圧倒的な北部が楽勝
するはずでした。

しかし、南部には優秀な将軍が多く、
苦戦。

それで、リンカーンは黒人解放を打ち出し
ました。
これで流れが変ります。

黒人が北部の兵隊となって参戦した
だけではなく、
奴隷政策に反対だったヨーロッパも
北部を援助しました。

かくて、戦争は北部の勝利に終わりました。

つまり、南北戦争の本質は、黒人解放ではなく
国家分裂を阻止するためでした。

考えても下さい。

黒人の為に、白人が殺し合いをしますか。
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米国を取り巻く国際環境としてはその通り。

少なくとも最初の頃は。

国内環境としては、低賃金労働者の不足に悩む北部の工業州が、南部の農業州の黒人奴隷を解放することによって、南部の労働力を奪い取ろうという狙いがあった。
だから、奴隷制度を維持したい南部と奴隷解放を進めたい北部の戦争となった。

ただ、この黒人奴隷問題は、国際環境にも大きな影響を与えた。
英国も含めて欧州は人権問題の観点から、早くから農奴は禁止され、黒人奴隷も違法という立場だった。実際に黒人奴隷は禁止された。

だから、西欧の経済人は南部支持でも人権派は南部に批判的だった。ただし、北部も奴隷問題では曖昧で怪しい点もあったので、人権派は北部支持というわけでもなかった。

しかし、そこでリンカーンの「奴隷解放宣言」が飛び出して人権派の北部支持が先鋭化したため、欧州の世論が一気に北部に傾いたのだ。

リンカーン自身は当時の米国人としても、極度な人種差別主義者であり、彼が黒人奴隷解放宣言をしたのも、人権問題ではなく労働力問題だったが、これで戦争の行方が決まったことは間違いない。

リンカーンにはあまり知られていないが、次のような言葉が残されている。
「私は黒人を奴隷のままにしておいた方が戦争に勝利できるのなら、そうする。解放したほうが戦争に勝利できるのなら、そうする」
正しく、彼は戦争に勝利するために奴隷解放宣言を出し、そして勝利した。
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南北戦争は南北両地域間の武力抗争として戦われたが、その本質は前近代的な南部の黒人奴隷制度と北部の産業資本との矛盾・対立の暴力的爆発であった。

それはマルクスの表現によれば、「二つの社会制度の間の、奴隷制度と自由労働制度の間の闘争」であり、またビアードは、「階級構成、富の蓄積と分布、産業発展の過程、および建国の父祖から受け継いだ憲法上の広範な変革を巻き起こした社会戦争であり、北部と西部の資本家・労働者・農民が、南部のプランター貴族を国家権力の座から追放した社会的大変革であった」と述べている。結局この戦争は、植民地時代以降、2世紀半近くにわたって強固に存続していた黒人奴隷制度を廃止し、以後、アメリカ資本主義が新たに開放された南部を包摂しつつ単一の広大な国内市場を基盤にして、全国的規模でいっそう発展することを可能にした歴史的条件を用意したという点で、世界史的意味でのブルジョア民主主義革命であった。南北戦争が「第二次アメリカ革命」ともよばれるゆえんである。また黒人に関して、彼らはこの戦争によって奴隷制度のくびきから解放され、法のもとでの自由を確かに獲得したが、それがどこまで真の自由たりえたかは別個の問題である。
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そうだね。

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