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病気の治療の方法の一つに、気功というものがあります。中国では、この治療法は、かなり認められていますが、西洋医学側と対立しています。対立する理由は何か?認めることができない理由とは?また、もし科学的に“気”を定義するとしたら、どのように定義するのか、分かる方、あなたの知恵を私に恵んでください。お願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

東洋医学と西洋医学。

どちらも傷病を治療する手段ですが、
この2つのが対の両極にあるとするのはその発祥に有るのでしょう。

西洋医学の背景には解剖学という、「神」の創造物である「人間」を探求する
という好奇心と狂気から発達した「体を切開する」宗教的研究の側面があります。
解剖学は生々しい人体実験を繰り返し、蓄積し、やがて第一次世界大戦で
負傷した戦場兵の救命術へと変化し、昨今の外科的西洋医学として確立され
た背景があります。

一方東洋医学は、予防的見地に立った、自然経験学的、信仰的な医学です。
野生から得る知識、資源(野生動物の食態など見て薬効を判断するなど)で
人間の本来持っていた野生の生命力を引き出すことによる医学ですので、
「生命力(気)」と「薬草」の関係(気が体内でどう流れ、薬草が気にどう
影響するかなど)が大変重要な要素であったのです。


中国の漢字文化は1文字で多くの意味を持つことも多々あります。
「気」とは生命力であり、意識であり、包み込むような空間であり、
非常に多様な要素を意味しています。
そのことが、「気功」と言う存在定義に多様性を持たせ、一方で唯物的、
実証科学的に発達した西洋医学からみて胡散臭いように映ったのです。
逆に東洋医学から見て、西洋医学は「気」の流れをズタズタに切り刻み
治癒を遅らせ、むやみに傷を増やす野蛮で粗雑な解体術に映ったわけです。

東洋医学では「気」の流れの乱れが即ち病です。
治すには刺激により「気」の整流が必要です。

西洋医学では「異物・損傷」が即ち病です。
治すには切開で異物・損傷組織除去が必要です。

こうした根幹思想の違いと、社会学的に見た時には、術者の収入源となる
「医術」の流派争いという構図が西洋医学対東洋医学の対立の構図なのでしょう。

ですが近年西洋医学にも、東洋医学の自然治癒力を大事にする思想が取り込まれ
つつあり、むやみな切開や投薬を見直すドクターも増えています。
また、漢方という文化の中から、有益な薬効物質を発見したりと融和の第1歩に
はきています。

医療社会学で学んだ浅知恵ですが参考になれば。
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大学2年生です



学校で習ったことを基にお答えさせていただきますね

もし気孔が遠隔力なら全方向に均等に広がっていきます。
ドラゴンボールで気を高めると地面がクレーターみたいにへこむあれです。
しかしTVでの実演を参考にしますと、周りのスタッフなど影響を受けてないの見るとどうやら気孔は使う人が意図する一方に出せるようです。
このことから気孔は引力や磁気などとは違い、人間の目には見えない何かが手から出て空気中を伝わり人間の体に作用しているようです。

この間見たTVでは日本から気を発してオーストラリアの人間を治療していました。
このような大きな距離で特定の人物にだけ気を送っていました。
気を送られた人は踊りだしてしまうというものなのですが、地球の形に沿って進んでいくとしたらほかの人に当たって直線状に並んだ人みんなが踊りだしてしまうでしょう。しかしそんなことはなかったので地球の中を通っていったと思われます。
大きな距離もものともしない気孔は地球上にある物質による減衰は非常に少ないでしょう。

人間を作っている元素はほとんど海水や地中に含まれています、ですがそれには反応せず人間だけに反応しています。そのことから気孔は人間の持つ特定の状態にある化合物にのみ反応するよう・・・(略)


こんなとこでいいですか?
やっぱ式で定義しないとだめですか?

そういえばオイラ物理の再試験があった・・・(; ̄Д ̄)
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あ,これらの治療法が特に対立するものであるとは私は思いません。



突然少し話がずれてしまいますが,アリは2次元の世界に住んでいると
言われています。なぜならば,彼らは目が見えないのです。でこぼこした
平面状を嗅覚と触覚だけを頼りに,歩いているのです。
つまり,もちろん彼らは3次元の世界にすんでいるのですが,2次元の
世界しか認識できていないのです。
ここで,少しヒントです,彼らが柱を登っているときと降りているとき,
(つまりz座標が変化するとき)何が違いますか?
「なんかちょっとしんどいなー」とかって感じですよね。
それとか,アリを一匹ピンセットでつまんで,違うところにおいたら,
彼らはどう思うでしょう?「ワープした」とか「神隠しだ」とかって
感じでしょう。

宇宙ができたとき(ビッグバンのとき)10次元あったといわれています。
我々が認識している4次元(時間も入れて)以外の6次元はどこに行った
のでしょう?

実は我々は4次元以上も認識しているのです,先ほどのアリの話を思い出して
下さい。「なんか今日はちょっとしんどいなー」とかありませんか?

自分が見えないことを否定してはいけないのです。これは,もしかして7次元目
が何か変化していることのサインなのかもしれませんよ。
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これらの治療法が特に対立するものであるとは私は思いません。



突然少し話がずれてしまいますが,アリは2次元の世界に住んでいると
言われています。なぜならば,彼らは目が見えないのです。でこぼこした
平面状を嗅覚と触覚だけを頼りに,歩いているのです。
つまり,もちろん彼らは3次元の世界にすんでいるのですが,2次元の
世界しか認識できていないのです。
ここで,少しヒントです,彼らが柱を登っているときと降りているとき,
(つまりz座標が変化するとき)何が違いますか?
「なんかちょっとしんどいなー」とかって感じですよね。
それとか,アリを一匹ピンセットでつまんで,違うところにおいたら,
彼らはどう思うでしょう?「ワープした」とか「神隠しだ」とかって
感じでしょう。

宇宙ができたとき(ビッグバンのとき)10次元あったといわれています。
我々が認識している4次元(時間も入れて)以外の6次元はどこに行った
のでしょう?

実は我々は4次元以上も認識しているのです,先ほどのアリの話を思い出して
下さい。「なんか今日はちょっとしんどいなー」とかありませんか?

自分が見えないことを否定してはいけないのです。これは,もしかして7次元目
が何か変化していることのサインなのかもしれませんよ。
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東洋医学と西洋医学とは対立と捉えられがちではありますが,


例えば漢方と精製医薬とは,不純物のあるなし程度の違いだと思いますし,
免疫系に期待するのと外部からの対処によるものとの違いはあれ,
内部での反応に大きな違いがあるとは思っておりません.

異なると言えば,東洋医学の方はいたずらに神秘とか超能力とか,
そういう未定義なものによって説明されてしまう場合がままある点でしょうか.
「波動」とか「流れ」とか,曖昧な用語が勝手に用いられていて,
しかも曖昧に理解されたような雰囲気になってしまう場面,テレビでも見かけます.
明らかに自分以外の人間に作用を及ぼそうとしているのですから,「霊」のように
主観だけではないのですから,この辺の説明はきちんとなされる必要があります.

「気」を定義するにも,定義されていないもので定義されるきらいがあるように
思えます.同時に人体の作用には未解明の点もありますから,この辺をきちんと
確立して,定義された用語で説明することが第一歩であると思います.
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参考になる本?として



〔超能力〕と〔気〕の謎に挑む(ブルーバックス)
天外伺朗 講談社

を紹介します。この本に回答に近いことが
書いてあります。著明な物理学者が行き着くところ
は東洋の「気の世界」みたいですよ、湯川秀樹も。
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たびたびお邪魔します、鍼灸師です。



皆さんのご意見、とても勉強になります。
東洋医学に否定的な意見がたくさん書き込まれるのではないか、と考えて拝見していたのですが、良い意味で裏切られました(笑)。

現時点では気を完全に科学的な捕らえ方をするのは無理があるんです、やはり。

だからといってそうする事をあきらめてしまえば、それ以上の進歩は途絶えてしまいます。

東洋医学を業とするものの生涯の課題ですね。これは。
学問に王道無しです。
日々精進するしかありません・・・。
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科学にするためには、必要な条件があります。


「説明がつくこと」「反論を受け付けること」「再現可能な事」
少なくとも、これくらいは必要でしょう。

そもそも、「定義」は、科学的にするものではありません。
定理には証明が必要ですが、定義には必要ありません。
 定義は、「義を定める」ことですから、決めるのは勝手です。
(例えば、「山とは、標高100メートル以上の陸地のことを指す」と
言う具合に、何とでも言えるわけです。同意して貰えるかは別ですが)

従って、気功を科学的に解明するのに必要なのは、「定義」することではなく、
反論に耐える「説明」を、データに基づいて提示することでしょう。

ただし、科学的に証明できることと、真実であることは必ずしも同一ではありません。
説明がつかなかったり、再現が必ずしも可能でなくても、だからといって、
ウソだということになるわけではありません。あくまでも、「科学的」に説明
可能
ではないだけの話です。それを、無理に「科学的」だと言い張ると、むしろ
怪しくなっていってしまうのでは無いでしょうか?

というわけで、
科学的に解明する努力はするにしても、それが出来ない時点では、
無理に科学的であることを求めようとしない方が良いのでは無いかと思います。
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条件を与えると有意な結果が予測どおりに高確率で起こり(再現性)、後世に伝えられる技術であることが科学なので、気功も科学だと思います。

もちろん、東洋医学も科学。
東洋医学は、複雑系全体のデータの取り方をしているのに対し、
西洋医学は、分子レベルの要素1つ1つのふるまいのデータを取る。
対立しないと思います。西欧でもアニマルセラピーとかあるし。
例えば風邪を引いたら西洋医学では頭痛にはアスピリン、細菌がいれば抗生物質・・と、ひとつひとつの症状に対する薬を足し算して処方するので、ピンポイントに良く効くけれど、分子レベルから体全体(複雑系)の状態を予測するのは大変なので、どれかの薬が効いた結果、副作用が出てまたそれに対処するという風です。今は、「遺伝子を解明すれば薬の効き方の個人差もわかるはずだ」という研究のように、ますます細かいところに目を向けています。
一方、東洋医学では、分子レベルの研究は優先度が低く、体全体を見て、免疫力を高める等の観点で処方するので、効き目は緩慢かもしれませんが副作用という概念がないと思います。ひとりひとりの体質を見るので遺伝子を見ているのと一緒だと思います(体質や個性は遺伝子発現の最終結果)。
気は神経系に作用しているようですが、それを物理や化学で表すことはそれほど優先されるべき問題ではないように思います。
例えば、お年寄りが、小さい頃の思い出の歌を聞いて元気が出るのはなぜでしょう。記憶中枢の興奮→α波→電気信号パタン→○□ホルモン分泌→免疫細胞活性化?これらの相互作用を分子レベルの物理と化学だけで、何が起こったのかを順を追って説明するのは大変というか意味がないです。この現象をほかの人にも再現したかったら、やはり懐かしい歌を聞かせればいいだけです。
もし西洋医学ならどうやって再現するかというと、部分をとって、「α波が出なくてもこの薬を飲めば化学作用で○□ホルモンが分泌される」ような薬を作るのです。
東洋医学で病気の進行を抑えれらなさそうなときに病院を変えなくても気軽に西洋医学に切り替えられる社会になればいいなと思います。
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どもども、鍼灸師です。



#2の方のおっしゃる通りです。
一般的に気とされているものは、他のものの働きの場合が多いです。

気は概念としての存在であり、実態はないと考えるのが自然だと思います。
つまり、東洋医学的な現象のつじつまを合わせようとすると、気の概念がないと苦しくなるんです。
そのための存在だと・・・。

でも、気の概念を念頭において治療すると、悪いところが良くなるから面白い。
これだから鍼灸(東洋医学)は面白いんです。

これがわかってしまったら、治療する側としては少しつまらないかもしれませんね・・・。

治療し終えた結果、こうなった。
なぜこういう結果が出たのか?

そう考えた時、気の概念を使ってすべてがつながった時、「鍼灸やってて良かった~」と心から思います。

・・・ちょっと話がそれました。すいません。
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