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 源氏物語は紫式部一人で書かれたものではないと聞きました。まず、
・1,000年も前であり、女性が執筆したものである
・紙は非常に高価だった
・ひとりが54帖も書けたのか
どなたかご存知の方、同じ長編の千夜一夜物語についても
一人の者で書かれたのかよかったら理由もお教えてください。

A 回答 (4件)

源氏物語大好きで、その結果、短大では「源氏物語が書かれた時代の背景」を専門にしたオバサンです。



「一人で五十四帖を書くこと」については、不可能ではないと思います。
「若菜」のように上下に分かれて、しかも長い帖もありますが、一番短い帖である「花散里」なんて、岩波文庫で5ページしかありません。「空蝉」も10ページ。「末摘花」も30ページちょっとだったと思います。
ですから、「一人で五十四帖を書くこと」については、不可能ではないと思います。

尤も…。
私は「紫式部」が、複数の人物の共同ペンネームだったのではないかと想定しているんですけれどね。
要するに「そもそも『紫式部』は1人ではなかった」と考えているんです。
ですから、「源氏物語の作者」=「紫式部」=「藤原為時の娘」も、私の中では確定していません。

たとえば、「紫式部書房」のようなところが開設され、そこのパトロンとして藤原道長がいて、「源氏物語」を「書かせていた」のではないかと考えているんです。
なので「紙」にも不自由しなかったと。
プロットを考える人や文章を作る人が複数と中心人物が1人いて、複数の人が作ったプロットや文章を、中心人物が「物語」の形にまとめていくことにより、文体の不整合などを調整したのではないか、と考えているんです。

現在では、「紫式部」の直筆の「源氏物語」が存在していません。
ですから、「源氏物語」は、本当に「紫式部という1人の人物が作った物語」のかもしれませんが、書き写している間に「変化」があった…ということも考えられます。

#2さんがご紹介のTV番組は、私も見ました。
書き間違いだと思いますので1箇所訂正させてくださいね。
> 高明は藤原道長の娘婿
ではなく、「源高明の娘・明子の夫が藤原道長」です。逆ですね。

あの番組の内容は、歴史を学んだものとしては「???」なものばかりなので…。

明子は964年生まれとされていて、源高明が亡くなったのは983年なんですけれど、源高明が安和の変(969年)で失脚した後、明子は叔父である盛明親王の養女になっているんです。
986年に盛明親王が亡くなった後は、藤原道長の姉・東三条院の元に身をよせ、東三条院の元で藤原道長と結婚しています。
藤原道長のもう1人の妻・源倫子も964年生まれで、明子と同い年です。
藤原道長と倫子が結婚したのは987年で、明子の結婚とほぼ同時期とみられています。

「当時は『通い婚』で、藤原道長は明子のところへ通うついでに、舅である源高明から『源氏物語』の話を聞き、それを女房の1人である『紫式部』に伝えて書かせていた」という話は、なかなか「成立が難しい」と思うんですよね。
「源高明が安和の変で失脚した後の10数年間に『源氏物語』を書きため、それを娘である明子がもらっていた…。」としてくれれば、「あり得るかも」と言ってあげたんですけれどね。

それにしても、なぜ「藤原氏」が全盛の時代に、「源氏」が「勝つ」内容の物語が書かれたのでしょうね。

最後は横道にそれましたけれど、私の説は「そもそも『紫式部』は1人ではなかったのではないか」です。
なので「源氏物語は1人で書かれたものではない」かもしれないと思います(質問文の冒頭から「紫式部」を削除)。

千夜一夜物語は、「今昔物語集」や「古今著聞集」のような、「説話」や「伝承」の取りまとめ物語…ではないでしょうか。
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源氏物語の場合と千夜一夜物語の場合とでは事情が違います。


源氏物語は普通三部に分けて考えますが、その最後の所謂「宇治十帖」と呼ばれる部分とそれ迄とは可也の違いがみられると云うので、「宇治十帖」は別人の手になると云われています。又五十四帖と一口に云いますが本によって異動があります。一般には青表紙系の本が広く流布していますが、別系統の本では帖の分け方や各帖の名前も異なるものがあります。そもそも完成した時も五十四帖だったのかすら確言できないのです。当時は今と違い書写しか方法はなかったので書写を重ねる間に色々のものが紛れ込んだり逆に抜け落ちると云う事も有り得ます。さらには逸巻(なくなった巻)もあるかも知れません。(弘徽殿の女房についての巻が逸になっていると云う説もあります。又雲隠の帖は題名だけだが実は本文があってとして偽書もつくられたりしています--雲隠七帖)
このようにもともとの姿がわからない上に可也の長期間にわたる作と思われますので諸説があるのです。
千夜一夜物語の場合は既に巷間に流布していた物語を集大成したものだろう云われています。すると個々の話の作者と全体を纏めた人とは当然異なる訳です。
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この回答へのお礼

成る程、すごく分かりやすいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/26 20:54

この前TVで源高明という人が書いた(日記?)という説が放送されていました。


紫式部が作者であるというのはある書物の一文に書かれてあるだけで、
高明は藤原道長の娘婿であり源氏物語は政治に利用されたという話でした。
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この回答へのお礼

それは初めて聞きました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/26 20:52

ウィキペディア(wikipedia)


http://ja.wikipedia.org/wiki
の源氏物語の記事(源氏物語で検索)に源氏物語多作者についての
解説があります。
千夜一夜物語につても同上のウィキペディア(wikipedia)
の記事(千夜一夜物語で検索)に解説があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
他にも書かれていること以外にもう少し知りたいです。

お礼日時:2008/09/26 20:50

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