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人にはなぜ悩みがあるのでしょうか。

もっと簡単に(動物みたいに、は言いすぎですが)なればなぁとは思いますが。

A 回答 (18件中1~10件)

No.10です。

補足です。

何もないドラマよりは、悩みがあるドラマの方が楽しいだろう、という例を挙げて、何もない人生よりは悩む人生の方がましだ、とコメントしましたが、修正します。

悩みは本来、楽しいものです。
悩みは、選択肢があることを示します。
昼食は何を食べるかについて、悩まずに毎日定食を注文するということもできますが、悩んでメニューから選択することもできます。
給料が手に入って、それで何を買おうかと悩むことは、楽しい行動です。
子供に手が掛かると思いながらも、どういう育て方をしようかと悩むのも楽しいものです。

問題は、現実を認めないことなのです。
受験に失敗した場合、その学校に自分は入るべきだ、と考えていれば、実現手段が無いにも関わらず、ずっと悩んでしまいますが、それよりも、違う人生を探すべきです。
末期ガンに掛かった人が、死にたくないとずっと悩んでいたが、死を受け入れると穏やかな気分になれることは、よくあることです。
すべてをありのままに受け入れた場合は、それほど大きな悩みは残らないのです。
もし大きすぎる悩みを抱えていたら、その時は、悩むべきなのかどうかを考えてみるべきなのです。

この質問は、「人はなぜ現実を受け入れないで悩むことを選択するのでしょうか」の方がふさわしいかもしれません。
現実を受け入れれば、周りのことが見えてきます。
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この回答へのお礼

そうですね。迷いと悩みと苦悩の違いがあるかもしれません。
だいぶ分かってきた気がします。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/01 18:10

予期計画能力との関連性が指摘してあります。


未来のために計画を考えることができるようになった「代償」という見解です。


参考書
ヒトはいかにして知恵者となったのか
三つの脳の進化
システム現象学 オートポイエーシスの第四領域
ショーペンハウアー「存在と苦悩」
※誤字脱字の可能性あり
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この回答へのお礼

参考にしてみたいと思います。ありがとうございました。

シンプルな質問でしたが、いろいろな参考意見・回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/04 09:56

生物にとって、自分を維持することと子孫を残すことが最も重要なことです。

そのため、自分の生きる環境に最適な行動パターンを生物は獲得してきました。それは本能として子孫に受け継がれていきます。しかし、特定の環境に最適化されてしまったため、環境の急激な変化には対応できなくなります。そのため多くの種が絶滅していきました。その問題を克服する方法として、高度に進化した生物は、最適な行動を選択する、という能力を獲得しました。自分の周りの環境がどのような状況にあるのかを知り、その状況で自分が取りえる行動にはどのようなものがあるのかを推測し、候補の中から最も適切な行動パターンを選択する、という能力です。この能力を獲得したことで、その種が生き延びる可能性が非常に高まったのですが、代わりに、常に悩んで生きることを強いられることになりました。
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この回答へのお礼

環境に対して他の生物は外形を変え、人は最適な思考パターンを選択することで生き延びることができ、
どちらにしても簡単なパターンだけでは対応できないようになっているのですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/03 10:14

知らない世界を知りたいという欲求があるからだと思います。


イメージできない世界をイメージしたい。
考えたことのない世界を考えたい。
得たことのない刺激を得たい。
今までに経験したことのない世界を見てみたい。
そんな欲求があるからだと思います。

では、なぜか?
同じ世界ばかりだとマンネリしてしまうからではないでしょうか。
悩み続けることにマンネリしたら、簡単になれるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

>悩み続けることにマンネリしたら、簡単になれるかもしれませんね

人は常に変化を求めているのかもしれません。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/01 19:02

こんにちはー



例えば、元々有ったものが、無くなると人は悩みます。
家族を失う、恋人を失う、愛犬を失うなど。
お金を失うなども、その一つに入るでしょう。
お金も元々無ければ、悩む必要もないのですが。。

私も先日失うことがあって、たいへん悩んでいます。
おかげで、今は何の気力もわかず抜け殻状態です。

失うものの中で、男と女に関する悩みというのが、世間
一般でもわりと多いような気がします。
なんとかなりそうで、なんともならないからでしょうか。
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この回答へのお礼

そうですね・・大切なものを失うことは現実を受け入れられず少なからず悩みます。
頭では分かっていても心では受け入れられなかったりするものです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/01 18:53

ANo.9です。



筋トレをすると、たくましくなるのと同じで、
悩むことは、脳トレをしているのです。
悩むことで、脳に回路ができ、次の問題をとくのが楽になってきます。
また、それまで「解決の糸口が無い悩み」だと思っていたことが、「筋道立てて理論的や客観的に考えられる」ようになります。この辺りまで来ると、悩むことが楽しくも感じられるのですよ。
 
だから、若い時は本能的に悩み、解決するよう身体にしくまれているのです。
また、若い時の悩みはそのほとんどが「人間誰でも同じことで悩む」様な悩みで、人生の先輩の意見を聞いたり、小説等を読んだりして解決することが多く、その悩みの壁を越えられたとき、一歩成長した自分が底にあります。
悩みを克服できた後、人生を振り返った時、辛いことも笑って話せるようになれるのが誰もが思う人生の理想ではないでしょうか。
ですから、若い時は、色々な人と積極的に話したり、本。特に小説を読みましょう。

手塚治虫の「ブッダ」やクローニンの「天国の鍵」を機会があったら読んでみてください。
クローニンの「天国の鍵」
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この回答へのお礼

悩むことで脳トレになっていると最近感じます。
手塚治虫の「ブッダ」やクローニンの「天国の鍵」、参考にしてみたいと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/01 18:48

ちょっと 最近、この哲学カテを読んでいて、アカデミック哲学自体に懐疑の出てきた61歳5日目の肉体労働者でもある「たぶん生活哲学者」からの回答です。



ちょっと、crystal315さんの質問に、まず、懐疑的な書き方をしますね。

とばっちりが いってしまっただけと考えてください(^^)。



>人にはなぜ悩みがあるのでしょうか。< というふうな文の裏の心の中の悩みなら、 >「終わりのない悩み」<なんて、あるはずがない。

その悩みを解決するまで悩めば その悩みはもっと簡単になるんですから(^^)♪。

>(動物みたいに、は言いすぎですが)<は また別の問題。



ごめんなさい。 ほんとうは、私たちの前に立ちふさがる悩みの世界は巨大で、切実で深くもあります。

でも、知的な悩みということだけであれば、それはこんなふうにも言えます。

知の世界にとって、存在とは巨大なコンピューターゲーム機の「謎解きゲーム」ソフトのようなものだ。

宇宙のありとあらゆる事象を そのような面のある存在として捉えることもできるということです。

そしてそれを楽しむことも、スポーツのようにその解決のたどりつくまでの苦労を苦しむことも場合によってはそれ自体をそれなりに楽しむことも、やがて、そこを乗り越えて解決した喜びを、苦労したぶんだけ喜んだり お祝いしたくなったりすることも、  そういう面は、まるでゲームかゲーム的は旅行の世界です。  卓上のです。  はっきり、もう一度いいます。

卓上のです。

その中での悩みならば、そのゲームの答えが出れば(動物みたいに、は言いすぎですが)もっと簡単どころか 悩みは無くなりスキッとします。

実在のゲーム機には科学が発達すれば悩みはなくなる可能性はありますが、 ゲーム機なら私たちの脳につくりだせるので、もちろんそういう意味での「終わりの無い悩み」は わざと作ることもできます。

この懐疑的な言い方でいけばなのですが、 これでそちらの設問謎解きゲームは全部解けてしまった(文章から言えばです。)ということになります。  スキッとです。(^^)。

ところが、crystal315さんという方が いままでどのような人生を送ってきた方かなんて、神様じゃないのですから、 こんな短い文面に、そういったことはひとかけらすら 私に解かるわけがないので 誤解しないで欲しいのですが、

どんなふうに考えたって、 crysutal315さんのこの質問が、そのゲームの途上の悩みだけからの文としてここに書かれたものだなんて、私には考えられません。

若い人なら ゲームは大好きだとおもいます。 知性を磨き解決能力も高めてくれると思います。 今後さらにすぐれたゲーム機も開発されてくるでしょう。  私の予想では、今後信じられないような知的な難関も持ち、かつ楽しさもさらに3D的にも内容的にも拡大されたゲームが いっきに発展してゆく気がします。

そして、それはすばらしいことです。

わたしは、それなら、何も>簡単にならばなぁ<とだけ考えません。

あたりまえのことですが、 難関の難しさもまた その悩みの醍醐味となるで笑(しょう)。

が、ほんとうに苦渋に満ちた、人間だけの深い切実な悩みの世界は、知自体の中にあるのではありません。

知がそれを捕らえるからそれはある(その悩みというものはある)というのならばそのとおりでしょうが、そんなのそれこそあたりまえのことではないでしょうか?

わたしは、実は虚弱体質者でもある肉体労働者のおいぼれですから、その分もいろいろ真剣に考えざるを得ない世界を生きてもきたせいで、多少物事を いちいち深く 鋭く、本質的に、明晰に、全体的に、そして厳密に考えざるを得ないで生きてきた人間であっても、もうよぼよぼでもあるわけです。

ゲーム機時代の方々に期待しないわけにはいかないんです。

私たちの前には 山積みのあまりにも切実なそして胸つまるような悩みの世界が あるじゃないですか。 でもそれを解決するの知の力です。 ゲーム能力です。   違いますか?

今のゲーム機よりは、まだ多少「存在」ゲームの方が複雑かもしれませんが、 どうかよく考えてみてください。  このOKウェブ上のカテゴリーの数は めちゃくちゃ有限でしょ。 この分類で捉えられるといってるのではないですよ。 でも9×9の将棋よりははるかに複雑な組み合わせでありそれぞれに内容とかも へんに複雑かもしれなくても、 やっぱり全体を捉えて 遅々としてでも しっかり歩けるようになってるのがこの「存在」なんです。   無限な絶対的な 自立なんて出来ないそんな「存在」の世界じゃないということです。

ゲームでの勝利には 次から次へとより早く問題を解決して先へ進んでゆく必要あるでしょ。  それと同じように 

「悩み」とは、 この質問を超えたところにあるという点を スキっとさせて、  人間という生物なら、悩みには挑戦し、 それを終わらせるべく戦いの炎をもやすのが、 そこから目をそらしたりしないのが ほんとの若者の精神だと わたしは思います。

大丈夫です。 どんな悩みも悩み自体で死ぬように生物の体は作られていません。 悩みを途中で抜け出すために自ら死に手をかしてしまう人間はいますけどね。   悩んでください。 みんなといっしょに それが人間やないすか。

大丈夫です。 こんなよぼよぼでも その人なりに突き抜けるほど考えれば下は元気です。(へんに誤解はしないように、コントロール力も元気なんですから)  というか 今が常に最高、つまり進化し続けています。それが人間って生物だってことです。(動物のそれはコントロール力もないかわりに、発達も進化も、そしてなによりも肝心の深みもないですよ。)

動物は、本能に縛られてて 笑うゆとりが無いです。 類人猿の子供は、似た表情をするそうですが、子供の間始めてそこまで発達した脳にその兆候が出てきているということなのかもしれませんね。  ほんとうに動物にもどりたいですか?
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この回答へのお礼

ゲームの中では終わりがありますね・・・
ENDとでれば一応終わりですが、終わらないゲームもあります。
悩みが終わらないのは悩みに挑戦してないからなのかもしれません。
挑戦して、疑って、戦って、哲学の範囲で済まさない事が大切ですねッッ。
動物はとにかく忠実です。人と自然と本能に。ちょっとはいいなあとは思いますが。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/30 11:43

悩みをもつのはやはりつらい事です。

悩みは問題から生じます。
そして問題を解決するには2つの方法論があります。
たとえばミルクの入ったコップが倒れた場合、一つは布で床を拭く
という結果への対処。もう一つはこれ以上こぼれないように原因で
あるコップを戻す方法です。



ここでは後者のアプローチによりたいと思います。
人間であるから生じる悩みに関しては、人間であることを辞めれば
良いのです。質問者さんの理想が動物であるのなら、
つまり質問者さんは動物になればよいと思います。



古代ギリシャにディオゲネスという哲学者がいました。
彼はまさに「犬のように」自由に生きた人です。
彼の思索は「犬儒学派」として知られています。

彼の生き方は、今でも多くの人達に憧れをもって語られます。
広場で食事をし「まるで犬だ」と言われると「人が食事をしている
時に寄ってくるお前らの方が犬だ」と言い返す。
また広場で公然と自慰行為をし、
「金もかからないしこんなに良いことは無い」と主張する。

また、当時難題として知られていたゼノンのパラドクス
(日本の小学校でも習う、アキレスと亀や飛んでいる矢は止まっている
の理屈です)を、単純に歩き回ることで否定しました。

ひなたぼっこをしていたディオゲネスの前に
彼の噂を聞きつけたアレクサンドロス大王が尋ねてきました。
「何か望むものは無いか?なんでも与えよう」と彼が言うと
「日が当たらないからちょっとそこをどいてくれ」と返す。
この件の後に大王は「私がアレクサンドロスでは無かったらディオゲネスで
ありたい」と言ったと伝えられています。




悩みを持つこと、難しく考えることが高尚で高次の行為であるという
人間を鼻で笑ってやる。童話「裸の王様」で王様を裸だと指摘する
子供のような人間。それこそがディオゲネスなのです。

ディオゲネスを変人と断じて馬鹿にすることは簡単かもしれません。
しかしながら、彼は「自足すること・動じないこと」を
自らの生き方で体現していたに過ぎません。
我々が悩みに打ち勝ち、自由な生活を送るためには
この2点を持つことが重要なのです。
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この回答へのお礼

なるほど。大体分かりました。逆に動物ではいけないと感じました。

長文、ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/30 11:10

悩みが楽しいからです。


その楽しさから、悩みを持つようになったのでしょう。

ドラマの登場人物が、だれも悩まなかったら、つまんないです。
悩みがあるから、面白いんです。
だとしたら、何故自分の悩みだけを苦しみと思わなければいけないんでしょう。

私の一生に悩みがないと考えたら、ずいぶんとつまらない人生になってしまうでしょう。
楽な人生もいいでしょう。苦しい人生もまたいいでしょう。一番悪い人生は、何もない人生です。
悩みを克服しても楽しいし、挫折してさえ楽しいと思える。
生きるのは、そんなもんだと思います。
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この回答へのお礼

人は、悩むために生きている、そう感じることもあります。
ただ、なくてよい悩みもありもっとスマートにというかシンプルに生き
れる人、それでいて楽しんでいる人がいます。
つつがない人生はつまらないと思います。
御回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/30 11:01

>人にはなぜ悩みがあるのでしょうか。



「欲」があるからですよ。
グリム童話に「幸せのハンス」と言う、全く「欲」とは無縁のハンスの話があります。
http://blog.livedoor.jp/bookwitch/archives/50331 …

ところで、私、色々動物と付き合いましたが、動物にも悩みはありますよ。怖い夢も見るようですしね。
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この回答へのお礼

犬にも悩みはあるみたいですね。迷ってウロウロしてます(飼ってる犬)

無欲の状態が幸福感を感じるのですね。もっと無欲でいいのかもしれません!?
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/30 10:50

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