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 健康が保たれている・損なわれているにかかわらず わたしたちは 言ってみれば 余命いくばくかの状態で生きています。百年・八十年・・・・三十年・二十年というふうに たとえ明確にではなくとも まちがいのない形で 余命は決まっています。
 そこで持ち上がるのが 人生論です。
 哲学がいやしくも 幸福を主題にするかぎりで 人生論の行きつくところは 浄福あるいは覚りとは何ぞやです。 
 この現在の肉(身体=精神)の生をも超えて 再生=復活あるいは不死の境地という想定にまで わたしたちの想像力もしくは直観力は 伸びるようです。

 最近 次のような概念もしくは考え方を反芻しました。
 1. すべてを 終わり=目的から 始める。
 2. では 終わりは どこにおくか。
 3. 永遠の現在というばあいにも 千年あるいは五百年を生きつづけても 退屈であるのではないか。
 4. 一たん死んで そのあとの再生なのか。それとも そうではなく いまの体のまま 二百年ないし百五十年を生きるというのか。(二百年なら 実際問題としては 永遠であるだろう)。
 ・・・(かなしいかな ここまでで止まりました)。

 この《終わり=最終目的=意志の休息》の議論について ご見解を述べて おしえていただけませんか。
 復活については 一定の解釈を 持っていますが――つまり 《真理が すべてにおいて すべてである》というものですが―― ほかにもおしえてください。
 不死の境地については 解脱・涅槃あるいは清浄心のことだとまでは理解しますが おしえを乞いたいと思います。(ブッダ葬送とまで言っている人間ですが よろしかったら ご教授ください)。
 あるいは 非・復活の論 反・再生の説 その他その他についても おしえてください。
 あるいは ひょっとして 理想社会の議論とつながっているのかとも思ったりします。自由なご見解をお寄せください。

A 回答 (71件中71~71件)

オコリザルです。


人はいずれ死を迎える。
簡単なことですね。
ところが人知が死の定義で錯乱しているために葛藤が生じる。

brageloneさんにはむしろ難解だと思いますが、最近癖になっている大霊界バッシングから一般にもわかるようなお話を思いつきました。
脳の構造は明快で0と1しかないコンピューターと同じく本来なら存在する存在しないが明らかに分析できます。ところが人間の大脳は半ば野生とは切り離されているので生得的情動とは無関係な奇行を行動として出力することがあります。要するに無くて七癖とも言われる癖のことですが、本来の人間の大脳は生命の根幹を理解するところまで、遺伝子のごとき歴史の積み重ねで理解が進んでおり、奇行を発見すると理解不能に陥り判断を後回しにしたままの中途半端であいまいな定義のまま記憶が保持されます。このあいまいな記憶なり定義なりが大霊界であり幽霊です。ドグマと言うと怖い響きがありますが幽霊たる人形を検証するための論理モデルであり脳内に作られた箱庭です。そこで無意識は神のごとく振る舞い実験をします。その存在不明状態は「悪」か、「罪」か、「欲」か、そもそも生きているのか、この生きているのかが今回の場合需要です。存在不確定のため生きているとは言い切れない幽霊相手で脳内で行われる葛藤又は実験のため翻弄される主観においては、死の意味があいまいにされます。
それから地獄もこのように生きているうちに見る箱庭であり幻の異世界です。
話は飛びますが、ついこの間私は死後は誰もが解脱すると証言しました。ところがそれでは大霊界がうざったいので死後は大霊界と縁が切れて誰もが入滅する。と言い換えたほうが判り易いようです。
大霊界の住民の証言をしても馬鹿らしいのですが存在不確定のまま生と死に関わるいろんな妄想をして主観を翻弄します。
脳はテレパシー能力もあるのでこの手の妄想は飛び火もします。
私には高次元の霊体を自称する幻、心の断片が営業に来ます。
何かの勧誘のつもりらしいです。
霊の類相手に慈悲だの無償の愛だの救いだの神だのといっても一文の徳にもなりません。
玄関に押し売りお断りの張り紙をつけておくだけで十分です。

この回答への補足

 primeapeさん ご回答をありがとうございます。

 たぶん 故意に 不明確にしている人が多いのではないでしょうか。
 つまり たとえば
 ★ 無くて七癖とも言われる癖 
 ☆ のことです。つまり
 ★ 生得的情動とは無関係な奇行
 ☆ のことです。つまり 《故意に 不明確にしている》ということは これらについて 《明確に知っている》ということです。
 したがって 次の文において その前半までは ふつうの一般的な認識ですが そのことを理由とするところの後半の判断は その帰結が 違って来ているように思われます。
 ★ 本来の人間の大脳は生命の根幹を理解するところまで、遺伝子のごとき歴史の積み重ねで理解が進んでおり(* 以上が前半です)、奇行を発見すると理解不能に陥り判断を後回しにしたままの中途半端であいまいな定義のまま記憶が保持されます。
 ☆ すなわち
 ★ 奇行を発見すると理解不能に陥り
 ☆ ということは ありません。それは もしそうだとすれば おそらく なんとなく錯乱に陥りたいという衝動によってか あるいは 単なるふてくされによってか みづからが故意に そうするのです。つまり《理解不能に すすんで 陥る》のです。そのあとの
 ★ 判断を後回しにしたままの中途半端であいまいな定義のまま記憶が保持されます。
 ☆ については 同じく 故意の錯乱とあいまいさを 記憶しようと 自分が するのです。たぶん ふてくされという要因が いちばん多い例であるでしょう。

 したがって あとは すべてが ここから発しているのですから そのまま素直な帰結に行き着きます。要するに 《死》をあいまいにしておきたいという心づもりといったところでしょう。それゆえに 人は
 ★ 幽霊 / 大霊界 / 異次元の世界 / 無意識
 ☆ が好きなのです。
 ★ 解脱 / 死滅
 ☆ を わざわざ 死後の世界に持って行きたがるのです。この
 ○ 自己錯乱
 ☆ これを 明らかにせんがために 人の子は
 ★ 勧誘
 ☆ という愚かな手段を用いて そこここを 歩き回ります。
 ★ 霊の類相手に慈悲だの無償の愛だの救いだの神だのといっても一文の徳にもなりません。
 ☆ それゆえに 自己錯乱が 自己錯乱であることを 明らかにするのみです。
 ★ 玄関に押し売りお断りの張り紙をつけておくだけで十分です。
 ☆ という魂に対しては こうして 相手から やってくる場合を除いて ただちに 立ち去ります。草鞋についた埃の一塊をも持ち帰ることのないように きれいに その場を立ち去ります。

補足日時:2008/09/30 23:52
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