プロが教えるわが家の防犯対策術!

 

聞きたいことが2つあって、
まず1つめは、ローマ帝国の三世紀の危機からなぜ宗教を統一する必要があったのかということと、
2つめは、303年にディオクレティアヌスがキリスト教徒を大迫害
     313年にコンスタンティアヌスがキリスト教を公認
     
     上の二つの出来事の間にどんなことが起こったことによって、  キリスト教×→キリスト教○になったのか教えていただけませんか??


片一方でもよいのでどうかよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

>まず1つめは、ローマ帝国の三世紀の危機からなぜ宗教を統一する必要があったのかということと、



私の認識では、、、コンスタンティヌス1世は、治世の安定のために、人々に信仰の自由を与えた。

キリスト教は、いろいろなグループがあり、ローマ帝国各地で、「自分たちこそ真のイエスの教えを伝えるものである」と、街頭に立ち宣伝をしていた。

キリスト教徒同士で争いが絶えず、ローマ帝国各地で人々を煽って暴動を起こしていたので、治安を乱しているとして、迫害されていたんですね。

特に文盲の人たちに布教していたので、知恵の無い人々は、知恵を持つことへの憧れから、街頭宣伝を聞いて、自分は知恵を得たと思い、支配者にたてつくようになった。


これじゃ 治安を保とうとする人たちにとって、問題になるわけです。
各地で人々を煽って支配者に逆らうように操作するので、支配者たちはたまったもんじゃなかった。
それで、キリスト教は治安を乱して、社会不穏を起こしているとして、迫害されていたってわけです。

で、コンスタンティヌス1世は、<どの宗教を信仰してもいい>としたわけです。

彼は多神教信仰者で、XPを見て「汝これをもって勝て」とご神託を得た とキリスト教では言われているあれですが、あのXPは多神教のシンボルであって、イエスのシンボルじゃあありません。

キリスト教が起こるよりはるか昔からある多神教ミトラ系のシンボルであり、今までの皇帝もこのシンボルを重要視して戦をしていた。

だから、コンスタンティヌス1世に限ったことじゃなく、従来の皇帝も代々これをシンボルとして使っていたわけです。



で、<コンスタンティヌスはキリスト教を公認した>というのは誤解を招く表現で、ただしくは、「どの宗教を信仰していい」としただけ。

どうしてひとつの宗教限定ではないのかというと、彼は多神教信者ですから、八方美人的な思想で、どの神様にもいい顔をしていれば、どの神様たちの機嫌も損ねないし、自分がどの神様たちにも好意的であれば、その神様たちも自分に好意的になるだろう って考えたから。


で、コンスタンティヌス1世が頭を抱えたのは、ローマ帝国各地で起こっていたキリスト教徒の暴動。
キリスト教徒同士が「俺たちこそイエスの真の後継者だ」と各地で争って治安を乱しており、なんとかして解決しないといけなかった。


争いの一番の種は、イエスは神だったか 人間だったか。

「イエスは神様だった」 「いいや 人間だったが選ばれた聖王だった」とどっちも後に引かず、収拾がつかない。

で、決着をつけなければいつまでたっても 信者同士いがみ合っていて社会不穏を起こし続ける。

だから、介入したわけです。
ニカイア公会議で、草案を作り取りまとめたのは誰?
キリスト教の聖職者たち?
いいえ、このコンスタンティヌス1世。
率先してこうだって内容のほとんどを決めたのは聖職者でもキリスト教徒でもなく多神教信仰のコンスタンティヌス1世。

コンスタンティヌスは「イエスは神だった。これで決まり。 神かどうか 今後一切とりだたしてはならない 以上!」って決めたわけです。

神か 人間か で争っていたわけなので、「はいはいはいはい イエスは神だった。  これでいいでしょ」って仕切って決定しちゃったわけです。

皇帝が決定した以上 もう決定事項なので、くつがえらない。
それに 今後一切 神だったか 人間だったかを討論してはならないと キリスト教の掟に加えちゃったので、キリスト教はそれ以降、イエスは人間だったんじゃないか とか考えることは許されなくなったんですね。

実際 神でも人間でもありませんでしたが・・・・。

というわけで、ポイントはコンスタンティヌス1世のニカイア公会議の独占的な仕切り。



コンスタンティヌスは多神教で、どの宗教にも寛容だった理由は、上記で述べましたが、キリスト教は他の宗教の存在を認めなかった。
それで、コンスタンティヌス1世の死後、他の宗教を迫害して、キリスト教だけにしようとしたわけです。

だから、キリスト教に寛容という文字は無い。
ユダヤ教徒への迫害もすさまじかった。
皇帝を味方につけてから、ローマ帝国の法律をキリスト教に有利なようにしていった。
キリスト教徒じゃないと生きづらくなるように法律を変えさせた。

そして、ユダヤ人に神殺しの汚名をきせ、2千年近く迫害し続けたわけです。

イエスなんて本当は存在していなかったのに・・・・・。
妄想の中ではイエスは存在したことになっており、その妄想によりユダヤ人を迫害していたってわけです。

ということからして、やはりキリスト教に寛容さは 無い。
ユダや教は、イスラエルの子らがユダや教徒に自動的になるので、イスラエルの子らじゃない人にまで、布教しません。
あくまで、イスラエルの子らの集団内において、他者に寛容であれ、同じイスラエルの子らを許せ、あなたが許されるように と解いていた。

イスラエルの子らじゃない人のまで、寛容であれなどそういう法律は無い。
じゃ 他の宗教を迫害するかというと、無関心。
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塩野七海さんの「ローマ人の物語」読んだ後でもう一度質問し直して下さい。

(文庫版で一冊以内でしょう)
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