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沖縄がそうだったように、硫黄島戦も、断固として島を死守しろという命令は、アメリカとの戦いを本土へ持ってきたくなかったからという理由もあるのでしょうか? 他の戦いだと押されたら引き返せという方法をとっていたようですが、硫黄島(沖縄も?)に関しては絶対に死守しろという命令ですよね?本土戦をきらう以外の理由ってなんですか?教えてください

A 回答 (3件)

少し違います。


絶対国土防衛圏というのを聞いたことがないでしょうか。
簡単にいうとB29のような戦略爆撃機の航続距離内で
楽に爆撃できる範囲なんですが、
この中に敵の基地、特に飛行場があると、
日本列島はことごと廃墟にされてしまうというので
ナントカその圏外まで敵を遠ざけようとしたわけですが、
サイパンが陥落しちゃってそれも無理になったんですが、
B29は長距離飛行ができるといっても、途中でエンジントラブルとかが
あったときに、緊急着陸するため、サイパンと日本との間に
もういっこ飛行場が必要でした。それが硫黄島。
だから硫黄島の攻防中にもB29は強行着陸したりしてます。
飛行場をめぐる戦い。地理的に島が限られるので、
飛び石作戦のできない、どうしても攻略しなければならない島となったわけです。

ところで沖縄戦の意味はまた硫黄島とは少し違います。
沖縄戦は、連合軍側からすれば、本土上陸の予行演習。
日本側からすれば、(自称)本土決戦の準備のための時間稼ぎでした。
だから日本は島民もまきこんで、とにかく持久戦にもちこもうとしました。
連合軍は日本本土に上陸したらどうなるかというシミュレーションというところ。
いずれにしても島民にしたら迷惑な話ですが。

沖縄や硫黄島への攻撃は、日本本土への上陸への前段階のひとつとはいえるでしょう。
日本は本土攻撃を”遅らせるために”に断固死守しようとしたわけですが、
日本側が勝つというのは不可能のため、本土上陸を防ぐことは
もうこの時点では無理で、それが前提での戦いということです。
一億玉砕まっしぐらってとこかな。
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硫黄島は時間稼ぎです。

沖縄は結果として捨石になりました。

硫黄島に赴任する前に東條英機は栗林将軍に対し「アッツ島のようにやってくれ。」と言ったそうです。アッツ島とは当時でも玉砕の島として有名でしたからさもありなんと言った所です。

沖縄はと言うと現地に展開していた第32軍は最初大本営直轄の部隊でしたが、台湾からの米の補給に便利だろうとの理由で台湾の部隊の指揮下に置かれました。当初は3個師団が派遣され32軍首脳部は決戦し米軍を上陸させない方針で作戦・野戦築城等の準備を進めていたそうです。しかし台湾から現役の第9師団を送るように命令されました。この師団は日露戦争でも戦い抜いた精鋭揃いであり、攻めを得意とする九州の師団に対し守りに強い北陸・東北の師団の一つでしたから戦う前に数としては1/3に低下。質に至っては取り返しの付かない損失となりました。実際に32軍の司令官はこの時点で負けを認めたと言いますからその深刻さは想像を絶します。しかも大本営は本土防衛を理由に沖縄への増援派遣を拒否した事でこの戦力で米軍と対決する事になりました。

そんな状況下で32軍は大きな方針転換に迫られました。つまりは短期決戦から長期持久戦にです。これには大本営は潔くないとして妨害し同じ32軍内でも反対意見が続出しました。これを抑えて方針を転換させたのが八原博通参謀です。彼は様々な工夫を凝らし勧めました。特に日本軍では名将の評価は同じ日本軍内部からの評価で決まるのですが、彼は臆病者として後ろ指を指され、冷遇されました。彼自身もまた戦後は自らの作戦で沖縄を焼き尽くし犠牲者を出したとして自身を責め続け名も無き一庶民として生きました。彼の葬儀に参列した士官学校の同期は僅か数名だったとも・・・
しかし敵であった米軍は沖縄戦を、「沖縄における日本軍は、まことに優秀な計画と善謀をもって、わが進攻に立ち向かった」と評しています。
それから住民の被害は主に沖縄南部に集まっています。これは丁度米軍の侵攻ルートに重なって戦場になった事と住民の疎開・北部への避難が遅れ取り残された事情もあります。県外への避難は直前に逃亡した県知事の妨害と怠慢。それから対馬丸の悲劇による影響が大きかったようです。32軍は寧ろ住民避難に対し積極的であり逃亡した県知事と対立し軍政下において強制的にでも実行する寸前でした。この状況下で新しい県知事として島田叡が着任し食料の調達や住民の避難、戦闘中の行政を軍と連携して推進しました。彼が居なければ犠牲者はまだ多かったはずです。
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No1の回答におまけ


B29は超高空の要塞と言われ、自身でも対戦闘機攻撃能力が高かったのですが。それでも、日本の迎撃機はやなわけです。ところが、護衛する戦闘機の足がサイパンからB29に同行できない。
そこで、硫黄島の意味が出てきます。
硫黄島からなら、Pー51ムスタングが護衛に飛べるのです。
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