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私はどうしても思慮に欠けがあるというか、後から見ればここはこうしていればもっとスムーズにいったのに、、とか、猪突猛進というべきか、淡々と自己分析ができないというか・・・
うまくいえないのですが、考えても考えても不透明な部分があって、そこが一番重要だったりするのに、そのときにはそこまで手が届かないということがあって後の祭りになってから、ああこうだったのかと落胆することが多々あるんです。というかそればっかりで・・
非常にもどかしいです。主知主義なんていう言葉もあるように、知識を増やすことで補えるものなのえしょうか・・?それとも地頭が悪いせいか、地頭をよくすればいいのでしょうか・・?
もしよかったら、その方法も教えていただけるとありがたいです。

A 回答 (10件)

地頭力をつけたいなら、情報整理を早く記憶力を向上するマインドマップがお勧めですよ。


マインドマップを簡単に書かれているサイトがあります。

マインドマップ講座
http://www.mindmap-okinawa.com/

あと速読なんかもいいと思います。
日頃から脳を鍛えておくと良いと思います。
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「地頭をよくするには…」というタイトルからのそれにつづく質問文からはさまざまな質問者様の思いとか希求が想像されて、 とても言葉を尽くせたとは思えないでいるところ、  いまだに解決されていないような形での質問であったとしたらと、  あらためて考えてしまいました。



おせっかいに過ぎないかもしれませんが、 そうかどうかも解からないのでまた別な観点から書いてみます。

考えてみれば >猪突猛進<は、おそらくそちらのむしろ長所でもあるところかと思います。

欠点でもあったとしても よく言われるように、短所は長所の裏返しという面もありますからね。   その長所の面と捉えられたほうがいいところかと思います。(これも 自己分析方法の一つでしょう^^)

でありつつ、考えても考えてもさらに答えを求める正確、これもプラスに考えることの出きるところかと思います。 もちろん短所もその中にあるのでしょうけどね^^。

まあ、そのへんは、落胆した時には、「倒れない人が強いのではなく、人間の場合倒れて起き上がる人が強いのだ。」と考えることが大事です。

失敗や落胆の体験が より多くの人の気持ちを理解できる力となり、いざ指導する立場とかにては これが役に立つ時が多々あります。

これを、「落胆分自己分析方法^^」と名づけておきま笑。

さて、知識はたくさんあったほうがいいとも言えない時も多々あります。

かえって頭がこんがらがって何が大切なのかが見えてこない時があり、むしろ知恵にマイナスな時があります。

もし そのへんが整理されていて何が大切かが解かれば 知識はたくさんあっていいのでしょう。  いや、それこそあるにこしたことはないのでしょう。

何が大切か、を知った上で知識(主知主義も)大切にする。 

この姿勢があれば、 まず、地頭が悪かったとしても、それが大きくおぎなってくれたりします。

また、それ自体頭がよけいなこと考えずに済む分、よくなる近道の一つとなるかもしれません。

このへん、私の場合は「しあわせ」とか「感性をみがく」をその大切な事の一つとして核(コンセプト)にしています。

それ抜きの主知主義が 無味乾燥は哲学の膨れ上がりでむしろ何も見えなくしてしまうようなものになりかねない点を憂えます。

身近な「しあわせ」や「感性を磨く」ことを忘れないようにしましょう。

その前提としてあるのが 一つには健康だったりします。

当たり前のことのようで大事な 扇の要のような存在が健康だというふうにも考えられます。

考えすぎだと思えたら、 思いっきり外で走ったり、スポーツしたり、そしてどてっと川原にでも寝そべって高い雲の流れを見てみたり、 そんなことが、 いつしか考えを深めてくれもする、とうことも考えに入れておきま笑。

からだが悪い場合は、 腰を鍛えることがそのまた要となります。

これにはたくさんありますが、 骨盤体操とか インナーマッスル体操とかをユーチュブとかで調べてみましょう。   あと 歩くことが意外と大事です。 たくさん歩くことです。

これは屋外を歩くならば 感性の伸ばすのにもいいことです。

腰痛予防としては、長距離ランナーも多様しているのが「歩く」ということですし、 重いヘルニアで5歩あるいては立ち止まってしまうような時ですら一日20分歩けと言います。    この腰痛が酷い場合は、階段を手すりにつかまってでも 前向きと後ろ向きに3段ずつぐらいを繰り返し繰り返し何度も上り下りするのが効果的であることが実証されてます。

腰はまさに 要の要ですので、くわしく書きましたが、 その上では「ねずみ小僧体操」もお薦めです。

つまり 本からもネットからも自分のために 一つ一つ しかしてどんどん次々ありとあらゆる体操を盗んでしまうということ^^なのです。
  
これ、一日の一つ覚える習慣をつけたとすると、一年でなんと365もの体操を覚えられるということです^^。  (もちろん、これはたとえ話なのですが、 最初はたしかにいかないのですが、 ところが そのうちに盗みに熟達^^してくると、 その盗み方がうまくなってくるので^^、なんとなんと、二年もしたらもしかしたら千もの体操を覚えられるかもしれないということです。       むむ。 これもたとえですけど、 そういう考えで挑んでみてください。)

このへんの盗みこコツとかもありますが、 コツですのでこれは簡単には書けません。   ここは冷たく「やるっきゃない」と突き放しておきま笑。

考えすぎだと思ったら ともかく体を思いっきり動かしてみること、また健康という要を忘れたりしないこと。 これが大事かと思います。

そのような転換をいつも図っていれが、やがて、スポーツが地頭を伸ばしてくれる時もきっとくるでしょう。

あとは、図を描いて考えるという癖をつけることもいいかもしれません。

マインドマップというのもその方法の一つですが、それにとらわれないほうがむしろいいかと私は思ってます。 ただマインドマップという 目的とか目標とか大事な主となるものの幹の周りに枝葉を それも必要だということで描いてゆく図の訓練は  物事を図で考える図の創作力を高めてくれると思います。

この方法のいいところは、図訓図訓と地頭がどんどんよくなっていくところです^^。  (半分冗談ですが…。)

後は そちらならば、書きたいことをともかく書いて書いて書きまくることでしょうか?  時間があればそれを添削すれば、これは地頭をよくすると思います。

書きたいこと、悩んでること、訴えたいこと、ともかくテーマさへつかめばあとは 野となれ山となれ、というのが「へた」も「くそ」もなく書きすれば、そのテーマの火が文の天使となって 起承転結を生んでくれると思い込んでればいいんです。

しゃれた「起」としては、 テーマと間逆から書いてもいいのですが、順逆ともかくどちらにせよ、 そちらの質問文で言えば「地頭をよくするには…」というふうにテーマを「起こして」しまえばいいわけです。

するとすぐ それを承った文があとにつづき、これこれしかじかと例文とかでの説明がつづきます。 

するともう最後にはどうせテーマは転がるときがくるのです。「転」の部分ですね。

そちらの質問文で言えば>非常にもどかしいです。主知主義なんていう言(…うんぬん)<と、「転」に向かって盛り上がりながら、

>それとも地頭が悪いせいか、地頭をよくすればいいのでしょうか・・?<

というふうに、最初のテーマに自然ともどってそれは文全体を転がします。

結に向かってです。

そして>もしよかったら、その方法も教えていただけるとありがたいです。< というふうに、 

ともかくも そちらの文は結ばれたわけです。

起承転結とはあくまで目安であり、考え過ぎる必要はなく、自然に書きたくて書くの一番だといふうにも言えます。

ですので、 そちらなら、ちゃんとこのように書けているわけですから、後は書いて書いて書きまくる、 これが>その方法<かもしれません。

(質問の中に答えがあるといいますが、 その典型だったしして^^。)

何度も言いますが、私自身地頭がよくなかったので、一生懸命工夫しました。 倒れた倒れて工夫し工夫し立ち上がってきました。  (文章では挫折で3年間 好きなのに何も手が動かなかった時がありました。 いまではポンポン書いてますけどね^^。)

参考になればと思います。

がんばってください。
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回答番号No6ですが、 ふざけてるわけじゃないです^^。



ともかく、もしや、まだいろいろ考えが交差したりして迷っておられる場合もあるかと思い、  推測なんて、大体人間なのですからあてになりませんので、   次には もっと真剣な回答も書いてみます。



経営者の場合の「意思決定」の“よすが”が そちらの迷いの世界を客観視するのに役に立つかもしれません。

まず、簡単に 円を書いてみてください。  心に想像するだけでもいいです。

つぎにそれを4等分してください。 縦線と横線をいれて中心を通る線を描けば、4分割できるわけです。

その図を《便宜上の思索実践循環、あるいは意思決定図》と名づけてみましょう。

便宜上というのは、仮に説明上説明しやすい形にしたもの、という意味です。

円の、左半分を思索循環線、 右半分を実践循環線と仮に規定するのです。

そうすると、まず、一番上の 一点が 意思決定の点となります。

思索から実践にうつる点ですからね。(これも 仮に そう決めることにすると考えてもいいです。)

経営者は、その意思決定時に、多くの迷い、戸惑いを感じます。  自分がもしかしたら路頭に迷う決断となってしまうかもしれないだけでなくて、 社員や社員の家族までそれに巻き込んでしまいかねないところ、 それでも経営者は、 新しいことへ挑戦しなければならなかったりします。

そこで、わざわざ「意思決定論」という実践的な学問が生まれたりするわけです。

その意思決定論の詳しいことは 少し後回しにして、  この思索実践循環が具体的には、どのようになっているのか?   そのへんをもう少し追いかけていってみましょう。

このうち、左側の思索循環線というのは、さらに上下二つに分かれます。

下が そちらの言葉を借りれば>知識を増やすことで<備えるもの、 意思決定に向かい備えを蓄えておく部分です。

学習の部分とも言えます。 できれば 其の実践なりの知識をたくさん仕入れておく部分です。 情報収集の部分とも言えます。

では、その思索循環の上の部分はというと、  ここは計画線と言える部分です。(後でわかりますが 全部仮の設定に過ぎません。つまり 便宜上の設定ということです。)

たくさんの知識や情報を仕入れただけでは、 其の実践が何であれ、其の実践に向けての集中したまとまった学習とはなりません。 その実践の計画のために学習したことを集約する段階とも言えます。

ところが、konan0404さん、 そこまで計画したとしても、 人はなお、いざ実践に成功の確証は掴めない時が多々あります。

未来とは確率の世界であり、そして確率は過去の分析(統計の知識など)により高めることは出来ますが、  あくまで、確率の集合のようなもので、 絶対的に成功するということはこの世ではありえないわけです。

こうして意思決定時には、それがどうしても会社に必要だと思えることには、勇気とか「思いっきり」とか、勇断とかが必要になってきたりします。

そして、ほんとうはそのへんの詳しいそれなりの分析こそが意思決定論になるわけなのですが、 今はまだ省いておき、つぎへと進めていってみましょう。

もうお解かりかもしれませんが、 この思索実践循環図の円の線は 時計回りの意思決定エネルギーを持った線として(仮に)設定してあります。

時間的にも 時計回りの順番の図となっています。

そして、意志決定の次は、  右側の実践循環線となるわけです。

では、その実践循環線の 上の部分と下の部分とは何なのでしょう?

経営の世界では、上の部分を「やってみなければ、わからないでしょ線」と呼んだりします。(これは 半分冗談ですが^^)

意思決定の勇気を受けて ともかく“「思いっきり」行動してみる実践”を意味する線の部分です。

そちらの言葉を借りれば>猪突猛進<を実際に慣行する行動の部分です。

この段階の渦中にて、淡々と自己分析するのは間違いだとさへ言えてしまうような部分とも言えます。(それこそ、考えすぎはダメ^^なところです。)

経営者の場合 白を黒としてでも従業員をついてこさせる強引なリーダー性が求められたりもする部分です。  そのぐらい思い切らないと始まらないということです。

しかし、もちろん、その真ん中を通り越したら、次の行動があります。(詳しく言えば、これも計画の内だったりしますが、そのへんは略します。)  改善とか 引き返しとか ともかく行動を修正してゆく段です。

行動の目的や 目標の内容にもよりますが、 通常の私たちの思索や実践の世界では、このへんはすべて、もっと曖昧です。  それが普通です。  

もちろん経営の世界でも 心にはユトリも必要です。 でも次から次へと実は「意思決定」していかなければならなかったりする厳しい世界が経営の世界のようです。 あくまで 曖昧さが全く必要でないというわけではないです。  歯車があまりユトリ空間がなければまったく動かなくなってしまうのと同じです。

が、しかし、 それと同時に、経営者は再び 時代に後れないように、時代を先取り出きるように、左側の学習の世界にも、再び時間をとって舵取りしてゆきます。 循環は再び左側の思索循環線に循環してゆくということです。

これが経営者のような人が必要としているきびしい「意思決定」をめぐる実践と思索の循環の 全体像です。

では、この時、  一番上の点は「意思決定点」であるとして、そのほかの三つの点、 縦線と横線によって記された 他の三つの通過点は、経営のような世界ではどのように呼び得るものでしょうか?

「意思決定点」 の次は 「反省点」です。 単純ですが解かると思います。(詳しくは略します。)

では、円の一番したの点はというとそれは、

「非常にもどかしいけれども、再び知識を増やすことで捕らえなおす必要が出てきた点^^」です。

でもです。

ほんとうは、ここまでは簡単なんです。 最後のその次の 学習線と計画線の間にある点、 これが実は  

実は ほんとうはですが、

実は、  >考えても考えても不透明な部分<がある点であり、

>一番重要だったりするのに< なかなか 本物とはなれない点なのです。

もったいぶって書きましたが 本当のことなのです。

簡単に言えば それは「情熱点」という名前の点です。  これが意思決定のエネルギー全体のエネルギー自体を決定する点とも言えます。

これがあって始めて 其のエネルギーは時計回りに流れ、 思索も実践も順序よく循環していきます。  血液に例えれば 血液循環の心臓部のようなものです。

ところが ここにけっこう 偽物もあったりするということです。

こここそ大事だということなのです。

経営者の場合は、それが会社の徳の世界 理念といった世界です。 その商品が人間の生涯価値に照らして価値のあるものか?を永遠に追求していったりする世界とも言えます。   (経営論ではないのでここではこれ以上追いかけませんが)

そして、経営者の場合は、ここから やがて、その円自体を越えてもゆきます。

簡単に言えば、 費用と時間を計算して次から次へ二宮尊徳になっていき、失敗が予測される場合もその費用と時間は計算しておき、あとはすべてまさに   >猪突猛進<これあるのみ、  がしかして同時に勉強につぐ勉強の時間ももぎとれ! こんな 超きびしい世界となるのです。

右側と左側が一つになってしまうようなものです。(ここでは略しますが 実はこの奥にこそ、経営者の本当の意思決定論があるのだと、私は思っています。)

それこそ猪突猛進しながら同時に >淡々と自己分析ができる<状態にまで、 自己を 磨き続けるのが経営者の道と言われている世界なのです。

彼らは その意思決定の責任を 地頭のせいにはしません。 泣き言は言ってる暇はありません。  彼らは   ただ、精進あるのみなんです。

Konan0404さん、 私にはあなたが、どのような目標や行動の中で 地頭について迷っているのか 私は知りません。

さあ、それでも 倒産するこの社会の厳しさを その時にどう思われますか?     それでもまだ  迷いつづけますか?

だとすれば、 そちらの求めている世界は、哲学です。

ようこそ、哲学の世界へ。^^/。

この存在の中で >一番重要だったりする<のは 何なのでしょう。

いっしょに考えてゆきま笑。

参考になりましたでしょうか?   (頭は悪いけれど人生の経験者より)
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主知主義と情緒主義と言われるようですが、この両方を分けて使うことがポイントだと思っています。



主知主義は、あくまでも、論理、思考、知識なのであって、落胆とかもどかしいとかは含まれません。現状を分析して、過去の経験や知識から、次の予測しうる限りの事態を想定して、それに戦略をもって予防、対策、行動するということにすぎません。ネガティブ・・つまり失敗に備えることが主眼となります。無理矢理でもネガティブ(悲観的)に予め考えておくと言うことです。

情緒主義は、非論理的であっても行動したいという情動ですね。
希望・・状況がそうであるにもかかわらず、こうであろうとする精神性であって非常に重要なものです。気持、直感、感性も情緒に含まれるのですが、こちらがポジティブで楽観でないといけません。

簡単に言うと、ご質問者様の文面からはこれらが逆になっているのではないかと感じるんですね。つまり、まず情緒がネガティブになっていて思考がポジティブ(楽観、実質的楽観を含む)になっているのではありませんか。

まぁ、気持がめいっていると、次の失敗を想定する思考がいやになるんです。だから繰り返し失敗しやすいでしょうし、逆に、アグレッシブに、失敗対策を盛り込んだ成功への戦略を立案するから成功しやすくなると思うんですね。
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konan0404さんの場合、 もしかしたらですが、 考えすぎかもしれません。



考えることはいいことです。  最後には真実にいきつくことも多々あるかと思います。   一生懸命さはステキです。

でも ときにはユーモアも必要、 笑いも必要です^^。



コナン「 私って、考えすぎかな?  何しろもう20年も考えすぎかどうか、考えてるんだけど、 答えが出ないんだ。」

ぬいぐるみのンナコ「 そうだね。かんがえすぎだね。^^。」



コナン「私って、もう20年も>地頭をよくするには…<  って考えてるの。」 

ぬいぐるみのンナコ「 … …  …        …。」




コナン「 うまくいえないのですが、考えても考えても不透明な部分があって、そこが一番重要だったりするのに、そのときにはそこまで手が届かないということがあって後の祭りになってから、ああこうだったのかと落胆することが多々あるんです。というかそればっかりで・・」

ぬいぐるみのンナコ「 ふと思ったんだけど、不透明なのに 一番重要だったりすることが見えたりするのだったら、  自頭はよっぽどいいんだよ。  それは知識というより知恵の世界なのかも。   「後の祭り」も落胆するに及ばないね。  知恵こそ 人間の宝だからね。」



コナン「 … … …    …       



チュ!」  

ンナコ「ンンン、 ンナ ココココココ~~~、   ムチュ!」

ギュギュっ。


カクテ フタリハアイシアイマシタ♪ とさ。   


たまには、 気楽にいきま笑。
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コツとしては、自らは過去にいるのではなく今に存在すると実感することです。


考えるのではなく経験をつむことです。
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いまでは、私は自分を頭が悪かったのはないのかな?とおもえています^^。



でも、そのへん自体頭が悪いせいか^^ よくわからないんです。

ともかくあの憎き知能テストというのを昔受けたことがあるんですよ。

その結果って知らされるものでしたっけ? 

ともかく私の記憶では知らされてしまったんです。

それによると私の記憶の中では、私の知能は、上中下の下の中のそのまた上中下という評価段階があり、その最後の下 つまり「下の下」だったわけです。

いやなことは忘れるといいますが、 詳しいことを全く憶えてはいません。

でも、「下の下」だけは^^、忘れようにないじゃないですか! むむむ^^。

たとえ 頭がよくても、人間ならば、神様じゃないのですから そちらの短い文だけでkonan0404さんの いままでの人生とか、何があってこんな文の質問となったのかとかの 文の裏の心とか読み取れるわけがないところ、  その上 知能がこれじゃあ、 自信ある回答なんてできたもんじゃないですけどね。

でも今61歳ですけど、 この人生ともかく一生懸命生きてきて思うに、知能って低いほうがいいのかな?と  ととととひがみかな?

ともかくそのおかげで 人生失敗と闘いの連続^^。  昔若い頃、「倒れない人が強いんじゃないよ。 倒れて起き上がる人が強いんだよ。 人間という間があるのだからね。 人間として強くなれ」といったふうな励ましをうけたことがありますが。

なななんんと、  そのまんまの人生でした。

そういう人間の回答はどうなるのでしょうね。 ともかくはずれっぱなしかのしれませんが、 あたれば、お互い儲けもの。  猪突猛進、書いてみますね^^。



「涙そうそう」という ビギンや夏川リミがとてもうまく歌っている歌がありますが、ご存知ですか?

これは、お兄さんと死に別れた森山良子が、お兄さんの思い出を託して、作詞した歌とビギンの作曲との合作のようですが、  歌詞の内容はお兄さんというより、 恋人関係かどうかはともかく、男女の別れと、再会を願う涙の歌となっています。

彼を思い出すたびに涙があふれ流れてくるという内容の歌なのですが、 同時に、私がまた出会える時にその出会いにふさわしく成長しているだろうか、という人間としての奥深い心の歌ともなっています。

大好きな歌の一つです。

頭がよければ、 さあ、なにも考えずにすむかもしれません。 失敗も 挫折もないかもしれません。  すべて計算の範囲で安全なことしかやらないかもしれません。    これで、 いざ その出会いのうれし涙に向かって前進できるのでしょうか?

人間は 一生懸命 結局生きればいいのだと思います。

いつか 人間としての うれし涙を流せる日に向かってね。

人と人の間の さまざまな豊かな涙を知る日に向かってです。

「そのときにはそこまで手が届かない」なんてこの人生にはめちゃくちゃあるじゃないですか。

「というかそればっかりで・・ 」  ステキやないですか。

そのぶん、いつかスムーズにいくことも、そうでない人たちよりもたくさんたくさん抱え持ってしまう捨てるわけにもいかないことにもなるかもしてません^^から。

その時には、たぶん解かると思います。 

頭より 一生懸命 あなたのように生きることの価値や 歌の世界がです。

地頭が 「下の下」の人の回答でした^^。
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簡単なもので構いません。


過去の行動,それに伴った失敗や後悔,その後の貴方の反省・振り返り等の例を挙げて貰えませんか?
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「泣く子と地頭には勝てない」というから、無理でしょう、、、と言うのは冗談で、人間は失敗を繰り返すことで成長するものです。

英国の前首相トニー・ブレアの奥様で才女と知られたシェリー・ ブレアがあるインタビューで「人間て失敗をした時にだけ、ものを教わるんですね」と言っていました。その言葉を聞いた時、私は改めて彼女の才女ぶりに敬服致しました。多分質問者さんは人生万事塞翁が馬という諺をご存知だと思います。
http://gogen-allguide.com/sa/saiougauma.html 参照のこと)

私も塞翁が馬の実践者でして、自分の繰り返して来た失敗がどんなに役に立ったか、それらの失敗をしたことの幸運に感謝しても仕切れないほどです。

言い古されたことですが、ポジティブ思考は間違いなく役に立ちます。地頭さんに勝つには、ポジティブ思考のトレーニングをして、失敗や不幸が起こった時、これで何を教わることができたのかを味わえるようになることです。
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何か自分で作ってみることはどうでしょうか。

趣味という意味ではなく日常どんな場面でも考える代わりに作るというイメージで対処するということです。特にはじめのところを自分で行うということが大切だと思います。たとえほかの人の企画であっても自分ならこうするというつもりで自分の構想を自分で作ってみることです。しかしはじめは自分の時間内で行った方が良いと思いますが、鋏と接着剤、カッター、セロテープなどを常時手元に置いておくというようなイメージでしょうか。
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