プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は昔、両親から「先生には敬語を使いなさい。」とよく言われていて
小学一年生の時から高校一年の今までずっと先生に対して敬語を使っています。
もちろん、親から教わったから使い続けているのではなくて
先生に対してリスペクトの気持ちを持つことは重要だと思うからです。
ですが、私以外のほとんどの生徒と同じように
多くの教師は生徒に対して敬語を使わなかったり、
名前を呼び捨てにしたりします。(そのような教師の多さは地域によって変わってくるのかもしれません。)
生徒に対して「お前」と言う教師もかなりいます。
そういう教師に限って、生徒がその教師に「お前」と言うと
「先生に向かって「お前」とはなんだ!」と怒ったりします。
そんな言葉を聞くと、「この先生は自分の方が偉いと思っているんだな」
と心の中で私は思います。

「偉い」とか「偉くない」などという言葉を使ったら語弊が
あるかもしれませんが、前々から生徒と教師の絶妙な距離感について
疑問に思っていました。
敬語を使う=リスペクト とはなりませんが、
教師と生徒は一緒に学んでいく上でお互い成長しあえる関係だと
思いますし、私の理想としてはお互いがリスペクトの気持ちを持つこと
って重要なんじゃないかなと思います。

みなさんの意見を聞かせて頂けないでしょうか?
抽象的で不明瞭な点があったらごめんなさい。
宜しくお願いします。

A 回答 (10件)

先生が偉い。


私は現在34歳既婚ですが,今でも親,先生,目上の人には敬語です。それは勿論敬う気持ちがあるし,それが社会人として当然だと思っているから。「先生」とは「先に生きる」人なのです。少なくとも生徒が学んできた何倍もの経験をして,それを生徒に伝えるのが役目。教えを受ける側は,教える側に敬意を表するのが当然。
とはいえ,尊敬できないような先生が大勢いるのも事実。だったらそんな先生に敬意を表する必要があるの?という意見もあると思います。

私個人としてはこう考えています。
学校とは「社会のルールの中でつつがなく生きていく方法を学ぶ場所である」と。
社会に出れば,気に入らない尊敬できない上司でも表面上は敬語で話をするでしょう。年下であってもお客様には敬語でしょう。それは自分が気に入るか気に入らないか,が前提ではなくルールとして社会で生活する上で当然必要なことなのです。
学校では先生は尊敬すべき立場の人間であり敬語を使うのはルール。尊敬できない先生であれば,表面上敬語を使って,授業以外の関係を極力持たない。尊敬出来る先生であれば,授業以外に極力個人的な繋がりを作るように努力する。
学生の間は,この関係作りに失敗しても何のお咎めもありません。これが学生と社会人との一番の違い。学生は金を払って学ぶ場所,社会は金を貰って学ぶ場所。社会人は失敗が許されないのです。それを学ぶ場所と時間と失敗する権利が与えられているのが学校という場所なのです。

「教師と生徒は一緒に学んでいく上でお互い成長しあえる関係だと思いますし、私の理想としてはお互いがリスペクトの気持ちを持つことって重要なんじゃないかなと」という話は理想です。それを理解してくれる先生に出会えたなら最高です。そういう先生に一人でも出会えれば最高だと思います。
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この回答へのお礼

敬語は社会で必要なルールであり、
学校はそれも学ぶ場所なんですね。
とても分かりやすく読ませて頂きました。
はい、そんな先生にいつか出会いたいと思っています。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 10:42

先生が偉いかえらくないかは、個々の先生によって議論する必要があります。


ただし、言えることは尊敬できる人、年長者や先輩、仕事上の関係者、そして(年下であっても)「先生」と呼ばれる職業の人に対しては丁寧な言葉を使わなくてはいけないということです。
それは偉い、偉くないに拘わらず、社会の常識です。
答えなんてありません。

確かにその先生は偉そうなのかもしれませんが、あなたも
>教師と生徒は一緒に学んでいく上でお互い成長しあえる関係だと思いますし、
これはかなり偉そうだと思います。
そう思っていいのは、その教師か、あなたがある程度成長を終える(例えば社会人になったとき、家庭を持ったときなど)ときに思うものです。
確かに一理はありますが、それでも教師よりあなたのほうが学ぶ量がずっと多いはずですから、対等、ひいては「お互いに成長」だなんてあり得ないことです。
成長過程における人がそのような認識でいるべきではないと思いますよ。

とにかく、先生には丁寧な言葉を使ってください。
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この回答へのお礼

私は、高校に通ってはいますが
その傍ら働いていて収入もあり一人暮らしするだけの生活はできるので
学生でもあり一応社会人というか労働者だと思っています。
そして勿論成長の度合いに違いもあるでしょうが、
今もその意見は変わりません。
そして人は死ぬまで成長過程だと思います。
そうですね、先生には丁寧な言葉を使い続けます。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 11:34

すると教師は生徒に「畏れ入りますが私めを『お前』とおっしゃることは今後お控え頂けませんでしょうか」と言えば良いのでしょうか。

敬語とは少なくともこのレベルの言い方です。
質問文を読んでますと、まず「先生に対して敬語を使ってます」という前提から疑わしく感じてしまいます。というのは質問文が、丁寧語を用いてはいますが、敬語ではないからです。
丁寧語は確かに敬語の一部ではありますが、それは尊敬語や謙譲語と組み合わせて初めて「敬語を使ってます」と主張できるものです。その辺を質問者はどの程度わかっておられるか? 私には疑問です。
「小学一年生の時から」とのことですけど、もちろん小一で丁寧語以上の敬語は困難です。年齢を重ねて少しずつ敬語全般を話せるようになれば良いのですが、質問者は敬語が小一レベルでストップしたままではないでしょうか。
質問者が本当の意味で教師を敬い、正しく敬語を使っているのであれば、なぜ質問文にそういう態度が現れてないのですか? 教師に対する敬意とは、教師がいない場ではどこかに消えてしまう程度の儚いものなのでしょうか? それでリスペクトしてると言えます?
私にはむしろ「親から教わったから使い続けているのではなくて」とか「私以外のほとんどの生徒と同じように」、「前々から生徒と教師の絶妙な距離感について疑問に思っていました」という文に、質問者の「自分は特別」意識を感じました。っていうか「絶妙な距離感」って何なんですかw
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この回答へのお礼

ご苦労様です。

お礼日時:2008/11/21 11:29

 敬語と尊敬はまったく別のことなので、それを区別して考えないと答えは永遠に得られません。



 敬語とは、日本ではきちんと体系づけられている言葉の使い方で、地位、年齢、近いか遠いかで使い分けなければなりません。これは、日本語の使い方であって、好きだとかきらいだとかのレベルの問題ではありません。
 敬語が日本ほど体系付けられていない言語の人にとって、日本の敬語はきちんとルールが決まっているだけに、意外と簡単だと言う言葉を聞きます。ドイツ語の女性名詞・男性名詞よりは簡単。

 敬語と、尊敬する、しない・・そんなことは関係ないです。

 学校で、教師が生徒に対して、口うるさく「先生には敬語を使え」というのは、自分を尊敬しろと言う意味ではなくて、社会で先輩や上司、あるいは客先に対して、いくら親しいから、ダメな相手だと思っていても、敬語を使わなければならないことを指導しなければならないからです。そして、たぶんもっと大事なことがあります。それは、「物事を学ぶものは謙虚で」なければならないこと、そのためには謙遜の気持ちが必要だということ。心を得るためには形から入れ!!!

 もし、私が自分の子供に「先生と呼んでやれば喜ぶ連中なんだから・・」なんて、教えたら、その子の一生は台無しになるでしょう。
 私は、親から厳しく教えられたのは、「我以外、皆 我が師なり (吉川英治)」という姿勢でした。人生で出会う人、すべてを師と仰げということでした。
 今から思うと、実に色々な先生に出会いましたが、先生の陰口という部類は一切、耳にすることはありませんでした。

>教師と生徒は一緒に学んでいく上でお互い成長しあえる関係だと思いますし、
 そんな高慢な心では、真に学ぶことはできない。私は、本業の傍ら子供の指導にも携わっていますが、共にではなく、日々、教えられていると思っています。

 教師、先輩、年長者、親に限らず、他人を尊敬できるということは、相手のためではなく、己自身のためだと思います。
 
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この回答へのお礼

>「先生と呼んでやれば喜ぶ連中なんだから・・」なんて、
>教えたら、その子の一生は台無しになるでしょう。
そんなこと仰らないで下さい。
教師の生徒に対しての接し方について疑問に思っている
子供ってたくさんいるとおもいますし、
親のその言葉が本音か建前かは分かりませんが
子供に考えされる意見としてはアリなんではないかなと私は思います。
「ギブアンドテイク」の様なお互いが成長できるなどの考えは持たずに
真に学ぼうとするなら、自分自身が教わっていると思って
教師も生徒も相手に接するべきと言うことですね。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 11:29

人間としての話は別問題として、




「教えるもの」-「教わるもの」という関係の中においては教えるものが上位です。

日本国憲法に始まり校則などの基本ルールはありますが、クラスレベルでの最終的な決定権を持つのは先生です。
お互いが1人の個人として成長しあう・・・などとやってしまえば、クラスの進め方もいちいち生徒と対等の立場で検討する必要があります。そうなると先生の声は40人の中の1人に過ぎません。もちろん、全ての自発的な行動の結果で敬意が集まればいいのですが、それを望むのは難しいところです。お互いがリスペクトの気持ちを持つという考えは極端なことを言えば、刑法や警察がなくても皆が悪事を働こうとしなければ犯罪が起こらないという考えです。これは理想ですが、現実的ではありません。


少なくとも良識に反しない限り、授業においては指揮権は先生にあります。言うことを聞かない人間を一喝することやクラスからご退席願うことはなどは先生の権限でしょう。

また、「お前」という呼び方についても先生に限りません。親に対して、先輩に対して、上司に対して・・・同じです。親が「お前」よばわりされたら起こるのも無理ありません。


親、先生、上司などは、その組織において・・・という前提条件つきで権限が与えられます。そうしないと話が進みません。子どもと親の意見が食い違うたびにいちいち合議制で物事を決定するわけにはいきません。
ただ、それ以上のことはありません。そのコミュニティの外に出てしまえば、その関係は崩れます。
それこそ、学校での元先輩が、会社に自分の部下として入ってくれば、会社内では「お前」などとは呼ばせません。
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この回答へのお礼

理想的ですが、現実的ではないですか。。
そうですよね、やはりちょっと難しいですね。
授業を円滑に進めるには立場上しょうがないのかもしれません。
ですが、「理想」と言って頂けて嬉しいです。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 10:51

とある先生は生徒に呼び方を選ばせていたよ。



人生とは限られた選択の連続だから、君たちが選択したい呼び方を選びなさい。ってね。
但し、選んだ以上は絶対にその呼び方を卒業するまで守ること。
先生と君たち生徒との守り事はこれだけだ。
自分で責任を持って後悔の無いように先生への呼び方を自分自身で選びなさい。と。

ほとんどの生徒は「先生」を選びました。
数人は先生のペンネームを選んだけどね。
「お前」と呼ぶことには怒らない。
自身で選択した呼び方をしない事に怒った。
自分で選択したことを守れない人間が信用される人間になれるか!!とね。

先生は偉い。偉くない。という考えはなくなりました。
先生には敵わない。と思いました。
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この回答へのお礼

興味深く読ませて頂きました。
先生によって持ってる哲学のようなものは様々なのですね。
哲学というより何を教えたいかといったことでしょうか。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 10:45

20年余り前に高校を出た者ですが。



どちらが偉いとか、偉くないと言うことはないと思ってます。
私の場合、あくまで他人同士の関係ですからそれなりの敬語(です、ます調)で話してました。
例えばお店で店員と会話するときと同じ感覚で、偉ぶるでもなくヘコヘコするわけでもなく普通に他人…身内でも親しい友人でもない者へ接する態度で話ししてました。
大抵の教員は、生徒に対しては呼び捨てやお前呼ばわりでしたが…
尊敬の意味ではなく他に適当な呼称が無いため「先生」と呼ばれているので勘違いして偉いと思ってるのかも知れません。

中学の頃父に「なぜ、教員はいばってるか?」と言う話をしたことがありますが、父の答えは「先生、先生と呼んでやれば喜ぶ連中なんだからせいぜい学校に居る間は下手に出ていい気分にさせてやれ。」と言うものでした。
確かにそう考えれば多少偉ぶってる教員が居ても腹は立たないものです。

学校という物は知識や情報を得る場や手段の一つに過ぎないと思ってます。教員とはそこに勤めてる人。所詮は赤の他人、卒業してしまえば何ら関係の無い人です。
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この回答へのお礼

やはり、呼び捨てお前呼ばわりの教員が多いのですね。
確かに、そのような考え方を持てば腹も立ちませんし
円滑な人間関係になるかもしれません。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 10:36

こんにちは。


リスペクトかっこいい言葉ですよね。

学校の先生から聞いた話ですが、学校の先生って日頃から「先生先生」と言われているために高飛車になる傾向あるようです。

普通の会社やお客さん商売をしていると、対外者と接触し交渉する機会もあるので、節度のある物腰になるのかもしれません。

学校の先生が接する相手は、子どもや保護者、あとは校内の上司くらいでしょうし。なるほどと思いました。
学校を訪問すると、個人的にもそう感じることがあります。

校長とか、教頭クラスになると、ちょっと違ってきます。
よその人間との交流もしなければならないので、やや物腰が柔らかくなります。(そんな気がする。)

でも、そんな理不尽さ以上のことが社会に出るとありますから。
そんな不満を感じるのも良い経験かな。とオヤジの私には思えます。
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この回答へのお礼

はい、「リスペクト」気に入っています。
そうですよね。確かに「先生」と言われ続けることで
気分が良くなってしまうものだと思います。
校長教頭先生に関しても同意です。
逆にそういう人でないとなれないのかもしれませんね。
それも踏まえて色んな事が「勉強」なのですか。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 10:31

先生が偉いか偉くないかは、歴史が決めます。



先生。必ずしも偉いとは限りませんし、偉くないとも断言できません。

先生とは、貴方よりイロイロなことを知ってる方を言います。

学校や塾、、、、お医者さんなんかも先生ですし、弁護士さんも先生ですよね。

汚職まみれの議員さんも先生です。

一般的でなく、一般の方たちより知識も学識も地位もある方を尊敬の念を籠めて先生とも云います。

貴方よりは全てにおいて優れてるから先生です。
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この回答へのお礼

書き方が悪かったですね。
ここでお聞きしたかったのは学校の先生ということでした。
「全て」というのは「その道の全て」ということですよね。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 10:19

>教師と生徒は一緒に学んでいく上でお互い成長しあえる関係



人間としてはそうでしょう

勉強~専門家としては 先生の方がどう考えても上ですよ

生徒は 教えていただく
先生=師匠ですから

教えていただくという姿勢がないまま「一緒に・お互いに・成長しあえる」と言われてもピンときませんね

ですが 「自分が偉い」という教師はダメです。

【お互いに】目上の人を尊敬し、生徒を愛するような関係が理想だとおもいますが…

質問者さんの周りの学生さんは 先生を先生と見てないってことですよね

この回答への補足

ごめんなさい。
この場を借りて補足させて下さい。
>ですが、私以外のほとんどの生徒と同じように
>多くの教師は生徒に対して敬語を使わなかったり、
>名前を呼び捨てにしたりします。
「ほとんどの生徒と同じように」が係っているのは
「~敬語を使わなかったり」までです。

補足日時:2008/11/20 18:41
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この回答へのお礼

立場の上では、先生の方が上なんですね。
ですが、先生は「自分が偉い」と思ってはダメなのですか。
それを意識しすぎると傲慢な態度が出てしまうなどからでしょうか。
ご回答有り難うございました。

お礼日時:2008/11/21 10:17

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