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絶対的な確実性をもって未来全体を知っている一群の生物を想定して、それらの生物に自由意志と呼ばなければならないような何かが備わっていることが可能であるでしょうか。

A 回答 (16件中11~16件)

 生物ということばにより、この限定と条件の中にある生きるという条件の存在を意味するなら、ご回答者の仰せの通りでしょう。


 生きる。それは生まれてきた、生きていく、そして死んでいく。
 どうしてそれがその生物の自由なる意志といえますでしょう。
 しかも一定の限定と条件の中の存在にどうして自由なる意志がありえましょう。たとえ未来全体を知っていても、ここに存在するということになれば、それは無意味でしょう。
 私たち人間にしても、ここに経験し生きている個体としてはどうしたって、知っていてもそれは無理でしょう。
 生きる条件、動機、目的を持たされなく、それを超越しなければ自由なる意志などはありえないのでしょう。この存在以外の何かの存在としての自分を経験し、そうならない限りは無理でしょう。
 そもそもそうならないで、絶対的な確実性をもって未来全体を知るということは無理でしょう。経験知覚し、行為し、生きている存在に、知るということはきたいできないでしょう。そうさせられている存在には無理な話ですね。両方とも。申し訳ないが、質問が成立するとは考えられないのが、この限定されている存在である、私の考えです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

たいへん参考になりました。

お礼日時:2008/12/03 21:52

>絶対的な確実性をもって未来全体を知っている一群の生物を想定して、



生物は物理学で言う散逸構造の具体的な例ですから、この文章は自己矛盾に陥っていますね。質問者さんもご存知のように、散逸構造が存在できる必要条件は未来が不確定で確率論的すなわち非決定論的にきり与えられていないことですから。

数千年前の人間が持っていた世界に関する情報量よりも、現在の人類の手に入れた情報量は桁違いに増えております。人類の総体としての知的レベルは確実に進歩しているのです。質問者さんも、西洋と呼ばれるこの地球上のほんの一部に偶然に現れた連中が、情報量が桁違いに少ない数百年も前に考えたことに拘泥するばかりでなく、先人達の苦悩と努力の積み重ねで現在までに手に入れて来たいろいろな知的宝物も咀嚼し味わって下さることを期待致します。

蛇足ですが、人類の歴史を振り返ると、まるで意味もないことに何世代もかかわって、膨大な書物を残して来たようなことを幾つも見いだせますね。西洋中世の星占いや中国や日本の方位学などがそのほんの一例です。現在でもその汚濁の滓が所々に残っており、テレビに出てその汚濁で金儲けをしようという連中はいるにはいますが、民俗学を研究している方を除いて、星占いや方位学を本気で研究している研究者は最早いないでしょう。私は個人的には、人類の多様な世界観のなかの、特殊なほんの一例に過ぎないユダヤ=キリスト教という一神教の世界観を持った連中が、その世界観の中に内在している自己矛盾に気が付いて、何が何だか分からなくなってしまい、言葉を弄して途轍もなく複雑な論理で、何とか分かった気になろうとしている概念が「自由意志」と言う概念だと思っております。自然科学の鉄則ですが、正しい主張である条件は、それを進歩させれば進歩させるほど、その主張が簡単に説明できるようになることです。進歩すれば進歩するほど複雑な説明が必要になる場合には、その主張が間違っているよと言う信号をその進歩が教えてくれているのです。

先日ノーベル賞を頂いた益川さんが「あるとき私は風呂の中で、皆が当たり前だと主張し続けて来た四元説は駄目だと『決めた』のです。そう決めたら急に思考法の呪縛から解放されて、自由に世界が見えて来たのです。その結果、四元ではなくて、六元で考えるべきであることが判るようになったのです。」と言う趣旨のことを述べていました。私は「気が付いた」とは言わずに「決めた」という言葉を聞いて、この方は、ものを創りあげてくる人達のみができる経験を体験した本物の方だと確信しました。自由意志の概念は、この四元説と同じ役割を演じる概念ではないかという印象を持っています。

この回答への補足

まあそう堅苦しくお考えになることも無いのででは。

どうせ暇つぶしなんですから。

補足日時:2008/12/04 02:51
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

たいへん参考になりました。

お礼日時:2008/12/03 21:53

ラプラスの悪魔wiki


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97% …

これのことです。
自らの運命を了解しうると天使でさえこのような悪魔の側面を帯びます。(緻密な知性のなせる業)
自由意志になぞらえる以前の、(問題外な)自らの主体が不明の状態では、天使のささやきは悪魔の勧誘にも見える錯覚を起こします。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

たいへん参考になりました。

お礼日時:2008/12/03 21:54

 >絶対的な確実性をもって未来全体を知っている一群の生物を想定して、それらの生物に自由意志と呼ばなければならないような何かが備わっていることが可能であるでしょうか。



 未来と生物に関してですが⇒(1)未来と言う範囲が分かりません。その生物の未来なのか、質問している人(質問者:貴方やわたし)の未来なのか、地球や人類の未来なのかなどの範囲が特定できません。(2)この場合の意思とは? その生物の意思でしょうか?意思をどのように判断するのでしょうか?判断方法は不明です。又、その前に意思の定義付けも必要になるかも知れませんね。動いているから意思があると言えません。人間の自律神経の動きは意思とは言えないでしょう。微生物に意思があるか否かの判断をどうされますか?
(3)知っている⇒知っていたとしても其れを表現できなければ、認識できません。意思とコミュニケーションは別とすれば、どうして認識できるのか? なまずは地震を予測できるとか言いますが、なまず同士なら会話になってるかもしれませんが?

 その他として、宇宙全体が生物と仮定する事も出来ますが、現段階では人間は認識できません。 人間の場合、意思は脳のある部分の活動による身体的な活動と言えます。感情も意思の表れと言えるでしょうが、何処までが感情で、何処から意思なのか?之もまた不確定です。などから、現時点では無いと言えるでしょう。生物・医療・宇宙・宗教などの領域でも未知の領域でしょう。言葉の定義として仮定できても、現代社会において絶対的な確実性を持って未来全体を知りうる生物は・・・・

 在り得なでしょう、逆にselbst33さんはどう思いますか? 有効な時間利用のチャンスを感謝します。以上
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この回答へのお礼

>有効な時間利用のチャンスを感謝します。以上

いえ、いえ、どういたしまして。

どうもご回答いただき誠にありがとうございました。

お礼日時:2008/12/03 21:56

<<絶対的な確実性をもって未来全体を知っている一群の生物を想定して>>



物質と心の因果法則の全てを過去現在未来について確実に知るものが有るなら、この瞬間に何を感じ・考え・言うか、するかもしっていることになりますね。そのように知っていることを確認すること自体も知っていると。ただ知っていてその知っているままに流されている生命一群になりますね。

<<それらの生物に自由意志と呼ばなければならないような何かが備わっていることが可能であるでしょうか。>>

決まっていて知っているどおりにこの瞬間に何を感じ・考え・するのですから自由、つまり選択できると言うことは無いでしょう。流されるだけのものでしょう。

選択したと言っても選択項目をどのように出すかそしてどのような思いももってどれを選択することになると知っているのですから。

意思すら知らねば「絶対的な確実性をもって未来全体を知っている」とはいえないでしょうね。

想定した「絶対的な確実性をもって未来全体を知っている」にも違和感を感じます。

一つ「未来はあるのか」です。

「変化消滅する今・現在・この瞬間の連続しかない」のではないかと言う考え方もあります。今現在を如実に知る物は全てを知る者。と。

「絶対的な確実性をもった未来」があるならばすべての選択の余地はなくなりますが、現実選択して生命は生きていますね。

その選択自体を決まったものとするなら先に述べたように自由意志は成り立たないと考えます。しかも生命がどのような状態になっても決まっていること殺しも盗みも皆決まっていることとなり、道徳が根底から崩れ落ちる論理にも感じます。

このように感じました。

お役に立てば幸いです。
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この回答へのお礼

maggaさん、ご回答ありがとうございます。

種類が回答となっているんで、あらためて悩み相談のカテに来たんじゃないなと認識した次第です。

この思考実験には私も突っ込みたいところが山ほどあるのですが、とりあえずこの実験者の主張を述べてみます。

(1)知識が、それによって分かることを強制するのではない。

(2)記憶によって過去がつくりだされないのと同様に、予見が未来を創造するのではない。

(3)単に過去における意志を記憶できるという理由だけで、過去において自由でなかったと考える必要は無い。同様に、将来私たちの意志がどうなるかということをいまの時点で予見できるとしても、私たちは、未来において自由でありうるのである。

(4)したがって、自由意志は、ただ一つの形式において成り立つのだ。
要するに、自由がなんらかの価値をもつ限り、私たちの意志は(まさに私たちの願望の結果ではあるが)、私たちが望まないようなことを無理矢理に望ませるような外のからの力ではないということが、こういった自由によって要求されるに過ぎないのである。

後ほどゆっくりと補足したいと思います。

お礼日時:2008/11/23 01:41

あなたの言っている事は私も常々考えました。


絶対的な確実性をもって未来全体を知っている生物がもし自分の未来を予測しえたなら。その物の未来は決まっており、自由は存在しないではないか。そう考え矛盾に苦しんだものです。
 しかし僕の入っている宗教の本にはこの答えが書いてありました。私たちの宗教ですべでのことにおいて全能の神エホバは完全な予知能力を有しているかということです。結果から言うと神は完全な予知能力をもっています。しかし、神は自分の予知能力を選択的に用いるという説明です。もし神がずっと先々のことばかり考えて予知能力を使っていたら創造の身技は行われなかったでしょう。つまり神は予知能力を選択的に行使するので、その他の事も出来るのです。

この回答への補足

そういえば高校生の頃、エホバの方がいらっしゃって、その頃読みたてのニーチェの話をしたらひどく興奮した様子で帰っていかれました。
その後二度とその方がお見えになることはありませんでした。

補足日時:2008/11/23 03:01
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この回答へのお礼

知識の乏しい私のようなものにもちゃんと分かるようにアドバイスいただき本当にありがとう御座いました。

ここのサイトは本当に良きアドバイザーが多いので感謝しています。

本当に素晴らしいアドバイスばかりで感激です。

心よりお礼申し上げます。

お礼日時:2008/11/21 08:50

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