自分のお店を開く時の心構えとは? >>

輪袈裟をいただきました。輪袈裟は浄土真宗の法要の時だけするものでしょうか?
浄土宗では着用しないのでしょうか?葬儀、告別式で一般参列者は着用するべきなのでしょうか?親族だけが着用するものなのでしょうか?輪袈裟をすることの
意味についても教えていただければ嬉しいです。

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A 回答 (6件)

再登場ですがお許しを・・・。



お礼で問われていながら回答が遅くなり失礼しました。
NO5の方がおっしゃっている通り「下がり藤」の紋は西本願寺の紋です。
西本願寺のホームページ見てみました。
多分、下記URLのものでしょう?

浄土真宗の歴史かなんかで学んだ記憶ですが、親鸞聖人の生家「日野家」の家紋だったような?(これはかなりあやふやな記憶ですので悪しからず)
詳しくは浄土真宗の関係者からの情報をお待ちします。

>葬儀の時など、親族の方々が着用しておられないのに、一般参列者が着用しているのは出過ぎてはしないかと今だ心配なのですが・・・。
>着用するのに気がひけてしまうのはお釈迦様のお教え
を理解していない、今まで勉強をしたこともなかったからでしょうか?

私のお寺でもかつて檀家さん全員に輪袈裟を授与致しましたが、その後も輪袈裟の必要性をいつもお話しているにもかかわらず、毎回の仏事ごとに着用されている方は半分くらいですかね。
その理由は「なんか仰々しく(正装すぎる)ような気がする」とか、「輪袈裟を着用していると焼香の作法一つも間違ったらいけない(恥ずかしい)ような気がする」というようなお話でした。

なんか、このあたりの受け取り方は大げさかも知れませんが「最近の世相とか本末転倒を現している」ように思います。
昔は葬儀に限らず、法事やお寺の行事にお参りする時は、礼服や正装で参加する方がほとんどでしたが、最近は何事も簡略化で礼服・正装はおろか、若い人でジーパンをはいた人さえ見られますよね。

やはり古くさいと言われるかも知れませんが「身は体を現す」とか「威儀を正す」との言葉通り、略していいものとそうでないものを自分できちんと見きわめる事も大切でしょうね。

少し話がずれてしまいました。
輪袈裟(お袈裟)は仏教徒の証です。
お釈迦さまの教え(お釈迦さま自身)そのものですから、私は「お釈迦さまの教えを信じる仲間である」と思って堂々と身につけていただきたいと思います。

長くなり失礼しました。

参考URL:http://www.hongwanji.or.jp/dendou/fukyodan/fukyo …
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この回答へのお礼

詳しく教えてくださって、本当に有難うございます。堂々と身につけてください
とのご回答で安心致しました。西本願寺のホームページまでご覧になって
調べてくださり、本当に有り難く思います。こうしてお釈迦様のお話などを
してくださると心が落ち着くのはどうしてでしょう?お寺にお参りする時は
正装で・・・とのお話も大変勉強になりました。服装だけでなくお袈裟をすること
が正しいのですね。気がひけるなんてことはおかしな発想なんですね。
確かに、お袈裟をかけると身が引き締まるようで好きなんです。
お尋ねしてみて良かった!有難うございました。

お礼日時:2003/01/30 02:53

補足です。



>それと、私の輪袈裟は『下がり藤』のしるしがありますが、これは宗派に関係したものなのでしょうか?

下り藤は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の紋です。
ご家族でお内仏様にお参りされているとのこと。とても嬉しく、又、有り難く思います。
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございました。確かに西本願寺です。聞き覚えがあります。
(その程度の知識で、申し訳ないのですが・・・。)
こちらがお参りさせていただいているのに「嬉しく、有り難く思います」と
おっしゃっていただいて、誠に恐縮です。お経の意味もわからず、お恥ずかしい
話なのですが、またこれからも家族で信心していきたいと思います。
そして、勉強もしたいと思います。
不思議なもので、なくなった祖母がお寺でおつとめがあると暑くても寒くても
お参りしていました。その頃母は一緒にお参りすることはなかったのですが
今はとても熱心にお参りしています。娘の私はあの頃の母と同じ様に一緒に
お参りしないのですが、ついてお参り行こうかな?と思ったりする様に
なりました。そして自分の家に小さな仏様をお寺でいただいて、その仏様に手を合
わせると本当に心が落ち着きます。そしてまだ小さい私の子供が、買ってきたお菓子を仏様にあげて手を合わせているのをみると嬉しくなります。
今さらではありますが、これからは私もお参りさせて頂こうと思います。
どうも有難うございました。

お礼日時:2003/01/30 03:12

輪袈裟とありますが、それは輪袈裟ではなく、「門徒式章」というものではないでしょうか。


形は良く似ていますが、法衣としての輪袈裟とは異なるものです。

輪袈裟である場合、理屈としては#1の方のおっしゃることも一理あるのです。
ただ、お持ちのが「門徒式章」であれば、法要に限らず、他の方の葬儀であっても積極的に着用なさるべきだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。そういえば、住職さんが「これは○○○○で
す。」とおっしゃいました。何とおっしゃったかおぼえていないのですが、
門徒式章とおっしゃったのかもしれません。他の方の葬儀でも積極的に、とのこと
でしたので、これからは勇気?を持って着用したいと思います。

お礼日時:2003/02/06 00:14

昨年、四国八十八箇所巡礼の阿波二十三ヶ寺を巡拝しました。

巡拝の際の装束として輪袈裟もありました。決して浄土真宗に限ったものではないと思いますが、お数珠でさえ各宗派ごとに形式が違いますから、確認はしたほうがよいでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。浄土真宗の方が、積極的に・・・とおっしゃって
くださったので、これかはせっかくいただいたので着用しようと思います。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/02/06 00:18

禅宗の僧侶です。



輪袈裟というのは僧侶がかけるお袈裟の簡略化されたものであり、お釈迦さまから脈々として受け継がれたものです。いうなれば仏法そのものなのです。
ですから仏弟子となった証拠として僧侶より授かるものですから、受ける時は偈文を唱えて頂戴致します。
その偈文は《大哉解脱服 夢相福田衣 被奉如来教 広度諸衆生(だいさいげだっぷく むそうふくでんえ ひぶにょらいきょう こうどしょしゅじょう)》という文です。
おおざっぱな意味は「諸々のしがらみから解脱するための衣服 それは自分の心を田んぼのように絶えず耕す衣なのです それはお釈迦さまの教えをいただき 広く諸々の衆生(お釈迦さまの教えを信じる仲間)を度す(救う)事を願います」という事です。

昨今では、ただ単に仏教徒の装飾品にでもなったように勘違いされている部分がありますが、あくまでも上記のような意味が理解されてこそのお袈裟なのです。

ちなみに日本には色々な宗派がありますが、少なくともお釈迦さまから受け継がれたお袈裟(略式であろうと無かろうと)をかけるのであれば、その持つところの意義に何ら変わりはありません。
ですから仏事であれば宗派を越えて着用するべきなのです。

厳しいいい方ですが、最近は何かにつけて本当の意味(意義)が忘れられて「格好」や「見かけ」だけで判断される事が多いですよね?
お袈裟はお釈迦さまの時代から2,500年もの間、変わる事無く受け継がれた数少ない教えです。
ある意味経典(お経)よりも信憑性があるとも思います。

ちょっと重たい回答になってしまいましたが、お許し下さい。
以上gokurakuyamaでした。 

この回答への補足

有難うございます。「仏事であれば着用するべき」なのですね。仰るとおり、見かけだけの装飾品と見られるのでは???などと心配しておりました。
しかし、葬儀の時など、親族の方々が着用しておられないのに、一般参列者が着用しているのは出過ぎてはしないかと今だ心配なのですが・・・。我が家では法事、
葬儀、の際には全員が輪袈裟を着用し、法要の時には『真宗勤行集』を見ながらで
はありますがお経も読ませていただきます。しかし、葬儀で輪袈裟を着用していらっしゃる方をあまりお見かけしないのでどうしたものかと思いまして・・・。
それと、私の輪袈裟は『下がり藤』のしるしがありますが、これは宗派に関係した
ものなのでしょうか?色々お尋ねして申し訳ありません。
「仏法そのもの」だとお聞きして、大切なものだと改めて感じました。
そう教えていただきながら、着用するのに気がひけてしまうのはお釈迦様のお教え
を理解していない、今まで勉強をしたこともなかったからでしょうか?
子供の頃からおばあちゃんとお経を読むのが好きでした。
回答をいただいて読んでいると、少しずつでも勉強してみたいと思い気持ちが出てきました。

補足日時:2003/01/20 03:10
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一般的には、輪袈裟に限らず袈裟は法衣ですから、得度をしていない俗人の着用する物ではありません。


親族でも、得度をしていない限りは着用するべきではありません。
浄土宗で、得度していない親族が袈裟を着用すべし、と聞いた事はありませんが…
ただし、宗派によっては例外もあるかと思いますので、旦那寺にご相談ください。
袈裟を着る事の意義は、法衣として僧の正装である事です。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。沢山の方からご意見をいただき、本当に有り難く
また、参考になりました。

お礼日時:2003/02/06 00:21

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 先日、知恩院に御参りしたら、輪袈裟というのでしょうか、首から布をかけている方をたくさん拝見しました。お寺の世話人と思われる方々も同じ物をしていました。
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 もし、信者なら着けるべき物であるなら着けたいと思いますが、お世話になっているお寺からもらうのでしょうか?お墓はそのお寺には無く、法事や卒塔婆を頂く程度のお付き合いなのですが。
 そもそも、この程度の者は浄土宗の信者として認められず、お寺様ににらまれたりしないでしょうか?

Aベストアンサー

>それとも、この様な品は、お寺から頂くのが筋なのでしょうか?
>又、近々、父の法事がありますが着用しても良いですか。
 本山で求められても構いませんし、法事や葬儀、お寺参りや巡礼などの仏事や、普段の仏壇でのお勤めでもご使用されたらよろしいです。
 ただし、菩提寺を通じて求められた方が確実なものが入手しやすいということです。

>お寺との付き合いが短く訊ね難いので、お願いします。
 逆に今回を良い機会として、お寺との距離を縮めてはどうでしょうか?
 寺側としても、こういった相談を受けるのはある意味で嬉しいことですし、またこういった相談に乗ることも僧侶としての務めです。
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Aベストアンサー

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Q半袈裟と数珠

先日、中学生の息子が職業体験で、お寺に3日間通いました。
その際に、住職さんから半袈裟と数珠をいただいてきました。
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Aベストアンサー

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 ただ、同じ袈裟と言っても、宗派によって違うようですし、同じ宗派(我が家は浄土真宗)でも、色で格式が違ったりします。

 やたらめんどくさいので、私としては身につけるのは控えたほうがよかろうと思いますねぇ。

 となると、とりわけ宗派が違う場合は、活用方法はないでしょうね。

 かといって捨てるのは・・・ 。

 結局、そのお寺の付近に檀家があるはずですので、檀家さんをさがして「○○寺さんからいただいたのですが、宗旨が違うもので、受け取ってもらえたら幸いです」とか言って押しつけてくるのが一番かな。
 

 うーん・・・ そのお寺の宗旨と質問者さんとこの宗派は同じなのでしょうか?

 同じなら、法事等でその「数珠」が使えるのは間違いありません。

 同じ仏教の数珠でも、宗派が違うのなら、使えませんね。長さが違ったりするんですよ。

 もちろん、質問者さんとこがキリスト教だったりして、宗派どころか「宗教」自体が違うなら絶対に無理です。

 袈裟ですが、お寺がくれたんですから(私は在家の信者が袈裟を身につけているのを見たことがありませんが)身につけてもいいということなんでしょうから、「宗...続きを読む

Q浄土真宗の門徒式章使用について

よろしくお願い致します。

浄土真宗西本願寺から門徒式章を受けています。
今夜、友人の通夜があり参列する事になりましたが、そこのお宅は
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質問ですが、本願寺西と大谷派の違いはありますが、大谷派の通夜に
私が持っている西本願寺から頂いた門徒式章を着用して参列しても
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夕方に出かけるのですが、支度に困っております。
ご教授、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 私は浄土真宗の俗に僧と呼ばれることを生業とさせていただいているものです。
>>質問ですが、本願寺西と大谷派の違いはありますが、大谷派の通夜に私が持っている西本願寺から頂いた門徒式章を着用して参列しても
失礼にはならないでしょうか?
 私も他宗派の葬儀に出席させていただくときでも、浄土真宗の法衣で参列させていただいています。また焼香のときもたとえ日蓮宗さんの葬儀でも曹洞宗さんの葬儀でも、キリスト教さんの葬儀のときもお念仏させていただいております。
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Q袈裟の作り方、縫い方

袈裟の作り方、縫い方

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袈裟を作ろうと思っていますが、袈裟の構造が良くわからず、どうつくって良いのかまったくわかりません。
調べてみても本格的な作り方?しか見つけられずよくわかりませんでした…。

もし過去に作ったことのある方がいらっしゃったり、袈裟がどのような作り方わかる方がいらっしゃったらご指南おねがいします!><

Aベストアンサー

袈裟って、いろんな種類がありますよね。

http://tobifudo.jp/newmon/butugu/kesa/kesa.html

五条なら、長方形の布を巻きつけられるように作ればよいのでは。
それっぽい柄の布、それっぽい色の布でふちどりをして…。

それっぽい柄はこのあたりから選んでは。
http://shop2.genesis-ec.com/search/list.asp?shopcd=17256&itemgrp1cd=10&sort2=itemkb5

身体に巻いた状態で止められるようにボタンなどを目立たないように付けて

片方の肩にかける肩ひものようなものを作る。

輪袈裟とかなら、それこそ、それっぽい柄の布を畳んで四角く縫って
端を止めて輪にする。

あとはこちらのサイトに和服系の衣装や、コスプレの作り方がありますので
参考に、上下の衣装を作ってはどうでしょうか。
http://yousai.net/nui/wahuku.htm
もしくは安価な作務衣とか買ってきてもいいかもしれません。

Qお線香の本数には決まりがあるのですか。

仏前やお墓にあげるお線香の本数には、何本が好ましいというような決まりがあるのですか?

49日までは、(49日まで用の)祭壇に毎日お線香を1本だけ(起きている時間)絶やさず着けていましたが、春の彼岸ということでお寺さんが来てお経を上げてもらった時は、お坊さんがお線香を2本同時に着けていました。

お墓参りの時は、10数本~1束まとめてお線香を着けていような記憶があります。

そこで質問なのですが、49日までは1本で、それ以降は2本(又は2本以上)といった決まりがあるのですか?

また、仏前とお墓の前とでは、お線香をあげる本数に違いがあるのですか?

ご存知の方、詳しい方、少しでも知っている方、
教えてくださいますようお願いします。

Aベストアンサー

詳しく書かさせていただきます。

私の家は浄土宗なので浄土宗のお話になりますが、
お線香は『仏・法・僧』の意味を込めてそれぞれ1本ずつ、計3本です。
仏は仏様、法はその宗派、僧は、仏様をあの世へと導いてくれた菩提寺の住職へ。という意味です。
ですからお坊さんが来たときには自分から自分へ。なんてことはしないので基本的に仏・法への1本ずつ計2本ということになります。

ですから49日までの飾り棚を見ていただければわかりますように、一人の仏様用です。それに宗派によってですが、ご本尊もそこには奉られていないはずです。
ですからこの場合、仏への1本。ということになります。さて、では49日を過ぎると、仏様はあの世へ到着し、本当に仏様となって、再びこの世に生を受けるための修行をなされます。
そうなると飾り棚ではなく仏壇を使用されますが、
そこからは、仏、法、僧の3本を焚いてください。また、僧を抜かして2本でも構いません。

コレはお焼香(抹香)でも同じです。
よく、通夜式(御通夜)なんかでは3回しますが、
翌日の葬儀式(告別式)では、ホールの方に、お焼香は一回で構いません。
といわれるケースが最近ありますが、通夜では、仏・法・僧の意味で、告別式では故人との別れとのことで
仏だけの1回ということになります。


また、お墓ですが、これまた49日までは一人1本ずつ。その後は特に決まりはありませんが、こういう基準を持つといいでしょう。
まず最低ラインである仏・法・僧の3本に、
そのお墓に入っていらっしゃる仏様の人数×1本ずつ
を一人一人が焚けば宜しいと思います。

ですからお墓に3人入っていらっしゃるのならば6本。5人なら8本ですね。

また、法事などでは一人3本ずつで構いません。が、法事をする対象の故人の人数が2人ならば+1本ずつ。としていけばいいでしょう。
法事のときに一人1本ずつは恥ずかしいですよ。

また、点けてしまってあまったお線香は施主か家族が全部線香受けに入れてあげてください。


ついでに言っておきますが、法事などのお墓参りには
事前に3ヶ月ほど前にお寺さんに出向き、1週間前に確認のため出向いたほうがいいです。その時、お寺ごとは2人で行くのが常識です。また、確認後はお墓へ行き、線香はいいので、お墓の掃除やお花を供えて、当日にやることがないようにしましょう。


ながながとすみません。

詳しく書かさせていただきます。

私の家は浄土宗なので浄土宗のお話になりますが、
お線香は『仏・法・僧』の意味を込めてそれぞれ1本ずつ、計3本です。
仏は仏様、法はその宗派、僧は、仏様をあの世へと導いてくれた菩提寺の住職へ。という意味です。
ですからお坊さんが来たときには自分から自分へ。なんてことはしないので基本的に仏・法への1本ずつ計2本ということになります。

ですから49日までの飾り棚を見ていただければわかりますように、一人の仏様用です。それに宗派によってですが、ご...続きを読む

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

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 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

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 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

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 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

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Q御詠歌とは

私の家では、ご法事の際に、ごえいか(御詠歌)と言うものをします。
お葬式やご法事の有った日の夕方、御詠歌をされているオバさん達に家に来て頂いて、チリーン、チリーンと、金剛鈴を鳴らして、
「なぁーーーーむーーーかーーぁーーんーーーーぜーーぇーおーーーんーーーーんーーー」
と言う感じの、非常に長い歌(?)をしんみりと仏前に揚げます。

今年の9月の初彼岸に、親類が集まり、今年の春の葬式のお話になりましたが、
「同じ宗派だけどやらない、初めてこの前の葬式で聞いた。どうしてやるのかな?」
「お寺で供養したのだから、やらなくても良いんじゃない?」
「めずらしな、お前の家代々の名物だ(隣街の親類)」
と言う方が居られました。

そこで教えていただきたいのですが、
1、そもそも御詠歌とは?
2、私の家でも今年葬儀を挙げましたが、○周忌とか○回忌とかが続くのですが、その度に御詠歌をあげるのでしょうか?
3、お盆、お彼岸もしたほうがよいのでしょうか?

私の先祖や、今年の春、難病で苦しんで死んだ家族の供養になるなら、何回やってもよいと思っていますが、惰性や習慣で漠然とするだけでは意味がないと思い質問しました。

曹洞宗です。よろしくお願いします。

私の家では、ご法事の際に、ごえいか(御詠歌)と言うものをします。
お葬式やご法事の有った日の夕方、御詠歌をされているオバさん達に家に来て頂いて、チリーン、チリーンと、金剛鈴を鳴らして、
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と言う感じの、非常に長い歌(?)をしんみりと仏前に揚げます。

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「同じ宗派だけどやらない、初めてこの前の葬式で聞いた。どうしてやるの...続きを読む

Aベストアンサー

真言宗の僧籍のものです。
 まず「御詠歌」とは基本として五・七・五・七・七の短歌形式です。また御詠歌とよく混同される「和讃」は七・五調の長歌で、両者共に一定の節をつけて唱え上げられ、仏の功徳や教え、寺院の霊験などを詠んだ仏教賛歌です。
 奈良・平安期頃から「釈教歌」という、仏教的内容の短歌・長歌・今様が見られ、特に中世から近世にかけて西国三十三観音霊場への巡礼が盛んになるにつれ、各札所寺院の霊験を称えた歌が詠み上げることが盛んに行われるようになり、それが全国各地に広まり御詠歌へと発展しました。
 このように自然発生的に生まれて御詠歌ですが、明治以降には真言・天台・浄土・曹洞などの各宗派で独自の流儀・作法を形成させ(曹洞宗の梅花流・高野山真言宗の金剛流・浄土宗の吉水流)、またその宗派独自の御詠歌・和讃も新たに作られ、現在の形へと発展しました。
 さて霊場寺院に参拝した際のみだけでなく、死者への追善供養として御詠歌を唱えるのは、死者に成り代わり各霊場に参拝する、いうなればバーチャル巡礼でもありますが、その作法には地域独自の風習があるにせよ功徳のあることですから、年忌法会や盆・彼岸、さらには日々の仏事でもお唱えされるのは良いことだと思います。宗派によって御詠歌・和讃の唱える節や作法が異なりますから、この縁を大切にして菩提寺にご相談されてはいかがでしょうか。

真言宗の僧籍のものです。
 まず「御詠歌」とは基本として五・七・五・七・七の短歌形式です。また御詠歌とよく混同される「和讃」は七・五調の長歌で、両者共に一定の節をつけて唱え上げられ、仏の功徳や教え、寺院の霊験などを詠んだ仏教賛歌です。
 奈良・平安期頃から「釈教歌」という、仏教的内容の短歌・長歌・今様が見られ、特に中世から近世にかけて西国三十三観音霊場への巡礼が盛んになるにつれ、各札所寺院の霊験を称えた歌が詠み上げることが盛んに行われるようになり、それが全国各地に広まり御...続きを読む

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q浄土真宗では、般若心経を唱えていけない理由

母方の宗旨が浄土真宗なのですが、般若心経は唱えてはいけないと聞いています。なぜダメなのでしょうか。

Aベストアンサー

jun95さん、今日は。

私が調べてみた所では、智慧と行に因って煩悩を断ち切ろう、と教え諭す般若心経に対して、浄土真宗の
教えは、一切の計らいを捨てて、阿弥陀如来の力に任せて、其れに因って救われる、という物だそうです。

従いまして、浄土真宗の人間が般若心経を上げる事は、却って、阿弥陀如来の
力を否定する事に為る為、浄土真宗で般若心経を上げる事は無い、との事です。

もう少し深いお話に為りますと、以下のサイトに詳しい説明が為されてい
ましたので、宜しければ、御覧下さい。2001年12月11日掲載分です。

参考URL:http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/


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