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祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり・・・

有名な平家物語の書き出しですが
子供のころは祇園精舎って京都の祗園にある寺のことだと思っていました。
授業でインドの寺のことだときいて「へえ~」と思ったものです。

でも最近になって調べてみたら、京都祗園に祗園寺という精舎があったらしいことがわかりました。

http://www.geocities.jp/shinsyaji/03/2003_02/317 …
によれば
スダッタ長者が大金を投じて買い求め、釈尊とその教団のために僧院を建立した。この僧院が祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)。
祇園精舎は、竹林精舎と共に二大精舎と呼ばれ、その後の教団発展の根拠となった所。
日本では、藤原基経(ふじわらもとつね:836~891)が京都の東山に移して牛頭(ごず)天王を祀る感応院を建て、祇園精舎にならって祇園寺と名付けた。その門前町が祇園。祇園寺は、のち八坂神社と改称した』
とあります。 

これを読んで祇園精舎ってやっぱり京都祗園にあった祗園寺のことなんじゃないかなあ、と思いました。
平家の邸宅が建ち並んでいた六波羅蜜寺付近にも近く、
平家滅亡のとき自ら火をつけて焼け野原となっていたところへ
訪れた作者が感慨にふけり、その心情を書いたのではないかと思いました。

それは私の勝手な考えですが
なぜ平家物語の祇園精舎は京都祗園ではなくインドの祇園精舎のことだとされているのでしょうか。
その理由を知りたいです。
                                 

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A 回答 (5件)

どちらでもいいという解釈に変わってきているのでしょうか。



一読者としてそう解釈してもいいんじゃないの?ということ。

鎌倉時代の演者と聞き手を考えれば、まぁ普通インドだろう。
聞き手は日本中の仏教説話を知っている程度の人間であり、知識として祇園と言われれば、京都の祇園でなく、インドの祇園精舎の方が近しい知識でしょう。

清盛の話も、知っている人がニヤリとする世界。
文学というか説話というか、今で言えば J-POPみたいなもんで流行ものだから聞き手が適当に解釈すればいいんじゃないの。
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この回答へのお礼

なるほどですね、ありがとうございます。
なぜ祇園精舎はインドの祇園精舎のことだとされているのか、
その理由を知りたかったもので。
ネットを探しても「インドの祗園精舎のことだ」とあるだけで
その理由について延べたものが見つからなかったものですから。

お礼日時:2008/11/28 17:52

インドでもあり京都でもあり。


鎌倉初期の段階では、本地垂迹説が基本ですので、すべての神仏は本朝でもあり異国でもあり。遍在しております、仏性は。

んで、思うのですが、平清盛の実母は祇園女御の妹で、祇園女御自体が清盛を猶子にしておりますので、平家物語のしょっぱなで

【祇園精舎の鐘の声】

と、やると、聴衆は お!清盛だね
と、思ったと思われます。
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この回答へのお礼

>インドでもあり京都でもあり。
ということはやはり最近では祇園精舎はインドでも京都でも
どちらでもいいという解釈に変わってきているのでしょうか。

>鎌倉初期の段階では、本地垂迹説が基本ですので・・・
>平清盛の実母は祇園女御の妹で、祇園女御自体が清盛を猶子にしておりますので・・・
なるほど、と思いました。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/28 14:57

平家物語の出典はさまざまの研究が現在でもおこなわれており


確定していませんが、冒頭の
「祇園精舎~沙羅双樹~風の前野の塵に同じ」は多くの歴史家の研究
により「インドの祇園精舎の沙羅双樹」が釈迦入滅時に白色に変わった
という逸話を「盛んなものもいつかわ必ず衰える」というサンスクリット後の「諸行無常」いう仏教用語を使い表したものという解釈が定説に
なっています、当時、平家物語は本ではなく琵琶法師などが琵琶を奏でながら語る一大じ叙事詩であり、冒頭に出てくるものは、物語全体を
表す物語全体の「オペラの序曲」のようなものであり 一呼吸の後本来の平家物語が始まります、この「イントロ」はつまり仏教の重要な教義のひとつの世の中は「諸行無常」であるという言うのであって
それがインドでも京都でもどちらでも良く、読者がどちらを感じても
同じことです、
(現代語約)
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/heike.htm
(仏教用語)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%A1%8C% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私はたしか学校でインドの祇園精舎のことであると学んだのですが
(30年以上前のことです)
今現在、解釈がかわり
インドでも京都でもどちらでもいい、ということになっていると
いう解釈でよろしいですか。

お礼日時:2008/11/28 14:23

いったいどこでどう習ったのかが判然としないので言いようがありませんが、まず、『平家物語』の解釈をお知りになりたいのでしたら、ここで自説を強調される前に、一番最新かつ信頼のおける注釈であるところの新日本古典文学大系(岩波書店)で、『平家物語』が2冊組になって出版されていますから、そちらをひもといてみられては。

(公立図書館にも揃っているようなありふれた本です。ちなみに古本だと2冊1400円とかで買える)
そこに注釈として書かれていることをふまえた上でのご質問でしょうか?
ただ単にネットを見渡してでのご主張でしょうか。
そこがはっきりしないので、回答が重複する可能性もあり、なんとも申し上げられません。
こういう古典籍の解釈については、著名な作品についてはおおよそ全注釈が現在で揃っており、最新のものは大概、先行研究をふまえた上で解釈をしていますから、「学校でこう習ったのだけど~」「ネットにはこうあったんだけど~」「うろおぼえなんだけど~」などというよりもよほど信用に値します。
「沙羅」が「夏椿」をあらわす、ということを主張されていますが、そうであれば、いつごろから日本に夏椿が沙羅と呼ばれるようになったかを考えるより先に、そもそも夏椿が六波羅に繁っていたかなどということを示す史料も必要になるでしょう。ほかの回答者様のおっしゃるように天竺の祇園精舎に沙羅は生えており、それが仏陀の入定と深く関わり合いのあるものだったのは、仏典をひもとけば明らかです。この論拠を覆すのは相当の説得力のある史料が必要不可欠になります。

ただ、私としましては、祇園精舎は天竺のそれを表面的にあらわし、またそこからの連想として、平家の栄えた六波羅が祇園の付近であったこと(今の六波羅蜜寺のあたりは、少し祇園からは外れるんですけどね)を、聞き手に想像させる意味合いももつ二重的で印象的な描写だと思っています。

文学というのは表層的なものではなく、その作品の隅々にまで行き届いた思想が根付いているものです。『平家物語』にあらわれるそれがひじょうに仏教色の強く、また、浄土教的な意味合いをもつことを考えますと、冒頭の一節に天竺の描写を据えるのはあながち違和感があるとも思えますまい。
また、文学を読むことは問題を解くこととは違います。解答など存在しません。それゆえに、祇園精舎を天竺のそれと解釈するか、祇園寺と解釈するか、私事の解釈になるか、それ以外か、というのは、いずれにしろ、どれが説得力を持つかの問題であり、より説得力を持つ論が発表されれば覆すことも可能になってくるわけです。

それをしたいというのならば、頑張って調べていきましょうね。私がここで書けるのは簡単な足がかり程度です。

この回答への補足

新日本古典文学大系(岩波書店)は読んでいません。
文章の意味がよく理解できないのですが
それを読んだ上でないとここでは質問できないということでしょうか。
そんなルールはどこにも書いていませんが。

また新日本古典文学大系に書いてあるから正しいという意味であれば
それは間違いだと思います。

>夏椿が六波羅に繁っていたかなどということを示す史料も必要になる
でしょう

それは承知していますが、いつごろから日本で夏椿が沙羅と呼ばれるようになったかについても検討してみる必要があるという意味で書いたのです。

そもそも自説が正しいと主張するために質問を書いたのではなく
インドの祇園精舎のことであるとする理由が
ネットを調べてもなかったのでここで質問させていただいたまでです。

補足日時:2008/11/28 15:52
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この回答へのお礼

>私がここで書けるのは簡単な足がかり程度です。

何を足がかりにさせてもらえばいいのでしょうか。

お礼日時:2008/11/28 17:56

ご存知の通り、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」のあとに、「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」と続きます。

 日本では、本当の沙羅双樹が自生していないので、「夏椿」を沙羅双樹とも呼びますが、実際はお釈迦様が亡くなられた時、その四方を囲んでいた樹木で、それぞれに2本ずつ、対になって生えていたことから沙羅双樹と呼ばれるようになった植物です。 よって、当然前半後半とも釈迦にかかわる物を謳っていると解釈するのが自然で、従って前半の祇園精舎も、釈迦が説法を行ったインドの祇園精舎を指すと解釈されます。 
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この回答へのお礼

早速大変分りやすい説明を下さりありがとうございます。
たしかに沙羅双樹(大木だそうですね)は日本にはありませんね。
そのため夏椿のことを沙羅双樹と呼ばれています。
しかし、この説では平家物語の作者が
大木の沙羅双樹のことを言っているのか、
はたまた夏椿のことを言っているのかの考証が必要だと思いました。
日本においていつごろから夏椿のことを沙羅双樹と呼ぶようになったかがわかればかなりすっきりするんじゃないかと。
どなたによる解釈であるのか教えていただけると幸いです。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/28 12:40

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Q「 沙羅双樹の花の色 」は何故「盛者必衰の理」なのか?

平家物語の冒頭で、
 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 盛者必衰の理をあらわす
があります。

どうして「沙羅双樹の花の色 」が
「盛者必衰の理」をあらわすのでしょうか?
沙羅双樹の花は日本とインドで違うようですが、
ここでの花はどちらでしょうか?
↓ココのサイトによると
http://blog.livedoor.jp/rakutabi/archives/24721929.html
沙羅双樹の花は仏陀入寂のときに散った白い花だそうです。
でも花の色は変らず、変ったのは幹の色とのこと。
仏陀入滅=盛者必衰と結びつけるのも無理があるように思います。

どなたか説明していただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。。

 仏滅の際、沙羅双樹がどうなったかは、複数の異なった様子が伝わっていて、一定しないようです。(原典を読んだわけではないので、詳しくはわからないですが・・・)
 手近な資料から見てみたので、わかりにくいですが・・・(自分もよくわかっていません。すみません。)

 釈尊が沙羅林に横たわった際、季節外れに花が咲き、散って釈尊の身を供養した。

 釈尊が横たわったところの東西南北に各一対の沙羅の木があり、入滅と同時に東西の二双と南北の二双が合わさって、それぞれ一樹となり、釈尊を覆った。
 このとき、木の幹が白変し、白鶴のような姿になった。(「鶴林」「鶴樹」という言葉の由来)

 この計8本の沙羅の木のうち、四方の双樹のそれぞれ一本は枯れて一本は繁茂した。(四方で一本ずつ残った)これを「四枯四栄」という・・・
 
 四枯四栄は、誤った8種のモノの見方、(凡夫が俗世間を誤った見方で見ることが「四栄」、大乗仏教以前の仏教徒が涅槃を誤った見方で見ることが「四枯」)正しい8種のモノの見方(大乗以前の仏教徒が俗世間を正しい見方で見ることが「四枯」、大乗菩薩が涅槃を正しく見ることが「四栄」)という二重の喩えになっている、そして、一方が枯れ、一方が繁茂した中で涅槃されたということは、枯れ(衰)も栄え(盛)もしない涅槃そのものを表しているとされています。

 沙羅双樹の花の色→盛者必衰というのは、双樹の片方が枯れ、片方が栄えたことか・・・?
 十分な説明になっていなくて申し訳ないですが、自分のわかる範囲ではこういうところです。では。
 
 

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Q祇園精舎の鐘の音・・・

このあとに続く文章を教えてください。読み方も教えてほしいです。すごく気になるので・・。

Aベストアンサー

 平家物語の冒頭ですね。読み方と意味は参考URLで分かると思います。1185年の下関「壇ノ浦の戦い」で破れ各地に散った平家一門の残党が残した物語が歴史を経て洗練された姿で残り、その形はさまざまなバリエーションがあるようです。日本人のもつ「滅びの美学」をよく著していると思います。

 祇園精舎とは古代インド、コーサラ国シラーヴァスティー(舎衛城)にいたスダッタ(須達)という人物がブッダに帰依し寄付した、修行のための施設だったと言います。祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略で、持ち主の祇陀(ジェーダ)太子より購入した園林という意味で「祇樹」となり、「給孤独」は須達(スダータ)長者の別名で「孤独な人々に食を給する」聖人という意味があると言います。

 今はインドのサヘート・マヘートの遺跡が祇園精舎の跡とされていますが源蔵法師が7世紀に訪れたときには、すでに廃墟となっていて、この言葉が中国を経て日本に伝えられたそうです。三蔵が訪れたとき、恐らくうらびれて寂しい様子だったのでしょう。

 諸行無常とはもともとは仏教用語で「この世の万象はすべてうつり変っていくものであり、決してとどまる事が無い」という意味とか。

 日本では祇園とは京都八坂神社の社領として有名ですが、舞子さんが行き交う祇園と平家物語の祇園精舎との関係は、参考にした清水義範著「ムイミダス」(文春文庫)をお読み下さい。たぶん長々と書いている間にいい回答が寄せられていると思いますが、その時は御容赦を。

http://www.fides.dti.ne.jp/~kamokamo/gionsyouzya.htm

参考URL:http://www.fides.dti.ne.jp/~kamokamo/gionsyouzya.htm

 平家物語の冒頭ですね。読み方と意味は参考URLで分かると思います。1185年の下関「壇ノ浦の戦い」で破れ各地に散った平家一門の残党が残した物語が歴史を経て洗練された姿で残り、その形はさまざまなバリエーションがあるようです。日本人のもつ「滅びの美学」をよく著していると思います。

 祇園精舎とは古代インド、コーサラ国シラーヴァスティー(舎衛城)にいたスダッタ(須達)という人物がブッダに帰依し寄付した、修行のための施設だったと言います。祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん...続きを読む

Q祇園精舎,諸行無常の響きがあり

“祇園精舎,諸行無常の響きがあり”の読み方と意味を教えて下さい。

Aベストアンサー

平家物語の最初の一節です。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕わす

ぎおんしょうじゃの かねのこえ しょぎょうむじょうの ひびきあり しゃらそうじゅのはなのいろ しょうじゃひっすいの ことわりをあらわす  

簡単に云うと、次のような意味です。
「どんなに権力があり、強い者でも、何時かは滅びていくもので、世の中は儚いものである」

あの強い平家も、滅びてしまったという事です。

Q平家物語の「祇園精舎の鐘の声」はなぜ「声」?

素朴な質問ですが、平家物語の冒頭の一節「祇園精舎の鐘の声・・・」で始まるところの、一文ですが、なぜ、「鐘の音」ではなく、「鐘の声」なのでしょうか?気になってしようがありません。どなたかおしえてください。お願いします。

Aベストアンサー

大和言葉の「こゑ」は
1.人や動物が発する音
2.物の音
3.発音、ことば[訛りなどについていう]
4.漢字の音(おん)
5.アクセント
の用法があります。ご質問の場合は2に相当しますが、これは漢字「声(セイ・ショウ)」の用法をうけたもので、平安時代以降によく使われるようになります。

 漢字の「声」には、「人の発する声」・「動物の鳴き声」の意味と同時に、「物の発するひびき」の意味があります。声の基本字である「聲」の成り立ちがすでに、古代の楽器「殸(ケイ)」に耳を組み合わせた文字です。殸は金属製の楽器でたたくと高い音を発する。それが耳に聞こえるところから聲(声)という字が生まれました。

 そのような意味がある「声」が日本では「こゑ」と訓じられ、こゑにも「物の発するひびき」・「物の音」という意味が派生的に生まれました。

「鐘の声」という表現は、日本と大陸の言語文化が融合した表現ともいえるでしょうね。

参照
『古語辞典』項目「こゑ」(岩波書店)
『大漢語林』項目「声・聲」(大修舘書店)

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q琵琶法師が盲目だったのはなぜ?

琵琶法師についてウィキペディアで調べてみますと次のように書いてあります。

琵琶法師(びわほうし)は平安時代から見られた、琵琶を街中で弾く盲目の僧である。
琵琶を弾くことを職業とした盲目僧の芸人で、平安時代中期におこった

鎌倉時代には『平家物語』を琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成した。
この時代には、主として経文を唱える盲僧琵琶と、『平家物語』を語る平家琵琶とに分かれた。
琵琶法師のなかには「浄瑠璃十二段草子」など説話・説経節を取り入れる者がおり、これがのちの浄瑠璃となった。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B3%95%E5%B8%ABより引用)

琵琶法師が盲目だったのはなぜでしょうか。

また「盲僧琵琶と平家琵琶にわかれた」とありますが、どちらも盲目の琵琶法師によって語られたのでしょうか。

「琵琶法師のなかには浄瑠璃十二段草子など説話・説経節を取り入れる者がおり、これがのちの浄瑠璃となった。」とありますが、浄瑠璃は盲目の僧侶によって演じられたものではないですね?

Aベストアンサー

> 琵琶法師が盲目だったのはなぜでしょうか。

 「琵琶法師が盲目だった」 というより 「盲目の者の中に琵琶法師となる者がいた」 のではないでしょうか。

 盲目の者は大変なハンディを背負っているわけで、それでなくても生きるのが大変な世の中でした。それでも特殊技能として語りの出来る優れた才能を開花させる人がいて、芸能として貴重なものとみなされたのではないでしょうか。また、「法師」 と呼ばれるのは、仏教の説話を取り入れていたことも関係があるのではないでしょうか。

 なお、下記のところに 「(平曲は) 鎌倉時代に生仏という盲僧によって始められ」 とありました。盲目の者であり、しかも僧侶である人が元祖のようですが、後に僧でない人も出たであろうと想像されます。

 → http://homepage3.nifty.com/heikebiwa-arao/HEIKYOKUGAIRONN.htm

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q「いずれか」と「いづれか」どっちが正しい!?

教えて下さいっ!
”どちらか”と言う意味の「いずれか」のかな表記として
「いずれか」と「いづれか」のどちらが正しいのでしょう???

私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
「いづれ」は「いずれ」の歴史的かな遣いですので,昔は「いづれ」が使われていましたが,現代では「いずれ」で統一することになっていますので,「いずれ」が正しいです.

Q煩悩ってどういう意味ですか?

煩悩(ぼんのう)ってどういう意味ですか?
辞書で調べても難しくて理解できません。
具体的に、わかりやすく教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
 
  煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。
 
  仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。
 
  しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。別に和服でなく、洋装でも構わないのです。また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。
 
  あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。極楽じゃ。しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。
 
  また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。
 
  大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。
 
  仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。
 
  もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。これも煩悩か」などとなります。
 
  「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。
 
  これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。
 
  煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。(ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。
 
  煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。
 
  肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。
 
  人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。
 
  「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。
 
  世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。
 

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
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