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江戸時代における天道思想について調べたいと思っています。特に、江戸時代にどのように受容されたのか、何故一般の人々に広まっていったのか、を中心に調べたいです。
どなたか、参考になるHPか書籍・論文を知っている方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。

ちなみに、今手元には『神話の壊滅~大塩平八郎と天道思想~』があります。

宜しくお願いいたします。

A 回答 (3件)

 天道思想で検索すると、仰せのことがいろいろありますね。


 “江戸時代”と限定されると回答しにくいと存じます。
 統治・支配や革命という言葉、そして天皇制との関りの中での“天道思想”は歴史学や思想史が論述しておりますね。
 私達日本人は、いえ昔の人からの戒めは“おてんとうさまに顔向けできない”というような心理、気持ち、精神ですね。
 これは統治の上にいる天皇制度とは直接繋がりませんよね。統治の理論、概念ではないですよね。
 仮にこういうものであれば、どこか“世間様”というのに似ていますし。
 日本人の根底的気持ちだと存じますが。心性ですよね。
 いろんな文学などにも通っていますね。
 通俗的な世間様、おてんとう様、ともっと精錬された次元としてのそういうもの。どこか摂理に似ても居ますが。
 あらゆるものに通底していて、特定のものは今は、浮かびません。
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#1です。


アメリカ生活で日本の動きには疎いですので、頓珍漢なことを言ったら申し訳ありません。#1で紹介した話しは今から15年ほど前に聞いた話しでした。私は儒学に関しては全くの素人ですが、心学に関してなら少しは考えたことが在りますので、

>私が考える天道思想は江戸時代になってから民衆に広がった、私の先生曰く二流の思想だそうなので、

について、一言コメントさせて頂きます。なるほど、江戸時代に庶民の間に広がった思想運動は俗な言葉で書かれていたり、神道、仏教、儒学ごちゃ混ぜの論理が展開されていて、所謂ご学問を勉強なされてきた方から見ると、純でもなく、元の意味の未熟な把握や歪曲とも受け取れるようなことが其処此処に散らばっておりますので、そのような学者さんの中には二流と受け取る方もいるかもしれません。辛辣な言い方になりますが、勉強付きな先生方は、自分で物を創りあげることよりも、過去の偉人達のしてきてことを勉強して、どのぐらい物知りになったかに恍惚としていらっしゃる方が多いようにお見受け致します。かく言う私も、全く分野の違った自然科学を研究して学者の末席を汚している者ですが、その私の拙い経験から物を言っております。私の学問分野では、仕事の価値の基準がたった一つしか在りません。それはオリジナリティーあるいは独創性です。論述の洗練さは二義的な評価しか貰えません。そんな私の経験から見て、江戸庶民の中に起こった心学は、たとえ拙い文章や俗な論理で書かれているとは言え、それこそ旧約聖書を徹底的に勉強したイエスが玉石混淆の旧約聖書の何処と何処に玉があるかを皆に彼の行動で示し、以前には存在しなかった全く新しい価値観を含んだ新約聖書を書く準備をしたというに匹敵する独創性を孕んでいると思いました。これはやはり、儒学でもなく、仏教でもなく、神道でもなく、心学と言う一つの新しい哲学を江戸時代の庶民達は創り上げたのだと考えるべきだと思ったわけです。それ故、心学の中のいろいろな概念に対して儒学や仏教や神道の元の物とは違った意味を付与されていることがあっても、それをそれらの概念の未熟な理解と考えるべきではなく、江戸時代庶民による新しい世界の発見であると考えるべきだと思いました。中国の儒学の書ではそんな意味ではなかったとか、何処何処の仏典ではそのような意味に使われていないと指摘するのは良いですが、その指摘で明らかにされているのは、「だから二流である」と言うことではなく、「だからこの部分に、江戸時代庶民の独創性による新しい世界の発見があったのだ」と言うことを指摘しているのだと考えるべきです。

質問さんも、江戸時代の庶民の所謂「二流」な思想の独創性を前面に押し出して、江戸時代の思想界の生産性や創造性に焦点を当てながら天道思想を論じてみてはどうでしょうか。少なくとも質問者さんの先生とは違った視点で見ているので、独創性のある論述になるかもしれません。
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この回答へのお礼

すいません、一つ補足を。二流の思想とはそういう意味ではなく、二流の思想家が考えたという意味です。
一流といわれる藤原惺窩などに託されて書かれている文章が多いのですが、年代や内容・文章からみると彼らの作品ではありえない。写本とも考えられない。よって、名の知れていない思想家が彼らの名前を借りて書いた文章である、そういう意味で二流の考えだと言える、という考えでした。

確かに、江戸時代庶民の独創性というのは面白い考えだと思います。その点から、もう一度考えて見たいと思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/14 14:14

日本における「天」を考える場合に、参考になると思えることを書きます。

私はアメリカに住んでいますが、日本で6年間、和辻哲郎の弟子だと言われている大学の先生の下で、日本文化について研究なされたアメリカ人の大学の先生と親しく話す機会がありました。その方は神道の専門の方です。その方がアメリカで博士号の学位を取ってから、上に述べた日本の先生のところに来て、その先生に「日本の儒教について研究をしたい」といったところ、「儒教を研究したいなら何故中国に行かないとか」と言われて、呆れたそうです。この先生は、中国の儒教と日本の儒教が全然違っているものになっている、特に「天」の概念が全然違っていることに気が付いていないのかという感想を持ったそうです。

そのアメリカの先生は、日本には「天」という概念が本質的には存在していないと言う極端な主張をしていました。そう考えることによって、日本における天皇制の意味、少なくとも最近の2千年以上に渡って「中央集権国家」である中国にも朝鮮には存在しなかった幕府と呼ばれる「封建制度」を日本が自前て見つけ出してきた理由など、いろいろなことが判って来ると言う意見でした。

私は儒学の専門家ではありませんが、上の大学の先生のように、日本には中国の儒学をそのまま輸入することが儒学の学問であるという方も居られるようなので、その非をえぐりながら天道思想を論じて行くと、読み応えのある論文になるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、天の概念は違っていますね。それは最近の論文では結構書かれていて、中国から輸入した儒教が日本の中で変容、成長していったという意見が一般的なようです。だから、中国の儒教を勉強した上で、日本の儒教をやれ、と先生には言われましたが……。

すいません、多分質問の仕方が悪かったんだと思います。
私が考える天道思想は江戸時代になってから民衆に広がった、私の先生曰く二流の思想だそうなので、ちょっと方向性が違うかも。でも、天から考える封建制度というのも、非常に面白いと思いました。

兎にも角にも、ご回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/12/13 10:32

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