桜島の黒神地区に「地獄河原」という溶岩源がありますが、それはどのようにしてできたのか、もしご存じでしたら、教えてください!
宜しくお願いしますm(_ _)m

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A 回答 (2件)

手元に工業技術院地質調査所の発行した「桜島火山地質図」があったので,見てみました。


それによると,地獄河原は昭和溶岩です。
1914(大正3)年の噴火による大正溶岩は,黒神地区の少し上(方角でいうと西)のところで止まっています。
地獄河原の辺りは,大正溶岩も一部届いているようですが,大部分はその上を流れ下ってきた昭和溶岩です。
昭和溶岩は1946(昭和21)年の噴火によるもので,およそ次のような経過です。
1月からときどき噴火。
3月9日,南岳東斜面(標高800m)から溶岩流出。溶岩は東と南に分流,4月5日に黒神海岸に,5月21日有村海岸に達した。死者1,噴出物量0.08km^3。
以上,ご参考までに。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2001/02/28 08:12

桜島は県庁所在地の近くにある世界でも珍しい活火山として知られています。

有史以来大きな噴火が記録されていますが、桜島の今日の姿は大正3年(1914年)の大噴火で作られたものです。その噴火で1万2千戸が埋没し約2万人が島から避難しています。現在の人口は1万以下だと思われるので、80年以上経っても元に戻っていないことになります。黒神地区はその大噴火で桜島が大隈半島と地続きなったところなので地獄河原はその名残だと思います。(確実な情報は桜島ビジタ・センターで得られるでしょう。電話0992-93-2443)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2001/02/27 17:18

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もともと親鸞聖人の悪人正機の考え方にはプロテスタントの影響が見られるようですが・・・。

上記の解釈でなにか不都合なことが生じるでしょうか。

御回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 お地蔵さんの信仰は日本において大きく発達したものと考えてよいと思いますよ。
>>賽の河原で地蔵菩薩に救済されるか否かは太古の昔から決まっていて・・・
 賽の河原の物語は「地蔵和讃」「賽の河原地蔵和讃」と呼ばれるものに描かれています。この和讃の中心となる人物は親に先立って死んだという罪であの世とこの世の狭間で石積みをさせられている子供達です。彼らは鬼の責め苦にあえぎながらも、最後には地蔵に救われていく。
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>>救済されるか否か、地蔵菩薩が来るかこないかわからないので餓鬼(?)達は自分は地蔵菩薩に救済されるという確証をえるために賽の河原で石を積み続ける・・・
 この地蔵和讃に関しては、賽の河原の子供達の救いと共に、子供たちに先立たれた両親の救いという面も存在します。
 この和讃で注目すべきは「鬼」です。とこれは日本のフランス文学者・評論家の京都大学名誉教授多田道太郎氏は指摘しています。冥土の幼児たちが積み上げた石を「鬼」が破壊する。この一見むごい仕打ちによって、「地蔵和讃」というものをつむいできたものたちは亡き子を思う親の気持ちが、逆に子供達の救済を妨げていることを知らせます。地蔵和讃にはいくつかのバージョンがありますが、
「父の涙は火の雨となりて その身に降りかかり 母の涙は氷となりて その身を閉ずる嘆きこそ 子故の闇の呵責なり かかる罪科がある故に 賽の河原に迷い来て 長き苦患を受くるなり」
これとはまた別バージョンを見ましても、
「酷やかわいや不憫やと 親の嘆きは汝らの 責め苦を受くる種となる」
とあらわされています。
 このように子供を思うばっかりに子供を苦しめる結果になっているという指摘は人情味がないと思われるかもしれませんが、これが仏教のスタンスをよくあらわしています。仏教は「苦」からの解放を教える宗教といってもよいと思いますが、そのためには自分自身の苦しみの原因から目をそむせてはいけません。多くの場合苦しみの原因は自分の外にあると考えがちですが、仏教では苦しみの原因は自分と内にあると考えます。まずは自分を振り返ることから始める、つまり「内省」といえば分かりやすいでしょうかね。わが身を棚上げした議論は苦しみの解決にはならず、苦しみの原因をあいまいにし余計な争いを生み苦しむ結果をもたらします。そこで、地蔵和讃に描かれる鬼をもって親達にこの「内省」をすすめるのです。
 このように「地蔵和讃」は悲しみにくれている親達に悲しみ苦しみの原因を鬼という姿を現すことで内省をすすめます。そして、次に真打の地蔵菩薩の登場となり、鬼の責め苦に疲れ果てた子供のもとに現われて、父母恋しさに涙する幼児たちを抱き上げて、これからは「娑婆の父母を忘れることはできぬだろうが、私を冥土の親と思いなさい(いつまで親をしたうとも 娑婆の親には会えぬぞよ 今日より後は我こそ 冥土の親と思うべし)」と諭し、慈悲の涙を彼らに注ぐのです。
 ここで注目すべきは「私を冥土の親と思いなさい」これは、子供達の娑婆で悲しむ親との執着を切り離すことで、娑婆にいる悲しみにくれる親達に子供への執着を切り離し、内省とともに幼児を亡くすという悲しみを超えていく道を知ることができるようになっているわけです。


>>仏教を予定説チックに解釈するとこうなりますね。 
 確かに「予定説」としてみようと思えば見れるのかもしれませんが、上記のような解釈に基づきますとちょっと違うように思います。


>>もともと親鸞聖人の悪人正機の考え方にはプロテスタントの影響が見られるようですが・・・。
 これに関しても、まず悪人正機説の「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや」という言葉は、現在親鸞聖人のオリジナルではなく法然上人の言葉を伝えたものといわれています。私はこの言葉にキリスト教系の救済思想よりも、「まず自分自身を見直しなさい」という仏教の思想、先ほどの「地蔵和讃」の説明で言えば「内省」のほうを強く感じます。
 なぜならば、この悪人正機説の説く悪人とは誰のことかといえば、親鸞聖人は、「正機」ということについて、このようにも述べています。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。(阿弥陀仏が五劫考え通した本願は親鸞一人のためであった)」と、自身こそが阿弥陀仏の目的であることを宣言しています。阿弥陀仏が親鸞聖人を救わんがために本願を立てたのだとするならば、親鸞聖人はまさに「正機」に当たります。ということは、正機である悪人とは親鸞聖人のことであり、親鸞=悪人ということ成り立ちます。親鸞聖人にとっても阿弥陀仏の救いの目的(正機)である悪人というは自分の事にほかならないことがいえます。この「悪人」とはどのような意味を持つかというと、親鸞聖人自身が悪人であるという自覚を述べていることからも、ただ単に現代において使用される悪人と言う意味ではなく、自分自身が悪人である事を自覚するからこそ、阿弥陀仏の正機たりえる悪人となるのです。ですから、悪人とは他者を判断する材料ではなく、深い自己反省に基づく自覚ものといえるでしょう。
 また、親鸞聖人は「念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。」と、「念仏によって救われるかなんて自分は知らない」と述べています。予定説のような「全能の神が人間を救わない訳が無い。」という確信を背景にもつものとは一線を画するのではないでしょうかね?
 念仏によって救われるかなんて自分は知らないけれども、それによらざるを得ない愚かな自分という自覚を説く「悪人正機説」が、プロテスタントの影響を受けているというのもどうなんでしょう?悪人正機説は非常に仏教的だと思いますよ。


>>上記の解釈でなにか不都合なことが生じるでしょうか。
 結局の所、私は今キリスト教系の思想はまだまだ勉強中なので不都合が生じるかは結局の所分かりません。けれども、仏教を勉強しているものとして参考程度に意見を述べさせていただきました、参考にしていただければ幸いです。
 急ごしらえな文章ですので、誤字脱字や乱文どうぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛

 お地蔵さんの信仰は日本において大きく発達したものと考えてよいと思いますよ。
>>賽の河原で地蔵菩薩に救済されるか否かは太古の昔から決まっていて・・・
 賽の河原の物語は「地蔵和讃」「賽の河原地蔵和讃」と呼ばれるものに描かれています。この和讃の中心となる人物は親に先立って死んだという罪であの世とこの世の狭間で石積みをさせられている子供達です。彼らは鬼の責め苦にあえぎながらも、最後には地蔵に救われていく。
 ここでは、明らかにお地蔵様は子供の守護者として描かれていますが、中...続きを読む


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