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東北の蝦夷は勇猛な騎馬戦士で、遊牧民が扱うような短弓で疾走する馬上から弓を射たり、湾曲した蕨手刀で馬上から敵を斬撃していた戦闘民族だったというのは本当ですか?本当だったら大和朝廷が滅ぼされなかったのが不思議なくらいです。何故なら騎射術は当時最強の軍事技術で、蝦夷は現代で例えるならステルス機や空母を多数配備しているアメリカ軍のような存在だったと思います。ちょっと例えが盛りすぎでしょうか?

A 回答 (3件)

No.2です。

 日本の天皇について言う「万世一系」とは、もともと大陸・半島の騎馬民族の慣習でした。 よって、この万世一系が天皇の祖先は大陸・半島から来たという説の根拠の一つになっています。 すなわち、大和朝廷自体が騎馬民族による政権だった可能性があるのです。
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大和朝廷のころの「蝦夷」とは民族を指すのではなく、関東以北に住んでいて、大和朝廷に恭順しない人達のことを指していました。

 もちろん中には騎馬戦士もいましたが、彼らを征伐しようとした朝廷軍の坂上田村麻呂達も下の絵のように騎馬戦士でした。 絵でお分かりの通り、蝦夷と同じく、短弓で疾走する馬上から弓を射たり、湾曲した蕨手刀で馬上から敵を斬撃していました。 よって、騎馬戦士としての優位性は蝦夷にはありませんでした。 結果、騎馬戦士同士の戦いに蝦夷は敗れたのです。
「東北の蝦夷の戦闘能力」の回答画像2
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蝦夷は狩猟採取で生活した民族です。


狩猟採取民族は自分達の生活圏を守るだけで、略奪目的では
侵略しない民族が多いです。
従って、騎馬戦士のような戦闘集団など組織する必要が無いのです。

征夷大将軍坂上田村麻呂は勝てないので、和平と称して、阿弖流為を
京に連れて行き、殺してます。

質問の主旨からは外れますが・・・
日本の馬は木曽馬のような小型のでした。
戦の時は、疲れて動けなくなるので馬上の武者は両足を地面に付けて馬を休ませました。
鵯越で馬を背負って降りる事が出来たのも馬が小さいから故なのです。
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