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この八百万神の思想は、「汎神論」と思われがちだがそうではない。
なぜなら、さまざまな神々の元は一つだと考えられてきたからである。 一つの神から別れて多くの神々ができていった。これは、実際に
は神(宇宙)は一つであり、それぞれはその機能神と考えてよい。 「一神即多神、多神即一神」という考え方である。

とウィキペディアにあります。
では、最初の一神は、誰だと説いているのでしょうか?
八百万思想では・・・・????
どなたかご存知のかた教えてください。

A 回答 (18件中11~18件)

 No.2です。



 ★ スサノオが見たという神を拝んでいる人はいますか?? 
 ☆ そうですね。昔のひとは 神を拝んでいたでしょうね。でも スサノヲの神は 拝んでもいいのですが 何もする必要がありません。信じるだけです。
 信じるというのは 心を開いたということです。その神を受け容れるということです。あとは 神のほうが わたしたちのことを祈ってくれています。拝むわけではないでしょうが 見ていてくれます。それでこそ かみであると思いませんか?
 日本人が 信じているという場合の神は 基本的に みな このスサノヲの神だと思いますよ。なぜなら――部分的な証明になりますが―― たとえば キリスト信仰の神も 親鸞の阿弥陀如来も 同じかみですから。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  そのようなスサノオが見たと思われる神は、
 宇宙や人間を創造した造物主なる神でしょうか・・・・・・・?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ はい 上に述べたとおりです。
 ○ 参照としては →《質問番号:4508234:親鸞再考》
  http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4508234.html
  →《質問番号:4557899:ゲツセマネとは》
  http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4557899.html

 ☆ また 《造物主》というのは 《唯一神》のことを 分かりやすく 人格化し擬人法のごとく表現したものです。
 《あはっ》だけでも いいはづです。《あはれ(天晴れ / 哀れ)》に通じていれば いいでしょう。そして 《あはれみ(哀れみ・憐れみ)》は 神から来ます。むろん――と言うべきかどうか―― 拒絶するのも 自由です。

 ちなみに 
 ★ 一神教 / 多神教 / 汎神論
 ☆ は 旧い言い方です。しかも 《教》とつけているいわゆる宗教は 上に述べたわれわれ個人の信仰を 商売のためか政治=統治のためか 上塗りして作ったしろものです。
 わたしたちのスサノヲの神とその信仰には――ただ あはっと言うだけですから―― いっさい 規範も教義もありません。それでこそ 信仰です。これを利用するのは 宗教です。人間は 弱いですから。しかも 弱いときにこそ つまり 究極の弱さを 地で行ったスサノヲにこそ すがすがしき心が 与えられました。神のあはれみが 来ました。
 そのスサノヲの国イヅモに やがて アマテラスは 自分の国に従えという服属の要求をして来ます。やがて 国譲りという仕儀に相い成りました。こうして わが国は スサノヲ国とアマテラス国との二重社会 あるいは 後者が 上に立つ二階建て社会となり 今日に到っています。うんぬん。うんぬん。

この回答への補足

どうも何度も感謝です。

スサノヲの神と、スサノヲが観た神とは違うのですか?
また、良く登場する「天の御中主の神」とは違うのですか?
どうも今ひとつ分かりません。済みません・・・

キリスト教でいう宇宙・人間を創造した神が、
スサノオの神(スサノオが観た神?)だとすれば、
「天の御中主の神」の上にいる根本神ですね!!??
念のため確認です。

補足日時:2008/12/28 15:03
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多分、一神教と多神教のどちらが普遍的かといえば、多神教でしょう。


ただ、三大宗教の「キリスト教」と「イスラム教」が一神教のため、一神教が本来の姿であるような錯覚をしているだけではないでしょうか。
人間の素朴な信仰としては、さまざまな神を思い描くことが実に自然だと思います。そのなかで、宇宙の原理をひとつにしようとするのは、かなり「人為的」なことでしょう。
八百万の神は、あくまで八百万です。神道には、天神地神があり、天神は皇祖神ですが、地神は皇祖が日本を統一するときに懐柔した神々です。日本では元が違うのですよね。
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密教の曼荼羅の思想を参考にされるとよいと思います。


一即多、多即一の考えは、神霊の世界を含めた仏や菩薩の世界を表現した曼荼羅に顕わされています。
全てが宇宙の実在の顕れである、という考え方です。

八百万の神も含めた森羅万象が宇宙の実在の顕われであるというのです。
それは、法身ともよばれています。
六大一実の体ともいわれています。
仔細は密教の教学を参考になさってください。

一即多、多即一の世界を知り得た次のような感覚的な表現もあります。
「有相に即して無相に入り、無相に即して無限の有相に展開してゆく」
これは実修上の体験であり、直感的な深い智慧によって知り得た事でしょう。


思想的なお答えではないかもしれませんが、ヒントになればと思います
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この回答へのお礼

どうも感謝です!

とても、難しくて、すぐには、理解できそうにありませんが、
有り難うございました。

仏教の世界は、とても奥深く人間の心の世界を探求していて、
とても凄いな~と感心するのですが、創造主なる神を肯定しきれて
いないところに唯一問題があるように思えて、
「一神教」と言うことらしいので、敢えて、投稿いたしました。

やはり、漠然としていますね。
結局は、多神教の範疇に入るのかな~??

お礼日時:2008/12/27 22:42

No.1さんがおっしゃるように古事記では天之御中主神が、初源の神ということになっています。



三位一体の神が最初に出て、その後、イザナミ イザナギが出て。。。となっていきます。

ただ、これはユダヤ教の人が、大陸を横断して、日本に渡来してでた民話じゃないかなと思えるんですね。
だって、古事記の創世記の神々の出現過程は、ユダヤ教の天地創造とそっくりだから。
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この回答へのお礼

どうも感謝です。
天之御中主神が、初源の神ということになっています。
やはり、そうですか・・・?
根源神が三神もいれば、多神教だと思うのですが、
それでも、八百万神思想は、一神教と言えるのでしょうか??

ユダヤ教と似ていると言えば、京都の祇園祭の山鉾巡行がそうですね
リベカがラクダに水をやる絵が山車に掲げられています。
他にも、ユダヤ教と似ているところが一杯あるそうですから・・・
七月も確か聖書と関係がありました・・・

お礼日時:2008/12/27 22:36

[最初の一神は、誰だと説いているのでしょうか?


八百万思想では・・・・????]

日本を創ったのは「天の御中主の神」ですから日本の八百万思想では一番は「天の御中主(あめのみなかぬし)の神」ですね。その弟子筋の「天照」が日本の代表として働いてます。日本としてのローカル神の代表が「天照神」ということです。
一方、「天の御中主の神」は地球の中央官庁の国づくり省のえらい神様の1人ですね。3000年ほど前に地球の中央官庁の総理大臣に命じられて日本に赴任したのですね。どの国にもローカル神の代表がいますが国の始めは大体、中央官庁の国づくり局からの赴任ですね。中央官庁には500人ほどの偉い神様がいます。総理大臣と大臣クラスの神様は10人ほどいます。「天の御中主の神」は次官クラスの偉い神様ですね。
中央官庁の神様は、無任所のかたが多いので、「天の御中主の神」のように3000年も特定の国(日本)を見守っている神様は特別の目的がないとないですね。3000年の間にいろいろな国から神々を呼び寄せたり育んだりして日本特有の八百万の神々ができたということですね。地球の中央官庁統計では神と呼ばれる人口は数千万いるといわれてますね。
日本では、最初の一神は「天の御中主の神」で良いと思います。最初の一神を地球霊団の長にとっても八百万の神々という表現は同じでしょうけど、日本独自のほうがわかりやすいですからね。
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この回答へのお礼

やはり「天の御中主の神」ですか??
けど、この神様は、宇宙や人間を創造したキリスト教の
神と同じ創造主なる神ではないですよね??????
いったい、どれだけの日本人がこの神様の名前を知り、
拝んでいるのか??
どうも詳しく有り難うございました。感謝でした!!

お礼日時:2008/12/27 22:33

神道に関しては門外漢なのですが、「誰」というのはないんじゃないでしょうか。


おっしゃっているウィキペディアのページには、

神様が八百万人いるということではなく、また人間だけではなく、森羅万象その全てに神が宿るという考え方である。
つまり、天命はすべてに宿るという伝統的な思想が日本には存在してきた。
(中略)
日本における儒教は受命思想を取り入れるのではなく、 神道や仏教に影響を受け、万物に「命」が宿るという考え方をしてきた。

とあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%91%BD

ここにある「天命」もしくは「命」を指して「神」といっているのではないでしょうか。
言い換えれば「神聖なるもの」「霊的なもの」。
何かは分からないけれど、自然界には人智を超えた何か壮大なものがある。それをなんとか言葉やものに託して表現したいということで、具体的な「神」として定義されていったのではないかと思います。

日本の神道が「一神教」だというのは面白い説だと思いました。「森羅万象その全てに神が宿る」や「一神即多神、多神即一神」という言い回しも、仏教思想との共通点があってとても興味深く、改めて、神道と仏教とは密接に関連しているのだなと感じました。
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この回答へのお礼

一神教であれば、その信仰の対象である神が
何であるのかを示せなければ、一神教という宗教に
也得ないと思うのですが・・・
何か、その唯一なる神にお心当たりはありませんかですね?
なければ、別にいいんですが・・・・どうも感謝でした!!

お礼日時:2008/12/27 22:22

 《あはっ》と発したとき その事態・現象・情況の奥に かみを見たのです。

これが 《あはれ》の思想になります。随神(かみながら)の道とも言います。
 単純に お日さまを見て あはっと思えば やがて アマテラスオホミカミと名づけられるでしょうし 嵐の襲うさまに あはっと発すれば スサノヲノミコトとなります。《スサ=すさ(荒)ぶ》。
 ところが スサノヲは 父イザナキノミコトから命じられた海原の統治(たぶん 死者の祀り)を嫌って ひげが胸先に伸びるまでに泣いていたと言います。
 くわしいいきさつを端折って スサノヲは 姉のアマテラスの統治するこの世で 大暴れします。反逆児です。さすがのスサノヲも もう この国には住むまい 今は亡き母の国にいこうと言い出し その暇乞いに アマテラスに挨拶に行こうとしたとき 姉は 弟を疑いました。きっと かれは わたしの統治するこの国を奪いにやってくるに違いないというわけです。
 要するに このあと スサノヲは アマテラスの疑いを晴らし切れなかった。人知と人力では どうにもならなかった。アリバイの実証は むつかしい。罰金を課され 爪をはがされ そのまま 国を追いやられました。
 このあと このとき――かれは イヅモの国にたどりつくのですが そこで ひとの心に触れたとき―― すがすがしき心になって また 
 あはっ
と発したのでした。ここにかれは かみを見たというわけです。
 基本的には このスサノヲの見たと思われるかみ これが 日本人のかみでしょう。あとは すべて 付属品です。
 あはれは あっぱれ(天晴れ)とも 哀れとも なります。その不思議が かみであり 信仰です。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます・・・・・
難しいので、何度か読み直してみます。
が、そのようなスサノオが見たと思われる神は、
宇宙や人間を創造した造物主なる神でしょうか・・・・・・・?
スサノオが見たという神を拝んでいる人はいますか??

お礼日時:2008/12/27 22:19

哲学的な話はわかりませんが、


天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
という神様が古事記で一番最初に出てきます。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%BE%A1% …
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この回答へのお礼

早々にどうも有り難うございます。

お礼日時:2008/12/27 22:14

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