明治6年に2銭銅貨が発行されています。
とても重厚な通貨ですが、当時どれくらいの価値があったのでしょうか?
2銭で買えたものがあれば教えてください。
よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

各年の物価などを載せたページによると、明治6年に白米10kgの価格が31銭だったそうです。


米1kgが2銭と書かれたページもありました。
http://chigasakioows.cool.ne.jp/ima-ikura.shtml

単純に数値だけ見て8300倍ほどの価値を計算すると、16600銭=166円となりますが、現在のお米1kgは300~600円ぐらい。
飽食の現在よりも当時は食料が貴重だったと思いますので、もっと価値があるかもしれません。
そばやあんパンの5厘(2銭の1/4)、家賃などと見比べると面白いですね。
    • good
    • 0

明治10年頃の中流家庭の生活費は20~30円といいます。


生活費水準では円の価値は今の2万倍くらいあったようです。
2銭は今の4百円くらいという所でしょうか。
No.1の答えにある「あんパン」5厘は百円でまあまあですが、家賃8銭は今の1600円でひどく安かったようです。
    • good
    • 1

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q【チョコレート】国内メーカーのロッテ、明治、森永の3社でどのメーカーのチョコレートが1番好きですか?

【チョコレート】国内メーカーのロッテ、明治、森永の3社でどのメーカーのチョコレートが1番好きですか?


その理由もお願いします。

Aベストアンサー

チョコレートは年齢と共に食べなくなりましたが、明治か森永ですがあえて言えば森永かな。
理由は子供の頃チョコボールで金のエンゼル、銀のエンゼルでオモチャの缶詰を貰おうとお小遣いでやっと買えたと言う記憶が
ありますし。(笑)
ロッテは韓国系なので国内メーカーと思って居ませんし。

Q明治4年当時の高額郵便料金 貫・文・銭 と 切手

下記の質問を別にしましたところ 明治4年当時の貨幣制度は 両・円の混在期で 両換算で 21貫600文は約5.5両になることを教えていただきました 
1.ではその切手としてどんなものを貼付したのでしょうか 
2.切手の額面は”銭”で料金は”文”で誠に判りにくいのですがこの点も如何でしょうか 
3.また当時の丁稚の給金は年間で3両ほどと聞いた事がありますが別立てとはいえこれでは高
  すぎるのではないかと思いますがどうでしょうか 
4.更にはこうした別立てなどによる高額郵便の現品の保存はどこかにありますでしょうか 
  たくさん書いてしまいましたがよろしくお願いします

郵便制度が東京-大阪間で明治4年3月に始まり7月には横浜から別立てで各地に郵便が届けられる事になったと書かれています その郵便料金は横浜-高崎間で 21貫600文 と言いますが当時の貨幣制度がよく判りません どなたかご存知の方教えてください

Aベストアンサー

1.ではその切手としてどんなものを貼付したのでしょうか

=明治4年に日本で初めての「切手」が発行されています。俗に「竜文切手」と呼ばれるもので、4種類発行されました。「銭四十八文」「銭百文」「銭二百文」「銭五百文」の4種です。裏には糊もついてませんし、目打ちもありませんでした。切手は米粒で貼っていた様です。 


2.切手の額面は”銭”で料金は”文”で誠に判りにくいのですがこの点も如何でしょうか

=日本では「円」が導入される以前まで、貨幣単位としての「文」が続いていました。新通貨単位が導入されてからは、円・銭・厘が使用される様になり、現在は円と銭が使われています。竜文切手の場合、読み方なんですが「ぜに~もん」と言う言い方になります。確かに現在では判読はややこしいですね。


3.また当時の丁稚の給金は年間で3両ほどと聞いた事がありますが別立てとはいえこれでは高すぎるのではないかと思いますがどうでしょうか

=当時の3両は新貨幣制度導入時の3円に相当します。当時の1円は現在の通貨に換算すると5000円になると思われます。明治27年の公務員の初任給は50円です。明治も20年を過ぎると大体1円=4000円ぐらいになります。ざっと計算すれば公務員は現在のお金で20万円を貰っていた事になります。話は元に戻りますが、丁稚の年間給金3両という事は、年間で現在で15000円になります。まさしく丁稚奉公とはよく言ったもので、こんな安い給金で雑用をあれこれさせられていたのです。決して高くはありません。むしろ、安すぎるくらいです。 


4.更にはこうした別立てなどによる高額郵便の現品の保存はどこかにありますでしょうか 

=所謂「切手博物館」という所に行けば現物は見られます。

1.ではその切手としてどんなものを貼付したのでしょうか

=明治4年に日本で初めての「切手」が発行されています。俗に「竜文切手」と呼ばれるもので、4種類発行されました。「銭四十八文」「銭百文」「銭二百文」「銭五百文」の4種です。裏には糊もついてませんし、目打ちもありませんでした。切手は米粒で貼っていた様です。 


2.切手の額面は”銭”で料金は”文”で誠に判りにくいのですがこの点も如何でしょうか

=日本では「円」が導入される以前まで、貨幣単位としての「文」が続いていました。新通貨単...続きを読む

Q山手線 明治チョコレートVer.のお値段

昨日、会社帰りに、“山手線明治チョコレートVer.”を見かけました。

「やることが大胆だなぁー」と感動していたのですが、ふとした疑問が出てきました。。

山手線一台をデコレーションするのって、どのくらい費用(宣伝広告費)がかかるのでしょうか。
またその費用を取り戻すために、何枚のチョコレートを売る必要があるのでしょうか。
というか、明治の一日のチョコレートの売上はどのくらいなのでしょうか。

概算でも構いませんので、分かる方がいらっしゃいましたら、回答お願いします。

Aベストアンサー

http://www.ueharaweb.com/trko.htm

これは車体広告といいます。
約1ヶ月間2編成に広告を掲載した場合、1500万円とサイトに出ています。印刷加工費、施工費も含まれます。
但し、山手線100周年企画なので多少の値引きはあると思います。

Q当時の価値を現在の価値に換算する目安になるサイトを探しています。

たまに明治のお金を現在の価値に換算すると何円とかテレビでやっていたりしますが、各時代ごとの換算の目安にやるようなものをまとめたサイトってないでしょうか?

Aベストアンサー

まとまったサイトはなかなか無いようですね。
実際問題として、商品自体の価値変動も非常に大きいので、何を基準にするかでぜんぜん換算価格が変わってくると言うのが実情みたいです。

明治中期~後期で考えると、
 地金価格で換算すると、当時の1円=今の1000円
 米価で換算すると、当時の1円=今の5000円
だそうですが、いろいろな文献を漁ると、個人的には当時の1円=今の10000円くらいが妥当なように思います。

頼りになるのは文学作品(特に明治時代は「自然主義」と言われた人々の作品)で、田山花袋の「田舎教師」には明治35年頃の商品の価格が以下のように記載されています。(1円=100銭、1銭=10厘です。)

煙草:10銭 車(人力車)代:30銭 弁当:4銭5厘 ラムネ:3銭5厘 梨:1銭5厘 
認印:25銭 名詞:22銭 歯磨きと爪楊枝:3銭5厘 筆2本:8銭5厘
硯:14銭 帽子:1円15銭 羽織:1円75銭 へこ帯:30銭 下駄:14銭5厘
遊郭での遊び:2円

この物語の主人公(埼玉県羽生近くの小学校の新任教師)の初任給:7円60銭

まとまったサイトはなかなか無いようですね。
実際問題として、商品自体の価値変動も非常に大きいので、何を基準にするかでぜんぜん換算価格が変わってくると言うのが実情みたいです。

明治中期~後期で考えると、
 地金価格で換算すると、当時の1円=今の1000円
 米価で換算すると、当時の1円=今の5000円
だそうですが、いろいろな文献を漁ると、個人的には当時の1円=今の10000円くらいが妥当なように思います。

頼りになるのは文学作品(特に明治時代は「自然主義」と言われた人...続きを読む

Q明治チョコレートのCMで木下ゆきなさんと競演している人は誰ですか?

明治チョコレートのCMで木下ゆきなさんと競演している人は誰ですか?名前を教えてください。

Aベストアンサー

水沢エレナさんです。
雑誌「SEVENTEEN」のモデルで、あとドラマ「恋空」の主演をやっていました。

明治製菓
http://www.choco-recipe.jp/milk/valentine/cm/index.html

Q明治18年の八銭とは、今、現在のどのくらいの金額でしょうか?

家の物置から、昔の本がでてきたのですが、値段を見ると、定価八銭と書いてあるのですが、今、現在のお金の金額でいうと、どのくらいの金額でしょうか?
明治18年の本なのですが・・・・
知識のある方、教えて下さい。お願い致します。

Aベストアンサー

質問にたいして回答が不足してしまいますが、日銀で参考計数の求め方を紹介していますよ。

私も大正時代のお金を現在の金額になおす時に利用させてもらいました。下にURLを貼り付けておきますので参考にしてください。ただし、明治34年からしか表示されておりませんので、それ以前のものは日銀のHPから問い合わせると教えてくれると思います。

それと、明治18年の書籍を現在の金額に還元して価値を求めたいのでしたら、書籍の内容、状態などによっても付加価値がつく場合があります。お手持ちの古書籍についての情報を調べてみるのも良いのではないでしょうか?

参考URL:http://www.boj.or.jp/oshiete/history/11100021.htm

Q明治チョコレートのCMの曲

昔からある、
「チョッコレート、チョッコレート、
 チョコレートは明治・・・・・」
っていう曲ありますよね。
あれ、最近ものっすご、せつないバージョンのやつ
あるじゃないですか。あれ、歌ってる人誰かわかりませんか?

Aベストアンサー

今日見たのはキロロだったと思います~。

Q戦国時代の段銭など、百姓と銭について

この前、米沢市史を読んだのですが、戦国時代の伊達氏政権下、段銭、棟別銭を年貢とは別に徴収している記述を見つけました。
このことから疑問に思ったのですが、百姓、なかでも農民は、どうやって銭を入手していたのでしょうか。
商人に作物を売って銭を得ていたのでしょうか?
それとも、段銭、棟別銭とは言っても、実際は銭ではなく年貢と同じような米や作物だったのでしょうか。
そこのところの記述が見つからなかったので、できればご教授願いたいです。

Aベストアンサー

伊達氏は永正から天正中期まで(1500年~1550年位)
銭納を行っていたが、その後物納に移行していったと
いわれる。

年貢は鎌倉中期から、荘園領主の要求と年貢の運びやすさ
で銭納に移行した。
室町期の経済の発展で銭の流通量が不足し、農民が大量の
米を売って銭に換えるのに苦労するようになり、戦国大名は
兵量米の確保もあり米納などの物納に移行した。

荘園領主は手元には米より銭を置きたい。
在国の時は現物でよいが、他は銭納にせよという。

米の売買のため農村に定期市場が発展したという。
しかし商売上手の商人には不利な売値を強いられた。

東大寺文書によると、寺領大井荘では市がたたず年貢の納入に
支障があったという。

段銭(たんせん 反銭とも書く)、棟別銭(むねべつせん)は年貢
とは別の性格のもので、後北条氏では、年貢物納でもこれらは
銭納であった。

本来は年貢は経常費、段銭などは臨時費であったが、その後
他を含めほとんど経常的に徴収された。 

いつの世でも「税は絞り放題だ、掴んだ利権は手放さないぞ」は
変りませんね。

Q明治・森永のミルクチョコレートの包装が酷似している点

過去の質問を調べても見当たらなかったので質問させていただきます。

明治と森永の板チョコ(ミルクチョコレート)の包装やサイズ、チョコの割り方まで酷似していますよね?
包装は焦げ茶バックの金文字で、どちらも同じに見えます。
これって特許とかがなくて、どちらかが模倣したんでしょうか?

Aベストアンサー

 というより、昔は、板チョコといえばほとんど全部、あんなチョコレート色の地に金文字だったらしいし、わたくしが知っているかぎりでも、他社のチョコレートでもあんなデザインだったんです。
 もちろん価格帯を同じにするには中身の量もほぼ同じになりますから、大きさや型のデザインなども似てきたのでしょう。

 ああいったデザインならこそ、ああ板チョコだと一般消費者から安心感とともに認知されてきたのでしょうが、次第に他社のものは消えてしまい、正当なる?板チョコとして今も残っているのが、あの森永と明治のもの、それにローカル製品なら横浜チョコレートなど・・・・・・ということだと思います。もちろん当時はデザインの著作権みたいなものはなかったからでしょう。

 昭和20年の終戦後、進駐してきたアメリカ軍から放出されたというハーシーの板チョコ、これ、今でもありますが、これも同じくチョコレート色の地に、こちらは銀文字。しかし、デザインは酷似と言ってもいいほどそっくりです。

 たぶん、と言うか、ひょっとしてと言うか、チョコレートの老舗ハーシー社のチョコレートにデザインを倣ったのかもしれませんね。

 ちなみに、正しいかどうか自信はないのですが、国内でチョコレート色の包装から脱してカラフルな板チョコの包装が出だしたのは、たしかロッテのガーナミルクチョコレートだとか、明治のブラックチョコレートなど、板チョコとしての一連の新製品からだったと思います。

 というより、昔は、板チョコといえばほとんど全部、あんなチョコレート色の地に金文字だったらしいし、わたくしが知っているかぎりでも、他社のチョコレートでもあんなデザインだったんです。
 もちろん価格帯を同じにするには中身の量もほぼ同じになりますから、大きさや型のデザインなども似てきたのでしょう。

 ああいったデザインならこそ、ああ板チョコだと一般消費者から安心感とともに認知されてきたのでしょうが、次第に他社のものは消えてしまい、正当なる?板チョコとして今も残っているのが、...続きを読む

Q江戸時代の銭の発行

地方の藩で銅銭などの発行が許されてた藩がありますがこれは今の時代と同じく古い古銭と交換と言う形で世に出されていったのですか?

Aベストアンサー

江戸時代銭や文という貨幣は価格も低いので消耗するまで通用させるのが普通で、各種の通貨が混在していました。
回収などは行いません。
それより高額の銀貨金貨は多くの場合改鋳して品位を下げるので(通貨量を増して流通や財政の建て直しの為)回収、交換が行われるのが常でした。

銭や文という貨幣は後に硬貨と藩札という各藩が独自に発行した紙幣とが併用されました。
これは鉄、銅の資源が次第に枯渇してきたからです。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報