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唯物史観、社会主義史観は、人間の楽観的な捉え方によって失敗したのかどうか定かではありませんが、かならずしも万能な理論ではないと思います。
それを根拠としてもしなくてもいいのですが、なぜ、世界史の流れは、封建主義から、国民が総体的に政治参加するという民主主義の形態に移行しようとするのでしょうか?なぜ、もどってみようという地域国家はないのでしょうか?
やはり、民主主義は、封建制独占政治よりは「ましである」ということがいえるからでしょうか?

なにか、民主主義ということが金科玉条のような扱われ方をするのが腑に落ちない気がします。

A 回答 (8件)

簡単にいえば、産業革命が起き啓蒙主義が誕生したからです。



産業革命が何故起きたかは#2さんの言うとおり、新しいエネルギーが発見されたからなのですが、産業革命が起こったことにより封建制度は時代遅れになったのです。

まず封建制度の特徴を見ると、世襲制・身分主義・農本主義の特徴があります。これは農業(酪農ふくむ)から上がる作物(食料)の分配し古代の時代に膨れ上がった人口(社会)を維持する為に考案されたものです。農業に優先的にエネルギーや人などの資源をさくことで、限りある資源を有効的かつ持続的に使用するものなのです。
つまり強権的な支配者を置くことで、食料分配をコントロールできるようにし、それが1世代で終わらないように世襲で身分を固定する。また商業・工業については身分を低くすることで、生存を不安定にし(つまり農民のように土地についていないので、飢饉や災害時に優先的に保障をうけられない)、商業的工業的発展を阻害して、エネルギーの使用量が急激に上がらない(上がると簡単に供給量を越える)ようにしたのです。
実際、地中海世界の古代の発展と中世の発現は、豊かだった地中海周辺の森林資源の活用と枯渇によるものであり、ルネッサンスの勃興はヨーロッパ中部の森林資源を活用したものだからです。ヨーロッパ中部の森林資源が枯渇する前に、石炭や石油などの化石燃料が発見されたために、現在まで民主主義が持続しているといえます。

また別の側面、宗教から見ると、中世の暗黒時代もエネルギー不足が原因です。古代のアルキメデスなどは十分に考え、実験を行い新しい技術を育むことが出来ましたが、新しい技術=便利になるということは、人の力の変わりにエネルギーを使って仕事をするということなのです。
そのため中世の頃は科学自体を禁止したため、現在での科学、特に数学や物理学など「考えること」が大好きな人が大量に神学を学んだため、精密なそして人間離れした宗教が猛威を振るったのです。

そしてルネッサンスから産業革命を経て、今の資本主義・民主主義が立ち上がります。実は古代でもすでに民主主義の方法論はあったのです。が、現代に続く民主主義は寄り複雑な問題を抱えています。
それは資本主義という問題点です。
産業革命で起きたことは、エネルギーを利用し機械を使用することで、マンパワーだけは到底達成できない生産量を実現し、安価に製品を作り・輸送し・販売することが出来るようになったことです。
これにより資本を持ち投資した者は莫大な冨を得てまたそれを資本として投下し、それ以外資本も技術もない者は(農業にも産業革命の波が来て、今までほど人を使わなくても生産性が上がるようになったため)、工場で働く労働者になりました。
ところがややこしいのは労働者は消費者であり、工場で出来た生産物を購入し使う立場でもあったことです。
当初は植民地政策もあり、生産は本国、消費は植民地という搾取も成り立っていたのですが、だんだん植民地が疲弊すると本国の労働者に製品を売るという方式が成り立つようになりました。
このような資本家と労働者の数が多くなるにつれて、今までの農本主義は崩れ、封建的身分も崩壊していったのです。王様よりも金持ちの資本家が出現したら王様は権威の一部を傷つけられます、「けしからん」と王様が冨を強制的に剥奪すれば、だれも資本を出して投資しようとしなくなります。これにより、資本主義の台頭に伴って、個人の自由(移動・思想の自由など)と権利(財産・生存)の確保が重要になって、民主主義に移行していくのです。
しかし封建主義の社会保障制度が崩れた後、冨を持ち裕福な資本家と何も持たない労働者が国の構成員になったため、国の運営上、誰からどのくらい税金を徴収し、労働者の生存権をどのように保障するかも、問題になっていきました。
これにより民主主義的な手続きである、選挙などを通じて国の運営方法を決定するようになり、最初は税金を多く徴収される資本家などに選挙権が与えられたものの個人の自由と権利の確保は労働者にも及ぶとして一般選挙が成人に無条件に与えられるようになったのです。
しかしここで社会主義、共産主義という問題定義が起こります。産業革命と機を一にした社会革命は、啓蒙思想が原動力になっており、封建主義から革命を起して民主主義に移行すれば、人間の尊厳・平等は守られるはずだったのです。
しかし実際には資本家(ブルジョアジー)と労働者(プロレタリアート)の格差は広がるばかりで、民主的な手続きをもってもこの差を埋めるのは難しいと説いたのがマルクスであり、であるならブルジョアジーをなくしすべてプロレタリアートの国を作れば人間の尊厳・平等は達成できると考えたのがレーニンです。ここに共産主義という新しいイデオロギーが誕生し、戦後の冷戦にまでつながるのです。

どちらも、産業革命と啓蒙思想があったからこそ生まれたといえます。(もっとも民主主義自体は古代ローマや都市国家(ポリス)などに見ることができます)

現在は共産主義の実験は失敗し、民主主義的・資本主義的な社会が世界中で謳歌しています。
しかし中世に入るきっかけとなったエネルギー不足も、石油の枯渇という形で現れており、資本主義の暴走(つまり市場主義の限界)も見えてきています。

もしかしたら今後、生産を割り当て性にしてエネルギーを持続的に使えるようにしたり、考えるのが大好きな人はコンピュータのバーチャルな世界に引きこもったりする、新しい形の中世が来ないともかぎりません。

またはネットを利用したもっと実用的な民意をくみ上げることができるネット民主主義が出来るようになるかもしれません。
中国では一党独裁であるがために、逆にネットの中の意見に対して政府が柔軟に対応するという、新しい形の民意の汲み上げが試行されているようです。
個人の尊厳・自由という一見当たり前のような権利も、地球全体の危機がくれば、紙くずと同じように捨てられるかもしれません。
または逆に、新しい技術思想の上にまた新たな思想でもって、もっと個人の自由・権利の保障が行われる制度ができるかもしれないのです。

資本家が自由に活動し、社会を維持するためには、個人の自由が必要で、個人の自由を確保しながら社会や国を運営維持していく方法は、いまのところ民主主義しかありません。
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この回答へのお礼

非常に参考になりました。
為政者というものが、古代から私欲のためではなく、世の中の構造をどう支えるかの政治学?的思考を持って支配を行っていたということは驚きですね。
歴史的な推移から民主主義の勃興を論じていただき、大変納得しました。
古代から中世の暗黒時代にも、エネルギー生産性が絡んでいたとは!つまりは結局のところ、物質的エネルギー消費形態というところから、人間の歴史政治は動いているということらしいですね。もしかすると、地球温暖化が大規模に起こっていたら、木材は枯渇せず、中世はなかったも知れない?
それにしても驚くのは、農業従事者を高い身分に置いたのは、すなわち、それが社会の基本であり生産だからである。商工業は結局消費なのであるという、人間の危機管理政策だったのですね。為政者というのはすごいものです。
結局民主主義への流れも、石油石炭の動力が日常的になったという産業革命ですね。これにより、王制というものは時代遅れ、機能しないものとなった。しかし、悲劇的な農業から工業への人的移動が起こり、歴史はかつてない搾取と過酷な労働を強制されるという人間にとっての不幸な歴史を経験しました。それが終わり、そして、社会主義の実験も終わった今、いったい何が残ったんでしょうね。なにか空虚なマネーゲームの世界だけが跋扈している気がしてなりません。

お礼日時:2009/04/04 10:04

民主主義は自由主義と表裏一体といっていいと思いますが、その先鋒はやはりアメリカ、そして西欧の国々、また日本でしょうか。

かって封建主義だったそれらの国々は民主主義を採用したことでより豊かになり、他の国に物質的に、文化的に影響を及ぼしています。共産主義であったソ連は崩壊し、中国などもかの国々のシステムを取り入れてきています。もちろん恐慌が避けられないなどこのシステムの欠点もなくはないでしょうが、これだけ世界的に成功すれば、後進国もまずここからはじめようとするでしょうし、成功した国も豊かな現在を犠牲にして以前の国家形態に戻そうとする理由も動機も見つけることは出来ないでしょう。
>民主主義ということが金科玉条のような扱われ方をするのが
そんなことはないでしょうね。様々な欠陥が言われていますし、最高の政治形態は昔から哲人政治だといわれて来ましたが、ポリチカルスーパーコンピュータによる中央集権でも実現しない限り、いまのところ現状以外の政治形態は実用化されないだろうと思います。
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この回答へのお礼

結局、1番成功した例だからということで、承認されるというところなんでしょうね。だめなところもあるけれども、結局は戦争にも勝利したし、経済の最右翼にも躍り出たこの国々のシステム、1番いいじゃないかということでしょう。欠点は欠点として長所のほうが多いということで妥協し承認するしかないということらしいですね。

お礼日時:2009/04/05 08:53

民主主義が優れていて、封建主義が(おそらく原理的に不公平なため)成立しない場合が多いという情報が歴史として伝達されてきたこともあるからです。

情報社会が高度化し、ネット社会にいたってはその情報はもう隠しようがありません。

しかし、その歴史は古く、フランス革命で王族が殺害されたことに象徴的です。民衆が将来自分の権利が制限される(ひいては自分たちが殺される)可能性がある政治体制を選ぶことはありえないでしょう。すなわち、不当な人権制限、経済的制限を受ける可能性のある体制は、多数派(君主ではなく民衆)によって自然に排除されることになります。
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この回答へのお礼

民主主義にすすむものだ!という思い込みを作り出してきた、ということなのでしょうかね。フランス革命からの歴史をすなわち近代化、あるいは善とするような思考が支配的になった。それが呪文のように世界に広まったということなのでしょうかね。

お礼日時:2009/04/04 09:49

制度に無関係に人間の心は自由でかつ階層的(差別的)であるのですね。

これを簡単には内心の自由といいますが、内心の自由は階層的なのでそれを反映した社会構造は封建的階層になるわけです。しかし固定的封建階層では内心の自由が完全に担保できないので、言論の自由と機会の自由を担保した民主主義的階層社会がより内心の自由を反映するからでしょうね。
百姓の心を持った人が貴族ではいやでしょうし、逆も同じでしょうね。
例えば、貴族や武士、百姓・商人を経営者、労働者、公務員、地方議員や国会議員と置き換えただけでしょ。
つまり強制的に階層社会を創るのではなく各自の判断(個性ともいえる)で、結果として多数の心にかなった階層社会を作ることができるので民主主義がよいのでしょう。
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この回答へのお礼

階層的なのが人間的本能なのでしょうか。社会的動物であるからそれもいえそうです。社会とはすなわちピラミッド構成をなすものですからね。内心の自由の発露、その具体化がこの制度を生み出したのでしょうか。おっしゃるとおり、民主化とは言っても、歴史的身分の置き換えに過ぎませんからね。

お礼日時:2009/04/04 09:48

質問者さんは、歴史的視点として、重要なことに気が付きましたね。

過去に存在した政治制度は何処の地域でも、圧倒的に中央集権国家であって、封建制度という特殊な制度を採用した国は、人類史において例外中の例外でしたね。2千5百年程前の中国の封建制度は、その後何処にでもあるような中央集権国家に移行してしまいましたが、それを除けば、明確な形で封建制度を採用したのは、西欧と日本だけでしたね。そして、この例外的な政治制度である封建制度を採用した地域だけが、近代産業革命をスムースに成功させ、高度な資本主義と近代民主国家を作り上げておりますね。ですから、この地域の連中だけがなぜ、他の地域とは違って封建制度という特殊な制度を採用して、中央集権制度と言う、何処にでもあったような制度を採用しなかったのかを探れば、近代工業国家、資本主義国家、あるいは近代民主主義国家とは何か、そして、なぜそれらが制度として出現得たかが分かって来るはずですね。

過去に滅多に存在しかった封建制度言う特殊な政治制度と近代国家の歴史的、論理的関係は、多くの社会学者や歴史学者によって論じられております。中央集権制度ではなくて、封建制度と言う特殊な政治制度は近代国家を理解するキーワードになって居ります。質問者さんもご自分でこの面白い問題に気が付いたことを誇りにして、

封建制度だけが民主的近代国家を産み出し、中央集権制度はなぜそれができなかったか、

という見解に対するご自分の意見を育て上げて下さい。。
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この回答へのお礼

封建制が日本とヨーロッパ独自だとは、実は知りませんでした。その領地制、日本で言えば藩領制度が後の近代化へスムーズな移行をしたということでしょうかね。

お礼日時:2009/04/04 09:45

政治学の内容をあえて、哲学のカテゴリで質問されたのは、何か意図があるのかもしれませんが、やはり「現実の政治を見ながら、考えて下さい。

」と言いたいですね。

まず、民主主義ではない体制は、封建主義でしょうか?
また、形式上民主主義でも、選挙が公平ではないあるいは、選挙そのものを停止している国もあります。まず、そういう国の現状を勉強して下さい。

また、民主主義が実施されている国でも、政治参加の度合いや影響力の行使は人によって異なります。政治学の選挙理論や政治過程論でいう「圧力団体」などのことを勉強すれば、わかると思います。
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この回答へのお礼

勉強しないのでよくわかりません。

お礼日時:2009/04/04 09:43

封建主義より民主主義の方が人々が望むからでしょう。


古代から中世に移行したのは、古代のエネルギー不足が原因です。
当時の主たるエネルギーは木材でした。

木を切りすぎてエネルギー不足に陥ったとき、人は物質文明を捨てて
精神の豊かさを重んじる中世思想を受け入れて、結果として
王を中心とする封建主義に移行しました。

しかしその後、石炭の発見でエネルギーが豊富になると、物も豊かになる。
新しい物は人々の好奇心を呼び覚まし、再び物の豊かさを求める様になる。
そして、石油の発見によって益々物が豊かになる。

人々の要求が物であるなら、それの所有を保障する民主主義が台頭するのは
自然であると思いますが。

ロシアは帝政ロシアという封建主義から、社会主義へと移行しましたが
失敗したのはご存知の通りです。
封建主義は、形としては社会主義と似ています。
王家と貴族階級に富が集まり、庶民にはその富の恩恵は回りません。
昔のように、新しい情報が齎されるまで数ヶ月、物によっては数年掛かるなら、
庶民が新しい情報に触れるには、旅をしてきた人の話しかありません。
『遠い国では、人々は投票によって代表者を選んで政治をしているそうだ』
暖炉を囲んで、人は旅人の話に想像を膨らませる。
今はリアルタイムで情報が手に入る時代です。

そんな時代に、一部の人間だけが富を独占する封建主義に戻ろうと言う
国は現れないと思いますが…
北朝鮮のあの惨状を目の当たりにして、それを選択するほど人は愚かではないでしょう
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この回答へのお礼

中世は「思想」の時代、というか、宗教の跋扈した時代ですよね。確かに一種の精神性ともいえます。これは、それなりの理由があったのですね。それがお挙げになっている、エネルギーの不足、気候的要因ということにもあるかと思います。

物質的なエネルギー消費形態での豊かさ、石炭石油の燃料動力源の開発、それによる、生活形態の変化、それが大きいのでしょうね。だから、民それぞれが恩恵を享受できる物質的供給ができて当然の帰結として起こってきた。非常に納得できる話しですね。

お礼日時:2009/04/04 09:42

すごい視線が違いますけど、


地球の面積が有限で、土地が細分化されたからだと思いますよ。

一度あげた土地の全部は返ってこない。だから権力の配当を渡さなければならず、全権力が持てない。
植民地が増えなくなったから、民主主義になったんだと思います。

日本の歴史でも何度かこの問題で権力者が衰退してます。墾田永年私財法とか秀吉の朝鮮出兵とか、現在の日米安保もそうですよね。
細分化はシステムの進化ですし、もらったものは返さない。は人の常でしょう。
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この回答へのお礼

「土地」っていうのが人間活動のすべての源泉であるという考えからいえば当然の帰結なのかもしれませんね。土地所有の制度、これは近世的ですが、これと並行的に民主主義のバックボーン思想が実現化されるのも当然です。

お礼日時:2009/04/04 09:38

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