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ではないでしょうか? 次の理由により 哲学が取り上げるには 値しない主題ではないでしょうか?
理由その一: わたしは 過去世のこれこれという人間から 生まれ変わった者であると言うのは 自由である。その自由というのは 証明もできなければ 反証のしようもないという意味である。
理由その二: 生まれ変わりというこの考え方には つうじょう 因果応報説も ついている。けれども このように 宇宙の始まり以来 いわゆる善因善果(ないし楽果)および悪因悪果(ないし苦果)のもとに 生まれ変わるとすれば ひとつの行為は つねに 例外なく 自業自得という意味である。仮りに人を殺しても 殺すほうも殺されるほうも まったく寸分たがわず それぞれが 自業自得だとなる。それ以外に考えられない。
理由その三: ひとつだけの生涯ではなく やり直しが効くように 転生の思想があるのだと反論を聞いた。けれども それだと この今の人生については もはや 努力をしないと宣言したようなものである。たとえ 来世があるとしても それを頼まずに 今世にて やれるだけのことをやっておくのが 筋というものである。つまり 生まれ変わることを 念頭に置くのは 意味がない。
理由その四: 民主主義ないし 思惟や行動をふくむ表現行為の自由ということ この自由が まだ 制約されていたときには 《たとえこの今の生において 達成し得なかったとしても 次に生まれて来たときには 必ず 成し遂げるぞ》という気概を表わしていたかも知れない。けれども 現代においては かえって 安易な考え方になってしまう。言いかえると 安易な考え方を持つなら 持った途端に 努力とそのための能力が 萎える。それゆえに 精神をめぐる病いが現われるのではないか。すべて ここに原因があるのではないか。
真実をおしえてください。
No.4
- 回答日時:
追伸
>>「私はbragelonneさんほどの立派な人物が自身の思考に無理に制限を掛けること自体が不幸なことではないかと思います。」
これは哲学的な回答では無かったですね。私情を挟みすぎました。
お詫びして、次のように訂正しておきます。
「あのローマの賢帝と呼ばれたマルクス・アウレリウスでさえキリスト教を認めることは無かった。むしろ弾圧してしまった。後年どうでも良い者がキリスト教を国教と定めるのである。ローマの輝かしい歴史から言えば、マルクス・アウレリウスほどの人物こそがキリスト教を国教と定めるべきであったのに。」
この言葉がbragelonneさんにはふさわしいかと。
mmky さん 追伸のご回答をありがとうございます。
ただし 意味が分かりません。意味が取れません。
○ 信仰が 個人の内面から 外に出て 集団において教義と組織をもって 宗教となるなら それは 信仰の自殺行為である。
○ 信教・良心の自由というときの信仰は 無根拠にもとづく心の振る舞いです。それが 経験合理性にもとづく根拠によってこそ立つようになれば それは 信仰ではなくなります。
○ この組織的な宗教は ほかの側面として たしかに 結社の自由がありますが 信仰の側面から見れば 信教の自由の趣旨からは 逸脱した暴挙です。
○ まして 歴史知性のおばけとして 人びとを 自分の権威のもとに寄せつけようとするスーパー歴史知性が その国家を利用して ただでもくだらない宗教を 国教とするのは 愚の骨頂の上の骨頂です。
○ 信仰を ひとに 押し付けるのも それを 政治行為として 弾圧するのも 愚の骨頂です。
○ そもそも 主観内面において信じるものを 外に出して おしつけたり あるいは 外から その中へ手をつっこんで 論じたりその度合いを決めたり(つまり 信仰が 薄い・厚い・敬虔だどうだと ひとが決めたり)するのは おかしいとしか言えません。
○ 教会へかよえば 敬虔なんですか? それは 集団としての宗教による勝手な判断であり決めつけであり その影響を受けた部外者のただの模倣であるでしょう。すべて ただ 自分たちの権威を 守るためではないでしょうか?
○ ましてや その組織における個人信仰の〔あり得ざるべき〕階級づけにもとづき ひとを裁いたりするなどというのは 人間のおこなう行為ではありません。人間以前の状態にある人間です。生まれそこないです。
○ この生まれそこないが よくも 戦争はするななどと ほざけるものです。まづは 人間にもどるのが 先でしょう。まづは 魔女という魔女をよみがえらせて ごめんなさいとあやまるのが 先でしょう。
○ あたまを丸めるのは 先でしょう。(あっ もう丸めていたか)。
これは わたしの純然たる
★ 私情
☆ ですが 哲学の成果であり その私情ないし主観を 共同化しようと言う人びとも いることでしょう。そういう怒りです。どうでしょう?
輪廻転生は 愚の骨頂であるという命題は まだ 持ち堪えますね。
No.3
- 回答日時:
愚の骨頂かもしれないけれども、議論するのが哲学だと思います。
カントも一応世界全体の成り立ち(世界の始まりや大きさ等)について検討してますし、ありえないことでも何故ありえないかを議論するのが哲学だと信じます。
理由その一についてのみ、書かせてください。それ以降の理由は倫理的な価値判断なので立ち位置が難しいので。
まず「証明」とか「反証」できる教説が哲学にどれほどあるか疑問です。自然科学とは異なるのが哲学でしょう。
「永劫回帰」はニーチェの教説の一つですが、これは「輪廻転生」を広い意味で含んでいます。いまここにある自分がかつてあったし、これからも無際限にありつづけるだろうと言うわけです。
妄説かもしれませんが、ニーチェほどの哲学者がそれを信じたというのがポイントです。立派に哲学のテーマですし、愚の骨頂とばかりいえないでしょう。確かに狂人の妄想かもしれないですが、一抹の狂気がないと学校の先生の退屈な訓話と差がなくなります。
ソクラテスのダイモンが示すように哲学は、一抹の狂気を漂わせながらギリシアに始まったのですから。
この回答への補足
Hyperion64 さん ご回答をありがとうございます。
★ 愚の骨頂かもしれないけれども、議論するのが哲学だと思います。
☆ つまり これこれの理由により 《輪廻転生説は 愚の骨頂》であると議論するのが哲学ですね。
★ カントも一応世界全体の成り立ち(世界の始まりや大きさ等)について検討してますし、ありえないことでも何故ありえないかを議論するのが哲学だと信じます。
☆ 上と同じですね。ただし 《何故ありえないか》ではなく 《あるとも ないとも 決められない》という理由つまり その議論をしても 切りのない悪無限に陥るという理由もありますね。
また 《カント》がどう言ったからとか ナントがこう言いおこなったからとかの理由は それだけでは やはり 愚の骨頂ですね。
★ 理由その一についてのみ、書かせてください。それ以降の理由は倫理的な価値判断なので立ち位置が難しいので。
☆ 《立ち位置が難しい》のは 待った無しの現実には あり得ますが 哲学に 一般的には あり得ません。と確認しつつ
★ まず「証明」とか「反証」できる教説が哲学にどれほどあるか疑問です。自然科学とは異なるのが哲学でしょう。
☆ 《教説》も文学小説もないでしょう。仮説に対して 肯定・否定いづれかの証明をするか あるいは 証明も反証明もし得ないと明らかにするか いづれかでしょう。宗教の問題ではなく 哲学の問題だと申し上げているのですから。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「永劫回帰」はニーチェの教説の一つですが、これは「輪廻転生」を広い意味で含んでいます。いまここにある自分がかつてあったし、これからも無際限にありつづけるだろうと言うわけです。
妄説かもしれませんが、ニーチェほどの哲学者がそれを信じたというのがポイントです。立派に哲学のテーマですし、愚の骨頂とばかりいえないでしょう。確かに狂人の妄想かもしれないですが、一抹の狂気がないと学校の先生の退屈な訓話と差がなくなります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ニーチェが何を言った カントがかにを言ったでは 哲学の入り口から 入り間違えていますでしょう。自分で論じようとはせず みづからの主観真実を持たない・持ちたくない・あぁ 次に生まれてきたときにでも取り上げ 持ってみようかな ということでしょうか? こういう哲学の貧困という現状であるようです。
妄説です。もしくは 妄説とも何説とも決められないくだらない主題だという結論に辿り着かなければおかしいというのが 質問趣旨です。
★ ソクラテスのダイモンが示すように哲学は、一抹の狂気を漂わせながらギリシアに始まったのですから。
☆ 輪廻転生説は 哲学が扱うに値するものではなく 扱うなら 愚の骨頂であると哲学することには ダイモンがただよっていますでしょう?
いかがでしょうか?
No.2
- 回答日時:
>>真実をおしえてください。
哲学の範疇の議論でしょうかね。
そのまえにわかりやすい数学の問題で考えましょう。数学の次元は線、面、立体・・・とありますが普通に3次元立体以上の次元は誰も認識できないし議論する意味もないと考えれば、その通りですね。リーマンだの高次元微積分だの多次元時空間表現だのアインシュタイン時空だのあまり意味はないでしょうね。それでも延々と数式をこねくり回して特異点だのブラックホールだのワームホールだのといって楽しんでいるわけです。数学でいえば物理学も取り込んで議論の範疇を広げていることは確かですね。ワームホールなど理解できる人はほとんど無いというのにですね。
さて、bragelonneさんはすでに私が何を回答しようとしているかをお気づきだと思います。
哲学の範疇も数学の範疇と同じだといいたいのですね。理解できる人はほとんど無くてもより広い範囲でこねくり回すということが正しいと思うからですね。人間がどこから来て、何をしようとしているのか、どこへ行くのか、の一つとして輪廻転生説もいいじゃないですかね。数学でいえば3次元に留まろうが4次元以降を論じようが数学です。とおなじじゃないですかね。ただ一ついえることは、数学でも4次元以降を理解しないと大数学者とはいわれないし、物理学者とも言われない昨今ですよね。さて哲学ではどうでしょうかね? やはり目に見えないところも取り込んで論じないとだめなのでしょうね・・ 宗教を取り込んだものを哲学の範疇とするか、目に見えるものや誰にでも判ることを哲学の範疇とするかは、bragelonneさん次第かな。
私はbragelonneさんほどの立派な人物が自身の思考に無理に制限を掛けること自体が不幸なことではないかと思います。
この回答への補足
mmky さん ご回答をありがとうございます。
★ 哲学の範疇も数学の範疇と同じだといいたいのですね。〔* 哲学は〕理解できる人はほとんど無くてもより広い範囲でこねくり回すということが正しいと思うから〔* この輪廻転生説に異議を唱えるの〕ですね。
☆ めちゃくちゃですね。はちゃめちゃですね。おとなの発言とも思えません。
○ 哲学は 思想に対して あらゆる可能性を考慮したあとの判断資料を提供するものです。
○ 思想は 生活態度です。
○ したがって哲学は ひとが生きる上で 現実とは どういうことか これを問い求めます。生きるとは どういうことかが 主題ですが 現実問題なのです。
○ 冗談ぢゃありません。時間軸を含めた四次元は 現実ですよ。ブラックホールも 仮説としてであっても 経験現実ですよ。
○ 冗談ぢゃありません。輪廻転生のどこが 現実なのですか?
☆ どこをどう考え間違えれば
★☆ 〔* 輪廻転生について〕理解できる人は〔* ・・・〕無くてもより広い範囲でこねくり回すということが正しいと思う。
☆ となるのでしょう? 《こねくり回》してもよいのだという理由として 述べてあるのは ただ一つ
★ 人間がどこから来て、何をしようとしているのか、どこへ行くのか、の一つとして輪廻転生説もいいじゃないですかね。
☆ ですね。しかも なぜ そうなのか。一向に明らかにされていません。一生という期間を 特定して捉えて 何がいけないのでしょう? 哲学は この一生という範囲を 勝手に飛び越えて 想像の世界に遊ぶという趣味嗜好による判断を扱うとでも思っておられるのでしょうか。しかも 教義として 固まっていると言います。これを哲学は あつかうに値するとは いったい どの論理をもって 主張するのでしょうか?
No.1へのお応えにも書きましたが この質問では 信仰の選択を問うてはいません。また 宗教を宗教として 論じあつかうものでもありません。その教義の内容を 哲学から見て どう考えるか。これについて おひとりごとの真実をおしえてくださいというものです。むろん 理由が 大事です。理由をおしえて欲しいというものです。
★ 自身の思考に無理に制限を掛けること
☆ から解放されてください。ここで《制限》というのは 経験世界が経験世界のままでは 分からないからと言って その範囲を 単なる想像力によって 飛び越えていくからです。文学表現ならかまいませんが 哲学としては 哲学の思考に 哲学としての思考をしつづけていてはならないというかたちで 《無理に制限を掛けること》になるからです。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて哲学ではどうでしょうかね? やはり目に見えないところも取り込んで論じないとだめなのでしょうね・・ 宗教を取り込んだものを哲学の範疇とするか、目に見えるものや誰にでも判ることを哲学の範疇とするかは、bragelonneさん次第かな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ どこか 両義性がちらつきます。つまり どちらを哲学としているのか どちらの内容が ご自分の見解であるのか あいまいなところがあると思いますが わたしからの問いは はっきりしています。
○ 目に見えないものを取り上げる場合にしても 肉の目および心の目に見えるものや誰にでも判ることにもとづいて 説明をおこなう。
☆ これが 哲学だという前提において では 《輪廻転生》とは どう扱うべきものかです。
このように受け取りました。
No.1
- 回答日時:
輪廻転生は哲学ではありません。
仏教の大事な教えです。
となると哲学は宗教を否定するのですね。
それにしては外国の哲学者は敬虔な○○教徒というのが多いですが。
ベトナム戦争のとき北ベトナム軍はアメリカ相手に奮闘していました。
何故強かったのか・・それはベトナムでは輪廻転生が信じられていて、死んでも生まれ変われるから、だったそうです。
哲学で宗教は語れないと思います。
この回答への補足
t87300 さん ご回答をありがとうございます。
★ 哲学で宗教は語れないと思います。
☆ この命題に対しては 《宗教》を 次の二つに分けて 対応いたします。
(α) 個人の主観内面における信仰と
(β) この信仰が 人間の言葉によって表現され集団において教義とされたいわゆる宗教と
これら二つですが そのうち (β)の教義を 哲学から見てどう捉えるか これを この質問は 扱います。(もっとも 哲学は (α)の信仰についても それを 経験合理性から見て どういう事態であるのか これを 扱うとも言っておきます)。
さて t87300 さんのお立ち場として
★ 仏教の大事な教えです。
☆ と明らかにしておられます。ですが 漏れ承るところによれば 仏教では この
○ 輪廻転生を断ち切る
☆ ことこそが 目指す境涯だと聞きます。
▲ (ヰキぺ:仏教) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
・・・個々の生に対しては 業(* カルマ・行為)の積み重ねによる果報である次の生、すなわち輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると言う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これについても 哲学としては――哲学としては です―― 初めから生まれ変わりはないと想定しておけば 輪廻をつづけることも断ち切らねばならないことも ない。こういうことですね。
あくまで この質問は
☆☆ 哲学が取り上げるには 値しない主題ではないでしょうか?
☆ と問い求める道にあります。
★ 外国の哲学者は敬虔な○○教徒というのが多いですが。
☆ 《敬虔な○○教徒》というとき それは 個人の内面における信仰が 外に出て 集団としての見方から 判断されていることを意味します。ひとが ひとの信教および良心のあり方にかんして 干渉していると わたしは 考えますが それは ともかく 《哲学者》が 《信仰者》であることは なんら 問題になりませんし ここでも 問題としていません。
★ となると哲学は宗教を否定するのですね。
☆ ですから 宗教における教義の内容にかんして 哲学は こう思う・そうは思わないという判断を 一人ひとりの主観の真実として どうなのか これを問うています。そして わたくしは 輪廻転生説に対しては 完全に《否定》しますが 真実をおしえて欲しいという問いです。
主題を噛み合わせて欲しく思います。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ベトナム戦争のとき北ベトナム軍はアメリカ相手に奮闘していました。
何故強かったのか・・それはベトナムでは輪廻転生が信じられていて、死んでも生まれ変われるから、だったそうです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 帝国陸軍・海軍も つよかったようですね。物量や機械の質と量で 負けたようですね。敗戦の色濃くなってからは 次々と 無謀な作戦によって わざと敗北に向かったとも言われていますね。《理由その四》の 民主主義の問題も 加味して欲しく思います。
いかがでしょうか。おしえていただいたご回答の真実について 以上のように 受け取りました。
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