プロが教えるわが家の防犯対策術!

よろしくお願いします。

美智子皇后陛下を理想の女性と思っております。

昨夜もテレビで拝見したのですが、とてもお美しいです。
言動や表情に、「自我」というものが全く感じられず、完璧な「超自我」のみで、ご人格が形成されている様に、私には思えます。

若い頃からお美しく、「超自我」の強い方でしたが、皇室に入られて、お子様を流産され、軽井沢でのご静養を余儀なくされたり、お声を失われたり・・と、(「超自我」が強いが故の?)大変な苦悩があったと思います。

どうしたら、あの様な、完璧な「超自我」を形成する事ができるのでしょうか?

世俗で暮らす一般庶民(←自分の事です)に、完璧な「超自我」を形成して、保ち続ける事は、無理なのでしょうか?
でも、少しでも、近付きたいです。

A 回答 (10件)

誰にでも「超自我」は存在してます。


それに気付くか気付かないかの違いでしかない。

「潜在意識・超自我」を守っている防御を外せばよい。
そこには死と隣り合わせの恐怖がありますが。

本当の自分を知ると色々と面白いですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「潜在意識・超自我」を守っている防御を外せばよい。
そこには死と隣り合わせの恐怖がありますが。
自分は、「潜在意識」が開きやすい気質だと、思っております。
「防御」を外すには、どうすれば良いのでしょうか?瞑想?
「死と隣り合わせ」の恐怖があるのですか・・「超自我」を守っている「防御」を外したら、外部(他人)の「自我」の影響を、まともに受けてしまうのでしょうね。それだけ「強く」ならなければ、いけませんね。

お礼日時:2009/05/10 04:55

メタ認知力を高めることなんですが、完璧な超自我は、無嗜好、無感情ですので、社会生活ができません。


愛することは愛さないものとの差別であって、平等と博愛は何も愛さないのと同じ事。悟りの一種です。
この達観をして、自己認識力の置き所をつくれば、誰でもなれますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>メタ認知力を高めることなんですが
「メタ認知力」という言葉の意味を調べると、「自分で自分を知る能力」と、ありました。

>平等と博愛は何も愛さないのと同じ事。悟りの一種です。
なるほどです・・。
美智子皇后陛下は、日本の国民全てを平等に、愛して(慈愛)くださっていると、思います。

お礼日時:2009/05/10 05:13

人間は、汚い自我にまみれて、自我に翻弄されて生きる、しょうもない生き物。


永遠に自我を超えることはできません。
・・・そう悟ることが、超自我ではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>人間は、汚い自我にまみれて、自我に翻弄されて生きる、しょうもない生き物。
そうですね・・。
人間社会で生きていく以上は、仕方のない事なのでしょうか。

お礼日時:2009/05/10 05:29

超自我、自我という言葉をどのような意味で使っていらっしゃるのか、判断しかねますが、美智子皇后陛下も、もともときちんと育てられた方で、なおかつ皇室に入られて、その役割行動を獲得されたと考えられます。


その途上では、大変苦労なさり、精神科医でもあった神谷美恵子さんの援助も受けていらっしゃいますし、もちろん今上天皇陛下との強い絆もプラスに作用したものと推察します。

ただ、心理学の立場から見れば、自我がなく、超自我だけが存在するということは考えられません。
なぜなら、自我は、現実生活に適応していくための調整機能を果たしていると考えるからです(あくまでも精神分析的な立場に立てば、という前提での議論です。この立場からは、超自我は、理想追求の部分です)。
このように見ると、超自我もお強いと思われますが、それ以上に、自我が鍛えられたと考えた方がよいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>美智子皇后陛下も、もともときちんと育てられた方で、なおかつ皇室に入られて、その役割行動を獲得されたと考えられます。
美智子様のお母様も、美しい(外見<外見も美しいですが・・>ではなく、ご人格です)と思います。育てられた環境も、強く影響しているのでしょうね。
全てを平等に愛する事のできる「超自我」は、特別な立場(皇室)だからこそ、必要であって、保ち続けられるのでしょうか。

>超自我もお強いと思われますが、それ以上に、自我が鍛えられたと考えた方がよいと思います。
専門家の方からのご意見、未熟な自分には、難しいです・・。
「『超自我』を維持しながら現実社会に適応したい」という欲求を満たす為の「自我」が鍛えられているという事でしょうか。

お礼日時:2009/05/10 05:54

超自我は必ずしもいいとは限らないんです。



エゴを説得して模範的な行動をさせるのが超自我ですが、あまりにも自分の欲望を抑えてしまうと、自分というものを喪失してしまう。
欲求不満になり、それでも自分のエゴを抑圧すると、失語になってしまう。

失語になられましたよね。
自分の欲望を抑えすぎたため、肉体に変調をきたしてしまったわけです。


精神的に頑強そうだった雅子様も、我慢のし過ぎだと思いますが、今もおもわしくないですよね。
適応障害とかされていますが、、、
誰も適応できない世界なんじゃないかと。

美智子様の場合、バッシングされるたび、我慢してきたわけですが、ある時、黙っていたため図にのった侍従たちが激しい美智子様バッシングをして楽しんだため、とうとう立ち上がって反撃してましたよね。

いけーーー って思いました。
強くなったなぁ 鬼に負けなくなった。
鬼が島で鬼退治する美智子様。 
こうでなくっちゃぁ と思いました。
本来の彼女を取り戻したと思えました。
つまり自我が超自我を支配下に置くことに成功した。
超自我からの束縛を逃れ、自我を取り戻した、自分らしさを取り戻したってことですね。

雅子様も、自我を取り戻せればいいんですけどね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>失語になられましたよね。
自分の欲望を抑えすぎたため、肉体に変調をきたしてしまったわけです。
そうですよね・・。
美智子様程、「超自我」の強い方を、自分は知らないです。
国民の為に、自分で自分を、ものすごく「抑圧」されていたのだと、思います。
失語になられたのはマスコミからの心ない批判・中傷の為だったと聞きますが、回復後の記者会見も、いつもと全く変わらぬ穏やかな表情で、応じておられました。
自分がその立場だったら、記者会見に応じるにしても、(だいたい私が失語になったのは、貴方達<マスコミ>がある事ない事書きたてたからでしょ?それをまた素知らぬ顔で・・怒)等と思ってしまうと思いますが、そういう感情も、美智子様からは、全く感じられません。すごいと思います。

>誰も適応できない世界なんじゃないかと。 
そう思います。

>つまり自我が超自我を支配下に置くことに成功した。
超自我からの束縛を逃れ、自我を取り戻した、自分らしさを取り戻したってことですね。
No.4様も、同じ事を書いていらっしゃいますが、未熟な自分には、少し理解できない部分もあります。
自分の意思(自我)で、「超自我」を維持できる様になった、という事でしょうか。

お礼日時:2009/05/10 06:20

>それだけ「強く」ならなければ、いけませんね。



「自我」は強く出来ても「超自我」を強くは出来ません。
強く出来るのは防御であり防御が強ければ「超自我」には至れません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

「強く」というのは、「人間を強く」といった意味で、書かせていただきました。
「超自我」そのものは、「弱い」ものなんでしょうか。

でも、なんとなく、分かってきました。ありがとうございます。
「超自我」というのは、他者からの「自我」の影響を受けやすいのではないかと、思います。
それを防御できる、自分の「自我」が、必要なのですね。

「超自我性」を大事にする事が、結局は「幸せな人生」に繋がると思うのですが・・。どうなんでしょうね・・。(まだまだ思考錯誤している段階です。なかなか悟れません)
美しい内面が、美しい外面(姿形ではなく、その人の持つ印象・雰囲気です)を作り出し、美しい方との出逢いがあり(「類は友」という言葉は当たっていると思います)、美しい人生があるのではないかと、思います。(思いたいです)

世間を知らない「綺麗事」なんでしょうか。(20代後半です)
こういった思想も、いつかは崩れるのかもしれません。

お礼日時:2009/05/10 07:13

No.4です。



議論がかみ合っていないように思います。
心理学でいう超自我、自我などは次のような意味で使われる専門用語です。
これらは、いずれも、フロイトに始まる精神分析学の立場での、心についての考え方です。

1.心の構造
心は、超自我、自我、エス(または、イド)の3つの部分からできあがっている、と想定します。
これを、「心的装置」と呼びます。

2.心的装置の各部分の働き方
1)超自我
超自我は、理想の追求(~すべき、~であれ)や、良心から来る禁止(~してはならない)という働きをします。
これは、幼少期に両親から行われたしつけを自分の中に取り入れてできあがってくるとされています。
2)自我
外の世界とエスを仲介し、現実世界に適応できるように調整機能を果たす部分。
この意味では、心の中心と考えられます。
現実をきちんと認識し、それに基づいて現実的に思考し、現実を吟味した上で、現実に適応できるよう心の世界を統合しています。
自我は、人生の各発達段階を通して、それぞれの段階における課題をクリアすることによって適切に発達していくとされます。
3)エス(または、イド)
無意識的な部分の代表といってよく、本能的なエネルギーや欲望(~したい、~が欲しい)が貯留されている部分です。
エスは、現実や、秩序の影響を受けず、欲求が生じた場合、即座に満足を追求するという働き方をします。

3.性格との関係
2.で述べました、心的装置の3つの部分の相対的な力関係(バランス)で決まると考えられます。
1)超自我が強い
良心的、道徳的、自己懲罰的、理想主義的、完全主義的
2)自我が強い
現実的、合理的、理性的
3)エスが強い
幼児的、衝動的、感情的

以上、補足まで。
なお、詳しいことは、心理学辞典や、心理学の概論書をご覧ください。
最近では、図説されたものも多く出ています。
たとえば、次のようなものをご覧いただければと思います:
・図解 心理学のことがおもしろいほどよく分かる本(渡辺・佐藤、中経出版)
・図解雑学 臨床心理学(松原、ナツメ社)
    • good
    • 1

心理学でいう“超自我”ですよね?


No.1さんのおっしゃる通りです。

つい最近まで私は超自我が強すぎて、超自我を自分自身だと思っていました。
そのあげくに体調を崩して休職するハメに…。

ところが最近あることがきっかけで、眠っていた自我が目を覚ましました。
1週間泣いて過ごしました。本当に辛かったです。

今は本当の自分を見つけて毎日がHAPPY!です。

美智子様は素晴らしい方だと思いますし、雅子様のことはとても気にかかります。

でも幸せに生きていくには、自我と超自我のバランスをとって状況に合わせてうまく使うのが一番だと思います。

“無意識”については私もまだ勉強中なので、ごめんなさい。
    • good
    • 0

仏教では、この世界を仮の世界、諸行無常の虚像の世界といいます。

なぜかというと、不調和世界の脳の自我と、調和世界の自然の超自我が、出会うために作られた世界だからです。だから人の心は、自我と超自我が合体して出来ています。だから超自我になるには、脳の思考を休むとなれます。幸い日本には、脳を休ませる方法がたくさんあります。仏教では座禅があります。また日本の伝統文化は、脳を休ませて、自然の情緒、心の癒しを目的にしています。実践すると、一時的かも知れませんが、超自我を体験できます。茶道、能、演歌、雅楽、日舞、日本画、文楽、民謡、などなど、また手先の仕事や肉体労働も、脳が休みます。脳が思考してる時は、脳が人と自然、超自我との交流を、遮断するのでストレスになります。脳が休むと、人と自然、超自我が交流するので、心が癒されます。また脳が発達していない、動物や人の赤ちゃんや子供は超自我なので、かわいくて幸せそうな表情をしています。だから超自我の手本です。
    • good
    • 1

というか、質問主さんの言っておられる『超自我』というのは要するに『自分を律することができる能力』でしょう?


『超自我』の意味を取り違えているのでは?
強すぎる超自我は決して健康的なものではありませんよ。
エゴ(自我)と言うとよくない意味に使われがちですが、スーパーエゴとイドを律するのはエゴですからね。
我慢を重ねても精神に異常を来さないのなら、その方はスーパーエゴもですが、とてもエゴの強い方なのでしょう。
私はそのような人物に憧れますね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!