痔になりやすい生活習慣とは?

第一次大戦と第二次大戦の大きな違いと二次大戦が一次大戦より市民の犠牲者が増えた原因を教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

産業革命を終えて近代化した列強はこぞって植民地の獲得に乗り出しました。

この獲得競争に乗り遅れれば、みすみす他の近代国家がさらに国力を増強させるのを見逃してしまうことになるからです。それよりも早いうちに未開の地(国)を植民地にして、自国の利益にしておいた方が得だからということもあります。

一刻苦も早く植民地を獲得しないと、国力差が開いてしまいます。しかし、実際に海外に植民地を求めて進出するには国内の近代化が終えていなくてはなりません。したがって、近代化が遅れた国家は植民地獲得に乗り遅れ、それによって、すでに植民地を得ている国よりどうしても劣ってしまいます。

第1次世界大戦はすでに「植民地を持っている」国と、「今は持っていないけどこれから持ちたい」国との衝突が直接の原因です。ドイツも、イタリアも、そして日本も、近代化に遅れをとってしまいました。これらの国々が国内の近代化をようやくまとめあげて海外へ植民地獲得に乗り出さねばならない時、すでに世界の植民地はイギリス、フランス、などの大国にほとんどすべて取られてしまった後だったのです。この状況では、(1)このまま国力差がつくのを待つか、(2)それとも危険を承知の上で力に任せて英、仏などの大国から植民地を強奪するか、の選択しかできません。(1)の場合、最終的に中国のように、なんだかんだ理由をつけてアヘン戦争のような一方的な戦争になってしまいます。もちろん、この場合、戦争を仕掛けられる方は植民地が取れていないわけですから戦争して大国に勝てる経済的、軍事的余裕はありません。(2)の場合、やはり大国の軍事力にはかなわないかもしれませんが、植民地をとれる可能性があります。ドイツは(2)を選択しました。ドイツのウィルヘルム2世(だったと思いますが)に宰相ビスマルクが、このまま植民地を求め続ければ、これを容認しない他の列強と軍事衝突になると警告したという話もあります。


こういった背景もあって、どうしてもこれらの大国に対等な条件で植民地を獲得することを容認させるために戦争に勝たねばならなかったドイツだったのです。負ければどうなるのかといえば、それらの国々の植民地に成り下がります。植民地にされた国々は家畜か奴隷並の扱いしか受けられず、彼らの民族の主張など聞いてもくれないような状況にあるのをドイツは知っていました。戦っても、戦わなくても死ぬような状況なら、戦って活路を見出す方にかけたのです。ですから、国家全体が死ぬ気で働き、兵器を作り、最新の武器を開発しました。大国側もそれに対抗する生産量と科学力で対抗しようとするのでおびただしい犠牲が出てしまったのだと思います。
    • good
    • 3

第一次世界大戦と第二次世界大戦の大きな違いについて、


僕の知っている範囲で、主に背景を中心に簡単にまとめてみます。
簡単と入っても、結構な量ですが・・・。

ⅰ、背景
 背景についてですが、第一次世界大戦はどちらかというと、帝国主義の争い  の帰結だといえると思います。それに対し、第二次世界大戦は、
ヴェルサイユ体制の不完全さが露呈した結果、発生したものだと思います。

ⅱ、第一次世界大戦の「帝国主義」について
 植民地のないドイツ、イタリア、日本などの「持てない国」が植民地を求めて国外に進出しました。すると、イギリスやフランスなど、広大な植民地を持つ「もてる国」と対立するようになります。
植民地争いを始めると、世界のどこかで小競り合いが発生しますよね??
また、ドイツ帝国のヴィルヘルム二世が「植民地を取らなければ自国がやられてしまう!」
という意識の下、他国との摩擦なんか関係なく国外に植民地を求めていったのが特徴的です。
ヴィルヘルム二世は、当時の最新兵器である海軍を増強しましたね?
これは、帝国主義の現れです。
そして、三国協商と三国同盟の対立があらわになってきます。
 これにロシアのバルカン半島における権益も加わり、ボスニアでフェルディナンド二世がセルビアの青年に暗殺され、
第一次世界大戦が発生したわけです。

ⅲ、第二次世界大戦の背景
 第二次世界大戦は、第一次世界大戦後の国際体制の失敗から発生しています。
ヴェルサイユ体制は「勝者の平和」とも呼ばれます。ヴェルサイユ体制で「民族自決」を叫びつつ、
敗戦国には適用されなかったのです。
また、ドイツには世界中の金を集めても払いきれないほどの損害賠償の支払いも命令されました。
そして、国際連盟が設置されましたが、これは軍隊を持たず、国際的に行動をするにも全会一致が必要でしたので、即効性に欠きます。
つまり、怪しげな行動をとる国があっても、すぐにはどうすることも出来ないのです。
一言で言うと、ヴェルサイユ体制は新たな国際協調体制であっても、
「ウィーン体制」を引きずる形で伝統的に大国だった国に有利な国際体制であったのです。
 そして、世界恐慌が発生します。すると、もともと植民地を持っていた国(イギリスやフランスなど)は、
ブロック体制で植民地との間の輸出入品については関税をかけず、
それ以外の国との通商には高関税をかけるという形で、これを乗り切ろうとします。
一方、イタリアやドイツはヴェルサイユ条約の結果、すべての植民地を放棄させられていますので、
ブロックを組むことも何も出来ず、世界恐慌には太刀打ちできません。
そこで登場したのが、ヒトラーやムッソリーニです。
ファシズム体制は伝統的な大国と対立したので、
第二次世界大戦が発生したのです。
 余談ですが、戦後にGATTが自由貿易を徹底的に主張したのは、こういった背景があるのです。
現在では、FTA合意によって、一部にのみブロックを組むことが可能になっていますが、それが認められる要件は非常に厳しいものがあります。
これも、第二次世界大戦の反省に基づくものです。

ⅱ市民の犠牲者が増えた理由
 まず考えられるのが無差別殺人兵器が登場したからです。
 例えば、爆撃機。これは、ドイツが始めて、スペインのゲルニカを爆撃機で無差別爆撃したといわれています。
このように、第二次世界大戦中には、様々な兵器が登場しました。飛行機一つをとっても、性能は飛躍的によくなっています。
 そして、市民も巻きこまれたというのも特徴的です。この時に同時進行で行われた太平洋戦争の例では、沖縄戦が有名だと思います。
 「総力戦」と呼ばれますから、国民全員が戦争に動員されます。兵隊でない者は、工場でネジを作ったり、鉄砲を作ったりさせられます。
こうなっては、市民も戦争に巻き込まれていきますよね??
    • good
    • 1

大きな違いは、戦場が全世界に広がったことでしょうね。



第一次大戦は主戦場はヨーロッパのみ(他の地域での戦いは小さなものに過ぎなかった)でしたが、
第二次大戦ではヨーロッパ、ロシア、北アフリカ、アジア、
太平洋、大西洋と、地球上の多くの地域で激しい戦闘が行われています。
比較的平穏だったのは、南北両アメリカ大陸の陸上ぐらいのものでしょう。

市民の犠牲者が増えたのは、先にあげたように戦闘地域が広域化したことに加え、
大量殺戮兵器が進歩したことも大きいでしょう。
戦車、航空機、潜水艦、原子爆弾など、第一次大戦では存在しなかったか、
わずかにその萌芽が見られた程度の兵器が、第二次大戦では主要兵器と
なっています。それらが相手国の軍事力のみならず、工業力や経済力と
いった戦略拠点への攻撃にも向けられましたから、必然的に民間人が
巻き込まれていくこととなったのです。
    • good
    • 3

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由って何だったんでしょうか?。
 学生時代に習ったはずなのにまったく覚えていません。 
 直接的なきっかけを知りたいんですが。

Aベストアンサー

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメリカからの資金援助(借款)によりなんとか再生への道が見えていた時代が確かにあったのです。しかしご存知の通りアメリカ発の世界恐慌でそれは御破算。かてて加えてフランスがルール地方を強制的に借金(賠償金)の担保として押さえたりと外圧が加わりました。一方でドイツ国内では数十年前までは群雄割拠しておりその後はドイツ帝国として成立した経緯であり、WW1敗戦後のワイマール憲法による民主主義が成熟していたとは言えない状況です。
ちなみにナチスのSA隊とは当時の民主主義時代の選挙活動等で敵対する共産党などの他政党からの妨害を排除するために結成された経緯があります。まぁ平たく言えば政党お抱えの暴力団とも言いますね。勿論これは当時のナチスだけでなく他の党も多かれ少なかれやっていたことです。当時のドイツの民主主義は暴力団を使った抗争とセットになったものとさえ言えるでしょう。
そんな絶望的な状況下でナチスと共産党以外の党が政権を担ったのですがどれもこれも失敗。でドイツ人はダメ元でナチスを選んだのですが・・・悪魔が実在する証明だったのでしょう。彼らは相当に悪どい事をやってでも一定の成果をだしました。ナチスが政権を確立できた要因がここにあります。

一方でフランスやイギリスの思惑もありました。イギリスのチェンバレン首相は融和派でありWW1の再現だけはなんとしても回避したいがためにドイツに譲歩を重ね、それがヒトラーの増長へとつながりポーランド侵攻へと繋がったとする説は当を得ていると言えるでしょう。
しかしこれがソ連を視野に入れると状況は変わってきます。ソ連による共産主義の拡散は他国にとっては脅威以外の何者でもありませんでした。共産化すれば確実にその国のトップは粛清されることが確実だからです。そうした視野から見ればソ連vs英・仏・独・米といった状況の出現もあり得るのです。実際スターリンはその事を一番恐れていました。
地図を眺めれば分かると思いますがソ連がヨーロッパへ侵攻するとなれば一番バッターになるのは確実にドイツ。二番手がフランス・・・となります。そこでチェンバレンはそこも視野に入れての抱込みの意味での譲歩を重ねたと言えるでしょう。実際にWW2以後のドイツは東西に分裂し西ドイツ軍は強力な陸軍国となっていますしね。

少し話が逸れましたがヒトラーがああも政権を維持できた理由として最大の原因がWW1の戦後処理です。同時代の人はこう言っています。
「過酷にしては生温く、生温いにしては過酷だった。」とね。これはもう二度と立ち上がれない位に潰すのか逆に過剰な程に優遇して恩に着せるかして陣営に抱込むかしておけばWW2は回避できたか規模の縮小はできたのではないのか?という考察です。
実際WW2以後はこれを踏まえて日本と西ドイツを西側陣営に引き込む事に成功してますし両国ともPKO等の派兵位で済ませています。WW1での教訓は敗戦国を潰そうとしてもその国民は恨みをバネにして即座に復興して矛先を真っ先に戦勝国に向けてくる事を踏まえた教訓によるものなんですよ。

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメ...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Qなぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのか。

一応検索したのですが見つからなかったので質問させていただきます。
どうか教えてください。

タイトルの通り、なぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのでしょうか。
その背景には五・一五事件や二・二六事件も関係していると聞いたことがあるのですが、どういうことでしょうか。
そもそも、日本は第一次世界大戦に参戦し、戦争はたくさんの人の命を奪うということが分かったはずなのに、どうして戦争を止められなかったのでしょうか。
レベルの低い質問で申し訳ございません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極東アジアには、列強の利権が最後まで未確定であった中国がありました。
 衰退した清朝の倒れた後の中国は、軍閥が群雄割拠する政治的に混乱した社会があり、中国と隣り合う日本はもっとも有利な地理的位置におり、中国の利権を手に入れれば一躍、アメリカ・イギリス(広大な植民地の中でも、インドという人口の多いアジアの重要地域を手に入れたことが、イギリスの繁栄の原動力でした。)と並ぶ列強トップになれるように見えました。

 第一次世界大戦の破壊からヨーロッパが回復するにつれ、世界の列強間の経済戦争が激化し、お互いの勢力圏から他国を締め出すブロック経済が進展、利権の確定していない中国が各国の経済戦争の主戦場となりました。
 
 経済戦争だけでは、国力のあるアメリカ・イギリスに勝てない日本は、その地の利を生かして軍事的に中国の利権を確保すればよいという考えが、軍内部に生まれました。

 皇道派(現場指揮官が多く、天皇に対する忠誠心など精神論を信奉。)と統制派(陸軍大学卒業者の参謀などが多く、論理を重視。)に分かれていた軍内部は、五・一五事件や二・二六事件によって、統制派がコントロールするようになり、暴力機関である軍の力を恐れた文官・政治家が増えたこともあり、軍内部で独自の政治的意図を持って行動する素地が生まれます。

 この時点で日本の選択肢は、日本がアメリカの覇権を認めるか(第二次大戦後、現在も続いている状況です。)、日本がアメリカと並び立つかという選択になりました。(当時、あめりかのGDPは日本の10倍と言われていました。)そして日本は日本がアメリカと並び立つ可能性にかけたわけです。
(ですから、日本とアメリカの間の戦争は侵略戦争ではありません。)

 日本がアメリカと並び立つには、その経済力の差を少しでも埋めなければなりませんが、その可能性は列強の権益の確定していない中国にしかありません。
 まともに正面から経済戦争をしたのでは、アメリカに勝てません。そこで軍事占領による市場・資源の確保を目指したのです。
(ですから、中国に対しては侵略戦争となります。)

 アメリカに対抗する以上、満州事変から日華事変(=支那事変・日中戦争)太平洋戦争と続くこととなりました。
 
<<個別エピソード>>
・満州事変と支那事変の開始
 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめました。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったのです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略は、『満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念する』というものでした。

ところが・・・・
Wikipedia抜粋 
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

<<日米開戦>> 
 開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのです。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3146246.html

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極...続きを読む

Q第二次世界大戦の直前で比較した場合、英仏独日のどこが一番強かったですか?

第二次世界大戦において確実に強かったのはアメリカとソ連で、イタリアと中国は弱かったと言って間違いないと思いますが、それではイギリス、フランス、ドイツ、日本を比較した場合、軍事力のパワーバランス的に最強の国家はどこで、最弱の国家はどこになるでしょうか?

私が考えるに、フランスは当時の大国と言われながらドイツにあっさり占領されるし、イギリスも全くと言っていいほど活躍できていないので ドイツ ≒ 日本 > イギリス > フランス くらいかなと思っているのですが。

Aベストアンサー

アメリカは、資源・財力にものを言わせ、強大な軍事力を形成していましたので、別格。

ソ連は、ドイツより、弱いです。
対ソ戦(スターリングラード戦)で、ドイツが負けたのは、純然たる軍事力のためではなく、冬将軍なる季節・天候の影響が多大であることは、明確になっています。

また、イギリスは、ドイツにより、ヨーロッパ大陸から追い落とされたばかりか、ドイツによる、世界史上、初のミサイル(V号)による空襲を、何回も、ロンドンは受けています。

要するに、世界中を仰天させたドイツ電撃戦を見れば、ドイツの最強性が、はっきりわかるのです。
(第一次・第二次大戦ともに、ドイツに征服されたフランスは、軍事力は最弱)
(また、戦争情報は、現代において「戦勝国情報」になっていますので、そのまま信じることが出来ないですね)。

おそらくは、質問文における、強弱ランクのとおりかな、と思いますよ。

最強・ドイツ、最弱・フランス。


人気Q&Aランキング