ジャンヌ・ダルクの塔にジャンヌは幽閉されていると聞いたのですが、具体的に塔のどの部分に幽閉されていたのでしょうか。
塔の一番上でしょうか、それとも全く違うところなのでしょうか…
回答よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

推測ですので、本当のところは今の時代になってしまったら真実もあいまいになってしまうのでしょうけど、塔の上の方だという見解が多いみたいです、その理由としては塔の入口や塔の下の方に幽閉されていたのだとすれば、門番や他の警備をしている人の邪魔になりますよね!



従って、おそらくは上の階だと考えるのが一般的みたいです。

塔の内部の2階はかなり狭くなっていましたので、おそらくは?
窓のある2階部分ではなかったのかと思われます。
(多くの写真には塔の上の部分には窓が無いようにも撮影をされてはおりますが内部から撮影された部分の写真もありますのでご参考までに)

http://www.ilyfunet.com/par-ci-par-la/voyage/652 …

ナポレオンも英雄ならジャンヌも今となっては英雄ですけど、それぞれが同じような運命を辿るとは、当時の人は想像もしていなかったのことなのかもわかりませんね? 

参考URL:http://www.ilyfunet.com/par-ci-par-la/voyage/652 …
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この回答へのお礼

塔の上ですか。確かに入り口付近だと問題ありますね、脱走されるかもしれないし…
写真ありがとうございます!内部の様子が分からなくて困ってたんです!

そうですよね、彼女や彼ら英雄には何か不思議な運命というべきものがあったのかもしれませんね。

お礼日時:2009/05/24 16:38

ジャンヌダルクの裁判はイギリスがやって


処刑もイギリスがやりましたが
彼女のガラをパクってイギリスに引き渡した
者はフランスの公フィリップだそうで
フランスの英雄はフランス人に裏切られた
というから悲劇は悲劇でしょうね
ジル=ド=レみたい暴れ者が本気でイカレて
きたらジャンヌを奪回にくるくらいやったかも
しれないが、当時、フランス陣営でジャンヌの
味方だったリッシュモン将軍やアランソン公は
謀反の嫌疑を掛けられて失脚していて
ジャンヌを救おうとする動きは、ほとんど
封じられていたため、彼女に厳重な厳戒を
囲む必要性は、薄かった感はあります
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この回答へのお礼

そうなんですか。ジャンヌは辛かったでしょうね…
厳重に閉じ込められていないかもしれないというのには驚きました。
やっぱり英雄だから絶対逃げられないようにされているのかと…情報ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/08 17:14

現在ジャンヌダルクの塔と言われているものは、後世の再建のもので、当時のものではないそうです。


そして、そこは、実際にジャンヌが囚われていた場所とは異なるそうです。
どうもジャンヌは、ル・ブーヴルイユ要塞の外壁の塔のひとつの二階に囚われていたそうです。

ジレーヌ・ペルヌー著 「ジャンヌダルク」による
「ジレーヌ・ペルヌー」オルレアン市立「ジャンヌダルク研究所初代所長」
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この回答へのお礼

そうなんですか!じゃあジャンヌダルクの塔って偽物…?
情報ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/24 16:39

いろんなサイトやブログで「ジャンヌ・ダルクの塔」の写真を見ましたが、上部に窓がないように見受けられました。

いわゆる高層構造にはなってないようですね。
であれば塔そのものの中に幽閉されたと思うのですが。
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この回答へのお礼

素早い回答本当にありがとうございます。
やっぱり塔の中ですよね…結構大きい塔だと思うのでやっぱり場所特定は難しいですかね。

お礼日時:2009/05/24 14:48

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弁慶は脳筋で、ジャンヌダルクは確か、文盲でしたね。

Aベストアンサー

弁慶については、そもそも実在が疑われています。
それに、馬鹿だという根拠は何でしょうか?
あなたにとっては 強い=馬鹿 なのでしょうか。
強いと他のパラメーターは必ず低いのでしょうか?

そもそも、当時の武士の文化や教養の水準は低く、京都周辺の一部を除いて、文盲(&読めても平仮名まで)はかなりいました。



ジャンヌですが、
神の声を受けたと思い込む前は、農家の娘だったジャンヌが「武道馬鹿」?

「強かった」という根拠は何でしょうか?
彼女が戦闘に参加した事があったでしょうか?
無知な方は、よく混同しますが 戦争 = 戦闘 ではありません。
彼女はイギリスとの闘いを主張しましたが、それは「戦争」であって「武道」ではありません。

それに、当時の欧州では、戦争は「高貴な者の義務」であり、平民が戦闘に参加するという習慣や文化はありません。
(馬鹿であった可能性は否定しませんが)



あなたは、どのジャンルのどんなレベルの創作物を読んだのでしょうか。

Qジャンヌ・ダルクについて

ジャンヌ・ダルクについて

最近ヨーロッパの歴史などに興味を持ち始めジャンヌ・ダルクに惹かれました
ジャンヌ・ダルクは誰でも知っている聖人であるとだけ記憶していたのですが
百年戦争での活躍や神のお告げを聞いたり 魔女と言われてたり
有名になる要素はたくさんありますが
ジャンヌ・ダルクと日本の間には何か関わりはなかったのでしょうか?

あるいは
日本に影響を与えていたりするんでしょうか?

Aベストアンサー

ジャンヌ・ダルクは15世紀の人物で、日本は室町時代でした。
なので、直接的な関係は無いといって良いかと思います。
しかし、明治以降の日本にとっては間接的に影響を与えていると言えなくもないですね。
以下は私見ですが、参考になればと回答してみます。



ジャンヌ・ダルクがフランスも含め世間一般にも注目されるようになったのは18世紀以降のことです。
それまでの間、「忘れ去られた聖女(魔女)」の一人でしかありませんでした。

当時(18世紀)、絶対君主制の行き詰まりと国民国家の成立へと向かう時代でした。
そんな中にフランスに現れたのがフランスのナポレオンです。
彼は「プロパガンダ(政治的宣伝)」が上手で、色んな手法を通じてフランス国民をフランス国民に仕立て上げていきました。
そんな中で利用されたのが、ジャンヌ・ダルクのエピソードでした。
その後、相次いでジャンヌダルクについての本が上梓されていきます。
有名どころをあげると、

シラー『オルレアンの乙女』(1801年)
シャルル・ペギー『ジャンヌ・ダルク三幕劇』(1897年)
アナトール『ジャンヌ・ダルクの生涯』(1908年)

など、おおよそ、帝国主義とナショナリズムが台頭した時代にあたります。
パリにあるジャンヌ・ダルク像も、19世紀頃の作品だったかとおもいます。
つまり、フランス共和国という民族国家造りに利用されたわけですね。(もちろん、利用出来るだけの史料が残っているのはポイントの一つですけど。

そういった意味では、日本でもその名を冠される人がいますね。
NO1さんがあげておられる幕末のジャンヌ・ダルク新島八重(1845-1932)、東洋のジャンヌ・ダルクといわれた川島芳子(1907-1948)、などなど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

いずれも、その時代において何かしらの功績を残した人々ですね。
ただ、いずれも「ジャンヌ・ダルク」の名を冠された裏側には「イデオロギー」的なモノが見え隠れしてますけど、、、

ではでは、参考になれば幸いです。

ジャンヌ・ダルクは15世紀の人物で、日本は室町時代でした。
なので、直接的な関係は無いといって良いかと思います。
しかし、明治以降の日本にとっては間接的に影響を与えていると言えなくもないですね。
以下は私見ですが、参考になればと回答してみます。



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 味方からは神託者・敵からは悪魔と思われていたとか、イギリス兵は対峙する敵にジャンヌがいるとわかっただけで逃亡した、というような記述が残っているところから見ると、イギリスとの戦いでかなり大きな役割を果たしたと言えそうですよね。
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 なお、すでにご存じかもしれませんが、
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レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン共著、福本直之訳「ジャンヌ・ダルク」東京書籍
とか、いいですよね。

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負けたイギリスの腹いせです。貶めて一番苦しい死に方をさせる。死体は住民が切って食ったと言われている。

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Aベストアンサー

一般論ですが、全国(全フランス)的にヒューチャーした
最初の人物はナポレオンであったとされます。
彼がジャンヌ・ダルクを持ち出したのはナショナリズム高揚のため。
それまではあくまでもローカルなヒロインにすぎなくて
一部の地域で(生まれ故郷とオルレアン近郊)しか知られてもいませんでしたが、
それは当時としては自然です。
何しろテレビもラジオも無い時代ですから情報は限られます。

それ以前は、シェークスピアがヘンリー6世で”魔女”として描いてます。
ただし公平を期すためにいうと、シェークスピアはフランス人のセリフとしてですが
黒太子も悪魔と評してますから、特別悪く言うつもりはなかったように思います。
当時の一般的イメージが反映しただけでしょう。

一般に登場しだすのは、19世紀になってから。
1850年代になると、もう国民的英雄というベタなイメージが定着していたといっていいでしょう。
もともとフランス(という国家)を擬人化したものが女性なので
そういうかねあいから自然にうけいれらたんでしょうね。

20世紀になってから聖人に列せられたのは、
完全に教会の露骨な人気取り政策でかなり浅ましいものです。
カトリックでは女性をいまだに不浄としているのにね。

一般論ですが、全国(全フランス)的にヒューチャーした
最初の人物はナポレオンであったとされます。
彼がジャンヌ・ダルクを持ち出したのはナショナリズム高揚のため。
それまではあくまでもローカルなヒロインにすぎなくて
一部の地域で(生まれ故郷とオルレアン近郊)しか知られてもいませんでしたが、
それは当時としては自然です。
何しろテレビもラジオも無い時代ですから情報は限られます。

それ以前は、シェークスピアがヘンリー6世で”魔女”として描いてます。
ただし公平を期すためにいうと...続きを読む

Qジャンヌダルクのカレンダーがほしいです。

ジャンヌダルク(バンドですよ)のカレンダーがほしいです。
できれば大きいのがほしいです。
検索したのですが、みつからなくて・・・

Aベストアンサー

ちょっと検索してみたんですが、ジャンヌダルクのカレンダーって
ファンクラブオンリーでの販売みたいですよ?
(検索した先をちらっと見ただけなので、来年のかどうかは分かりません)

普通に検索しても見つからないのでしたら、一般では発売してないのでは?
もし、どこかにあったとしたら、それは違法販売になると思います。

Qジャンヌ・ダルクについて詳しい書籍、ウェブサイト

最近ジャンヌ・ダルクに興味がありいろいろ調べまわっているのですが、なかなか彼女のことを詳しく記したサイトに出会うことができません。
大方の歴史たけに留まらず、そのとき何が起きたのかや、ジャンヌの周りの人物、ジル・ド・レやラ・イールについても詳しく載っている書籍やウェブサイトをご存知でしたら教えてほしいです。

Aベストアンサー

私も彼女について興味があり数冊の本を持っています。
詳しいのは、創元社から出版されている「知の再発見」双書シリーズの「奇跡の少女ジャンヌ・ダルク」です。これは絵や写真など多くの図版が載っていてとてもおもしろいです。ジル・ド・レやラ・イールについての記述もあります。
あとは藤本ひとみさんの歴史エッセイ、「ジャンヌ・ダルクの生涯」(中公文庫)です。これは歴史書とはまたちがった観点から書かれていてとても興味深いです。
ウェブサイトのほうは調べたことがないのでわかりません。ごめんなさい。でも、ウィキペディアとかで詳しく書かれているんじゃないでしょうか?

Qジャンヌダルク

ジャンヌダルクのダイヤモンドヴァージンという歌で

「この魂に触れてくれ・・・」と言った後、ちょっと間奏してから誰か1人がギターっぽい形をした楽器を独奏してますよね。

あの楽器はなんなんでしょうか?
ギターですかベースですか、それともまた違った楽器ですか?

あと、ジャンヌダルクは
ボーカル、キーボード、ドラム、とあと2人がいると思いますが
その2人の楽器はなんでしょうか?

どうぞアドバイスよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

ソロパートはギタリストyouのギターソロだと思います。楽器はギター。

残りのメンバーはギターとベースです。
プロフィール見たら確実ですね。
http://www.avexnet.or.jp/janne/profile.html

Qナポレオン1世は、いつジャンヌ・ダルクを象徴としてとりあげたのですか?

最近ジャンヌダルクに少しばかりはまっています。
少しなのですが、本を読んだり映画を見たり。
色々な謎もあったりを、わくわくして楽しんでいます。

その中で今、一番気になるのが、
ナポレオン1世がいつオルレアンでジャンヌのお祭りに参加したのか?
と言う事なんです。

近年ジャンヌダルクを象徴として有名にしたのはナポレオン1世
であるとの事。(このサイトでも説明がありますが)
それがいつ頃の事なのか教えて頂きたいのです。

ジャンヌについての色々な推測まじりの謎と違って、ナポレオンが
オルレアンのジャンヌの祭りに参加した時期等ははっきりした事実
だと思うのですが、歴史的に特に重要な事でないからか、ジャンヌやナポレオンに関する本を図書館などで色々見てみたのですがよくわかりません。

もし、お詳しい方がおいでましたらお教えいただけたらと思います。
もし何かの本に書かれているようでしたらその図書もお教えいただければうれしいです。

なんだか、ジャンヌ自身の事でない部分にひっかかってしまって自分でも重要性低いなぁ、と思いつつ一度気になると抜け出せない状態になってしまって困っています。(笑)

おヒマな時で結構ですので、是非よろしくおねがいします。

最近ジャンヌダルクに少しばかりはまっています。
少しなのですが、本を読んだり映画を見たり。
色々な謎もあったりを、わくわくして楽しんでいます。

その中で今、一番気になるのが、
ナポレオン1世がいつオルレアンでジャンヌのお祭りに参加したのか?
と言う事なんです。

近年ジャンヌダルクを象徴として有名にしたのはナポレオン1世
であるとの事。(このサイトでも説明がありますが)
それがいつ頃の事なのか教えて頂きたいのです。

ジャンヌについての色々な推測まじりの謎と違って、ナポ...続きを読む

Aベストアンサー

ジャンヌ・ダルクについてはさほど知りませんが
フランス語のwikiには1817年に刊行された本が
彼女の再評価の流れをきめたような感じで書いてありますね。
どの記述をみても、本格的な再評価はナポレオン統治時代に始まり、
その終わりごろにはだいたい流れが定着し、
第一次世界大戦のころに本格的な国民的スターになったというのが
基本的な路線のようです。
そして1920年に聖人に列せられるというわけ。
この顛末には、政治的作為と、大衆世論が大きくかかわっており
誰かがどうこうしたとかいうことではないです。
ナショナリズムを背景としたある種のムーブメントといえるかな。

私が知る限りですが、
ナポレオンはオルレアンの祭りなどには参加してないと思います。
というのも革命時期はカトリック関係の祝祭は禁止されてましたし
少なくともコンコルダートまでは、カトリックの宗教行事と
関わることは無理だったでしょう。
そもそもジャンヌはブルボン家を支持する王党派だったわけで
共和派の立場からは余り好ましい人物ではありません。
ただ貧しい生まれで、貴族ではないことから、
生まれは平等主義の観点からは評価もできたでしょう。

もともとジャンヌ・ダルクとはローカルヒロインであり、
歴史を振り返れば、パリ市民に破れ、オルレアン派に捕まっており、
要するにフランス人に対して負けて、捕まった人間。
宗教的な奇跡云々はおいておいても、歴史としては
君主擁護者だったという点以外ではフランスに名誉をもたらしたとは言いがたいのですが
ナポレオンは政治的意図をもって、この人物を
新しくイギリスを駆逐(しようとした)”フランスの英雄”という
新たな観点を与えたということろがナポレオンのジャンヌ像への影響の主な部分です。
しかしだからといって個人的に熱心に運動したわけでもないはずです。
その必要もありませんからね。
関心をもっていたわけでもないでしょう。
要するにメディア操作であり、言論統制、あるいは世論誘導です。
ナポレオンにとっては、ジャンヌはその材料に過ぎません。
歴史的にはジャンヌはフランスを救おうとしたわけではないし、
そもそも中世当時はフランスなる国民国家は存在しなかったわけですが、
ナポレオンそういう歴史的事実を若干捻じ曲げて偶像をつくりだす
きっかけをつくったというところでしょう。

1803年ごろに言及があったと調べたそうですが、その時期に
そういったことが行われたことは合理的といえるでしょう。
ナポレオンは皇帝を目指し、かつ宗教和解を進めていましたから、
ローカルな庶民の英雄に脚光を与えてることは好ましいです。
カトリック信仰深い人にとっては宗教的寛容であり、
カトリック信仰を捨てた人々にとっては非教会系のヒロインということで
折り合いが付けやすい。
ナポレオンは、シャルルマーニュの模倣を始め、その後継者を
自認するようになりますが、ジャンヌにしても、
国民的ヒーローの系譜のようなものを示して、
自分もそれに列する人物である、あるいはフランスにはそういうリーダーが
必要であるということを世論操作しよういうのでしょう。
彼が皇帝になる過程、あるいは動機のひとつには
政治的な安定というものがあって、革命によって分裂した国家を
制度的、精神的に再統合しようというもので、
かつ世襲によってそれを永続化しようと考えたわけです。
ジャンヌ自身はさっきいったようにナポレオンの時代には
反イギリスという以外には共通点はありませんが、
(もともとフランスなど国を擬人化するときは女性を用いたので)
フランスの守護者としてのイメージが
後年たかまっていって、広まっていったわけで、
振り返ってみて、ナポレオンのころに始まったんだなぁという程度です。
ま、この流れは、要するにナショナリズムの高揚とほぼ同義でしょうね。

ジャンヌ・ダルクについてはさほど知りませんが
フランス語のwikiには1817年に刊行された本が
彼女の再評価の流れをきめたような感じで書いてありますね。
どの記述をみても、本格的な再評価はナポレオン統治時代に始まり、
その終わりごろにはだいたい流れが定着し、
第一次世界大戦のころに本格的な国民的スターになったというのが
基本的な路線のようです。
そして1920年に聖人に列せられるというわけ。
この顛末には、政治的作為と、大衆世論が大きくかかわっており
誰かがどうこうしたとかいうこと...続きを読む


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