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以下の問題の回答なんですが、第三者は「善意」で良いのか、「善意無過失」まで必要なのか迷っています。
110条の表見代理との関係も考えましたが、
44.12.18の判例で、土地の売買は夫婦の日常家事にはあたらないと習ったと思います。

94条2項類推の要件として、
「積極的に虚偽の外観を承認したといえる程度の関与が必要」とも習っています。
下の事例では、積極的に関与したといえるのでしょうか?
また、「本人の予想した以上の外観が作出された場合」とはどの様な時なんでしょうか?

一応回答としては
「虚偽の登記作出につきxに帰責性があり、zが虚偽の登記である事に善意である時。」
と思っています。
わかりやすい解説を頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。

問題 x所有の土地をその妻であるyが、xに無断で自己に登記を移した。が、これを知ったxは黙認していた。
yはこれを良いことに、xに無断でzに土地を売却してしまった。
それを知ったxは売買の無効を訴えた場合、zはどのような要件があれば、売買の有効を主張できるか。

A 回答 (2件)

学部生だよね?もし法科大学院生だったら半可通な回答者が自信満々に適当な回答することが蔓延してるこんなところ(もう承知しているとは思うけど。

他の質問も幾つか見てご覧。噴飯ものの回答がまことしやかについているから。特に刑事系と損害賠償がらみでは。詳しくないとか言い訳しながら適当な回答する神経も理解できないけどね)で質問している段階で終わってるよ。
まず、本題と直接関係ない話を幾つかしておくね。引用順は便宜上、前後するよ。

>44.12.18の判例で、土地の売買は夫婦の日常家事にはあたらないと習ったと思います。

そりゃ違う。その事例では当たらなかっただけだ。実際にはよっぽどのことがない限りはほとんど全ての場合が当たらないだろうけど、あくまでも判例はその夫婦の個別の事情を判断の基礎にしているんだから一般的に当たらないと言い切るのは間違いだよ。基本書読めばちゃんとそう解説してあるはずだ。

>「本人の予想した以上の外観が作出された場合」とはどの様な時なんでしょうか?

文字通りだねぇ。本人が思っていたのとは違う、本人の思っていたよりもヤバい状況になってたってこと(一応逆の事例もあったけどね)。よくある例は仮登記を認めたら本登記になってたってやつ(これは判例の事例ね。仮装売買予約の仮登記をさせたら勝手に本登記をしたって事例。最判昭和47年11月28日)。
ま、この問題には関係ないのは明らかだね。外観について元々本人の予想はない。何しろ「無断で」だからね。

>下の事例では、積極的に関与したといえるのでしょうか?

この事例は典型的な判例ベース(ほぼ最判昭和45年9月22日まんまでしょ)の問題だからそんな複雑な話じゃないね。まず積極的に関与してないのは明らかでしょ。積極的に関与ってのは虚偽の外観の存在を知っているのみならず、その作出に関与した場合なの。ただ、虚偽の「意思表示」がないから94条2項を直接適用できないだけで、実態としては94条2項そのものとほとんど変らない場合なの。例えば実印と印鑑証明と登記済証を渡してyに登記名義の変更をさせたが、その原因となる何らかの法律行為自体は存在しないなんて場合なの。つまり虚偽登記自体が本人の意思によるものだけど登記原因となる法律行為が存在しないってこと。でもこれはそうではないよね。「勝手に」登記を変えられたんだから。だから積極的に関与はしてないのは明らか。


ちょっと余計なお世話かもしれないけど、一般論として評価の問題ってのを理解しておこう。評価の問題ってのは事実を法的にどう評価するかってこと。現実の裁判において同じ事実認定でもなんで違う判決が出ると思う?事実の法的評価が異なるからだよ。評価とは結局価値観の問題だから人によって違う部分が必ずあるんだ。
そこで試験とかの問題が問うているのは あ な た は どう評価しますか?なの。いい?問題にある事実をさらってそれを法的にどのように評価するのか、それ自体も試験は問うているんだよ。だからあまりに非常識な評価、硬直化した評価をするともちろん駄目だけど、微妙なところは基本的に評価の結果は問題じゃないの。思想調査じゃないんだから。全ての事実を詳細に検討してきちんと評価しているかどうかそれが問題なの。
ただし、評価いかんによって次の議論に続かない場合があってそういうときは出題者の意図した評価ってのがあるからそれを読み取るのも試験政策としては必要だけどね。それに普通は典型的な事実関係で法的評価があまりに微妙になるような問題は避けるもんだし。この質問みたいにベタベタな判例事例とか。
もしどうしても判らなくなったら、自分だったらどっちを勝たせるかと考えて、その結論を導くのに都合のいい評価をするという方法を採るんだね。もうちょっと言えば、自分じゃなくて他の人が見てもどっちを勝たせるのが合理的かって考えるの。気をつけなければいけないのは合理的ってこと。感情論で考えちゃうと、一般人の感覚とは合致していても判官びいきってやつで、およそ衡平とは言えない結論になるからね。そういうのは法律を知らないものの道理も知らない世の中も実は知らない(自分たちの狭い業界しか知らないからね)マスメディアの連中だけで十分だよ。
結局、個別の事実をどう評価するかってのはマニュアル的にこうだなんて言えないのよ。法律ってのは一般論だから抽象的にならざるを得ない。具体的な判断基準を解釈で定立したところでそれすらやはり抽象的であることを避けられない。抽象的な法律を具体的な事実とかみ合わせる作業が事実の(法的)評価なの。それは一刀両断にこうだなんてやれるもんじゃないの。そんなに簡単なら裁判官要らないよ。コンピュータにだって裁判ができる。
ま、司法修習生が「何か良い事実認定のマニュアルはないでしょうか?」なんて質問を教官にするご時世だから、マニュアル的に考えたくなる気持ちはわかるけど、世の中マニュアルなんてないものの方が圧倒的に多いの(以前、「マニュアルどおりに生きたって~」って歌があったけど、これ自体マニュアル的な歌詞作りだな。生きるマニュアルなんてものがあるなら見てみたいわ。そんなもんねぇよ)。
以上、余事記載。


さて、問題に行く前に予備知識として94条2項類推適用の理論をきちんと理解しようよ。
94条2項類推適用の基礎にある理論は何?外観法理でしょ?外観法理って何?虚偽の外観について帰責性のある者はその外観から生じた結果について責任を負うべきだから、その者の犠牲の上に外観を信頼した者を保護すべきであるってことでしょ。
そこで簡単に要件を述べると、(1)虚偽の外観の存在(2)その外観に対する信頼(3)その外観作出に関する帰責性、となるわけ。外観理論ってのは、帰責性と信頼の程度を調整することで妥当な結論を得られるという点で都合がいいんだけど、それが、94条2項類推で無過失は必要か?っていう疑問の発生原因にもなっちゃう。理論的には、外観理論に基づく話は全部無過失まで要するとするのが簡明だけど実際にはそう簡単ではない。
とりあえず94条2項類推については、判例的には基本的に無過失は不要。無過失要件を加えて虚偽の外観作出に対する帰責性の程度とバランスをとる必要があるときは判例では110条を類推している(と考えられる。判例で直接そう言っているわけではない)。


と以上の前提で問題を見てみよう。おそらくあなた自身解り切ってる部分まで細かく書いてあるからうっとおしいかもしれないけど説明の便宜だから勘弁してね。もし気に入らないならそう言ってくれても良いけど。もしそうしてくれれば二度とあなたの質問には回答しないように注意するからさ。
先に断っておくけど、93条ただし書はまず関係ないよ。解ってると思うけど、どこに真意と異なる意思表示があるの?ってこと。虚偽の登記の存在とそれを知りつつ放置することは意思表示じゃないから心裡留保の問題じゃないね。xはなんらの意思表示もしてないってことだ。と言うか、だからこそ94条2項だって適用できないんだしね。93条以下の規定は全部意思表示の規定だ(「第2節 意思表示」と書いてある)。意思表示のない場合に適用できるわけがないね。
仮に類推というのなら94条2項類推で十分であってあえて93条ただし書を類推する必要はないというか、そんな理論は聞いたことがないよ。もし仮に超マイナーな説であったとしても下手すりゃ学者でも知らない人が多いような説だろうね。そんなの書いたら答案がゴミ箱直行(比喩だよ)になりかねんよ。だから学術論文で書くなら結構だけど、試験問題で書く内容じゃないね、間違いなく。

さて、この問題は、xが売買による所有権移転の効果が生じないということを訴えるところが出発点になる。問題に言う売買の有効ってのは売買の物権的有効性のことだと読むべき。債権的な有効性は所有権移転とは別次元の話だし、基本的に契約当事者でないxが争う問題じゃないからね。
それに対してz側がいかなる反論をするのかということを問うているわけだ。だから最終的にはzがどんな主張をすればいいのかということを結論として示さないと問に答えたことにならない。これは要注意。別に試験問題に限らず、たとえばこのサイトの質問でも問に答えてない回答は結構多いからね。答えようがない質問もあるけど。あと、答える気にならないばかばかしい質問も多い。普通は無視するけど、嫌味を言うことも時にあるかな(回答じゃないけどアドバイスでも補足要求でもない。本来は規約違反と言うべきかも知れないけど)。
まず登記に公信力がない以上、登記を信頼した第三者zは保護されないのが原則だからzは当該土地の所有権を取得しないのが原則であるってことを言わなきゃいけない。原則どおりならxの言う通りなのね。これを指摘しないと話が始らない。
しかし、登記がy名義になっていたことについてxはそれを知りつつ放置していたという事情がある。この事情を細かく見ると、y名義になっていたのはyが勝手にやったことなのでxy間に通謀はない。また虚偽の登記の存在は虚偽の意思表示の存在を意味しない。だから94条2項は適用できない。しかし、通謀による虚偽の意思表示がなかったとは言えxは虚偽の登記が存在することを知りつつそれを放置したという一定の帰責性がある。ならば何らかの方法でzを保護することはできないか?って考えるわけ。
そこで94条2項の趣旨から類推適用が可能な理論的根拠と要件論を述べる。要するに外観法理の趣旨と要件だ。さっき説明したやつね。
そうすると、虚偽の外観の存在は問題なく認定できる。それに対するzの信頼は……、問題に何も書いてないね。ということはこれが答えになる。つまり、zの主観要件として何が必要か述べるのが答えだってことだ。
そして帰責性は、これは評価の問題だけど、登記が勝手に変えられてるのに放置したってのはやっぱり帰責性はある。どの程度の期間放置していたのかなぜ放置していたのかとかにもよるんだけど、この問題文からすると知っていた上に戻そうと思えば容易に戻せるのに戻す気はなかったと認定して良さそうだね。「黙認」とあるから。だとするともう帰責性はあると断定して良い(ね?問題文の一字一句をかなり細かくさらってるでしょ?これが重要なの)。

ってことで、zの主観要件として何が必要か。つまり善意で足りるか無過失まで要するのか。これを結論として述べれば良い。
で、どっちでも良いと思うよ。判例に従うなら、無過失は不要として良い。その場合、元々94条2項は無過失を要求していない。そして94条2項類推の目的は取引安全のためであり、無過失まで要求すると取引に差し障るおそれがあるし、何より、虚偽の登記の変更は容易にできることであるから類推の基礎となる本人の帰責性が大きい(これはまさに評価ね)ので第三者に無過失を要求すべきでない。
とか何とか、その辺りの理由をつければ良いだろう。
もちろん別の理由付けを用いて無過失を要するという話にしても良いんだけど、試験問題の事実だけだとそこまで細かい利益衡量はできないから、一般的な判例の結論に従っておけば良いと思うよ。一般的な判例の考え方は、通謀虚偽表示がないけど虚偽の外観作出に積極的に関与した場合と積極的に関与してないけど虚偽の外観の存在を知りつつ放置した場合には帰責性が大きいと判断していることは憶えておいていいと思う。

後もう一つおまけだけど、虚偽の外観の存在を 知 ら な か っ た にもかかわらず、登記が書き換えられるおそれがあるような状態を漫然と放置したことを理由に帰責性を認めた事例がある。これは要注意だね。虚偽の外観の存在を知らなくてもその外観が作出される可能性が極めて高いような状態(判例の事例は、登記済証を預けておいてしかも実印と印鑑証明を言われるままに交付して目の前で登記申請書を作成していたとか売買契約書に判を押したのに何も言わなかったとかそんなの。最判平成18年2月23日ね)を不用意に放置するのは外観作出の帰責性を認めうる場合があるってことだ。
ただし、この判例は先に述べた110条類推もしてる。そこは要注意。単純な94条2項類推の問題ではないってことだ。むしろ、無過失の存否を考慮できるように110条も類推したんだろうね。

ということで、zは善意であれば所有権を取得できるとすれば良いと思うよ。
で、これだけでこの問題の解答は終わり。だって判例そのままのベタな事例だもの。

夫婦だってことで日常家事代理の問題を気にしているけど、そもそもyがy名義の不動産を売却するという場合に、登記名義が虚偽であって実はxが真の所有者とzが知っていたなんて事情は書いてないからね。書いていないのにそこまで話を広げる必要はないと思うよ。もし仮にそうだとすれば、確かに日常家事代理と表見代理の議論にはなるけど、たとえそうでも、この問題は日常の家事に属するかどうかについての誤信があるわけでもないしね。だからそこまで考えるのは穿ちすぎだと思うよ。
じゃあyが妻ということに何の意味があるのか?というのは確かに疑問は生じる。この事例だと同居の配偶者が勝手に登記を変更したりするのは他人より容易にできるから帰責性を減じる事情になりうるし、またその反対として相手方の過失を認定する事情として使うこともできる。そうすると、yがxの妻であるという事実について評価を求めている可能性はあるね(これが微妙なのは、国家試験なら確実に余計な事実は書いていないと言い切れるんだけど、学部試験レベルだとそうとは言い切れないことなんだよね)。もし仮にそうなら、110条類推も持ち出して善意無過失を要するとした上で、この事実をどう評価するかを論じるべきことになるんだろうけど……、単に判例の事例が夫婦だったからじゃないかな?と思うよ。
だからyがxの妻であるという事情は考慮しなくても良いとは思うんだけど、あえて触れるとしても、yはxの妻であるが、妻が一般的に夫所有の不動産の名義人となっているということが必ずしも通常というわけではなく(逆だと微妙)、また、xからyへの名義移転が登記簿から判るとしてもそれが虚偽であるとzは疑うべきなのが普通とも言いかねるので、zがy名義が虚偽であることを疑うべき事情があるとは言えず、zに落ち度を認めることはできないからyがxの妻であることは本件結論を左右しないとかその程度で十分じゃないかなぁ?
多分、要らないと思うけど。
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この回答へのお礼

長文の解説ありがとうございます。
完璧なお答えに感動しました。

日常家事の範囲は、その人の生活レベル(?)によって変わるって事ですね。
言われてみればその通りです。
確かに93条は関係ないと思ってたんです・・。

細かい解説ありがとうございました。
(ちなみに学生ではなく行政書士の勉強をしています)

お礼日時:2009/06/23 17:47

93条但書の方ではないかと考えます。



問題文の「Xの外形的意思表示と内心が異なり、これを黙認していた」がまさにこの条文そのままのようです。

この場合もお尋ねのように94条2項の類推適用となるので、ZはXとYの意図を知っていたかいないかだけが要件です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。善意だけでOKという事ですね。
助かりました。

お礼日時:2009/06/22 17:53

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