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死ぬっていうのを今までの自分の体の中にある悪いものが全て排出されるような感覚で捉えたら、より死と向き合えますか?
とか、死を自己の出しうる最大の勇気の形としてそれを成し遂げようとして得られる達成感
などと死というものを多角的かつ前向きに捉えられるようになれば
だんだん興味深くなってきて実践してみようと思えるのですか?
実際に死ぬっていうわけではないのですが
死さえもポジティブに捉えていけるような気持ちの構造みたいなものにすごく惹かれています
また、参考になる本やサイトがあれば教えてもらえると嬉しいです

A 回答 (11件中1~10件)

あのですね


まず「自分の体の中にある悪いもの」とはなんでしょうか?
死というのは生きている「結果」であって勇気とか達成感やポジティブなどプロセスではないと思います。

つまり生きている生物は必ず死にます、これは事実であって必然の事です。そのなかで死を生物が客観的に評価する事は出来ない事であって、また評価しても意味の無いことだと思います。
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>死さえもポジティブに捉えていけるような気持ちの構造みたいなものにすごく惹かれています



推測なんですが、「死さえも」というのは死にたいとかじゃなくて
「すごく」という意図ですよね?

要するに、「すごくポジティブに捉えていけるような気持ちの構造みたいなものにすごく惹かれています」という質問なのではないですか?

もしそうならば質問の構造化に失敗しましたね。
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>>死さえもポジティブに捉えていけるような気持ちの構造みたいなものにすごく惹かれています。



大したことではないのですね。転生輪廻していると考えることが出来れば、この世に生まれていろんな経験を積んで、死はもといた本当の世界に戻ることですから。人生を全うした死も楽しいことですよね。
結婚式は仏滅ではやらないのが普通ですが、この世の死はあの世への帰天ですからあの世では仏が久々に帰ってきたといってドンちゃん騒ぎしてるんですね。つまりこの世とあの世に境がなければ仏滅さえもポジティブに捉えていけるような気持ちになれるでしょう。そういう意味で転生輪廻思想でも学ぶと良いでしょう。

この回答への補足

ありがとうございます
そんなあなたが最もポジティブに捉えにくいものとはなんですか?

補足日時:2009/07/10 20:31
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ポジィティブな死の捕え方…より良い生き方の選択として生産的積極的


な死も考慮されたのでしょうし、死に逃げる構造ばかりではないと思え
てます。

言語能力がなければ死の概念ないかもしれないなぁと思います。
野生動物は死を怖れることはないそうです。

思索に便利で無駄な人間関係を不要とするパソコンや書物に関わるのを
止める→自由時間が増える。時間が増えても本能や逸る欲望に振り回さ
れる拘束時間が減らないという逆説もあります。

あるがままの自然の中で暮らして動物と同じ目線になる努力(?)して
みるとか・・・。

長生きしたいというのは自己保存が優勢ということになります。
自己保存否定「生きるの面倒」になるぐらい不憫な不名誉な生活をする
と生殖以外で活用しうる種族保存の本能へスイッチが入るかも。

野生に戻ると、社会性のある蜂でも自らの死をもって敵を倒し、種が生
き残るなら欺瞞でなく幸せで、>死を自己の出しうる最大の勇気の形と
してそれを成し遂げようとして得られる達成感、なのでしょうね。

蜂さん的には立派な自分という自覚もなく、本能に従っているようです。
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私も常々、死がネガティブに語られることに疑問を感じていました。

生と死とは、表裏一体。つまりはセットです。

 この世に生まれたものは、必ず死にます。生が喜ばれるのなら、死も喜ばれてもよいでしょう。死は、今生の別れですが、永遠への旅立ちでもあります。

 精神分析医、エリザベス・キューブラー=ロス女史の著書、『死ぬ瞬間』(読売新聞社)をお薦めします。死を受容することについて書かれています。続編もありますので、とりあえずはこちらからどうぞ。
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>>そんなあなたが最もポジティブに捉えにくいものとはなんですか?



ノー天気の私がポジティブに捉えにくいものということですか。
自殺と脳死判定かな。また脳が全てというのもいやですね。
 生まれたら必ず死ぬことになってるので、急いで死ぬことはないよね。
 脳死判定なんかされたんじゃ気持ちよく死ねないですよね。
 よわい60になっても通信大学で勉強してるんですね。死ぬまで勉強するつもりですが脳が焼かれて何にもなくなるじゃつまらないですからね。
そういうの嫌いですね。
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生と死を厭わずに同じ事にして見てゆく生き方が出来れば、生も良し、死も良しという事になると思います。

この事を「日日是好日「と云う風に言うのかと思います。

生だけを良いものとしていて、死を嫌ってゆくと言う分別の世界が「妄想」を育てています。積極的に毎日を肯定的に生きてゆく中に「分別」にとらえられない生き方が在ります。

積極的に毎日を受け入れてゆくと言う事は「良い事も、悪い事も」分け隔てをしないで、受け入れると言う意味です。生死に囚われないで自由に生きてゆくと言う意味になります。
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死を恐れない人は、達観しています。


実は死を恐れているのに、振る舞い、口先では死を恐れていないという人は、気が動転していて、正しく物事が見れていないのです。
人は「死」と言う言葉によっては死なない。(実際にそれが起こることを)恐れることによって(生きながらにして)死ぬ。
 
死を恐れることは悪いことではない。正常な感覚であるだろう。
だが、死の彼岸に立つというのは、けして虚論空論であるのではない。
なすべきことを為し終えた人は、死を恐れず、その彼岸に立つだろう。
人は、自ら為すべきことを成し遂げて、何かをやり残して終わることなく、正しい、自らの依拠すべき行いと智慧と、「ただ一度の出会い」によって、人生を全うし、死の彼岸に立つだろう。
人は死を恐れている。恐れて当然であるその死を、自らの正しい人生によって超えるのです。
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さまざまな捉え方があろうかと思われる「臨死体験」ですが、


少なくとも、「自殺を否定するようになる」とのことであり、「より積極的に生を生きようとする」とのことです。

※自殺を企てての臨死体験は少ないようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%AD%BB% …
http://www.kumin.ne.jp/njma/ddd/d-60.html
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ホスピスで働いた経験があります。


ポジティブに「死」を捉えるには、といったご質問ですが、「死」=「生」を理解する必要があります。「死」は単独にあるものではなく、「生」の延長にあることを理解しなければなりません。つまり、今現実に生き、生きていく貴方自身が「死」のその瞬間まで続くということです。
このようなケースがありました。彼はワンマンに仕事をしてきました。家族を振り返らずに。病棟でも、医療物品の注文の電話の際、相手側を考えずに要求し、「やるのが当たり前だ」としていました。彼は離婚していましたが、亡くなる数週間前に別れた妻と子どもが面会し、再婚となりました。さて、再婚すると決意した妻や子どもは、何を得たでしょうか。そして、彼は何を残していったのでしょうか。

その人が生きる上で中心だった「金」や「名声」や「権力」、すべて明け渡して逝くことがわかりませんか。貴方は何を残したいですか?そのために何をするのですか?

ポジティブな「死の捉え方」などありませんよ、それは「貴方自身の生き方」ですよ、と、臨床を経験しての発言です。
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