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フランク王国が3つに分裂して、西フランク王国(フランスのおこり)、東フランク王国(ドイツのおこり)、イタリア王国の3国になったという記述をインタネットで見たんですが、
http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/hattori/ …

この独仏伊3国の民族について教えてください。

フランク王国はゲルマン人の王国ですよね。
だからゲルマン民族のドイツがフランク王国の末裔というのは分かるんですが、フランス、イタリアの国民はゲルマン人ではないですよね。

仏伊では先住民との混血でゲルマンの血は薄まっちゃったけど、王朝としてはフランク王国(ゲルマン)の末裔ということなんでしょうか。

現在、ゲルマン人の国家としてはどのあたりの範囲の国と認識されているんですか?
(独、墺、デンマーク、ノルウェイ、スェーデン、オランダ くらいかなと感じてるんですが)

一応、googleとかOKWEBの過去Q&Aは見たんですが、良く分かりません。宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

ご質問に対してきちんと答えるためにはいくつかの前提知識が必要です。



まず、「民族」についてですが、これの区分け方法は一定しません。民族とは言語を中心とする「文化を共有する集団」であって「その文化への帰属意識を共有する集団」というように考えられますが、宗教の相違・外見的な人種の違いなどによっても区別しますし、逆にそういうもの(外見などの相違)があっても帰属意識の共有から同一民族とみなす場合もあるわけです。

参考までにヨーロッパの言語はインド=ヨーロッパ語族としてまとめられていますが、そのうちの主要なものはスラヴ系・ゲルマン系・ギリシア語・イタリック系・ケルト系です。で、おおむねそれぞれに対応する民族があるとも考えられます。

さて、ローマ帝国の領域に対していわゆるゲルマン民族の大移動が生じて、ゲルマン人の諸王国が成立しますが、全体の人口(旧ローマ帝国住民)に対して多くても3%程度の人口しかありませんでした。ですから王朝はゲルマン人であっても住民はラテン系(イタリック系に属する)などの場合が大半です。また、フランク王国が成立した頃にはこの広大な範囲全体に共通する言葉としてはローマ帝国で使用されていたラテン語であったと考えられますので、ゲルマン人の国家と単純に言い切るのは疑問の余地がありますね。

また、フランク王国はヴェルダン条約(843年)、メルセン条約(870年)の2つの条約によって3つに分裂するわけですが(いきさつについては省略させていただきます)、この時すでに帝国の東と西では普段話す言葉が異なっていました。方言として理解できたようですが・・

>現在、ゲルマン人の国家としてはどのあたりの範囲の国と認識されているんで すか?
hatman34さんのこの疑問に対してはゲルマン民族というより、ゲルマン諸語について書く方が早いような気がします。つまり、ゲルマン諸語のうち、北ゲルマン語に属するのがノルウェー語・デンマーク語・スゥエーデン語であり、西ゲルマン語に属するのが英語・オランダ語・ドイツ語であり、さらに東ゲルマン語としてゴート語があります。これらの言葉が話されている地域がお求めの答えに近いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>まず、「民族」についてですが、これの区分け方法は一定しません。・・・

言語による区別の比重が結構大きいんですね。以前読んだ本で「ユダヤ教を信じる人がユダヤ人だ(特異な例として)」と有ったので、人種の差の要因としては、遺伝的なもの(外観など。最近はミトコンドリア調査などでさらに厳密化可能)が第一で、補助的に宗教・言語などの後天的な要因が加味されるんだと思ってました。
確かに、我々も縄文人の子孫かそれとも弥生人の子孫かなんて排他的には考えないですね。でも、日本語を話す日本人としての一体感があります。

>王朝はゲルマン人であっても住民はラテン系(イタリック系に属する)などの場合が大半です。・・・

納得です。

>さらに東ゲルマン語としてゴート語があります。これらの言葉が話されている地域がお求めの答えに近いと思います。

教えていただいた「ゴート語」と「地域」をキーに検索してみたら、「ラテン語からフランス語へ」というサイトが見つかりました。
http://www.ab.aeonnet.ne.jp/~memoria/lingua/inde …
ゲルマン語の影響あるもののフランス語はゲルマン語とは言えず、従って現在のフランス人は「自分たちはゲルマン人だ」とは思ってないんですね。

なんか、御礼か補足か分からないような文になってしまいましたが、フランス人が自分たちをどう思っているかについて教えていただければありがたいです。(遺伝的にはゲルマンの血は少ないんですよね)

お礼日時:2003/04/16 01:10

うろおぼえですが、


ローマ帝国(帝国になったのはずっと後ですが)
が今のローマ市があるところから次第に大きくなって
ガリア人(ケルト人)がすんでいた今のフランス
を征服しました。
しかし、さすがのローマ帝国もライン川よりも東側は
征服できなかったため、ゲルマン系の民族は
ラテン系のローマ人にあまり影響されなかったのです。

その後、民族大移動があってフランス・スペイン
イタリア・果ては北アフリカまでゲルマン系民族は
移動していきました。
おっしゃるとおり、フランス・イタリアではローマ人が
多かったのでゲルマン系の特徴が薄れていったのだと
思います。

ゲルマン人というのは正確ではないと思います。
ヨーロッパの国を簡単に民族で色分けは
できないと思います。
たしか、北欧の国にはウラル系の民族もいるはずです。

この回答への補足

>ヨーロッパの国を簡単に民族で色分けはできないと思います。

ちょっと補足させてください。人類学の専門家でもないのでそんなに正確なことを求めているわけではないんですが、白人の中だけに限っても、やはり北欧系(ゲルマン系と同じなんですかねえ)、ケルト人、スラブ人、アラブ人とかいろいろな系列があって、白人自身が(専門家でなくても)ある程度差を認識してるじゃないですか。映画を見ててもそんな会話が良く出てきますよね。最近話題のクルド人などの話を聞いていて、西欧人のそういう人種の認識について知りたいなあと思ってたんです。そこで、まず代表的なゲルマン人について質問してみたんです。

補足日時:2003/04/08 01:14
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
やっぱり、混血あったんですよね。

お礼日時:2003/04/08 01:01

簡単に説明するのはむずかしいので最近出版された本を上げておきます。

岩波新書 坂井榮八郎著「ドイツ史10講」の1講から2講にかけて書かれています。

この回答への補足

「ドイツ史10講」読んで見ました。
フランス人の意識については書いてなかったですね。ガリア先住のケルト人の動きはどうだったんでしょうか。
フランス史も読んで見たくなりました。

補足日時:2003/04/23 08:05
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。岩波新書なら簡単に入手できますね。読んで見ます。

お礼日時:2003/04/08 01:00

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