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この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか。

善も悪も視点を変えればそれらはいつでもひっくり返ります。
正負は常に抱き合わせで存在しています。
あちらを立てればこちらが立ちません。
生まれるという事は死ぬという事です。

人や社会を良くしようとする試みはもちろん良く分かるのですが、
ただ、この世界は不完全であることを前提に作られているように思われるのです。
そうでなければ今頃は理想的社会及び人間が誕生していてもおかしくはないのではないでしょうか。

この世界が不完全であるという事は、
この世界は不完全でなければ意味がない。
言いかえれば、不完全であることに意味がある。

という事になりませんか?

A 回答 (51件中21~30件)

 わかりました、不完全というのは「不完全ではない」を含めて不完全と述べているわけですね、つまりご自身の言いたい不完全は「不完全ではない次元」といったところでしょうか?そういう意味で行けばまったくその通りです。

異議なしです。
つまり
・(1)不完全=完全(完全そのものは無い)~不完全ではない次元~不完全(不完全そのものは無い)
・(2)意味がある=意味が無い(完全に意味が無いものは無い)~意味がある(完全に意味が無いものは無い)
と言ったところでしょうか?
ならその通りです。
 ただ完全という認識と不完全という認識が我々の感覚であるということは留意します。また意味がある無いという次元も同じ。
こう考えるとご自身の仰っていることはまったく同感であり異議なしです。しかし補足ありといったところでしょうか。その補足が(1)(2)に置いての認識に限ります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

申し訳ない。
全く分からない。
そんなに難しい話してましたっけ?

次元という言葉をどういう意味で使っているのですか?

お礼日時:2009/08/19 00:29

shift-2007さんが仰るところの「完全」な世界なら、


それは「止まって」しまうのではないでしょうか。

止まらない、生きた世界。
大きく捉えれば、この愚かな、しかし走り続ける力は
完全なしくみなのかもしれません。

人ひとりも、世界すべても。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>それは「止まって」しまうのではないでしょうか。

本当に?
なぜそうなるのですか。

お礼日時:2009/08/18 23:27

>信じられないかもしれませんが、哲学が好きであるという人間はいるものです。

子供がカブトムシを追いかけるように哲学を追いかけるのです。故に心理的なベクトルは好きだーという方向に向いています。>

 では、好き=意味がある、ということでよろしいですか?
なら不完全であるという次元に関しては「不完全であるが故に好きになれるものではないでしょうか?」ということでしょうか?そういう側面で述べますと個人的にはまったくだな~と思います。ただあくまで『個人的』であって万人に共通するとも思えませんしそうでないと感じることもあると思います。例えば創作好きの人もいれば完成されたものが好きな人もいます。そういう側面でいけば千差万別のような気もします。なので不完全であるが故に必ずしも意味があるというわけでも無いと思います。あえて言えば『不完全であるが故に意味がでてくる』ということではないでしょうか?

>>はあそうですね不完全と完全がわからないもので>
完全が何かは分からなくても、不完全が何かは分かるのではないでしょうか。>

 分かりますよ個人的にはね、ただ人によって違うと思うんですよ、AさんとBさんの不完全と感じるものがすべて同じと言えますかね?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>では、好き=意味がある、ということでよろしいですか?

違います違います、好きなのは哲学の事です。
あっそうでしたね、ベクトルでしたね。
回答者さんの意味する処で言えば、ベクトルはどこにも向いていません。

>AさんとBさんの不完全と感じるものがすべて同じと言えますかね?

違うと思いますよ、万人が納得できる世界でないという意味でも不完全ではないでしょうか。

お礼日時:2009/08/18 23:25

No.20です。



>私たちの概念も世界の一部と私は思います。
世界の一部である我々が実際に不完全であると感じているのであれば完全とは言えないのではないでしょうか。
世界とは私たちの外にあるだけのものではないと私は考えます。

その通りです。
故に、完全が特定できない以上、不完全もどの程度不完全なのかも正確には分からないと言う参考意見な訳です。

より多角的に認識した方が、何らかの不完全であることの意味を見つけ出す上で、役に立つと考えた訳ですが、いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに完全に比べてどこがどの程度というのは分かりませんね。
不完全であることに意味がある必要がないという視点も分かります。
ただ、作った人(神?)に聞いてみたいのです。
何の理由でこういう世界を作ったのかを。

お礼日時:2009/08/18 23:17

NO.7


>回答社さんにとって世界とは、物質、運動法則、時間など物理で扱う>範囲でしょうか。
>私の言うところの世界とは東京タワー、社会、歴史です。
>人に心があることを回答者さんは信じますか?

物理と言うのは心がないと成り立たないです。心が捕らえた物理世界というものは、現実世界のモデルです。この世界は時間的に見れば歴史だし、空間的に見れば社会です。東京タワーは記号です。

やはり、この世界は完全、不完全の範疇を越えています。この世界に完全や不完全の具体例はあるのでしょうか?そういうものは、観念の世界にしか存在しないのでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>そういうものは、観念の世界にしか存在しないのでは?

観念も含めて世界だと思います。

お礼日時:2009/08/18 22:29

 いえ、言葉によるものでない一瞬の邂逅の中で、余計なことを伝えることはできないでしょう。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

素朴な疑問ですが、今目の前に神を自称する者がいたとして、どうやってそれを神であると確認したらいいのですか。

お礼日時:2009/08/18 22:27

#6です


>不完全にしか幸福が派生しないというのは残酷ではないでしょうか。
戦争がなければ平和は無いとするなら定期的な戦争はやむをえないことになります。

 そうですね、私は戦争はあってはならないことだと思います。だから、戦争が人類からなくなるように、人類は精進しなければならないと思います。戦争そのものはあってはならないことですが、精進することは素晴らしい喜びだと思います。

 また、不完全=戦争というのもちょっと短絡的すぎるかなと思います。というのも、戦争をしない完全さの部分があったとしても、その他の部分で不完全さがあれば、完全ではない訳じゃないですか。
 
 だからそれは、不完全が残酷なのではなくて、戦争をすることという限定的な不完全さにおいて残酷なのではないでしょうか。
 そんなわけで、ちょっと私の主張したかったイメージとは異なるようです。

 戦争を、広い意味で「争い」と捉えたとしても、それ以外の不完全さを感じることも、人間にはあるのではないでしょうか。

 そこで、全ての不完全さに共通するのは、問題を解決して精進した時の、喜びである、と考えられるのです。

 まぁ、これで少しは質問者さんを退屈させない内容になったでしょうか・・・
 あまり自信ありませんが。では、これにて失礼します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>、戦争をすることという限定的な不完全さにおいて残酷なのではないでしょうか。

回答者さんは今ある問題をひとつひとつ解決していけばいずれは問題が無くなるとお考えでしょうか。
戦争は残酷さの頂点ではありますが、この国では毎年3万人の自殺者が出ます。
平和であるはずのこの日本でです。
回答者さんの親しい人が戦死するのと自殺するのとどちらがつらいですか。

>問題を解決して精進した時の、喜びである、と考えられるのです。

残酷・・・・・
私にはこの回答は残酷に思えるのです。
なぜなら、この世界は不完全であり続けるからです。

お礼日時:2009/08/18 22:25

>そんなに立派な日本人がなぜ戦争をしたんだとテレビに一人突っ込んでおりました。


:たしかにそうなんですが、そう言ってしまうとそこで終わってしまいますよね。
立派ってなんだ、徳って何? ということに突っ込んでいかないと。

あ、そこを突っ込んだ結果の
>あちらを立てればこちらが立たず
:ということですか。

しかし、それにしても、「あちらの徳」と「こちらの徳」というものを検証していくことによって「立てれば立たず」とは必ずしも言えない時代が来るような気もしますけどね。

世界が完全であるとは私とて思ってはいませんが、不完全だからといってどうだ、とおっしゃっているのか、そのへんがもうひとつ伝わってきません。
つまり、
「不完全であることに意味がある。」として、
だからどうだ、ということをおっしゃりたいのかはっきり見えてこないな・・・、という印象があります。
ここがわかればもう少し気の利いたこと(でもないかもしれませんが)のひとつも言えそうな気がするんですけどね。
鈍くてすみません。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私が感じた「あちら」と「こちら」は
道徳心は高いが愛国心によって戦争に突っ走るあちらと、
道徳心は低いが同時に愛国心なんて持ち合わせていないから戦争なんてする気も起きないこちらでした。
この両者のいいとこどりをと普通考えるのでしょうが、私にはこのキメラは完成しないと思います。

>不完全だからといってどうだ、とおっしゃっているのか、そのへんがもうひとつ伝わってきません。

ははは、そうですよ。
それ以上のことは何も考えていないです。

この世界は何かの意図によって不完全に作られた世界だったんだ。

この発見?気づき?で十分満足なんです。
だからなんだといってしまえばそれまでなんですが、
それに気付くという事に喜びを感じるわけです。
子供なんですよ。

お礼日時:2009/08/18 22:10

>不完全であることは事実ではないでしょうか。


それに対して意味があるかどうかは疑問であるという事でしょうか?>

 まあ疑問というか『Aに意味がある』とか『AがBで不完全だから意味がある』とか『AがBだから~という側面で不完全である』とか途方もない次元であるということを説明したいというか、なんというか・・・・本当説明し難いんですが・・・・意味があるという実感そのもののベクトルはどこですか?という回答です。例えば『~から見てこの世の中は不完全であると思いますがそういう視点からいけば意味があると言えないでしょうか?』とか補足をお借りすると『自分が感じる主体とこの世の世界は不完全と言えないでしょうか?』とかそういうのであれば・・・・(僕にはやはり分かりませんがw)そうでない場合提案的な『こんなのどう?』というのになりますよね?

>因果の法則を信じるなら、不完全であるという結果には、その原因があるはずです。原因を理由と置き換えてもいいのですが、原因が何であれ不完全であるという結果を生んだのですから原因は、不完全という結果を生み出すものでなければならないと思うのです。>

 まあそう思いたければ思ってどうぞといったところでしょうか?
なんというか間違えているとも言えないし間違えていないとも言えないです。

>つまり、不完全であることを前提にしていると言えないでしょうか。言いかえれば、この世界は不完全であるように作られている、と思うのですが。>

はあそうですね不完全と完全がわからないもので
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

信じられないかもしれませんが、
哲学が好きであるという人間はいるものです。
子供がカブトムシを追いかけるように哲学を追いかけるのです。
故に心理的なベクトルは好きだーという方向に向いています。

>はあそうですね不完全と完全がわからないもので

完全が何かは分からなくても、不完全が何かは分かるのではないでしょうか。

お礼日時:2009/08/18 19:55

回答番号:No.19,No.21 の補足



>特に軍人などはプライドが高かったから

 逆かも知れません。それに、弁明できる環境、状況ではなかった ということもあると思います。

>ニール・ドナルド・ウォルシュの神が完全だとは思いません。

 ある意味、完璧でもあるように感じられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/18 19:28

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