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この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか。

善も悪も視点を変えればそれらはいつでもひっくり返ります。
正負は常に抱き合わせで存在しています。
あちらを立てればこちらが立ちません。
生まれるという事は死ぬという事です。

人や社会を良くしようとする試みはもちろん良く分かるのですが、
ただ、この世界は不完全であることを前提に作られているように思われるのです。
そうでなければ今頃は理想的社会及び人間が誕生していてもおかしくはないのではないでしょうか。

この世界が不完全であるという事は、
この世界は不完全でなければ意味がない。
言いかえれば、不完全であることに意味がある。

という事になりませんか?

A 回答 (51件中41~50件)

 なるほど、確かに鬼畜米英 と言われていたが、それは政府の煽動、スローガンに過ぎなかったのではないかな?



 それに、その時の、白人社会における植民地支配を客観的に見れば、やはり 鬼畜米英 という言葉は、それほど的外れでもないかと。

 まあ、結論としては、理想(完全)を目指すことが出来るから、不完全であることに意味がある ということになりますか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>政府の煽動、スローガンに過ぎなかったのではないかな?

過ぎない?
そう、その程度の善悪の意識しかなかったのでしょう当時の日本人は。
そのために自国民を三百万人も死なせる結果になったのです。
その程度のものです、善悪とは。

お礼日時:2009/08/17 01:21

 敢えてshift2007さんが使用している言葉にこだわってみます。


 
 「この世は不完全でなければ意味がない」と「今頃は理想的社会及び人間が誕生していても・・・」から、この世が完全であるとは、「理想的社会及び理想的人間」の世界の事を言っているのだと、受け止めて。

 また、「意味がない」を‘意義がない’または‘価値がない’と言い換えることが出来るとして。

 ‘不完全であることを前提にして’とか‘不完全であることに意味がある’といった言葉から‘人間が生きる’ということに他の動物のようにただ生きればよい、というのではないと、捉えているように思います。

 仰るように、理想的社会に理想的人間が誕生していれば、‘生きるための問題意識’など持たないでしょうし、持つ必要もありません。

 ですが、そんな社会を想像してみると、以外にも、そんなぬるま湯のような世界に居て‘人生’が充実しているの?なんて疑問が湧いてくるのが不思議です。

 思うに、生きるということは、適当な表現とはいえませんが、理由の一つとして‘困難を乗り越えていく’という‘行為’ということになるのではないでしょうか。

 shift-2007さんは、こうした人間の生き方に、意味、意義、価値を見出しているので、今回、このような質問をしたのでしょう。

 「前提」は人間に与えられた「課題」であると言い換えられるかもしれません。

 人間に与えられた試練、といってもいいでしょうか。

 こうした視点に立ってみれば‘不完全に意味がある’と言いたくなります。

 

 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

恐らく私の心理的な部分に関してはおっしゃる通りだと思います。

ただ、このルール(不完全な世界で生きなければいけないというルール)はあまりにも残酷なように思うのです。

もちろんそれは今生きている人間次第でどうにでもなるはずだとは思うのですが。

でも、不完全であるようにできているなら、どうにもならない部分もあるかもしれません。

それはとても怖いことですね。

お礼日時:2009/08/17 01:08

 おそらく>この世界が不完全であるという事は、


この世界は不完全でなければ意味がない。
言いかえれば、不完全であることに意味がある。>
 ここに共感してもらいたいのでこの質問を立てたとということだと思いますが勝手に推測しますがご自身の何かが不完全と連動しておりそれを否定される事を覆したいが故に不完全に意味があると実感したい、こんなところでしょうか?不完全に連想されるshiftさん自身の何かがあるようですね。まあそこはすっ飛ばしますが一つ不完全であることは『意味がある』とか『ない』とか自身も不完全であるということになります。つまり主体性の連動もしくは主体性の思い込みによりのみ成立するのが『不完全性に意味がある』『不完全性に意味がない』とかいうものではないでしょうか?以前「管理不要社会を目指すには」で討論しましたがおそらく管理不要社会を目指すという次元の有無がこの質問者自身にはあったのでしょう、しかし管理不要という感覚の主体が自分自身の感性であるということに気がついていなっかたのでしょう、そこを指摘したもんだから『不可能のこじつけ』見たいに受け取られ途方もない言い争いになってしまいましたwまあ良いのですが今回の質問もまったく同じです、これが「100万円儲けるために100万円儲ける商売をすることに意味がある」とか次元がハッキリしていれば話は簡単なのですがこれが次元があやふやであるとこれが難しく「この車万人にとって都合の良い車に改造できる?」と車さんに頼んだとしても「万人にとって都合の良い車ってなんですいか?」と聞きなおされるのが関の山です。つまり「万人にとって都合の良い車」とか「不完全な世界」とか「自他共に不条理でない管理」とかこのような次元にすらなっていない漠然的な表現に対しては主観の満足が関の山になります、主観が「ああ~そうだまったくその通りだ」と思い込むここが限界、なので不完全な世界に意味があるないと言われてもshiftさんが納得したもの意外は難しいとなると思いますね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

んーちょっと話がややこしいですね。
私の心理は置いといて、不完全であることは事実ではないでしょうか。
それに対して意味があるかどうかは疑問であるという事でしょうか?

因果の法則を信じるなら、不完全であるという結果には、その原因があるはずです。
原因を理由と置き換えてもいいのですが、原因が何であれ不完全であるという結果を生んだのですから原因は、

不完全という結果を生み出すものでなければならない

と思うのです。
つまり、不完全であることを前提にしていると言えないでしょうか。
言いかえれば、この世界は不完全であるように作られている、と思うのですが。

お礼日時:2009/08/17 00:42

>この世界は不完全でなければ意味がない。


言いかえれば、不完全であることに意味がある。
:世界には何らかの存在価値が予め設定されている、と考えるので意味の有無が問題になります。

世界が完全であるか否かということよりも、人間というものが常に変化(意識的には進化)しようとするため、現状の世界は常に不完全であると位置づけられる、ということでしょう。

完全なものを多少手直しするという手もあるではないか、とおっしゃるかもしれませんが、それでは人間は満足しないようになっているのでしょう。
おそらく自己実現欲求との関連だろうと思いますが。
 
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

人間の特性によりこの世界が不完全に見えるというのは一理あると思います。
ただ、人間を含めた世界を考えるならやはり世界は不完全です。
なぜなら人間が不完全ですから。
ただ、世界を認識しているのは人間ですから、なぜ人間は不完全なのかと言い換えてもいいかもしれませんね。

お礼日時:2009/08/17 00:23

この世界の本質的特徴は運動しているということだと思います。



本来、この世界そのものは、完全とか不完全とかとは無縁の存在だと思います。この世界は、ただ、それ自身の特性に従って運動し、その結果刻々在るように在るというだけのことだと思います。

完全とか不完全とか言うのは、人間とか、私とかが、こうあって欲しいとか、こう在るべきだとか思う結果として生じる視点だと思います。また、その視点は、単に原則的なものとして無感覚に(あたかも自然法則のごとくに)存在するのではなく、必ず感情と情緒を伴ったものとして存在するのだと思います。

繰り返しますが、この世界そのものは完全だとか不完全だとかと言うこととは無関係な運動体です。この世界が不完全だというのは、あくまで、感情とか情緒にとってそのように感じられるということです。別な言い方をすると、完全とか不完全とかは、この世界からみると、本来価値的な側面を伴わない、AとかBとかと同じことです。この世界にとっては、完全とか不完全とかが問題なのではなく、AとかBとかが問題なのです。AとかBとかを左とか右とかと考えても良いと思います。

このように説明すると抽象的でわかりにくくなると思いますが、現実は、当然のことながら、具体的に動いています。その現実の動きの方向を決めているのがAとかBであり、それを感情や情緒の視点で捉えると、完全とか不完全とかいう表現が生まれてくるのだと思います。

だから、この世界は不完全であることに意味があるかどうかについては、むしろ、この世界には対立する要素があることに意味が在ると捕らえるべきだと思います。何故なら、対立する要素があるからこそ、この世界は運動し続けるわけですから。対立する要素がなければ、絶対静止の無があるだけですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

回答社さんにとって世界とは、物質、運動法則、時間など物理で扱う範囲でしょうか。
私の言うところの世界とは東京タワー、社会、歴史です。
人に心があることを回答者さんは信じますか?

お礼日時:2009/08/17 00:18

素人ながら考えさせて頂きます。



>この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか。

 この世界が不完全であるというのは全くその通りだと思います。不完全であることを前提に作られている、という言葉にも共感します。

 しかしこの「不完全でなければ意味がない」「不完全であることに意味がある」という言葉はなかなかくせもののようです。意味がないとはどういう事なのか。

 意味とはなんでしょうか。不完全そのものが意味なのでしょうか。不完全という意味でしょうか。なんだかそれでは面白くないような気がするのです。訳が分からないですし。
 不完全であることは、何か隠された意味を持っている、という考え方の方が面白いかなと思うのです。不完全そのものに意味があるのではなく、不完全により派生する何かが意味を持つのではないかと。

 私は不完全により派生するのは、幸福であると思います。もし世界が完全だったら、退屈で仕方ありません。問題が何もないという事がどうして幸福と言えるでしょうか。世界が不完全である事によって、さまざまな苦しみや楽しみを通じて、人生というドラマを体験するのだと思います。それが、苦しみの物語だったとしても、そういう類の映画を見ているようなものだと思うのです。「生きる事は死ぬまでの暇つぶし」でしたっけ?そんな感じではないかと思います。

 というわけで、不完全であることは、幸福を派生させるという意味があると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

不完全にしか幸福が派生しないというのは残酷ではないでしょうか。
戦争がなければ平和は無いとするなら定期的な戦争はやむをえないことになります。

お礼日時:2009/08/16 21:40

不完全を前提につくられている。

という解釈は正しいと私も思います。

ですが全てが不完全ではなく、一部に不完全性を持っているという考えです。どこかに完全なものもあります。きっと。

なので私は不完全であること。という断定ではなく、時に完全な場合もある様な、そんな曖昧さがこの世界だと思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>一部に不完全性を持っているという考えです。どこかに完全なものもあります。きっと。

きっと?
まだ見つかってないのですね。
だったら、一部に不完全ではなく、大部分は不完全ではないでしょうか。

お礼日時:2009/08/16 20:52

>善も悪も視点を変えればそれらはいつでもひっくり返ります。



 本当ですか。陰陽、正負であれば、確かにそう言うことも出来ると思うが、善悪 となると、話は別(漢字も違う、従って意味も違う。)だと思うが。

 もちろん、不完全であることに意味があると思うが、テストを受けるとき、100点を取るつもりで勉強しなければ、85点取れないかもしれない。完全を目指して、そこそこ満足いく結果を得るなら話がわかるが、最初から不完全でいいと思って生きるのも違うのではないかな。

 不完全だからこそ、完全を目指せば良いのではないか。

 少なくとも、最初から「このくらいでいいだろう」と 思うのは、個人の生き方を考えるにしても、社会のあり方を考えるにしても、つまらない。

 はっきり言って、面白い質問ではないですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

60年前、日本は鬼畜米兵でしたね。
不完全という事実に対して、心理的にどうのという事はありません。

面白い回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/16 20:49

個人的には、不完全なことに価値があると思います。



>生まれるという事は死ぬという事
もしも”死なない”世界になれば、”生まれる”ことがなくなります。
死なないのに生まれてきたら、いつか世界は崩壊してしまいますから。

また完全な世界になるということは、犯罪もない世界になるということですよね。
意識などが筒抜けで犯罪ができないのか、完全に監視されていて犯罪ができないのか。とても完全な世界とは思えません。
それとも完全な世界なら、人々は犯罪をしようという気がなくなるということでしょうか。
貧困などで死にそうになっても、店からパンを奪うよりも死んだ方がましと思うようになるのなら、それは生存本能を失ったことになります。ただ生きているだけですよね。生きたいという欲さえないのなら、他の欲などもなくなっているでしょうし。

完全な世界なら貧困などもないというのなら、どんな生活をしても生きていける世界ということになります。
最初は天国に思うかもしれませんが、それは停滞した世界です。
また、完全ということはそれ以上進化も変化もなくなるということです。ただその状態を維持することが全ての世界になるわけです。人々は何を夢見て生きて行くのでしょうか。
”維持”を”夢見る”というのならそれは無理です。人はその環境に慣れていくものですから。
もしも完全な世界だから人々がそこに喜びを感じるようになるというのなら、朝起きたらご飯と味噌汁を食べて散歩をして・・・
毎日毎日全く同じ日々を繰り返すことが人類の喜びとなってしまいます。それが完全な世界なのでしょうか。

完全な世界では人々は退化、退廃していくはずです。矛盾しているようですが、完全な世界になった瞬間から人は不完全なものになっていくでしょう。
不完全な世界では人は進化しようとします。少しでも自分やその周りをよくするために。
完全を夢見て頑張っている状態が、実は一番完全な世界ではないかなと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう

不完全な我々が完全を想像しても多分無理ですね。

完全になることが目的なら、端から完全な世界であるべきだと思うのです。

何のための完全なのかその理由が知りたいですね。

お礼日時:2009/08/16 20:40

宇宙の大元は、完全調和の世界です。

この地球は、不完全な世界です。不調和世界の代表の、脳の自我と、調和世界の代表の、大自然の心の無我が、出会うために作られた、仮の世界です。目的は、不調和を調和に変換するためです。だから仏教では、仮の世界とか、諸行無常、色即是空、虚像世界とか、相対性理論のアインシュタインは幻想世界とか、パソコンではシュミレーションの世界とういうことになります。だから不調和と調和の異なった、正反対の世界が、同時に存在します。善と悪、建設と破壊、平和と戦争、だから人生は、良い事半分、悪い事半分です。だから人の心の中も、不調和の自我と、調和の無我の、異なった世界が存在します。だから脳が思考活動してる、自我の時はストレスで、脳が休んだ、無我の時は、人と自然の情緒が交流するので、心が癒されます。日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを、目的にしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

調和させるための世界ですか。
何のための調和なのでしょうか。

お礼日時:2009/08/16 20:30

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