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いじめ先生が、生徒に言った言葉らしいですが、
「偽善者にもなれない偽善者」とはどういう意味でしょうか?
慣用句なのでしょうか?
偽善者になれないのに、偽善者というのは矛盾していませんか?
大物偽善者ではなく、小物偽善者だという意味でしょうか。
「にもなれない」は望んでもなれないことを含んでいるのでしょうか?
「中途半端な偽善者」と同義語でしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

「にも」は、非常に低い水準という認識、殆んどの場合それに対する軽視の表現です。


「Aにもなれない」と言えば、Aを軽視(または蔑視)していることになります。
「AにもなれないB」は、【軽視しているAよりもさらに劣るB】という意味になります。
「偽善者にもなれない偽善者」は、前者が【本物の偽善者】という意味だと考えるのが妥当でしょう。
「本物の偽善者」であっても軽視していることには違いないのですが、後者はそれより【さらに劣る偽善者】ということになります。
おっしゃるように「大物偽善者・小物偽善者」という区分でも似たようなものでしょう。

では、この場合の「劣・小」は何に対しての評価か、ということになります。
「偽善者」とは善を偽る者ですが、この偽り方が小さい、あるいは劣っている、という意味に捉えるのが自然でしょう。
全体としては、
『善を偽るだけでも人間として劣ることだが、それに輪をかけて偽りのテクニックまでも劣っている』
という意味になるかと思われます。

これが劣っているということは本物の偽善者よりマシなのではないか、という解釈は無理があると思います。
偽善自体に対する評価が変わるわけではないので、
技術の未熟なスリが熟練したスリよりも善人である、ということにならないのと同様です。

>「にもなれない」は望んでもなれないことを含んでいるのでしょうか?
:この場合は「望んでもなれない」ということになるでしょうが、
「にも」自体は【非常に低い水準を意図する】と考えたほうがわかりやすいような気がします。
「10歳にも満たない」などと言う場合もありますからね。

「偽善者にもなれない偽善者」のような言い回しは、使いようによっては意味がある場合もあるでしょう。
ただ、使う人間自体が未熟な場合、相手や状況を正しく判断できない為に非常に問題のある結果を招くことが少なくありません。
『言葉も使いよう』ということの重要性を良く理解する能力に欠けた先生が昨今目立つのは子供達にとって不幸なことです。
大人自体の物の考え方や対人関係のあり方に誠実さが薄れてきた反映でもあるような気もします。

いずれにしても言葉自体に問題がある場合は殆んどないのであって、
それがイジメにつながるとすれば、
それを使いこなす能力を見極めることなく先生を大量生産する仕組みにこそ人間の愚かさが現われている、と言うべきでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
すっきりしました。
二重の意味でけなしているわけですね。
中学になりたての子供には、正しく理解するのは難しいですね。

お礼日時:2006/10/20 17:45

テレビのドラマで使われたような表現、という感じですね。


テレビで刷り込まれて、それをそのまま使ったのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ドラマか、あるいは聖書か。

お礼日時:2006/10/20 17:42

こどものころ、



A「あほー」
B「あほゆうもんがあほや」

と口げんかしたことがあります。

どっちもあほでした。

C「あほー」
D「おまえこそあほや」

というのは、『目には目を歯には歯を』的なしかえしですが、それにとどまらずに、Aが自分のあほさに気付いていないということをも、Bは含めたいのでしょう。

「偽善者」ということばで人を非難するする人は、その人自身「偽善者」であるような気がします。そして、非難される側の「偽善者」は多くは自覚的で、非難する側の偽善者は、ほとんどが無自覚的なのではないでしょうか。

「偽善者にもなれない偽善者」とは、

「私は、自分の悪いところを知っており、その悪いところを出さないように、善く見せようとしていることに気づいている。これは偽善といえるかもしれないが、悪いところを出すわけにはいかないこともあるのだ。あなたは、このように自己に偽りのある私を非難して、偽りのない自分をさらけだすのが善であると考えているようだが、あなた自身、自分の悪いところをさらけだして、善人でいられるのかどうか考えてみよ。

偽りのなさでは善人といえるかもしれないが、あなたは悪いことをさらけ出す以上、悪いことをすることになるのだ。それとも、自分は全く悪いところのない完全な善人であるとでも思っているのか。ある人が、もし完全な善人であるとしたら、それは神のような人ではないか。そうすると、自分は神だというのと同じことで、それこそ、偽善ではないか。

そういうものは、自己が絶対的であるから、感情に反することであっても、善いと考える行いを自らに課すことによって、気持ちのほうも善くなるようにするということさえできないで、わがままに振舞うだろう。」というような意味ではないでしょうか。

いじめ先生と生徒のことは私は知りませんが、(というのも、私はテレビを見ないし新聞も読まないでいますから)もし、そのような関係で、ご質問にあるように「偽善者にもなれない偽善者」というのは、ふさわしくないような気がします。まず慣用句ではないでしょう。また、矛盾した表現です。生徒に理解できるでしょうか?できないでしょう。とすれば、先生は教師としてではなく、単に非難されて言い返したい気持ちと、高慢な気持ちから、そのようなことばにして、相手にぶつけてしまったのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
め、めまいが…。
(いじめで自殺した)生徒が友人の消しゴムを拾ってあげるのを見て、先生がこの言葉を発したそうです。
この言葉が生徒たちのいじめを誘発したのではという疑惑があがっています。
先生はその生徒の性が悪であると確信していたのでしょう。
でもその場合でも、「お前は偽善者だ」とだけいうはずです。
へんてこな表現をしたのは、一種のユーモアだったのかもしれません。

お礼日時:2006/10/20 13:16

偽善とは「うわべを飾って心や行いが正しいようにみせかけること」(新明解国語辞典より)



うわべを飾って、正しい行いをしているように見せようとはしているんだが、実は見えない未熟な奴
「偽善者」を気取っているが、「偽善」だってことがバレバレなんだとか、そういうことなんでしょうかね。

ものすごく難しいですよね。

どっちにしろ「偽善」だろうが、結局、「いいことをしている」ならいいじゃないかと思いませんか?
誰にも迷惑かけてないのなら。

先生が「人間の皮をかぶった悪魔」って感じなのに、笑いますよね。

この先生、ちょっと「オタク」(死語ですかね)入ってるんじゃないかなあ。
おそらく、まあ、見ているアニメや、小説、コミックスなどにあったんじゃないかしらと、あくまでも「推測」しますね。
誤解されませんように。

意味不明ですもの。

実はわたしも「????なんのこっちゃ」と思って、だいぶ考えましたので。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ネットで検索すると「偽善者にもなれない、ニセ偽善者」
という表現がありました。
ニセを省略したのかもしれませんね。
この先生は、国語が専門なのでレトリックが得意なのでしょう。
発端は、友達の消しゴムを拾ってあげただけなのですが、
「親切ごころがアダ」となりました。

お礼日時:2006/10/20 10:06

多分、ニュアンスとしては


「偽善者は善人ぶって人をたぶらかすが、お前はたぶらかすほどの技量もない、偽善者の中でも落ちこぼれな偽善者なんだよ」
という感じかなと・・・(わからんけど)

まあつまり、暴言ですな。

言葉としては成り立ってないですが、生徒を平気でいじめるような教師ですから、頭もどっかおかしいんでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
1.善人>偽善者>おちこぼれ偽善者
2.善人>おちこぼれ偽善者>偽善者
いい人順でいくと、どっちなんでしょうかね。

お礼日時:2006/10/20 10:10

>慣用句なのでしょうか?



慣用句じゃない。聞いたこともない。
ニュースなどでの印象では~その先生と生徒の中でのやり取りで出てきた言葉のようです。前後にどういうやり取りがあったのかが判らないと、この言葉の意味は他人には意味不明です。前後のやり取りがあったとしても「正常な普通の会話として成り立っていない」状況のような気がしますが…
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/10/20 10:06

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