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この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか。

善も悪も視点を変えればそれらはいつでもひっくり返ります。
正負は常に抱き合わせで存在しています。
あちらを立てればこちらが立ちません。
生まれるという事は死ぬという事です。

人や社会を良くしようとする試みはもちろん良く分かるのですが、
ただ、この世界は不完全であることを前提に作られているように思われるのです。
そうでなければ今頃は理想的社会及び人間が誕生していてもおかしくはないのではないでしょうか。

この世界が不完全であるという事は、
この世界は不完全でなければ意味がない。
言いかえれば、不完全であることに意味がある。

という事になりませんか?

A 回答 (51件中31~40件)

 はい、思いて学ばざれば即ち危うし、学びて思わざれば即ち暗し



「神との対話」が強烈な、その後の体験と、よりいっそうの思考を促す結果ともなります。

 もちろん、対話をしたところで、答え をそのまま得られるものではありません。解らないところは解らないし、共感する部分は共感するだけです。

 ニール・ドナルド・ウォルシュの神が完全だとは思いません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

神様に会ったらよろしく言っておいてください。

お礼日時:2009/08/18 19:28

No.12です。



では角度を変えて、回答します。
根本的に、完全であるか不完全であるかは、定かではない。
それは、あくまでも人間の頭の中にある理屈でしかなく、実際のところは定かでないからです。
そう言う意味においても、人間が考える完全が完全であるかどうかも定かではない訳で、不完全であるかどうかも分からない訳です。

こうして考えると、完全・不完全は、人間の概念でしかなく、その意味も価値も人間の概念の中でしか存在しない事になる訳です。
そして、こうした概念や人格は、人体の経験や知識、性質の積みかねによって形成されたものなので、全く同じものは存在しない事になります。

なので、考え方によっては、「不完全であることに意味がある。」必要はないと言う考え方も出来る訳です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>それは、あくまでも人間の頭の中にある理屈でしかなく、実際のところは定かでないからです。

それだけで十分ではないでしょうか。
私たちの概念も世界の一部と私は思います。
世界の一部である我々が実際に不完全であると感じているのであれば完全とは言えないのではないでしょうか。
世界とは私たちの外にあるだけのものではないと私は考えます。

お礼日時:2009/08/18 00:42

 言っている意味は解りますが


>ある視点で見ると正しいく、ある視点で見ると正しくないという事です。

 善悪、正しいかどうかで判断しようとした場合、どちらでもなかった時、当然のごとく 解らない と言う事になりますね。何がどうなっていたのか、どのようなことだったのか を理解すれば良いだけの話です。

 しかし、そうだとすれば、「お前は悪だった」あるいは「お前は間違っていた」と他者が言うなら、バランスをとるためにも、弁明、弁解しなければなりません。日本人は、言い訳を嫌う、特に軍人などはプライドが高かったから、「無駄なこと」を喋るのを嫌ったのだが、もっと主張するべきだったのです。自分のプライドだけを考えないで、第三者に理解してもらう努力をもっとするべきだったのです。潔いと言えば、そうなのかもしれませんが。

>つまり善悪どちらの側面も持っているという事です。

 はい、そうであるとすれば 極東軍事裁判(の結果) は間違っていたと言う事になりますね。

>人間の歴史はずっとこの繰り返しだったのではないですか。

 そうですか、人間の生き方、物的、精神的豊かさは昔と変わらないと。逆に私などは、「なんとかここまでこぎつけた」と思うのですが。

 そうですか、それなら尚更、極東軍事裁判をこのまま ほっとくのもどうかと。

>私は神様ではないですが

 「神との対話」をすれば、少しは神に近づけるかと。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>何がどうなっていたのか、どのようなことだったのか を理解すれば良いだけの話です。

その通りだと思います。

神様から回答をいただこうとは思いません。
考えることが好きですから。

お礼日時:2009/08/18 00:24

その通りですよwww


これは自作です。良かったら読んでみて下さい。
               二話
 亜衣姫と羅夢王は、自分の家に帰って来た。
 半円形の透明なガラスのような樹脂で覆われている。遠くには、摩天楼のビル群が立ち並んでいた。
 今は西暦三千年代中期の四月である。亜衣姫は、羅夢王と桜を見に行くことにしていた。
ああ、何ていう美しい桜ふぶきなのだろうか、二人は反重力推進装置を作動させながら、一キロにも及ぶ、沿道の桜並木の、桜ふぶきの中を飛んだ。
 淡いピンク色の花びらと、やや白い花びらが交錯していて、おりからの風に舞い上がっている。亜衣姫も、長いしなやかな髪をなびかせ、羅夢王と桜の花びらの中を舞った。
 羅夢王は、「亜衣ちゃんは、まるで天女のようだなあ」と思った。
 亜衣姫は、「らむちゃん、また城跡に行ってみようよ」と言った。
 それで湿原まで飛んで行った。その道すがら、森の大木の間に、二十一世紀に作られたビル群が蔦に絡まれ、見え隠れしていた。その森の中には、万作や木五倍子が薄緑の花を咲かせていた。また、湿原の水車小屋の辺りには、紫色の片栗、水仙の花々、フキノトウ、水芭蕉の花が咲いていた。城跡に降りると、キエビエの黄色い花が、木立の中を照らして咲いていた。
 「地球は強いなあ、あんな大戦があったのに、こんなに花が咲いて」と羅夢王が言った。
 「二十一世紀の後半でしょう。あの第三次世界大戦は」と亜衣姫も言った。
 「うん。やっぱり地球は愛で持っているんだなあ、人も宇宙も」と羅夢王は言った。
 「宇宙も地球も愛ってこと」
 「そう。純粋な愛の意識で出来ているってこと」
 「純粋な愛」
 「うん。至高な愛の意識というか、それは無償の愛の姿そのものであるってことなんだ」
 「見返りを求めない」
 「いや、違う。ちゃんと宇宙の意識は見返りを求めている」
 「なんで」
 「だって僕達は何も知らないじゃないか、始めから不完全な人間を創っている」
 「それで」
 「見返りを求めないのなら、始めから完全な人間を創っている、そうだろう」
 「でも、不完全な人間のままでも好いんじゃない」
 「それじゃあ、宇宙の創造主は、無限の愛のお方ではない。文明も進歩しないし、宇宙も人間も進化しない、でも確実に、この宇宙も人類も進歩している」
 「うーん」
 「この世に完全なものはない。だからこそ敢えて、僕達に無限の進化が残されている。そうは思わない。始めから完全な人間を創ったら、この地球もいらない。僕達もいらない。そして、この宇宙もいらない。始めから創らなくっても良かったんだ。でもそうすると、それは愛ではない。創造主のお心とは違う。だから、僕達に未熟さを持たせ、更に高みへと、至高な愛の道のりを、永遠に残された、正に宇宙の創造主様はお見事に、僕達の魂が、無限に進化するように創られておられる。亜衣ちゃん、そうは思わない」
 「すごいわ、らむちゃん。それこそ無限の叡智ね」
 「これから話すことは、二十一世紀の人が聞いたら笑うだろうな」
 「どうして」
 「偉い脳の生理学者が、肉体の生存の不安からくる、脳内で創る幻想だとか言ってさ」
 「私には、らむちゃんの言いたいことが分かるよっ」
 「うん、それは生まれ変りのことだよね。これは秘中の秘だったんだぞ。仏陀以外は、どの神様も、敢えてこのことには触れられてこなかった。それは知る必要がなかったからなんだ。人は知らないでいた方がいい場合もあるんだ」
 「どうして」
 「科学が進歩しないからなんだ。お医者さんとか物理学の先生とか。それはそうだよね、お医者さんが、死んで生まれ変れ、なんて言えないものな。当分は知らない方がいいんだ。本当は、人は幾度と無く生まれ変って、不得意な部分を直しに来るんだけど」
 「ええ。そのことは知っているわ」
 「亜衣ちゃん、僕も生意気なことを言ったかな。実は、人は読みかけの本を読みに生まれて来ているんだ。そしてそのページこそが、その人の今の悟りの境地なんだよ」と羅夢王は言い、水仙の花をいちりん渡した。

ああーあ、書いてしまった…ごめんなさい!!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

一つ質問してもいいですか。

人も社会も科学も、なんで進化する必要があるのでしょうか。

お礼日時:2009/08/17 23:39

善とは何か、正義とは何か、という問題になっていそうですね。


この点に関しては、他者をどこまで自分に引きつけて、つまり想像力を働かせて、我と我が生き様を構築していけるか、という辺りを考えていますけどね。

ほんの半世紀前までは似たような、あるいはもっと酷いことをやっていたにも拘わらず、一点の曇りもないかのようなツラッとした顔して北朝鮮なんかを非難している日本人であるような我々にとって道は遠いのかもしれません。

参考 URL からですが、
>すると、記憶を参照しなければ永遠に連続した現在が続くということになりますか。
:とおっしゃるのはその通りと思いますが、これは熊や兎やライオンなどと同じになるということですが、その通りと思います。
意図していることがもうひとつよく見えて来ないような気もするんですけどね。
衣を取り払って具体的に提示していただくほうが、この混迷の世の中、何かと有意義な論議になるような気もしますね。
あ、また要らんことを・・・。
悪い癖です。 
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

戦争というやつは私にはよくわからないです。
先日テレビで戦前の日本人は徳を心得ていた、今の日本人は恥を知らないと言っていた人がいましたが、
そんなに立派な日本人がなぜ戦争をしたんだとテレビに一人突っ込んでおりました。
そこでも思いました、あちらを立てればこちらが立たずだなと。

参考URLは参考ですので深く考えないでください。

お礼日時:2009/08/17 23:31

No.15です。


完全さは「~してくれた、してくれている」そして「お任せします」と
いう心象を現して至ることで、不完全は「~してくれなかった、してく
れないから」「人任せにしない、出来ないけれど」という事情もある社
会で、単独の世界では価値を表明してくれる人間が生じてない(人と人
の間が人間というものだから)それが不完全さだろうと思いました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

??ちょっと分からないです??

お礼日時:2009/08/17 23:14

>この世界は不完全であることを前提に作られている


この世界は不完全でなければ意味がないのではないでしょうか

この世界を「3次元物質世界」として、人間の生活も物質を基盤にして
いるので不完全や不平等があって、発情しない男女の恋愛も不完全とい
えるし、子を産んでも子育てしない親や社会も不完全であるので不満、
不安となる意味が後からですが、付きまといます。善いとされること、
順風な時に意味は必要にされないから。

物質以上の現実的な世界があるかどうか?ですね。
いくら光を感じようと物質がないと見えてこないもので、見えなくても
いいもの、「大切なものは目に見えない」愛は盲目といいますが、次元
に愛という構築要素を入れて愛の流れに乗るしかないでしょう(言い切
ってる自分で意味わかりませんが)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

現実とは何かと考えると、
目に見えるのは物質とそれに伴う運動法則位かと思います。
ただ物質と運動法則だけが現実なのかといえばそうではなく、
我々が一般に言う現実とは人間社会のごたごたを指していますね。
私たちが問題にしているのはスイヘーリーベーではなく、人の生きる社会です。これは物質以上の現実ではないでしょうか。

愛については分かりません。
愛を構成要素に出来るのかも私には分かりません。

お礼日時:2009/08/17 23:10

>その程度の善悪の意識しかなかったのでしょう当時の日本人は。



 スローガンと、実際に戦争に動いていった歴史的背景及び心理的背景とはまったく別だと思われますが。

>そのために自国民を三百万人も死なせる結果になったのです。

 では、日本がそのとき世界に対して動いたことで、どれだけの植民地が解放され、どれだけの人々を結果として救ったのか。

 三百万人死なせた結果、「もし」その後の何億もの魂を救ったのだとすれば、正義が行われたことになる。それは善と言えるのでは?

 今の人間が、当時の人間よりも善悪に対してシビアに生きているのだろうか?未だ、善悪の定義もままならない者が、善悪を語れるものだろうか。

 質問者は 「東京裁判」についてよく調べたほうがよさそうですね。

 結論として、No.7さんが一番良く本質を言い当てていると思う。

 完全 とか、不完全 とかいう言葉が、不適切であると言うことです。

 この世界の本質は変化、創造にあるでしょう。完成していて、動かなければ、創造が出来ない。

>その程度のものです、善悪とは。

 善悪という言葉を使うから、「その程度」になってしまうのです。

 なるほど、確かに 悪 と言うものがあったとして、それが社会が善に転じるきっかけ、皆が善に気づくきっかけになるかもしれないから、反面教師として、必要悪として、善である、必要であると言えるかもしれない、しかし、それは当事者がその場で、自分で言う言葉ではないのです。

 不完全でいい という言葉も、やる前から、自分で言う言葉ではないのです。テストで良い点が取れなくてもいい というのは、実際に結果が出てから言う言葉であって、勉強する前から言う言葉ではないのです。

 「悪であることに意味がある」と言うなら、確かにそうですね、しかしそれは、悪を表現している人間が自分で言う言葉ではないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>スローガンと、実際に戦争に動いていった歴史的背景及び心理的背景とはまったく別だと思われますが。

そうですね、これは言いすぎましたね。

私の言わんとすることはあの戦争は正しかったのかではなく、
ある視点で見ると正しいく、ある視点で見ると正しくないという事です。
日本人は日本人の正義で、アメリカ人はアメリカ人の正義で戦っているのですから。
日本から見ればアメリカが悪、アメリカから見れば日本が悪ではないでしょうか。
300万人の犠牲が善であるとは思う人もいれば、ばかげていると思う人もいる、とは思わないでしょうか。
つまり善悪どちらの側面も持っているという事です。
ご理解いただけるでしょうか。

>今の人間が、当時の人間よりも善悪に対してシビアに生きているのだろうか?未だ、善悪の定義もままならない者が、善悪を語れるものだろうか。

人間の歴史はずっとこの繰り返しだったのではないですか。
絶対善、絶対悪があると信じてきた結果だと思います。

事実としてのそれしか私は見ていないつもりです。
善と何か悪とは何か、不完全であるという事実は何を意味しているのかと問うているのであって、不完全だから努力なんて無駄であると言っているわけではないのです。
私は神様ではないですが、問うという事に資格や立場は関係ないと思いますよ。

お礼日時:2009/08/17 11:48

こんにちは



質問者さんの文の「不完全」の後に「と感じること」を付け加えて読んで見てください。

不完全だと思う理由は、負を感じているからですよね!

でも「善も悪も視点を変えれば・・・」とか「正負は常に抱き合わで・・・」など

相対的にしか人は物事を見れない事は分かっていらっしゃる。

極論ですが 原爆に対する日米の感覚の違いとかですね!
(後 鞭で打たれる人が、Mの人とそうじゃない人の場合とか・・・)

長くなるので結論を言うと

「不完全(相対的)を感じられる完全(絶対)な世界だ」という事です。

これは「神との対話」という本の受け売りなのですが、神様どうのこうのというより、有る哲学者の話として読めば面白いと思います。

質問者さんの疑問が明確になると思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「不完全(相対的)を感じられる完全(絶対)な世界だ」という事です。

なるほど、うまいことをおっしゃる。

「神との対話」機会があれば読んでみたいと思います。

お礼日時:2009/08/17 01:43

不完全でなければ意味がないと言うのであるならば、ある意味、不完全で在る事が完全と言う事になる。


なのでこの場合は、不完全である事に意味があると解釈した方がいいのでは?

考え方によるけど、世界が完成するまでの過程で今の世界があるなら、不完全な世界で在っても、意味は完成するまでの過程と言う事になると思います。
分かり難い説明ですいません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>不完全である事に意味があると解釈した方がいいのでは?

はい、質問の中でそう主張しています。

私はこの世界は完成しないと思っています。

なぜなら、不完全であることに意味があると思われるからです。

そういう意味で回答者さんのおっしゃるように不完全であることが完全なのかもしれません。

お礼日時:2009/08/17 01:26

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