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高校時代の友人NMについてです。
NMはものすごい負けず嫌いなのか、ある人の長所について自分が勝てないと思った点に対しては、それより優れた例を引き合いに出し相手の自尊心に水を差そうとするのです。

私は生まれつき目が大きく、「かわいい系の顔」だといわれます。
特によく目をほめられます。
それを知った友人NMは、「仲間由紀江って目が大きくてかわいいよね。」とか「××さんってかわいいよね」などと、私よりも明らかに綺麗な人を会話の中でしつこく引き合いに出し始めました。会話には何の脈絡もなくそういう発言が出てくるので、「なんでこの人急にこんなこと言いだすんだろう」と不思議に思っていましたが、多分私が容姿の点でいい気になっていると勘違いして、それより上レベルの容姿を引き合いに出して、そっちに注意を向けさせ自分と比べさせてへこませたくなったのでしょう。脈絡無視して言い出すあたり、明らかに私への当てつけです。
何かにつけ、こうなのです。運動が得意な友人EAに大しては、プロスポーツ選手を引き合いに出し、それとなく比べさせるように仕向けてその友人に自信をなくさせへこませようとします。「もっとすごいやつがいて、お前なんか大したことないんだ。いい気になるな」と言わんばかりです。
ちなみにこの友人NMは学芸運があり、勉強はとてもできます。持前の負けず嫌いさで、テスト前には「みんみん打破」を飲みいつも徹夜でガリ勉強して、学年で四位とかとってます。(体壊してますが)
このようにNMは負けず嫌いさのおかげで勉強はできますが、運動神経はさっぱり、容姿は最低ランクです。こればかりは負けず嫌いでも努力のしようがないので、運動できる友人の前ではプロスポーツ選手の名前を挙げ、容姿がいい私の前では女優の容姿を引き合いに出します。
なぜこういうことをするのかというと友人NM自身競争心が異常に強く、いつも周りと自分とを比べているためです。誰かを「すごい」と引き合いに出せば、他の人も自分と同じように「比較して悔しがるだろう」と推測しているからです。何かの分野で得意になっている人の前では、それより凄い人を出せば、その人も自分と同じように、自分と引き合いに出された人とを比べて悔しい思いをして不愉快になるだろうと推測しているからこそこういう戦法を取るのです。周りの人間はみな自分と同じように競争心が強い人間だと思ってるみたいです。
その証拠に、私が何気なく「■さんって、いつもテストで学年トップですごいよね。」と何気なく言うと、友人NMは、(唯一の自分の特技であるお勉強にたいしての面目を潰され悔しかったのか)激怒してきました。でもこれ、よく考えてください。私はいつも友人NMがしていることを同じようにしただけです。友人NMがしているように、「その人の得意分野で、もっとすごいやつを引き合いに出してみた」だけなのですよ。
私の読み通り、NMは、いつも自分が悪意をもって相手をへこませるために行っている戦法をそのまま返されて激怒してきましたね。
細かい事例ならたくさんあります。私が漫画家になりたいみたいなこといって、ちょっと絵を描いて周りからウケたら、次の日から自分もめちゃくちゃな絵描きだし、しかもそれを英語の小テストの隅にわざとらしく書き、教師のウケを狙う始末です。
体育の時間にも運悪くその友人NMと二人でいるときに、私がクラスメートから腰が細いといわれてしまい、それがちょっと肥満体のNMには悔しかったのか、猛烈なダイエットを始め、(しかも大学受験まじかなのに)一ヶ月後には骨と皮ばかりになって登校してきました。
人と比べることを知らない私にとっては、「より凄い人を引き合いにだし、相手の自尊心を打ち砕こう」とする友人NMの戦法は効きようがないのですが、生憎友人NMは自分と同じように他人もみんな、競争して生きてると思っているみたいで、この戦法は効果テキメンだとばかりにあらゆる人に対して繰り返しております。
私のこの推測を裏付けるかのような発言もNMはしていました。「他人を攻撃するのは無意味、それとなく相手を自滅させるのが賢い」と。
要するに、すごいやつを引き合いに出し、比べさせ、自滅させる、ということでしょうね。
他の人の活躍を応援するどころか足を引っ張ろうとする最低な友人です。
この戦法のもう一つの狙いは周囲の人に「なんだ、あんなすごいのに比べたらこいつなんか大したことないじゃん」とおもわせたいのだと思います。いつもちやほやされるのはNMでなければならず近しい人間がちやほやされているのがいやでならない。その証拠に、このNMはあえて英数クラスではなく普通クラスにとどまり、そこで一番をキープするようにしていました。下手に英数クラスに行けば自分よりもすごいやつがいてちやほやされているのを見ないといけないからでしょう。
どう思います?

A 回答 (2件)

自分と同学年の人で、何かに秀でた人がいて、その人が褒めらた時、正直僕もコンプレックスを感じることがあります。

それは、人間の自尊心を考えると当然のことなのではないでしょうか?

具体的には、自分は中学・高校時代部活をやらずに勉強をして、成績は良かったのですが、親から、「A君は勉強も部活もやって、ピアノもできてほんとすごいわね」などとよくいやみを言われ、いらついた経験があります。そうした時僕も、「だから何?それが何のやくにたつの?」と反発していました。

NMさんの場合、明らかに空気が読めていず、社会生活を営む人間としてどうなのかと思いますが、心の底から、他人の、しかも、自分と同じよな環境にいる人の幸せを喜べる人ってなかなかいないのではないでしょうか?(家族・親友を除いて)まあ、彼女の、わざと低いクラスにとどまり、というところには賛同できませんが。(向上心が無い。)

あと思ったのですが、質問者さんがその友人と、いやといいつつ付き合っていたのは、容姿に関し優越感を感じられたからではないでしょうか?(所詮そのNMの手口ではNMと友人の間に現実にある差は変えられないわけですから。)

あまり、要求されている回答ではないかもしれませんが、こういう意見もあるということで・・・。(多分質問者さんは自分の意見に同意してもらいたいのですよね?文面から察するに。)
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>どう思います?



(回答1)

「(貴方が)友人について話したかったのだな」と思います。

「高校時代の友人」の話をしたのには、何か理由があるはずです。
一般に「話すことは最も簡単なストレス解消法」と言われています。


(回答2)

「楽しそうだな」と思います。

その友人の性質のおかげで、今回の質問文が生じたわけです。
しかし、「ここを今すぐどうにかしたい」とは書かれていない。
それなりに、友人との思い出を回想し楽しんでいるようにもとれます。

「心理戦の応酬」のようなコミュニケーションをたくさんすると、
そのことにより、「相手がどう考えているのか」を推し量るのに必要な
「心の理論」のセンスが研ぎ澄まされてきます。
質問文に書かれていることも、その成果の一部なのではないでしょうか?
仮に、他人との関わりが一切無かったら、
人の心の発達に必要なさまざまなやり取りを行うことができないのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE% …
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