

中学生で地獄変を読み、よく判らないまま、凄まじい衝動を感じました。
数年後に性行為を体験し、当時の衝動の意味が理解出来ました。
ちなみに、私は女性です。(恥!)
でも、作品中、何処にも性的な場面はありませんよねえ。。。
一カ所、殿がちょっかい出しているのを、暗に描いてはいますが。
エロティックだと思う方、はその理由、
思われない方、もそうは思わない旨、回答頂けないでしょうか?
やっぱり、性行為って、軽く「生と死の狭間の体験」なのかなあ、
それが、燃え盛る牛車(と良秀の娘)と重なるのかなあ、と考えております。
よろしくお願いします。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
問題を整理しましょう。
どこに視点、重点を置いているか、そこに錯覚があるように思われます。作品全体に置くのか(きわめて良識的)、良秀の心情にそのものに思いを致すのか。質問者の文章を拝見して、作品より、絵師・良秀に力点があると思われたので、サドを持ち出したのです。私は前回の投稿で「ある事件」と書きましたが、常識ということを基準にすれば、まさしくおぞましい事件ではありました。ところが、仮にXさんとしましょう。そのXさんがおぞましい行為の途中に「射精」したと言われています。
事件は作品、Xさんの心情はまた別。お名前は忘れましたが、質問者が「エロチック」といったのは、まさしくXさんそのものに言い及びたかったんだ、と私は理解しています。教条主義は、死すべし!
magura様、再びの回答ありがとうございます。
>どこに視点、重点を置いているか、
簡潔に重要な点を付いてくださり、ハッと致しました。
>作品全体に置くのか(きわめて良識的)、
>良秀の心情にそのものに思いを致すのか。
此処に第三の視点。。。「読み手の(勝手な?)感性で物語を書き換える」と言うのはダメでしょうか。(苦笑
私が「エロティック」と感じた視点は、良秀の視点と同じではないと思います。
良秀は牛車と娘の炎上で恍惚としましたが、それは決して「射精に繋がって行く恍惚」では無いと感じるからです。
我が子の身体に性を感じる事は有っても(親の性的虐待?)、
我が子の悶死に性的な美を感じ取る人間って、、、居るのでしょうか。
(でも、こう思うのは私が「凡人の母親」だからかも知れませんね。。。
「我が子」を越えて「美」を感じ取る事こそが、「芸術至上主義」なのかも知れませんし。。。)
こんな私の考えから、
エロスを受け止めた私の視点は、良秀の視点に一番近くはあるけれども、決して重なっている物では無い、と思います。
言うなれば、「良秀の肩越しに見ている」と言うような。。。
視点の分類?としては、
1)作品全体に 。。。「芸術至上主義」と言う解釈。
2)良秀の視点 。。。「美(の毒性)」の追究?
3)良秀の肩越しに 。。。エロティックだ。
4)その他諸々
となるかしら。。。と思います。
いかがでしょうか。。。?

No.14
- 回答日時:
こんばんは。
大変ていねいな「美」に関する考察、本当に参考になりました。ご教授心より感謝申し上げます^^
>「己の探究心の対象」には、誰しもが共感/一体感を憶えます。
>その現象?心理変化?を「美」とするのが、一番幅広く多種多様な美意識を網羅する考え方かな?と考えてみました。いかがでしょうか。。。?
はい、いかにもyukkinnちゃんらしい理想を求めてやまない「美」ですね。 とても感じ入りましたよ。
稚拙で恐縮ですが、ましゅまろの「美」は「はっ!と息を飲む」感じ。
稲妻に身体を打たれて、ただ茫然と立ち尽くす、とでも言いましょうか。
言葉で形容できません、駄目駄目ですね~(笑)
>「醜の美」。。。こちらも「美」と言うものの成り立ちや原理?に意識を向けたい/向けさせようと言う意図があるのかも知れません。
う~ん、そうなのですね。
私は良秀の「信念、信条」に近いのかなと思いました。
もしくは作家芥川が、良秀の偏屈さ、天才ぶりを誇張するために「醜の美」と表現しただけだったりして。 全くわかりません。
>psには思わず笑ってしまいました。汗
>「摩擦」とは、、、何とも現実味ある。。。。爆
それは彫刻かついで帰国なさった誰かさんがご教授下さった「巨人」に関する以下の解説書がもとです。
全く、氷山の一角のさらに一角といった引用の仕方で申し訳ありません。
「…私はバシュラールが精神分析という言葉を使うとき、それが必ずしもフロイト的意味を持つとはいえないと述べておいた。だが『火の精神分析』に関する限り、バシュラールはできるだけ元の意味に近い意味をその言葉に持たせようと配慮しているように思える。だから火を精神分析するときにも、性愛を最も重視していたフロイトの理論を十分念頭におきながら、火をめぐる性的ニュアンスの多寡をさまざまな神話に探っている。
神話学者フレイザーの、火の起源に関する合理的解釈に反論しながら、火おこしにおける摩擦と性愛とが持つ類似性に注目する。火をおこすにも女性を愛するにも、人は摩擦を用いる。バシュラールは起源神話が隠し持つ性的含蓄を捨象しては神話を成り立たせていた真の原因を観そこなうと繰り返し指摘する。…」(バシュラール 科学と詩 金森修)
読むほどに、この巨人を理解する前にいかに自分が何も知らず理解していないかが痛感させられます。そしてユニークすぎて突きぬけている。
一生かかってもましゅまろなどには全然「手には負えない」のは言わずもがな。
それでも、確固たる深い教養の下に縦横無尽に思索をめぐらす自由闊達さやあたたかみが不思議と伝わってくる気がするのです。
何なのでしょう、フランスの土壌の底知れぬ懐の深さなのでしょうか。
というか、この世はますますわからないことばかり、だから面白いのかも?
今回も何ら脈略もない回答ばかりで恐縮ですが、私はあなたが希求するものとは別に、バシュラールのようにとまでは申しませんが、ご自身の豊かな想像力をも、どこかもっと遠くへ自由に羽ばたかせてあげて欲しいと願っております。
最後に…「間」の質問に関する私の拙文は他の方々の良回答を頂くためのただの巻き餌に過ぎないので、既に役目を果たし終えることができました。
お礼の代わりに一言「お帰りなさい」と添えていただけたら、十分です^^
丁寧に回答くださり、私の赤っ恥な疑問の手助けをありがとうございます。
パシュラール「火の精神分析」。。。
何とも興味をそそられる本ですね。
読みたい本リストが膨らみ続けています。^^
>確固たる深い教養の下に縦横無尽に思索をめぐらす自由闊達さやあたたかみ
深い深い教養、と言うものは、やはり人間や世界に対する「暖かな心」が支えているのでは?と、私はどうしても思いたくてなりません。
希望や親しみ、明るさと言ったあたりの「心」こそが、地の果てを越えて「智の果て」に挑む事を可能にしているのではなかろうか?と^^
本当にありがとうございました!
No.13
- 回答日時:
こんばんは。
ご丁寧なお礼をいただき、恐縮しております。
>今回の質疑では、kadowaki様にはお詫び申し上げねばなりません。
いいえ、むしろ私の方こそ、yukkinn66さんが『地獄変』でフォーカスなさった問題点にはきちんと回答しないまま、自分の興味・関心の赴くまま恣意的な回答をしてしまったような気がします。
まあ、今に始まったことではありませんが。
>毎度性的視点に舞い戻る。。。汗
いや、これはむしろわが意を得たりといったところですので、どうぞお気遣いなさらないでください。
もっとも、屁理屈で終始する私のエロ談義には全く潤いがないのかもしれませんが。
>まさに「命の視点」の高潔さ。。。
>私も我が身内に培って行きたいものです。。。
はい、原始時代の神との対話にせよ、現代のどんなにデフォルメされた芸術にせよ、そこに存在意義なり価値なりがあるとすれば、やはり人間が生きていくための必要性から発し、そこに還元され得る何かを秘めているからとしか説明しようがないような気がします。
>一つの素材をそれだけ取り出して、勝手気ままに料理しているようなものです。
>付け合わせ/盛り合わせ等、丸っきり無視して。。。苦笑
考えてみれば、われわれが小説を読んでいる時間というものもずいぶんと深い謎に満ちたものでして、前のページの残像の上に新たなイメージを重ねるということを続けながら、一篇を読み終えた時点で自分の脳裡に宿っているものの正体とは一体何であろうか?と問われても、私には容易に答えることができないような気がしてなりません。
そうそう、芸術至上主義について、例の高名な批評家が、どこかで、「人生のための芸術か? はたまた、芸術のための人生か?などと議論しても意味がない、芸術家にとって良い作品を制作すること以外の人生なんてあり得ないから」という趣旨のことを書いていたのを思い出しました。
なるほど、一口で人生と言ったところで、実際には、人間一人一人に取り憑いた何らかの観念、信念、思い込み等々の犠牲になって生きること以外の何ものでもないですからね。
一方、他人(他者)と交わった瞬間、幸か不幸か、こうした自分一人で後生大事に抱え込んできた思い込みが、見事なまでに木っ端微塵に破砕されてしまうような気がします。
エロティシズムは、こういう個人の生と死との境界線上に実現するのではないでしょうか。
すっかり遅くなってしまいました、、、、
何度もしつこくへりくつをこね回す質問者に、丁寧にひとつずつ対応してくださった事、本当にありがとうございます。
この地獄変に限らず、どんな小説、芸術作品から日常の小さな心の揺れに至る迄、
何かを問い直す、と言う理屈活動?をする時は、理屈の側に手玉に取られる事の無いよう、
>人間が生きていくための必要性
と言う原始の視点を忘れずに考えていきたいと強く思います。^^
>エロティシズムは、こういう個人の生と死との境界線上に実現するのではないでしょうか。
「個人ひとりのもの」ではないのですね。
「誰か」との狭間に浮かび上がって来るもの、なのですね。。。
余談ですが、
今日やっと図書館から岸田秀の「ものぐさ精神分析」を取り寄せて読み始めた所です。
(あ、、、三島の禁色は、読み終わる前に期限切れになってしまいまして、
一旦返却、休止中となっております。
その所為もあり「あちらの」質問が途切れており、申し訳なく思っております)
女故、の体調不良で恨みがましい気分の時に、男だ女だ、と言う本は嘆きに拍車をかけている気もしますが。。。苦笑
いつかのポルノの質問にも通じるものですし、何よりもその時に教えて頂いた本ですので、しっかり読んでみたいものです。
出来るだけ朗らかに読もうとも思います。^^
お世話になりました、
ありがとうございました!

No.12
- 回答日時:
こんにちは。
このたびは芸術至上主義についてのご見解をありがとうございました。
大変勉強になりました^^でも、まだ払拭できなくて。
誰かさんのこだわり性な気質がうつったのでしょうか?(笑)
>完全なる自己満足として独房の中でその絵画の完成形を隠し保持。。。(1)
フランスのショーヴェ洞窟をご存じかと思います。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Grotte_Chauvet
身近にあった炭、鉱物を砕いた顔料などを用いて、日常の営みの中で描かれたであろう壁画。
自然で力強い原始的な芸術の例です。
当時の呪術性と写実性の飽くなき野心、探究心の熱意がこちらにまで伝わってくるかのようです。
でもそもそも、この壁画に「美」の概念は、込められていたのでしょうか。
>「世に認められたい」「我が名を轟かせたい」「大殿以下に我が実力を認められたい」と痛切に願う我欲。。。(2)
>これは「良秀の気高さ/自己満足」の面に向けられた解釈であって、「彼の我欲」は(この解釈に限り)花を添える要素に過ぎない?
>己の欲する「美」を具象化する事に掛けては妥協せず
なるほど、そうですね。
やはり…ここでは良秀の誇張された我欲はこの物語の展開に花を添える役割として捉えたほうが相応しいでしょうか。
>自身にも甘んずるは無い
>これは一つの「気高さ」だと思います。
具象化する事に妥協も甘えも許さない良秀の「美」とは。
吉祥天を描くときは、卑しい傀儡の顔を写したり、当時自分程の偉い人間はないと思っていた程の男の具象化する「美」。
そして、大殿の「その方はとかく醜い物が好きと見える」に対し「さようでございまする。かいなでの絵師には総じて醜い物の美しさなどと申す事はわかろうはずがございませぬ」と横柄に答えていた「美」。
当時は仏教の末法思想の蔓延する時代であり、極楽浄土を求めてやまない風潮でした。
それらの美の価値観とは酷くかけ離れた極めて独善的な「美」だったことでしょう。
「醜の美」とまで言っていますね。凄いなあ。
まるで現代芸術を先取りしているかのように思えてきます。
作家芥川は「醜の美」を単なる言い回しとして用いたのか、それとも何か暗喩していたのか…う~ん。
yukkinnちゃんは、そもそも、芸術に「美」は少なからず寄り添うものだとお考えでしょうか。
極端な例ですが、現代美術のコンセプチュアル・アートのような「制作より概念ありき」の場合、今までの既存の価値観のような「美」は必ずしも付随しないように思えます。
ともすると、先の洞窟の壁画や良秀の抱いた写実に賭ける熱情の類など、無意味になり下がるかも。
制作意欲の源泉であろう制作者側の抱える苦悩、葛藤など、作品を通じて訴える概念の前には直截的には伝わってきませんから。
となると、現代において≪既存の「芸術=美」≫が「芸術≠美」へと変質し、もはや終末的要素を孕んでいるのか。
はたまた、元々芸術というものが、自己実現へのあくなき衝動、欲求に因るものゆえ、必然的に迷宮に彷徨いこんでいっているのであって、現代において元来の「芸術≠美」の姿を露呈するようになったのか…。
う~ん、作家芥川の意図するところからますます離れていっている気がする…
というか、自分で何を書いているのか全くわからなくなってきました(笑)
>私なりに思い描く良秀は、「恐ろしく俗物であると同時に、恐ろしい程理想主義の気高い人物」です。
はい、これは仰る通りだと思います。
気高いまでに己の絵画をきわめたがる理想主義者、ナルシストな自己実現の求道者とも言えます。
「ちょっと「私もこう在りたい、かな。。」も頷けます^^
ps:炎と生殖の酷似点は「摩擦によってもたらされる」だと、どこかで読んだ気がします。
エロに戻すには相応しいのですが、初心な私には「手に負えない」話題ですので、私はなにとぞご容赦を。
>でもそもそも、この壁画に「美」の概念は、込められていたのでしょうか。
美、と言うものを厳正に中立に客観的にどう定義するか?となると、
これは単なる「探求/追究/追求」辺りの言葉がしっくり来るように思います。
各々個人が「美しい」と感じるものは千差万別。
世界一醜い、と誰かが感じるものも、他の誰かにはとても美しい、と見える事もある。
では「美しい」って何?となると、
その人が興味を抱く対象、
ずっと見ていたい/追い求めたいと思う対象、
でも、もっと言えば、
何らかの「見る人の心に元から在る何か、の反射」かな?と思います。
だから、原始の洞窟壁画。
あれは「美しく書こう」と言うよりも、
「いつもオレ達が見ているもの、その姿形をきちんと把握しよう」と言うような、
美と言うものの根本の思いから描かれた、かな?とこれまた勝手に想像します。
「醜の美」。。。こちらも「美」と言うものの成り立ちや原理?に意識を向けたい/向けさせようと言う意図があるのかも知れません。
でも、この言い回し自体初めて見ました。
芥川好き、を名乗るにはまだまだ未読書が山盛り。。。汗
物理学者や数学者等は良く「数式の美しさ」と言うような表現を使います。
「己の探究心の対象」には、誰しもが共感/一体感を憶えます。
その現象?心理変化?を「美」とするのが、一番幅広く多種多様な美意識を網羅する考え方かな?と考えてみました。
いかがでしょうか。。。?
psには思わず笑ってしまいました。汗
「摩擦」とは、、、何とも現実味ある。。。。爆
宮本輝(実は苦手)の「焚火」でしたか、全編を炎が覆って揺らめく作品だ、と感じた事があります。
炎と性。。。古来より「夜の営み」であったならば(確信無し)、
これは歴史が刷り込んだ本能に限りなく近い文化、かも知れません。?
何度も丁寧にありがとうございます。

No.11
- 回答日時:
ご丁寧なお礼文をどうもありがとうございました^^
>物語の中に炎が登場すると、それだけで「人の手に余る」というような謙虚さ?が読み手には求められているような気持ちになります。
>炎、と言うのも、この物語の重要な「登場人物」かも知れません。。。
はい、「炎」「燃ゆる」「焦がす」といった炎系の語彙はとても興味深いですよね。
人の感情にまつわる表現が非常に豊富ですし、ご指摘下さった「手に余る」同様、「祓う」「清める」「カタルシスをもたらす」ニュアンスをも含包しているように感じます。
そして私たちの「女性性」。
これもまた、様々な点で「手に余る」面がとても大きいですよね。
さらに、良秀の娘とyukkinnちゃんは「親孝行なとても気立ての良い娘」という点で、私の中でオーバー・ラップするところがあるのです。
そんな良秀の娘が束の間に魅せた「妖艶さ」。
もしかするとエロスを暗喩する以上の何かがもっと潜んでいるのかもしれない、とも思います。
親にもそして自分自身でも未知の、そしてどこか「手に余る」。
そんな「女としての目覚め」「女性性への不安と期待」「女性性として定められた抗えない宿命の認識」との対峙は、女性なら誰しも経験があるはずです。
作家芥川の意図せぬテキストに、私たちははからずしも思い当たるところが多いように思われます。いかがでしょうか^^
>芸術至上主義については
ちょうど燃えないゴミの日を前に、「芸術の欺瞞」とつぶやきながら、誰にも評価されない未完の拙作の処分の吟味真っ最中だったのです。
自身の抱える懸念をあなたの大切な問いに八つ当たりするほどに、ましゅまろは更年期もほど近いのであろうと、どうかお察し下さいますよう。
これも女性性の抗えない一面ということで(笑)
ちょっと久しぶりの夜更かしです。
寒くなって来まして、子どもたちの温めてくれる布団から出て来る事の出来ない夜が続いていました。
女性性について、書いてくださった事。
拝見して、とても肩の力(いや、入っているのがまずいのだけれど)がするっと楽になりました。
性について探求すると、どうしても男性の方に納得出来る冷静な視点が多く見受けられるように感じ、よって、ついつい男性に意見を求めて仕舞うようになるのですが、
それはそれで、少しずつ苦しさが増して行く事が多いです。
何か女性著者が沈着冷静に論じている書物等あったら良いのですが。。。
イマイチ、冷静さ/中立性を欠く展開の本に多く出会うので、疲れてしまいます。
落合恵子さんの著作辺りに眼をつけているのですが、他に何か有りましたらご教示頂けませんか。。。
いつも、
「いつも目の前にある物事を新鮮にあぶり出す」回答をありがとうございます^^
No.10
- 回答日時:
こんばんは。
芸術や性愛をめぐって、各回答者の重心の置き所の違いもあってなのでしょうが、いろんな問題が派生し始めたのかなと思っております。
そこで、私の興味・関心を刺激してきた問題に限定してですが、勝手なコメントをさせていただくことをお許し願い上げます。
>芸術=
表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。
芸術の原義については、人間が生き残ろうとするために自然界(環境)に働きかけ、必要な道具を作り上げたり、自然界を支配したり、理解したりしようとする人間の一営為として私は考えた方がより包括的なのではないかなという気がします。
たとえば、採集・狩猟・漁撈時代ですと、食料を効率よく獲得するための道具を制作することが芸術制作に該当したり、農業時代ですと、大地を耕すための農機具を制作することも、この農機具で大地に働きかけることも、立派な芸術制作だと思います。
たとえば、私のような百姓からすれば、代かきを終えた水田の泥土に指で苗を植えていくいく作業なんて、ほとんど大地の子宮に受精卵を埋め込むのと同じような作業ではないか、としばしば思わずにはいられません。
その意味で、芸術制作と生殖行為には通底するところがあるような気もします。
>芸術至上主義(=芸術の為の芸術)=
芸術それ自身の価値は(「真の」芸術である限りにおいて)いかなる教訓的・道徳的・実用的な機能とも切り離されたものである(と言う考え方)
私は「芸術至上主義」という言葉にはあまり実質的な意味などないと思います。
大工にとっては木材を加工し、それを家に仕上げること以外に彼のアイデンティティも存在理由もないように、芸術家にとってはあらゆる手を尽くして優れた芸術作品を生み出すこと、宗教家にとってはあらゆる教訓や道徳を活用して衆生を救済すること以外に自らのアイデンティティや存在理由など見出しようがないはずですから。
>地獄変に限らず、物語の中に炎が登場すると、それだけで「人の手に余る」というような謙虚さ?が読み手には求められているような気持ちになります。
これには私も同感でして、それに付けてすぐに連想されたのは、芥川の「奉教人の死」、川端の「雪国」、三島の「金閣寺」、「暁の寺」でして、いずれの火事のシーンにしても、プロット展開の重要な転換点を示すなど、確かに作中で重要な役割を持たされていると感じました。
>私は「読み手として」、「苦悶する娘に我が身を重ねて」被虐的なエロスを、「良秀の肩越し(良秀と限りなく近い視線で独自に)に」加虐的なエロスを、感じたのかな。。。
作中人物にすぐに自分自身を重ねるのは私の得意技でしたが、良秀には、これは私が凡人すぎるせいか、あまり共感できませんでした。
>要は、どんな「素材/題材」であれ(作者の意図がエロスであろうとそうでなかろうと)、
読み手の内面に「素材/題材対応のアンテナ」が無ければ、射精衝動に代表される「性愛の美」と言う解釈(=性的興奮)は生じない、と言う事でよろしいでしょうか?
う~ん、たとえば「チャタレイ夫人の恋人」を例にしますと、たとえ「作者の意図」がキリスト教的道徳や近代個人主義やヒューマニズムによって歪曲されたセックスの大切な価値なり、真義なりを訴えるところにあったにせよ、昭和25年前後の性に関する時代思潮からすれば、少なからぬ読者が作中の露骨な性描写に作者の真意や文脈を無視して性的に興奮したり、射精欲を覚えたとしても、それはいたしかたがないだろうということを申し上げたかったのです。
要は、読者が「素材/題材対応のアンテナ」だけでこの小説を読むか、性的な「素材/題材」よりも、小説全体の出来やテーマ、その拠って立つ思想等の方に「アンテナ」を働かせるかの違いということになるのではないでしょうか。
丁寧にお付き合い下さり、本当にありがとうございます。
今回の質疑では、kadowaki様にはお詫び申し上げねばなりません。
「エロス/性的視点」と言う突発的且つ偏った視点にこだわる事無く、
まさに
>小説全体の出来やテーマ、その拠って立つ思想等
と言う色眼鏡?無しの読み方/アンテナを何度も指し示して頂きながら、
毎度性的視点に舞い戻る。。。汗
きっと折角の心遣いを無下にされて、苦く思っておいでではないかしら、と心苦しく思っております。
でも、今回こうして牛車炎上の光景に、どうしてこうもエロスを感じるのか?と言う長年の疑問を質問としてお手伝い頂きまして、ようやく謎が解けつつあります。
この謎解きには、kadowaki様の性愛/芸術/美というものに関する厳しく深い視線とご教示が大きく手助け下さっております。
この謎が解け、地獄変そのものに向き合って(エロスの視点は向き合っている、とは言い難く。。。汗)読み解く時、必ず頂いた鍵が必要になると確信しております。
今回の質疑での無下な扱いを、どうかお許し下さい。。。
芸術の原義。。。
>食料を効率よく獲得するための道具を制作すること
>大地を耕すための農機具を制作すること
>この農機具で大地に働きかけること
>大工にとっては木材を加工し、それを家に仕上げること
>以外に彼(ら)のアイデンティティも存在理由もない
この限りなく大きな視点で芸術と言う物を捉える考え方が「すとんと腑に落ち」ました。^^
まさに「命の視点」の高潔さ。。。
私も我が身内に培って行きたいものです。。。
>作中人物にすぐに自分自身を重ねるのは私の得意技でしたが、
恥ずかしながら、私が重ねているのは「良秀の視線」だけであって、
対象物をどう見るか?という「視点」は全く持って重なって等いない、と断言出来ます。
すごくすごく雑念邪念がてんこ盛りの、我が侭放題の視点で良秀の肩越しに眺めている、それだけなのです。
こう書くと、
私はまるっきりこの作品を作品として読んでいない、、、と思えます。
一つの素材をそれだけ取り出して、勝手気ままに料理しているようなものです。
付け合わせ/盛り合わせ等、丸っきり無視して。。。苦笑
素材とアンテナ、、、につきましては、まだ正直よく判りません。
何処でどう、このような読み方が生まれてしまったのかな。。。

No.9
- 回答日時:
こんにちは。
No.5のお礼欄を拝見して、「芸術の毒性」に対する明晰な説明が大変参考になりました。本当にありがとうございます。
でも…まだ良くわからないのです。
中年おばちゃんの愚鈍って、本当に悲劇です(笑)
>「芸術とは「全ての表現活動」である」となるのかしら、と思いました。
では仰るところの「全ての表現活動」の原動力である欲望、具体的には良秀の壮絶なる欲求とは、突き詰めれば一体何だったのでしょう。
良秀は完全なる自己満足として独房の中でその絵画の完成形を隠し保持することなど、到底飽き足らなかったはず。
「世に認められたい」「我が名を轟かせたい」「大殿以下に我が実力を認められたい」と痛切に願う我欲も確実に存在し大きく占めていたに違いありません。
では、この「我欲」の正体とは。
いま一度、芸術を「表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動」と捉えた上で、そしてこの「芸術にかかわる我欲」と「人間が抱く他の我欲」との間にいかほどの差があり得るのか、とひねくれた私は思ってしまうのです。
どうにも、つまり良秀の芸術に賭す激烈な欲望でさえも、本質的には他の欲望とさほど大差がないとしか思えない。
体よく「芸術至上主義」と評したところで、所詮は「人間の欲望は他者の欲望に過ぎない」のではないか、と。
つまり、他者の称賛や承認を希求したいと渇望する欲求とは、いかなる人間の抱く欲望にも通底している本質的なるもの、根幹ではないか、と考えに至るわけでして。
とすると、不思議と語り手が幻想的なる「もののけ」にも思えてくるし、摩訶不思議な人間の本質について何を今更、などと暗に述べているような錯覚をもおぼえるのです。
あながち、「芸術」の名の下にもっともらしくこの作品を「芸術至上主義」と一般的に定義づけることで達観、納得せしめようとする意図も怪しく思えてきたりして。
でも本当のところは、作家芥川の心境も良秀の法悦の境地も全く推し測る余地のない自らのボンクラさゆえに、「芸術至上主義」なる美しい言葉に一人寂しく噛みついているだけ、とよーくわかっているのですけどね(笑)
この回答への補足
こんばんは。
芸術至上主義について、です。
この言葉に「堅苦しいだけで中身の存在を感じにくい」と感じていたら、、、
kadowaki様が、すっぱりと>実質的な意味などない、と言い切ってくださり、少し楽になりました。^^
いえ、、、国語教師と言うと、私が何かとしつこい質問やどぎつい感想文の提出で迷惑を掛けた方々がお揃いでして、その方々が教えてくれた解釈なので、それだけでも身の有るものにしなければいけないような、、、そんな足枷がありました。
でも、「まあいいっか。。。」と言う逃げ場が出来て嬉しい。。。苦笑
>具体的には良秀の壮絶なる欲求とは、突き詰めれば一体何
>完全なる自己満足として独房の中でその絵画の完成形を隠し保持。。。(1)
>「世に認められたい」「我が名を轟かせたい」「大殿以下に我が実力を認められたい」と痛切に願う我欲。。。(2)
冒頭辺りで良秀の俗物的な?風貌/行動の描写がありました。
俗物的というよりも、粗悪/粗野、に近いかも知れません。
でも、彼の描く絵は素晴らしい。。。。
この主人公である良秀の人物像でさえ、容易には掴みにくい物語です。
何度か良秀の人物像に焦点を当てて読んでみて、
人生経験未熟な私ですけれど、私なりに思い描く良秀は、
「恐ろしく俗物であると同時に、恐ろしい程理想主義の気高い人物」です。
気高い、と安易に表現するのは憚られますが、
己の欲する「美」を具象化する事に掛けては妥協せず、自身にも甘んずるは無い、と思われます。
これは一つの「気高さ」だと思います。
其処に、
「それだけでは飽き足らず、功名心/自己顕示欲と言った辺りの我欲」が加わる。
(1)自己満足=「美」の追究=理想主義=気高さ
(2)我欲=功名心=自己顕示欲
この二つは、彼の中で重心が絶えずシーソーのように揺れ、
いたちごっこのように互いを相乗効果で煽り立てている。。。そんな風に感じます。
そして、自己満足の理想主義だけでは成し遂げられない出世や世間の評価と言ったものを、俗物的な我欲の冷静さで手に入れている。。。
私の勝手な想像ですが。。。汗
ちょっと「私もこう在りたい、かな。。」とも。。。
いや、外見はある程度「すっきり」していたいですけれど。
だから、
この二つは「同等に大きく彼の心を占めていた」。。。
なので、「芸術至上主義」と彼の俗物さは「共存している」と思うのです。
到底相容れない二つなのですが、
何となく超人じみた良秀なら、いとも簡単に身の内に「二匹の猛獣」を飼っていてもおかしくないように思います。
(これも私の勝手な想像です)
「芸術至上主義の小説」と言う、身が有るのか?無いのか?分からない解釈ですが、
これは「良秀の気高さ/自己満足」の面に向けられた解釈であって、
「彼の我欲」は(この解釈に限り)花を添える要素に過ぎない?と、
これまた勝手なこじつけですが、いかがでしょうか。。。?
あーー、、、でも、何かと理想主義に無闇に憧れてしまう私ですから、
かなり「盲目的な想像」になっている気もします。。。
難しいです。
再びの回答、ありがとうございます。
長くなったので補足欄に書き込みました。
何だかひたすらに「勝手気侭な妄想」。。。?汗
折角頂いた、含蓄ある回答を汚している気もして申し訳ないです。。。
No.8
- 回答日時:
こんにちは。
>1)人間の性愛は「罪(悪感)」に呼応するものではないか?
はい、「罪(悪感)」のない「人間の性愛」なんて、大昔に流行った、宣伝文句の「クリープを入れないコーヒーなんて」と同じような意味で、全く味気ないでしょうね。
と言うか、万が一、セックスから「罪(悪感)」が消滅しようものなら、男は女に対して性的好奇心なんて覚えなくなるのではないでしょうか。
これも、夫側セックスレスの主要因の一つと言えるかもしれませんよ。
>罪悪感の強さに比例して、その背徳感から性愛は強まる傾向にある、とすると、牛車炎上に際して大殿の心持ち、止められなかった良秀の親としての思い等が、読み手にエロスを生じ(感じ?)させた、とはならないだろうか?
う~ん、確かに「罪悪感」、「背徳感」はエロティシズムの必須要件ですが、だとしても、欲望の持ち主(主体)が自らの性行動を束縛、制約してくる「罪悪感」、「背徳感」に叛逆し、これに違反したとき、はじめてエロティックな感情が生じるのではないでしょうか。
なお、男性が「性愛」に対して抱く「罪(悪感)」の淵源をたどっていくと、最終的には、女性が男性の性欲(性行動)に暴力性から身を守るべく、男性に対して自らを性的禁忌の対象であることをアピールするという性的振る舞いに帰着するのではないかと私は考えております。
そして、雄々しい男の欲求が女の欲求に働き掛け、ようやく覚醒した女の欲求が男の欲求に反応し、相互に交感、共鳴、共振し合えるようになったとき、はじめて男の性欲の「罪悪」が浄化されるのではないでしょうか。
思うに、こういう「性愛」の奥底に潜む秘儀性、逆説性、二律背反性については、安易に愛の延長線上にセックスを捉えたがる現代人よりも、性を「罪悪」視していた昔の男女の方がはるかに容易に悟り得たのかもしれませんね。
>2)性愛の無い美(=良秀の視点)と性愛の美(=私の視点)は、何処で分かれるのか?
「性愛の無い美」とは、たとえば、良秀が炎上する牛車・上臈の光景を凝視したとき、それと同時に良秀の抱懐していた理想美の観念が対象に投影され、多少の屈折を経ながら反射して良秀のもとに返ってきたものだと説明できるのではないでしょうか。
一方、「性愛の美」とは、むしろ「性愛の官能(興奮)」と言うべきであって、これを感じているとき、自らと対象とが同一化、融合化しているはずでして、このとき対象との間にみじんも遠近法的な距離感を感じてはいないはずです。
>3)やはり「射精」に結び付いて行く衝動の有無は不可欠?
>(この作品自体はサディズム傾向には無い、と言う論拠に)
いや、サディズムをテーマにした絵画や小説にしても、サディズムは作品制作上の単なる素材、題材でしかない以上、これによって「射精」の衝動など起こりえないと思います。
もっとも、こうい絵や小説をあたかも春画やポルノ小説として受け止める男がいるのも確かでして、ちょうど西洋名作の裸体画をポルノ視し、性的に興奮し、「射精」衝動に駆られたとしても、誰もこれを妨げることはできないはずです。
>4)ちなみに、男性の射精に対応する女性の欲?って何なのでしょう?
この点については、私の方が喉から手が出るほどに知りたいところです。
>5)レイプ(=マゾの相対が無い加虐?)はサディズムの延長線上にあるものか?
はい、理論的にはこう考えるしかないと思います。
岸田秀氏は、『ものぐさ精神分析』だったかと思いますが、「レイプされそうになったら、女性は抵抗するのでなく、『ハイ、どうぞ』と言えばいい」という趣旨のことを述べており、言い得て妙だと感心させられました。
理論上は、「ハイ、どうぞ」と言われると同時に、男性のサディスティックな衝動は急速に萎縮せざるをえないからです。
この回答への補足
またしても丁寧な回答をお寄せ下さり、ありがとうございます。
えっ、と、、、
前回の#4で頂きましたサディズムに関する考察で、
>「傍観者の視点」からサディズムなり、マゾヒズムなりが成立するにしても、
>対立的な力関係にある二者が併存していることが前提条件
と頂きました。
という事は、この二者が見つからない限り、牛車炎上に関してサディズムと言う感想は論拠を失う、と言う事かな、と。
いえ、感想に論拠も何も無い、とは思いますが、やはり「そう感じた理由」が自分で気になります。。。
私は「読み手として」、
「苦悶する娘に我が身を重ねて」被虐的なエロスを、
「良秀の肩越し(良秀と限りなく近い視線で独自に)に」加虐的なエロスを、
感じたのかな。。。
こんなの「アリ」なのかなあ。。。
これで、「対立的な関係の二者の併存」は成り立つのでしょうか。。。?
(是が非でもサディズムを成立させたいらしいです、私は。。。苦笑)
さて、今回頂いた回答に移ります。
性愛と罪悪感の呼応、についてです。
>欲望の持ち主(主体)が「罪悪感」、「背徳感」に叛逆し、
>これに違反したとき、はじめてエロティックな感情が生じるのではないでしょうか。
この解釈は、
「作品としてサディズムを表しているのではない」とおっしゃりたいのですよね?
質問表題の「芥川の地獄変をエロティックだと思う」主体は、きっと「私自身」だと思います。
a)欲望の持ち主たる「私」(あーー恥ずかしい。。。汗)が、
b)「娘の隠れていた艶かしさの描写」と言う「布石」や、
c)衣装や炎の極彩色と言う「刺激」に依って、
d)「罪悪感や倫理観、背徳感」に(脳内と言えど)叛逆/違反し、
e)その結果、エロティックな感情(感想)が生じた。。。
これで、この作品のエロスの説明は筋が通りますでしょうか。。。?
ひたすらに「妄想」の話で恐縮です。
2)二種類の「美」について。
性愛の無い美。。。己の理想美の投影と対象による反射。距離感有り。
性愛の美(=性愛の官能/興奮)。。。自己と対象の同一化/融合化。距離無し。
これであっていますよね。。。
3)について。
>いや、サディズムをテーマにした絵画や小説にしても、
>サディズムは作品制作上の単なる素材、題材でしかない以上、
>これによって「射精」の衝動など起こりえないと思います。
この部分が分かり辛かったのです。汗
要は、
どんな「素材/題材」であれ
(作者の意図がエロスであろうとそうでなかろうと)、
読み手の内面に「素材/題材対応のアンテナ」が無ければ、
射精衝動に代表される「性愛の美」と言う解釈(=性的興奮)は生じない、
と言う事でよろしいでしょうか?

No.7
- 回答日時:
幽霊会員として秘かに「参考になったボタン」を押す側に徹するはずだったのですが…(ごめんなさい、笑)
>中学生で地獄変を読み、よく判らないまま、凄まじい衝動を感じました。
>数年後に性行為を体験し、当時の衝動の意味が理解出来ました。
この「感性」は紛れもなくyukkinn66ちゃんのオリジナルで得難いものだから、堂々と胸を張って下さい。
なかなか言葉で言うほどには実際の性体験にて真のエロスの衝動を理解するなど容易いことではない気がしますので。
「これがエロスよ!」とあなたが言えば、誰も口出しできないはずですから^^
ですから「芥川の地獄変をエロティックだと思うのは、おかしい?」と意見を募るだけでなく、もっと「ここがこのような描写だから自分はエロティックに思う」ときちんと究めて持ち前の文章能力を生かした方がよろしいかと思います。
あなたならもっと丁寧に論理的に、皆さんに説明できると確信していますから。
ただ一方で、小説家芥川の意図したものを出来るだけ客観的に捉えようとする姿勢は決して外せないものだとも思います。
これこそ専門家の方々ですら探究し尽くせず、ハマれば底なし沼に自ら歓んで陥っていくような感覚に囚われていくのかもしれませんけどね。
>エロティックだと思う方、はその理由
「地獄変」は芥川が近代に復刻させた華麗で色鮮やかな「王朝絵巻物」に他なりません。
http://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/
実際、「鳥獣人物戯画」のように「擬人化した動物たち」が描かれていたり、中には魑魅魍魎とした「もののけ」が描かれているものもあります。
私にはくわせ者な「語り手」自身が、ともすると「そのような曖昧な存在」に思えてくるのです。
どこかこの世の者ではないような、そんなニュアンスを漂わしているようでもあり。
また、良秀の悪夢の戯言も例の猿も、まるで誰かの生霊が憑依しているような印象をも受けます。
絵巻物だとこれらが具現化出来るのかもしれません。
「エロティック」と感じる小説には、個人的に艶やかな色が脳裏にぱあっと広がるのです。
「地獄変」ならやはり描写で言えば「良秀の娘の真っ赤に染まった頬の色」「燃え盛る灼熱の火焔の色」「身悶える娘のなびく黒髪」、そして「鎖」からですかね。
ちなみに「憂国」は「薄墨色」「紫」「セピア」「黒」で、何故かピジョン・ブラッドはさほど浮かんできません。
さらに絵巻物を逆に遡って観ていくと…決定的な設定の必然性を要する箇所とそうでない箇所が見えてくるかもしれませんね。
このような見当はずれも甚だしく邪道ついでに申し上げますと、世間一般で言われるところの「芸術至上主義」をこの作品にあてはめる解釈が私には良くわからないのです。
何かちょっと不協和音を感じます。
私には「芸術の何たるか」も芥川や良秀の心情など推し測れない部分があまりに多すぎるのです。
ど素人の私にとって「芸術至上主義」という言葉は眩しすぎます。
だから逆に、テクストを「絵巻物」に昇華して、最終的にはクルクルと巻き畳んでしまいたくなるのかも。
少なくとも「アンナ」よりはあなたと共感できる部分が多い気がします。
ですが恐らくあれ以上に辛い落第点がつく拙文で恐縮です(笑)
回答ありがとうございます。
お元気そうで何よりです。^^
ふふっ、、、引っ張り出しちゃった訳ですね。
「色彩」と言う、この物語に不可欠の要素のご指摘ありがとうございます。
牛車に絡み付いて立ち上る炎、
炎の隙間に垣間見える娘の喉元の白さ、女郎の装いのあでやかさ、
良秀の描く不動明王は「よじり不動」と褒め讃えられている、と言う
原本の宇治拾遺物語を昨夜、読んでみました。
こちらにも、「見れば、(炎)すでに我が家に移りて、煙・炎くゆりけるまで、、、」と、極彩色の描写があります。
ご紹介頂いた絵巻物データ、覗いて参りました。
「炎」というのは、特別なのでしょうか、、、
それとも、彩色に使われる顔料が年月を経ての劣化が、他の色よりも少ないのでしょうか、、、
何よりも「炎」の鮮やかさに呑まれます。
この地獄変に「炎」が無ければ、エロティックと言う感想は無かっただろうとさえ思えます。
何よりも身近で生活に不可欠で有りながら、大きな危険を秘めている「炎」
人間の生活にとけ込んでいるように見えて、
利用され尽くしているように見えて、
実は、そんな思惑とは相容れず、勝手に明々と赤々と燃え盛っている存在。
地獄変に限らず、物語の中に炎が登場すると、
それだけで「人の手に余る」というような謙虚さ?が読み手には求められているような気持ちになります。
炎、と言うのも、この物語の重要な「登場人物」かも知れません。。。
芸術至上主義については、#9の返信欄で書かせて頂きたいです。
>もっと「ここがこのような描写だから自分はエロティックに思う」ときちんと究めて
焚き付けてくださり、ありがとうございます^^
得るものの多い質疑になっております。
No.5
- 回答日時:
『地獄変』の題材そのものは『今昔』だったか『宇治拾遺』だったかの日本古典の物語集に典拠していたのではなかったかと思いますが、内容は完全に近代の小説です。
この「近代の小説」とはわれわれがふつうに言いあらわしている「小説」のことにほかならなくて、それは近代のヨーロッパが生み出し発展させてきた文芸上の一ジャンルのこと。
ここを検討するのは今回のご質問の趣旨とかけはなれているので喜んで省略させてもらいますが、要は小説あるいは文芸、芸術と呼ばれているものは、ふつうわれわれが抱いているような良風美俗、道徳的なもの、なにかしら人の心を高めてくれるようなもの、そうしたものばかりを目的とするものではありません。
ミュージアムという特別仕立ての建築物に麗々しく並べて称賛の対象とする美術工芸品、しわぶきひとつするのもはばかられるような演奏会場においてありがたく謹聴する音楽ばかりが芸術ではないということです。
「芸術」という言葉から発する後光はほとんど現代の神話となってあまねく四海を照らしてはいますが、少し疑ってみたほうがいい。
芸術の、その半面は善なるもの。けれども片面は猛毒です。ヤヌスの二面性をもったものが芸術であり、その二面を束ねるものがたぶん「美」と呼ばれるものだと私は思っています。新奇なる美。「美は痙攣である」と言った文学者もいます。
近年、俗に純文学と称されてきたものの後退が著しいと聞いていますが、これは現代世界の現実のほうがはるかに毒性がきついから。言葉が作りだす毒の有効性が衰えた証しである、言葉は力を失ったと捉えることが可能です。
本題です。
『地獄変』は一般には芸術至上主義をテーマにしたものという解釈と思います。それは無理のない、ごく自然な受けとめ方と私も思います。けれども、それだけではこの短編に仕掛けられた毒性が消えてしまう。
すでにあがっている回答を読ませてもらうにつけ、人によってさまざまな受けとり方があるのだなとの思い新たですが、私はエロティックであることのほうを先に感じてしまう。
タナトス(死)のまぎわにあるエロスは、やはり究極の美の一つではないか。
もちろん、すぐ付け加えて申さねばなりませんが、それはあくまで想像の世界では、ということ。
現実に行われれば単なる犯罪であり、酸鼻で残忍なだけの人倫に悖る光景です。
そうではなくて、
それを読み、それを想像したとき、その想像の光景にみずから驚く。場合によってはエロスも美も感ずる。
それを文学のもたらす毒の一つと、いま私は名づけてみるのでした。
結論。
>芥川の地獄変をエロティックだと思うのは、おかしい?
いいえ、全くそうは思いません。賛同します。むしろ直観力に優れてらっしゃると思います。
遠藤周作に『月光のドミナ』という短編があります。以下、まったくの記憶で書きます。
ある晩、穏やかに浪の打ちよせる渚を一人歩いていると、
月光の照らしだす沖合にふと人影が浮きあがり、立ちあがって主人公の男のほうへやってくる様子。
次第に大きくなる人影は、よく見ると全裸の女性で、目鼻立ちのくっきりした西洋の顔、腰まであるブロンドの髪。
その若い女が瞋恚のほむらの燃え立つ両目で主人公をねめつけながら近づいてくる。
そして目の前に立ちふさがったかとおもうと、いきなり平手打ちをくらわせるのです。
主人公は罪の深さへ沈淪していくように渚の上へ倒れてゆく。
はじめてこのくだりを読んだとき、はっとし、次にぞぞっときました。
一応お断りしておいたほうがいいのでそうしますが、私はマゾヒストではないし、そんな実体験も皆無です。
けれども、この小説のこの光景は十分に衝撃的で夢のように美しいと思います。
自分の率直な感想を率直に述べてみました。他意はありません。
丁寧に論じてくださり、感謝申し上げます。
この地獄変が「芸術至上主義の小説」と纏められるのが、私は腑に落ちないのです。
何とも論拠に乏しい「腑に落ちない感」なのですが、
頂きました回答を拝見して、そもそも「芸術」というものをどう捉えるか?が全く持って理解していない、と言うか、自分の中に「足場のある言葉」で無い事が分かりました。
ちょっとwikipediaを覗いてみました。
(まあ、wiki自体の信憑性も?ではありますが。。。)
芸術=
表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、
精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。
こうなると、
「芸術とは「全ての表現活動」である」となるのかしら、と思いました。
芸術至上主義(=芸術の為の芸術)=
芸術それ自身の価値は(「真の」芸術である限りにおいて)
いかなる教訓的・道徳的・実用的な機能とも切り離されたものである (と言う考え方)
地獄変を「芸術至上主義の小説」と纏めるには、
その「芸術」に含まれる「毒性」。。。その「毒性に関する議論」を経て、
その毒性に注目して書き上げられたのが地獄変です、となれば、
「芸術至上主義の小説」と言う評価も張り子のトラのような不協和音を生じないと言う気がしました。
>タナトス(死)のまぎわにあるエロスは、やはり究極の美の一つではないか。
はい。
これぞ芸術(=美意識?)の持つ毒の中の毒、なのでしょう。。。
>現実に行われれば単なる犯罪であり、酸鼻で残忍なだけの人倫に悖る光景です。
そう、ですね。。。
しかし、良秀は恍惚としました。
これは「現実ではない」と捉えるべきでしょうか。。。?
この質問を立ててから、サディズムについて調べていました。
サディズムを現実行為として行った人物は歴史上かなりの数、実在しているようですね。
勿論、牛車炎上の情景は私自身も「架空であって良かった」と言う安堵感に基づいての「エロティックだ」と言う感想である事は否めません。
>文学のもたらす毒の一つ
物語は「架空」か?「現実」か?については、また別の議論になってしまいますね。。。
何だか冗長で纏まり無い返信になってしまいました。
zephyrus様の奥深い回答に、拙い頭で付いて行こうと試みたのですが、
あまり上手く行きませんでした。。。苦笑
ありがとうございました!
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